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2018年01月16日
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カテゴリ:こんな本を読んだ

「こんな本を読んだ」は自分の覚えとして書いています。興味をおぼえた点、要点のみを記載しました。人により感心したところは違うと思います。興味を持たれましたら実際に本をご覧ください。

ご意見、ご感想などはメールで 

milb@jcom.zaq.ne.jp


 丸山真男もビックリ、満州事変(柳条湖事件)(193198)以来の政治家・軍人の言動を検証し責任を問うている。時代の空気に責任転嫁する一億総ざんげでは決してない。ただし、検証に使うのは当事者の日記や回顧録。戦後書かれたものは自己保身や記憶違いもあるだろう、どこまでが本当か分からない。たとえば、重光葵や加瀬俊一外務大臣秘書官は11.29の御前会議で重臣たちが内心戦争には反対だったが公言する勇気がなかったと批判している。一方の若槻礼次郎、近衛文麿、岡田啓介、米内光政、広田弘毅ら重臣は開戦に反対したと回顧録等で述べている。聞く人によって感じ方が異なったのか。反対はしたが強い調子でなかったのか。いずれにしても東条は「この集まりは単に懇談的なもの、単に首相たる前歴を有する者ということで召されたのであって一般国民との間に特殊な差はなし」(63ページ)と問題にしなかった。『寺崎太郎外交自伝』では「当時の日本を事実上治めていたのは内閣総理大臣ではなく陸軍軍務局長であった」(78ページ)と書いている。そうなっては総理大臣も天皇も誰でも止められない。そうなる前に歯止めをかけなければならない、丸山真男も確か外国の人の言葉を引用していた。

 ところで、「はじめに」では真珠湾攻撃への愚と今日の原発、TPPなどを比較して次のように類似点をあげている。(9ページ)

1.本質論が議論されないこと

2.詭弁、嘘で重要政策がどんどん進められること

3.本質論を説き、邪魔な人間とみなされる人はどんどん排除されていくということ

 今の日本でも似たようなことはおきていないか。

 さて、第1章 真珠湾攻撃を始めたかったのは、誰なのか? 

アメリカが直接攻撃された場合は別にしてアメリカ国民は参戦支持に傾いていない、アメリカが直接攻撃を受ける必要がある、そのために日本を追い込む、しかしこれがなかなか難しい。たとえばインドネシアの石油を獲得するためにインドネシア革命によってオランダ人を駆逐したら外国の植民地防衛に戦争支持を求めるのは難しい、と。ところが日本の真珠湾攻撃に接し「これ以上の愚策は想像もできなかった」とアチソン国務次官補は言ったそうだ。(58ページ)

 日本にも石田禮助三井物産社長のように戦争に反対して辞任した人もいた。(44ページ)。上記のように重臣と呼ばれた人たちもそうだったのだろう。外務省の中枢部には開戦反対勢力は駆逐され残っていなかった。海軍中枢には反対派が残っていたが永野修身軍令部総長が台頭し主戦派が重要な位置を占めるようになる。「開戦に反対すれば暗殺の対象になる」状況だった。(71ページ)。実際、右翼、軍部につながる血盟団等により井上準之助民政党幹事長、団琢磨三井総帥が襲われ(320ページ)、中国進出に懐疑的な外務省幹部や外交官などが暗殺された。(478ページ)。昭和天皇でさえ一線を超えた場合は「大なる騒擾都政変」を覚悟せざるを得ない状況(324ページ)。「私が主戦論を押さえたならばクーデターが起こったであろう」(488ページ)。「後継にはたとえば高松宮などが想定される」(83ページ)という状況であった。

 第2章 真珠湾攻撃への159日間

 1941728日の南部仏印侵攻から真珠湾攻撃まで、回避の可能性は可能だったとして、いくつかの「もし、IF」をあげている。しかし上記状況ではその可能性は低かったのではないか。

 第3章 真珠湾への道は日露戦争での勝利から始まった

 ルーズベルトは19421月の一般教書演説で「日本が征服計画を立てたのは半世紀前に遡る」と言った。(154ページ)1894年の日清戦争、1910年の韓国併合、1904年日露戦争、第1次大戦後のドイツ領太平洋諸島の委任統治、1931年の満州事変、1937年の日中戦争、本当に領土拡張の戦争ばかりやっていたことになる。

が、これは日本だけではなかった。1905年の桂タフト協定でアメリカはフィリピン支配を日本は朝鮮支配を相互に認め、極東の平和はこれにイギリスを加えた3国で守られるべきとしたことが明らかになっている。まあ、とんでもない時代だったわけだ。ともかく、日本が日清戦争以降、朝鮮、満州の領土を拡張していく中でそれを失うまいと戦争に突き進んだ。軍拡により歳出に対する戦費は増え続け経済は圧迫され更に不況が襲う。アメリカの石油禁輸が日米開戦の引き金となったが、あのとき拡張した領土を放棄していたら戦争は避けられた…か、がここまできたら無理だったのだろう。

      

●開戦までの主な事件

1925.04.22.治安維持法制定、28年、41年と改定されていった

1928.06.04.張作霖爆殺事件(奉天事件、満洲某重大事件)

1931.09.18.柳条湖事件(9.18事件、満州事変の発端)

1932.05.15..一五事件(青年将校が官邸乱入、満州国承認に消極的な犬養首相を暗殺。政党政治終わる)

1936.02.26..二六事件(陸軍青年将校によるクーデター)

1937.07.07.廬溝橋事件(支那事変・日華事変・日中戦争。夜間演習中銃撃を受けた、と交戦。中国への

全面戦争開始)

1938.04.01.国家総動員法制定

1940.09.27.日独伊三国同盟締結

1940.10.12.大政翼賛会制定

1941.08.01.米国対日石油輸出全面禁止

1941.12.08.真珠湾攻撃(太平洋戦争)

1945.08.15.前日にポツダム宣言受諾。8.15.天皇が受諾宣言。日本では敗戦。米中ロでは停戦。9.2ミズーリ号での降伏文書調印が戦争終結とみなされている

 






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最終更新日  2018年01月16日 17時16分56秒
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