2008/08/17(日)20:43
《映画メモ》 『虞美人草』 (溝口健二、1935年)
『マリヤのお雪』を観た2時間後に、同じ溝口監督の『虞美人草』を鑑賞。
太陽の下で飲んだ白ワインが悪いのか??
保存状態の悪いフィルムの音響がひどすぎて台詞が聞き取れなかったりするからか?
(でも一応、仏語字幕を目で追ってはいたのだけど。)
どうもストーリーが掴めない・・・。
途中からこの映画が「小野」と「藤尾」と「小夜子」の三角関係ものだと分かったけど、
最初のうちは何故かこの2人の女を同一の人物だと思い込んでいた為
ストーリーがぐちゃぐちゃになってしまったのだ。
これはどうも私だけではなかったらしく、映画が終わってから話を聞くと
主人も友人カップルも混乱していてみんなで応え合わせをする羽目に・・。
(私は唯一の日本人という事もあって、さすがに指導側の立場だったけど。ホッ。)
『東京物語』(1953年)などで落ち着いた美しさを見せてくれる三宅邦子の
まだ見ぬ「若い姿」をあんなに楽しみにしていたのに、
大倉千代子という女優と区別できないなんてなんたる失態・・。
ビジュアル的には後の三宅の方が素敵に思えたけど、
(当たり前の事かもしれないけど)彼女の声はもうこの頃から完成していて
地に足の着いた色っぽさがありました
(急激に容貌の衰えてしまった1957年の『青空娘』(増村保造)の時も
声だけは健在だったはず・・。)
正直な話、上にも書いた通り音響は悪いし、人間関係は分かりにくいし、
主人公の小野がああいった決断をするとは思っていなかったので肩透かしをくらった気分だし、
見終わる直前までは、この映画を苦々しく振り返っているだろう未来の自分を想像していたのに
映画が終わってしまうと何故か満足した気分になった。
同じく漱石原作で鬱々としている主人公、三角関係という2つのモチーフが重なる
市川崑の『こころ』(1955)を思い出さずにはいられない、
だけど『こころ』ほどは最後をムリヤリ引っ張らない、
苦悩する人物を割と淡々と描いている様子が気に入ったのかもしれない。
帰宅してからネット検索して
この映画のフィルムには最後のすごく大事な部分が欠けていると読んだ。
そう言われると確かに急な終わり方だったのだけど、それで納得していた私達4人。
私は溝口健二をあまり好きではないつもりだけど、やっぱり何かがあるんだね・・あたりまえか!!
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上の写真はまたもや、帰りに撮影したアレクサンドル三世橋とエッフェル塔です。