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まだまだ続くし~付点の足音~

(1) 発病**急性期病院へ 6/14~6/22**

(1)    2003/6/13~6/22


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2004 6/13(日)ー前夜~付点の足音ー

5月の下旬あたりから自分の感情のコントロールが上手く出来なかったり、今まで思い出しもしなかったICUの風景や深夜の病院の廊下の寒さ、地下駐車場の警告音…などがフト蘇って来るうえ、どうしようもない不安感を抱くようになった。
いろいろ考えてみたが、原因は主人の(以下shin)発病1年後が間近であることではないか…と思うようになった。
毎日毎日をただ夢中で過ごすことだけで手一杯だった一年間は、自分の中で納得していない事も多々あり、気持ちの整理の必要を感じた。
書き溜めた日記と現在の日記を並行して書くことで、少しずつ何かが見えてくるのでは…と期待している。

****

*入院1日目* 2003. 6/14(土)  ーすべての始まりー


4時過ぎに次女と外出中だった私は自宅に連絡をいれました。
「お父さんが変!」と電話に出た長女の声が異常に緊迫しています。かなり平静を失っている様子で詳しい事が分かりません。
「とにかく急いで帰るから!」と電話を切ったものの、このまま冷静に運転できるかと不安になりましたが、帰路を急ぎました。

救急車は入れ違いに出たらしく、家には義母が一人留守番していました。義母の話の様子から「血管系だな」と直感しました。次女と帰ってきながら、以前尿路結石で苦しんだ事があったので、「今度もそれじゃないの」なんて言ってはみていたものの、「事態は結構シビアだ」と思いました。

救急車に同乗した義父より連絡があり、私も搬送先のH病院に
急行しました。義父と長女は救急外来のベンチで顔色悪く座っており、娘は私を見るなり「お母さん」と飛びついて来ました。かなり興奮気味で、自分が取った対応について判断が出来かねている様子。私は肩を抱いてねぎらう事しかできませんでした。義父は黙って座っているものの動揺している事はよく分かります。80歳と高齢な義父にはとてもきつい場面だったことでしょう。

6時過ぎにDr.Kより説明がありました。
左視床からの出血であること、視床の直近に運動中枢があるので手術は無理であること、現在は右手足にマヒがあり言葉も不明瞭であること、…が現状でした。
私は理解できているのかいないのか、自分の判断力すら分からない状態でした。

ICUに落ち着いてから本人と面会しました。義父は「負けるな。頑張れ!頑張れ!」とshinの手を握りながら何度も何度も
呼びかけていました。娘は「お父さん」と呼びかけるものの、それ以上は言葉が出ないようでした。

8時過ぎに義父と娘を帰した直後から、shinが暴れだしました。喋りはするものの意味不明のことばかり。
状況が分からずパニックになっているようです。ベットから
落ちて再出血が起きないようにベットに拘束されました。
それでも落ち着かないので沈静剤の注射です。
それからCT検査、水頭症緩和のためドレナージ挿入手術…とshinが再びICUに戻ってきたのは午前1時半過ぎでした。
手術は成功しましたが、「万一という事もありますのでご親戚にはご連絡された方が…」と言うDr.Kの言葉。この時ほど傍に誰かいて欲しい…と思った事はありませんでした。

寝ずに待っていた両親に報告を済ませ、義母から貰った眠剤を飲んで横になったのは、午前3時半でした。
なんともすさまじい1日!
これからどうなるのだろうか…そう思いながら眠ってしまった私でした。

****

 

*入院2日目* 2003年 6/15(日)  -ツメ切りー


体内時計により5:30には目が覚めましたが、もう少し寝る事にしました。次に目が覚めたのは7時でした。睡眠時間が短かったわりには頭はスッキリしています。

洗濯物を干したり畳んだり。日常の雑事はどんな時にも、いつものペースで溜まります。走り出したら止まらないのです。身支度、昼食の準備、夕食を整えて義父と車に乗りました。

11時が面会時間のスタートで、ちょうどにICUに入ることが出来ました。お昼前頃Dr.Kが来て下さり昨夜からの説明がありました。心配されていた再出血は無かったらしいのですが私が帰った後、また暴れたらしいのです。本人も現状が理解できておらずパニックに陥ったままのようです。
言葉は昨日より少し分かるようで、こちらの問いかけにもかなり反応出来るようになっています。

午後からCT検査があり、ドレナージ挿入手術の効果で水頭症の症状もかなり良くなり「脳のシワ」も見えるようになってきたとの事。少しほっとします。
義父は3時過ぎに帰宅しました。(これから両親は約70日間shinと会いませんでした)

ベッドサイドでマヒのある右手をマッサージしているうちに
涙が溢れてきました。昨日は自分の事を結構冷静かも…なんて思ったのですが、1日経つとどうでしょう。
いろんな事が頭の中を駆け巡り、涙が止まりません。他の患者さんもたくさんいらっしゃるので、堪えようとしますが、ダメです。その内看護師さんが気配を察して、私の隣に座り
背中をさすりながら、話を聞いてくれました。
本当に嬉しく、ありがたかったです。

shinの右手を握っていると、彼の伸びたツメが食い込み痛かったので「明日切ってあげるね」と約束しました。すると看護師さんがICUのツメ切りを貸してくれました。
まず痛かった右手のツメを切り、「今日はこれで止める?」と聞くと左手を上げてヒラヒラします。
「あぁ話は分かってるんだ」と嬉しくなり、左手のツメを切りました。すると次は左足を上げて催促し、最後には右足もモゾモゾします。足も動かない訳じゃない…と分かりちょと嬉しくなりました。右手も痛いくらい握ってくれるし、足だって動く!! 何となく希望が湧いた瞬間でした。
それにしても男性のツメは硬いものです。shinのツメを切ったのは初めてかもしれません。

夕方4時を過ぎました。24時間以内の再出血が起こらなかったので、一つの山は越えたようです。ほっと胸をなでおろす…
そんな心境でした。

そういえば今日は父の日だった…夜ICUを出てから思い出しました。実家にも連絡をしていなかったので、病院から電話をしました。実家の両親も突然の事で驚いていました。
帰宅してからだと遅くなるので、娘達の担任の先生や知人にも電話をしました。
そんなこんなで2日目もあっと言う間に過ぎてしまいました。

****

 


*入院3日目* 2003 6/16(月)  -エリーゼのためにー


朝一番に会社へ連絡しました。上司の方も驚いた様子でした。
私の職場にも連絡です。とりあえず職場の先輩に連絡をして
いたので、責任者まですでに伝わっていました。
先の見通しは全然立たない状況でしたが「しばらくお休み」で
OKになり、ちょっとホッとしました。

ICUに入ると昨夜も興奮したらしく抑制帯がまた増えていました。落ち着いているところを見計らって14日からの事を説明したりするのだけれど、やはり理解できていないのでしょう。ベットから起きよう起きようとします。その度に体がワナワナするほど力み、目を見開き、「あぁ、また血管切れそう」等と思うのですが、本人は分かっていません。

午後からshinの上司のFさんとKさんが駆けつけて来てくださいました。ICUに入れる事はできないので、廊下で14日からの
説明をしました。まだ何の見通しも立たない状況でしたので
「しばらく病欠にしましょう。お大事に」と言われました。
昨年の11月に転職したばかりなので、会社がこれからどんな
対応をするのか見当もつかず、徒に心配になります。
FさんとKさんの話をすると理解できたのか「そうか、悪かったなぁ」と答えました。

尖足防止のために、靴下とスニーカーを履かせました。
マヒしたままにしておくと足首から先が伸びた状態になってしまいリハビリにも差し支えるそうです。
何か思い出してくれれば・・と今まで使っていたスニーカーを
履かせましたが、歩くのかと勘違いをして、また起き上がろうとします。
いつかこれを履いてまた歩くことが出来るようになるのでしょうか。

ナースコールが鳴ると「エリーゼのために」が聞こえます。
聞こえる度に何かしら反応するので
「何の曲だっけ?」と聞くと「分からない」。
「エリーゼのためにでしょ」 「ふーん」等と言いながらも、かなり長いフレーズを口ずさんでいます。
「そうか・・・思い出せる物もあるんだ」そう考えると僅かですが
気持ちも軽くなります。
記憶の引き出しは沢山開けてあげたい・・・と思いました。

酸素マスクをし、沢山のチューブやコード、転落防止の抑制帯が体を取り巻いている姿は痛々しく、今のshinが置かれている状況を物語っています。
週が明け、違う先生方も回診に来てくださいました。Dr.Iと若いDrが二人です。現状の簡単な説明がありましたが、shinは若い先生に「お久しぶりです」と挨拶していました。
この意識障害は一体どうなるのでしょうか。

子供たちの写真をボードに貼って、点滴棒に吊るしました。
名前は答えられませんが、「分かる?」と尋ねると頷きます。
でもだんだん興奮してきたので外しました。

初めて手浴をしました。ぬるめのお湯に片手ずつ浸けてあげると、右手も感じる事ができるのか気持ち良さそうにしています。ついでに合谷のツボもマッサージしてあげました。
今、私に出来ることは他に何があるのだろう・・・。

****

 


*入院4日目* 2003 6/17(火)  -スーダラ節ー


午前中は機嫌が良く「スーダラ節」などを歌っていました。植木等が好きだったので自然と出てきたのでしょうか。
状態もかなり落ち着いてきていたこともあり、看護師さん達もクスクス笑ったり「○さん、ご機嫌ね」と声を掛けてくれたりします。そんな時は左手をパッと上げて答えているようです。

意識障害はずっと続いており、話すようになってはきたものの脈絡は通じません。
「トコトンヤル」 「オレハガンバルゾ」 「モウイイヨ」 「カエローカ」 「オマエハヘンダ」などなどいろんな言葉が出てきました。

鼻の管を通して経管栄養が始まりました。
400ml×3回 で600kcalだそうです。
これも一つの進歩でしょうか。本人に教えると
「オレハ食いたい」 「何か食べさせろ」 「腹減った」 「トコトン食うぞ」と喜ぶどころか話が違う方へ行ってしまいました。
「食べる」関連の話は要注意です。

九州の実家の母が来てくれました。
「shinさん、分かる?」と尋ねると頷きます。
母はshinの手を握り力づけてくれました。
興奮するかと思っていましたが、気持ちも落ち着いているようで安心しました。
夕方「今日来てくれた人は誰だっけ」と尋ねたら、一言。
「シラネエ」。
がっかり・・・と言うよりはshinとの会話は意識障害もあって
ICUの中に漂う緊迫感や緊張感と大きくズレがあり、不謹慎にも私は笑いを堪える事が度々でした。

スタッフが持っている医療用携帯の着メロの「花のワルツ」にも反応します。曲目は答えられないものの長いフレーズを口ずさみます。次女が発表会で弾いた曲だったので覚えていたのでしょう。

午後からは機嫌が悪く足のマッサージなどをして気分を紛らわせました。これから自棄になったり短気を起こしたりする事もあるかもしれません。
そんな時の「気分転換テク」は沢山あったがいいと思いました。

****

 


*入院5日目* 2003 6/18(水)  -「あの素晴らしい愛をもう1度」ー

  
母と11時に病院ロビーで待ち合わせましたが、ICUに入れたのは昼前でした。
昨夜はあまり寝なかったらしく午前中はずっとウトウトしていたようです。
母が呼びかけましたが、分かったのかどうか・・・。
午後の飛行機で帰る母を地下鉄の駅まで見送りました。

1時にY子ちゃんと待ち合わせです。
Y子ちゃんは学生時代からの親友で、3年前にご主人の転勤により隣の区に引っ越してきました。
今日は休みの日なのにお昼を一緒にしてくれ、14日からの経緯をゆっくり聞いてくれました。
(彼女の勤務先がH病院のすぐ近くなので、少ない昼休みを私と一緒によく過してくれました。本当に彼女は私にとって今でも力強く大きな存在です)

1日血圧が高めで午後もウトウトモードでした。
昨日のスーダラ節はICUでもちょっと話題になったようです。
何かと優しい声をかけてくれる主任さんは「ICUでスーダラ節を歌ったのは○さんぐらいかも・・・」と言われました。

今日のshinの言葉。
「オレハガンバルゾ」 「ツマンネェヨ」 「オレハアルクンダ」
「ダメダ」

今日のshinの歌
「あの素晴らしい愛をもう一度」 1番エンドレス。
一緒に小声で歌うと泣けてきて、私は最後まで歌えません。

母が来てくれた事、Y子ちゃんと会えた事で少し気持ちが楽になりました。
取り敢えずの目標は「脱ICU」です。
また明日からがんばらなくては!!

****




*入院6日目* 2003 6/19(木)   -ドレナージ~脳室水頭症を緩和するためにドレナージを挿入~

  
連日11時台は処置や検査で入室できない事が多いため、遅く出てお昼前に着きました。
でもやはりCT検査に向かうところでした。はぁ。

当然ですがICUは入室には厳しく、まず入り口のインターホン
で患者名を名乗り、入室のOKを貰います。
入り口は3つの自動ドアを通過せねばならず、一箇所毎にフットペダルを踏んで入ります。
最後のドアを入った所で入念に手洗いをします。
でも白衣やキャップの着用はありません。
患者が検査などで不在の場合、家族は廊下で待たされます。

30分程度で検査より帰ってきました。眠っている様子です。
Dr.Kは「新たな出血も見られないので、ドレナージも抜きます。ICUはいろんな意味で不自然な環境なので、時期を見て一般病棟へ移します」と言われました。
やった・・・脱ICUは近いかも!ちょっと先が見えた気がしました。

ドレナージを抜かれた前頭部は剃髪してあったので、河童のお皿のようになっています。傷口は縫合してあり絆創膏が左右にはってありました。
ちょっと笑える頭ですが本人は傷が気になるらしく、しきり
に左手で触ります。

今日もY子ちゃんがお昼に誘ってくれました。
貴重な昼休みなのに・・・。感謝です。

台風が九州直撃の話題をふってみました。
shinは「その件に関しましては、何ともお答えのしようがありません」 !!!
意識障害もこれからどう推移するのか分かりませんが、笑わせてもらおう・・・と思いました。
看護師さんが近くにいると、一緒に控え目に笑ってくれます。

昨夜ちょっとショッキングな次女の手紙(私あて)を読み、今朝二人で話し合いました。
父の事がショックだったのでしょうか。
「絶対に命を自分で止めてはいけない・・・」と言い聞かせました。こんな時shinに相談できたら。

****

 


*入院7日目* 2003 6/20(金)  -食事スタートー

 
酸素マスクが外れ、昼食より経口食になりました。
おかゆやスープ、とろみをつけた煮物やヨーグルト等の献立
でしたが、全体量の1/3程をガツガツと食べました。
一週間ぶりの食事です。口に入らなかったり、こぼしたりと
左手での食事は大変ですが、やはり本人も嬉しそうで見ている私も「また1歩進めたかな」と思いました。

油断すると自由になる左足をグッとベッドからはみ出させ、下に降りようとするので、私は左側に座るようにしていました。
夕方からは右向きに体位を変えたので私も右側に座り、いろいろとしゃべりました。
気持ちも少しずつ落ち着いてきているようですが、意識障害はまだあり、笑わせてくれます。

頭の傷口が気になるらしく左手でよく触るので、頭にネットを被りました。これも結構笑える図です。

帰宅するとshinの弟のTさんが来てくれたとの事。当初は連絡しない・・・と両親は言っていましたがやはり嬉しかったのでしょう。二人ともちょっと和やかな顔になっていました。

昨夜義母と話し込みましたが、いろいろとショッキングな事も言われました。どうしても通じないものも人間にはあるのだと思う事にしました。

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*入院8日目* 2003 6/21(土)    -hugー

 
精神的にも随分落ち着いてきたので、子供たちに会わせる事にしました。
長女の学校が終わるタイミングに合わせ、午前中は家でゆっくりできました。

長女は入院当日の様子を知っていますが、次女はshinが病気になってから初めての面会です。夫々の反応がちょっと心配でしたが、長女には手をしっかり握ってやっていました。
次女はグーッと自分の方へ引き寄せて抱きしめていました。
「ああ、分かったんだ」 そう思うと胸が熱くなりました。
看護師さん達も様子を見守っていましたが、「感激しちゃった」と後から言われました。
写真を見るとすごく興奮していましたが、二人の娘に会っても落ち着いて対応できたので(もちろんちゃんとした話はできませんが)安心しました。
子供たちも父と会え、認識してもらえた事で、嬉しかったようです。
両親も会ってくれたら・・・切実にそう思いました。

車イスに座ってフットバスを体験したり、TVで野球観戦をしたりしました。病前からスポーツは大好きでしたが、今日の中日・広島戦はあまり興味がなさそうです。でもホームランを告げるアナウンサーの興奮した声には、以前の顔で反応していました。

夕食は、いきなりおかゆの器を持って飲みました。おつゆもお茶も飲みます。喉が渇いていたのでしょうか。言えないのかな・・・と可哀相に思います。

おかしなshin
「○さん、お通じでそうですか」
「う~ん、それはやはり、その時にならないと分からないでしょう」
「明日も来たほうがいい?」
「トーゼンでしょ」
午前中は看護師さんたちとの会話で、ずっと語尾に「ザマス」を付けていたらしく、
「○さんって、以前からこんなにおもしろいキャラですか」
なんて聞かれたりしました。
無意識とは言え、ICUの中でちょっと和ませてくれるshinは可笑しくもあり悲しくもあり・・・です。

帰宅すると会社から速達が届いていました。
ドキドキしましたが7月分の給与明細などで、今回の事については何も触れてありませんでした。
きっと会社側も対応について検討中なのでしょう。

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*入院9日目* 2003 6/22(日)   -少しずつー

 
病院の前に福祉機器専門店へ行き、角度を変えられるスプーンとフォークを買いました。
なるべく一人で上手く食べられるようになってもらいたいので。

3時ごろ着きましたが、車イスに座ってフットバスをしてもらっていました。
左足はくすぐったいのか上げています。
昨日よりイスにもキチンと座れているようです。
こんなところにも少しずつですが良い変化は見られます。

今朝はヒゲ剃りも少し自分でやったそうです。
点滴が左に移っていたので、右手には私が置いていった軽いデジタル時計を着けていました。
時計を着けていれば見ようとして右手も動かすでしょうか。

しみじみと顔を見ると1週間で痩せたのか、皮膚がちょっと弛みメガネが大きく見えます。
氷水をよく飲みますが、スイノミのしくみがよく分からないらしく、何度かこぼしました。

日曜日のICUはちょっとだけノンビリした雰囲気が漂っています。手術の予定もなく緊急の患者さんが来れば別ですが、看護師さんたちもお顔に余裕があります。
ここのICUには思ったより沢山の看護師さんたちが働いていて
いました。若い男性もいます。重たい患者さんのシーツ交換や体位を変える時など、先輩看護師さんたちからよく声がかかっているようでした。

また、この病院は電子カルテのシステムを取り入れているようで、看護師さんたちはよくノートパソコンを開いてはパチパチと入力しています。

分かる患者さんにもそうでない患者さんにも「△△さん、今から~しますがいいですか?」と必ず声がけをしています。
家族への対応も、なるべく余計な心配をしなくて済むような適切な説明があったり、家族の健康状態を心配してくれたりと、暖かいものを随所に感じました。

夜勤の看護師さんは夕方「今夜の担当の◎◎です」と声をかけてくれます。
今日の看護師さんは、私ががんばりすぎているように見える・・・と言いました。
たしかにそうかもしれません。
でもこの状況で、どうリラックスしてよいのかもわかりません。
ただ、家族のことも気にかけてくれている・・・その事が今の私にはただ嬉しかったのです。

今日のshin
夕食は角度スプーンを早速使ってみましたが、私がいるとなかなか一人で食べようとしません。
午前中は看護師さんに「いくつなの」と年令を聞いたそうです。失礼なヤツ。


    


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