みねちゃんの家造り
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月に1度の恒例行事! 「東海道を歩こう(ガイドと歩こう)」を 12日土曜日に参加してきました。 月に1度といっても、前回は参加できず。 というのも保土ヶ谷宿の日は 道の日記念ウォークということで 8月10日月曜日でしたので無理でした。 なので、今回は1つお休み明けの参加でした。 戸塚宿 江戸から5番目の宿場です。 江戸寄りに「品濃坂」、京寄りには「大坂」という 難所を控えた場所でした。 また江戸からの距離が江戸時代の旅人にとって1日の旅程である10里 同時に箱根を控えた小田原からも同じ10里という位置でもありました。 また大山参詣に向かう「柏尾通り大山道」、鎌倉へ向かう「かまくら道」 の分岐点でもありました。 そしたことから、多くの旅人が宿泊する宿場として栄えたそうです。 ちなみに東海道中膝栗毛の弥次さん・喜多さんが 江戸を出て最初に宿をとったのが戸塚宿だったそうです。 駒立橋(こまだてばし) 現在、日立製作所横浜工場がある場所に 競馬場がありました。 その競馬場に出走する馬がこの橋のところで 支度を整えたところから名前が由来しているそうです。 戦後、川崎競馬場が開設されるのを機に 昭和25年に競馬場は閉鎖されたそうです。 吉田大橋 柏尾川にかかる橋。 初代歌川広重の保永堂版「東海道五十三次之内 戸塚宿」 浮世絵は吉田大橋で描かれたそうです。 現在の橋は昭和61年に竣工されたもので 街灯は大名行列の馬簾を模しているそうです。 清源院 元和2年(1616年)徳川家康の側室であった「お万の方」 の開基で、家康から賜った阿弥陀如来像を安置しているそうです。 高松寺 臨済宗のお寺です。 樹齢400年材の総檜鐘楼門 門の上に鐘があります。 澤辺本陣跡 戸塚宿には2つの本陣があったそうです。 内田本陣と澤辺本陣です。 この澤辺本陣は戸塚宿設立に功労のあった澤辺宗三が初代。 澤辺家は400年も続いた旧家だそうです。 八坂神社 通称「天王さん」と呼び親しまれている 戸塚宿の鎮守です。 以前は牛頭天王と称していたそうですが 明治になって八坂社、昭和になって八坂神社と改称したそうです。 ここの神社のお祭りとして、毎年7月14日に 無病息災を祈願して「お札さま」というお祭りがあるそうです。 女装して派手な長襦袢が見えるように着物の裾をたくし上げ 島田髷のボテカヅラをかぶった数名の氏子が 右手に団扇を持ち、踊りながらお札をまくそうです。 ・・・なんで女装するんだろ? 冨塚八幡宮 戸塚の総鎮守。 神社の後ろには墳墓があって、これを富塚と呼んだことから 「戸塚」の地名の由来だといわれているそうです。 上方見付跡 宿の藤沢側の入り口。 1.5m程の石囲いの中に 松の木と楓の木が植えられていました。 現在は某外食チェーン店(サイ●リア)の店の前でした。 ちょっぴりなんだかなぁって感じ^^; 大坂・松並木 昔は短く急勾配な坂で旅人にとってはかなり難儀で険しい坂だったそうです。 今はゆるやかな坂でした。 お軽勘平碑 歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」のお軽・勘平の 「戸塚道行きの場」にちなんで建てたそうです。 原宿一里塚跡 江戸から11番目の一里塚。 現在は案内板が建てられているだけでした。 浅間神社 中世以降盛んだった富士信仰をもとに 村内安全を祈願するために建てられたそうです。 境内には樹齢600年を経たという古木「椎の木」があります。 今回は雨が降ったり、やんだりの中でのウォーキングでしたが 逆に暑い日差しはなかったし、日焼けもしなかったしよかったかな。 と、徐々に参加者の方々も お顔を覚えられてきたみたいで 「先日はどうも!」なんて挨拶されちゃいました。 30代の方はなかなかいないので それだけでも目立っているのかも^^; 今度は10月10日(土)に藤沢宿を歩きます。 徐々に集合場所が遠くなってくるぞ^^; 集合場所が遠くなっても、集合時間は変わりません! 早起きが苦手なワタシ、大丈夫か!?
昼休憩ちう 2010.04.10
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