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テーマ:川崎について語ろう(129)
カテゴリ:思い出話
国会図書館へ行った時 「新幹線モデル線の始点」を調べる事と もう一つ調べたい事があって… 自分の小学校の時 ![]() 川崎の等々力で 「ロッテの2軍の試合を観たなぁ〜〜」 しかも 「落合博満が2軍で連続ホームラン中」で 「明日か明後日 に1軍登録だってよ!」 って言う隣のおっちゃん同士の会話 が今でも頭に残ってる。 ![]() あの落合博満のブレイク前を 観ていたって記憶。 ![]() あの記憶があってるのか? を調べた。 「等々力球場」 当時の記憶では 現在の等々力球場では無い! それは確実なんです。 最初に疑ったのが 今の「ENEOSのグランド」では と思いましたが 自分の記憶では 多摩沿線道路沿いでは無かった では どこなのか? 【記事】『「なぜ一軍に上げない?」張本勲がビックリ“二軍にいた”落合博満の衝撃…2人の天才を率いた“山内一弘監督”とは何者だったのか? ロッテOBの証言』 (number WEB) 1980年、同じロッテの二軍で打ちまくっていたのが落合博満である。 5月31日から6月7日まで5試合連続ホームランを放ち、 そう! この期間中なのよ 「1980年」「6月」 って事で1980年の住宅地図 を見ればわかるのではと思い国会図書館で ![]() ![]() すると確かに載ってた 現在の等々力ふるさとの森の上辺りに 野球場が しかも合宿所付きの 1980年 ロッテオリオンズ2軍は 「等々力」が本拠地だったのがわかった 自分の記憶は間違ってなかった! 当時の「週刊ベースボール」に イースタンの球場が載ってて 「等々力第二球場」と言う名称。 『ロッテが等々力第二球場へ 大洋は保土ヶ谷へ移転』と 横浜大洋の2軍は前年 保土ヶ谷に移転 したところをロッテが借りた様だ 住宅地図上では「大洋球団」って載ってた 改めてネットで見たら 「等々力第二球場」 ウキペディアに載ってた! しかも ![]() ![]() なぁ〜〜んだ 国会図書館に来なくても 調べてられたんだ ![]() その頃は 讀賣が多摩川の大田区側で合宿所が丸子橋近くに 日ハムが多摩川の中原区側 そして ロッテオリオンズが等々力 と3チームが この界隈で野球をしてた 凄い時代だったんだな。 あとは 何月何日 対戦チームがどこだったのか? も知りたかったのですが… 球場情報が載ってた「週刊ベースボール」にも 結果が載って無かった その他 資料が見つけられず 持ち越しになった。 ![]() ![]() にほんブログ村 ![]() ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025年05月24日 17時51分35秒
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