(3)自宅復帰*リハビリの日々11/16~ 11/29(3) 2003/11/16~11/29まえへ(2) つぎへ(4) ~かまくら ~ *自宅復帰22日目* 2003 11/16(月) 次回のリハビリ教室に備えて地区センターまで歩いてみました。 コースもいろいろ取れるのですが、一番歩道が確保されているルートを歩いてみました。 思ったより時間もかからずつく事が出来ました。 shinは地区センターは初めてだったので、中の様子もチェックです。 試合で東京の北部の方まで行く長女を朝早く送り出して、そのまま私達も出てきたので「まだこんな時間」って感じです。 駅でコーヒーを飲んでいるうちに、あんまりお天気がいいのでこのまま出かけてみようという事になりました。 フラリと乗った電車は「逗子行き」だったので北鎌倉まで乗りました。 どこといってあてもなかったのですが、まず駅から近い円覚寺を見学しました。 山門を入るとなだらかな斜面に建物が点在しています。 「階段と坂道ばっかりだけど、大丈夫?」とshinに尋ねました。 「行ける所まで行ってみよう」とshinはノンキに答えます。 ちょっと大袈裟ですが、道のりの大変さが予測出来ないのかそれとも自分の能力と相談できているのか・・・判断がつきませんでした。 まぁ、それでも無理と分かった所から引き返せばよいのですからボチボチ上がって行くことにしました。 お掃除が間に合わないのか色づいた落ち葉が階段やスロープに敷き詰められています。 元気な時は美しいと見える光景も、湿った落ち葉の滑りやすさが気になります。 でも心配は要らなかったようです。 shinは上りも下りも結構しっかりした足取りでした。 小1時間かけて見学できました。 鎌倉はいつ行ってもどこへ行っても人が多いのですが、今日も例外ではなくすごい人出です。 私達のように見学だけでなく、スケッチをする人や三脚を立てて写真を撮る人など夫々の楽しみ方をしています。 「あぁこれが普通の生活なんだなぁ」と思いました。 お昼近くになったので「もう帰ろうか」とshinに聞くと「建長寺も見ようよ」と言います。 大丈夫かな…と思いましたが、ゆっくり建長寺まであるいてみました。 円覚寺と対照的に建長寺はまず大きな駐車場があり、大型バスもたくさん停まっていました。 「なぁ~んか世俗的だね」と私が言うと「鎌倉そのものが既に世俗だよ」とshinが答えます。それもそうか。 山門を入ると奥のほうまで平らに開けた敷地がとても明るく輝いて見えます。 「どうです、立派に作りましたよ」って感じでしょうか。 建物の中も見学できたので入ってみました。 本堂の回廊の裏側から見えるお庭と池が広々と気持ちよく作ってあります。 通る人の邪魔にならないように座り込んで景色を眺めている人も多く、私もしばらくじっとしていました。 久々に見る開放感がある気持ちの良い景色です。 はぁ~~~っと大きく深呼吸をしてしまいました。 古い建物をそのままの形で活かしている円覚寺と新しい物古い物をミックスしている建長寺は本当に対照的でしたが、どちらも秋の日のいい思い出になりました。 まだ寝ていた次女には黙って外出してしまったので、取り残された寂しがり屋の次女からはず~っとメールが届きました。 秋日和の鎌倉を携帯片手に歩いていたのは…私です。 フラリと出かけた小さな旅でしたが、shinの歩きもしっかりしてきた事も分かり、何だかいい気分の一日でした。 たまにはこんな過し方もわるくありません。 *********** ~しりもち ~ *自宅復帰23日目* 2003 11/17(月) 今日はH病院の2回目の検査日です。 さすがに今日は手違いも無く、普通の待ち時間で検査に入りました。 今日の検査は言ってみればIQの検査みたいなものなので、shinは文章を読んでいろんな事を判断し、答えを右手で書字しないといけないでしょう。 総合的な考察力や判断力、また制限時間内にどれだけ書けるか…きっと今のshinにとってはシンドイ検査だろうし結果も厳しいものだと予測できます。 約2時間位で終わり、疲れた表情で出てきました。 それでも前回に比べればキチンと検査が出来た分、気持ちも落ち着いているようです。 F病院のS先生も主治医のK先生も検査結果を知りたいと言われたので、12月の脳外の外来時に検査結果を貰えるよう依頼をして帰りました。 昼食に入ったお店で、ジャケットを脱ぎながらイスに腰掛けようとしたshinがあっと言う間に私の視界からいなくなりました。 「へへへ、転んじゃった」と笑いながら起き上がったshinです。 二つの事を同時にした為でしょうか。 ジャケットを脱ぐ事に集中して、イスへの注意が薄くなったようです。 手足の屈伸をしてみましたが骨折の様子はありません。 尻餅だけで済んだようです。 退院後初めてのドキドキでした。 本人も驚いたようですが、私もビックリです。 こんな事もあるのか…と思いましたが、職場のイスの事などを考えてしまいました。 次回のPTでO先生に相談しなくてはいけません。 夕方、お風呂場の手摺り工事をしてもらいました。 浴槽の横の壁に横手摺りとお風呂場の出入り口に縦手摺りをつけてもらいました。 I先生の指摘もあって浴槽横は少し足寄りの位置につけてもらいましたが、右手を伸ばして握れるので使いやすそうです。 これで浴槽からの立ち上がりと浴槽の出入りが、随分楽になるでしょう。 退院の頃shinの介護保険の申請もおりたので、今回の工事は介護保険を利用出来ました。 利用者の負担が1/10で済むのは本当にありがたい事です。 ********** ~ひとり通院 仮免検定 その2 ~ *自宅復帰24日目* 2003 11/18(火) 今日もOTとSTがあります。 お天気も良いので「ひとり通院 仮免検定 その2」をする事にしました。 最寄駅でホームを間違えそうになり、乗換駅でパスネットとバスカードを取り違えたのですが、パニックにはならず冷静に対応出来ていました。 前回のチェック項目も落とさなかったので、今回はOKとしました。 家族としてはまだまだ心配な点がありはするのですが、一つ一つを経験しながら身につけて欲しいと思います。 リハビリの先生方にも事情を話して様子を見ることにしましょう。 shinは早速リハビリの時に担当の先生に今日の様子を話していました。 先生方もshinの高次脳のレベルは充分ご存知で、「病院へ着いたよコール」の確認もして下さる事になりました。 こうやって家族と病院が一緒に支えていける体制は、家族としても本当にありがたく心強く思えます。 電卓の練習時に適当な数字があった方がより効果的ではないか…とOTのI先生からアドバイスを受けました。 早速帰りに次の駅で途中下車をして珠算の問題集を購入しました。 ちょっと疲れていたのでしょうか、帰りのホームを間違えてしまい朝の事もあって二人で苦笑いです。 元気な人でも間違える事は沢山あるのだけれど、shinのように病気の後遺症があればすべてそちらに原因を持って行ってしまいす。 今日のSTでは作文の宿題が出たようです。 shinは「ホーム間違い 朝編・夕編」を書こうと、電車の中でメモをしていました。 *********** ~介護保険~ *自宅復帰25日目* 2003 11/19(水) 午前中ケアマネージャーのKさんの訪問です。 我家では両親とshinの3人が介護保険を利用しているのでKさんも月一回の訪問で3人の話を聞かねばなりません。 と言っても3人いっぺんには無理なので、先に両親を済ませて 次がshinです。 今のところ両親は介護保険を利用して週に2回、ヘルパーさんに来てもらっています。 それぞれの部屋の掃除や布団干しなど、高齢の両親が出来づらくなってきたところをサポートしてもらっているので二人ともとても喜んでいます。 私もshinの病気以来、両親の事がすごく気になっていたので ヘルパーさんやケアマネさんなどプロの方が定期的に来てくださるのはとても心強いし、朝が弱い義母も人が来られる日は早く起きるようになったので、その点でも一日のリズムが作れて良かったと思います。 今日の訪問では両親とshinに対して訪問のPTリハビリについての提案を受けました。 両親はだんだん足が弱ってきているので現状をなるべく維持するために、shinは外出訓練や通勤の付き添いで利用が出来るのではないか…という事です。 入院中にI先生とも相談した事もあるのですが、訪問でPTやOTのリハビリを提供出来る事業所はあっても、両親やshinのように通院が出来るレベルの人の利用は難しいと聞いていたので、もしそれが可能なら願ってもない事だと思います。 ただしPTについては医師の指示書が必要らしいので、次の診察日にK先生に聞いてみないといけません。 ケアマネージャーのKさんは介護保険に対してもしっかりした考えをお持ちのようで、それぞれの事情にあった利用の仕方を提案して下さいます。 介護保険をめぐる事情もあれこれ耳にしますが、我家の場合とてもよいケアマネージャーさんやヘルパーさんに恵まれているようで、感謝です。 ************ ~介護保険 その2 ~ *自宅復帰26日目* 2003 11/20(木) 木曜日はヘルパーさんの日です。 介護保険も利用を始めて3ヶ月ほどが経ち、両親もやっと慣れてきたようです。 介護保険関係の事業所は本当に沢山あるのですが、我家のヘルパーさんは10年来利用している生協系の事業所から来てもらっています。 どのヘルパーさんも気持ちよくお仕事をしてくれる方ばかりで年齢的にも私と近い方が多く、話をしていても分かってもらえることが多々あり、私としても心強い思いです。 気難しい義父もヘルパーさんとはニコニコ顔でコミュニケーションが取れるので(家族にはめったに見せない顔ですが)、週に1~2回の笑顔が出来る事もプラスと考えます。 義母もお掃除の仕方やお布団の干し方など最初に希望を伝えたのですが、後はノートなどを通してヘルパーさんの共通理解となっているようでお仕事もスムーズにこなしてもらっています。 shinが病気になる前に漠然と両親の介護保険について考えていた時期もあったのですが、今回の申請についてはshinの病気と私の関わり方も大きなファクターになったようです。 一定期間を経過すると再審査があったりもするようですが、年齢的にも両親は維持で精一杯の状態ですので、これからも継続して利用ができると思います。 家族が介護が必要になった時、主婦が一人で抱え込み精神的にも体力的にも限界を迎えてしまうというケースをよく聞きます。 高齢化が進んでいるなかで安易な利用は考えものですが、本人も家族も少しでもいい過し方を選択するためにも、沢山の専門家に関わってもらうのは決して悪い事ではないと思うのです。 これからの両親がどんな状態になるかは皆目見当もつきませんが、出来る限り健やかに過してもらうためにも介護保険は重要な制度だと思っています。 ********** ~現地集合 ~ *自宅復帰27日目* 2003 11/21(金) 午後からPTと主治医の診察です。 先日仮免は合格したので、今日は現地集合としてみました。 「病院へ着いたら私の携帯に連絡してね」と言っていたのに 連絡はありませんでした。 ちょっと心配になってPT室をのぞくと、もう自主トレを始めています。なぁ~んだ、と安心もしましたが予約票と診察券を出すのも忘れていたようです。 やはり一度にいろんな事は無理なのでしょうか。 今日はOTは無いのですが、I先生も心配して様子を見に来ていました。 先生も「少しずつですよ、少しずつ」と笑っています。 PTのO先生に先日のシリモチについて報告しました。 「う~ん、一度転ぶとクセになる人が多いんだよね」とコワイ事を言われます。 職場のイスについての心配もあります。要注意です。 退院後初めての診察日ですので主治医のK先生には質問が沢山です。 忙しい先生ですが、いつもジックリ話を聞いてもらえます。 これだけでも患者は安心出来のだと思うようになりました。 近況、先日の介護保険のPT利用、お薬の一包化、などshinもメモを見ながら順々に話が出来ました。 火曜日のリハビリの時は予約時間が違うのを見つけたり、今回も予約券の手違いを指摘し注意力が戻る時もあるようです。 焦ってはいけない、少しずつ少しずつ…です。 ********** ~う~ん、神様、今度はそう来ますか~ *自宅復帰28日目* 2003 11/22(土) 次女のインフルエンザ予防接種がやっと出来ました。 長女も一緒に受けさせたかったのですが、連絡が取れずに次女のみの接種です。 両親、私達、次女と済んだのであとは長女のみです。 いままでインフルエンザに罹った家族はいないのですが、 今年は大人は特に疲れもあると思うので、やはり全員が接種していたがいいかもしれません。 shinと私は近所の内科で受けましたが、一回4000円でした。 両親はかかりつけの内科で(70歳以上ですので)一回1000円です。 子供は整形外科で接種しましたが、3000円でした。 F病院の近くのクリニックでは2500円と書いてありました。 この料金の幅はなんでしょう。 ワクチンの効果が同じなのであれば、来年は要チェックだと 思いました。 shinの退院と入れ違いに実家の父が入院してしまいました。 70代ではありますが、今まで元気だった人なので母から知らせを受けたときは驚きました。 最初は皇太子妃の雅子さまと同じ病気で入院したのですが、その後大きな病気が見つかり治療が始まりました。 本人は今のところ元気な様子ですが、病気の種類と発病の部位の問題がありとても心配です。 やっとshinが落ち着いたかと思っていたら次は父です。 「う~ん、今度はそう来るか…」って感じでしょうか。 こんな時九州は遠い。遠い。 ちょっと顔を出す…って事が出来ませんから。 shinも退院してから随分落ち着いてきたので、先日主治医のK先生に相談してみました。 すると「旅行OK,飛行機OK。元気になった○さんの姿を見せてあげたらお父さんも喜ばれますよ」とあっさりOKが出ました。 最初はshinと私の二人で週末にお見舞いに行ってこようと思っていたのですが、 「お姉ちゃんは来月スキーに行って、お父さんとお母さんは長崎に行くのねっ。私はお留守番?」と次女は納得しません。 とうとう泣き出したので金曜日の学校を休ませて次女を一緒に連れて行くことにしました。 こんな時の次女のアピール力?にはいつもながら負けてしまいます。 そんなこんなで来週は病後初の旅行になりました。 航空券の予約も済ませたので、あと気になるのは家族の体調です。 あまり心配しても始まらないのですが、今までにも度々涙のキャンセルがあったので切に幸運を祈ります。 ************ ~忘れ物は・・・していないのに ~ *自宅復帰29日目* 2003 11/23(日) 午前中久々に美容院へ行きました。 スッキリした後shinへ電話をし、書店で待ち合わせをしました。 約束の時間になかなか現れず心配しましたが、忘れ物をした「気になって」一度帰宅したと言います。 どうもその場で確認する余裕は無かったようです。 何か失敗してもパニックにはならないshinですが、落ち着いた対応はまだまだ取れないようです。 でもここで消極的になっては先へ進めません。 失敗はある程度覚悟の上で、どんどんチャレンジです。 この病気の後だんだん消極的になったり、興味や好奇心が薄くなる人も多いと聞きます。 shinは失敗してもさして落ち込みもせず次の行動へ移れるので、この点はとてもやりやすいと思っています。 バスカードを入れたパスケースも忘れずに持ってきていたので帰りはバスに乗りました。 時間帯によっては座れない時もあるのですが、停留所までの10分弱もかなりしっかり立っていられるようになり、こんなところにも少しずつの進歩を感じられる事が嬉しい日々です。 ************* ~皆既日食&凧 ~ *自宅復帰30日目* 2003 11/24(月) 朝から曇天ですが、テレビでは南極の皆既日食の様子を中継しています。 ちょうど8時15分ごろ、皆既になりました。 shinも子供達もテレビをじっと見ています。 学校も病院も休みなのでリアルタイムで日食が見れました。 ダイヤモンドリング、プロミネント、黒い太陽、コロナ…学校では星関係は好きではありませんでしたが、今となってはもう一度知りたいな…と思える事も沢山あります。 午後からshinとwalkingです。 今日は距離を出さずに、タイムトライアルにしました。 運動公園から一旦街道沿いに上がり周回コースを通って運動公園まで戻りました。 今日が初めてのコースですが、所用時間は40分でした。 このタイムをベースにしてこれから歩いてみましょう。 ただ早く歩くことだけが目標ではありません。 O先生からいつも指摘があるように、動きのイメージを意識したり障害物へのとっさの判断なども重要です。 これから寒くなるので体も硬くなるかもしれません。 手袋や帽子も必要でしょうか。 もともとshinはそんな物が嫌いでしたので、これも様子を見ることにしましょう。 出る前は私も体がきつかったのですが、40分歩くとポカポカしてきて体も軽くなったようです。 何もなければこんな日は家でボンヤリ過す私です。 shinが退院してから私の運動量も増えたようです。 今日も凧揚げの人たちがいました。 かなり年配のおじさんが数人、いつも凧揚げをしています。 似たような凧が揚がっているので、きっと手作りなのでしょう。 自分で作った分身を大空高く揚げる気持ちはいくつになってもワクワクするものかもしれません。 私は宮崎駿のアニメが大好きですが、どのアニメにも共通している浮遊感とでも言う感覚がたまらなく好きです。 風を受けて風を感じながら飛んでる様子は、どのアニメも実にうまく出ています。 稲刈りが終わった九州の佐賀平野では毎年バルーンフェスティバルが開催されます。 色とりどりの気球がプカリプカリと浮かぶ様は、いつ見ても微笑ましく和やかな気分にしてくれます。 いつか気球に乗ってみたい!! *********** ~ノンキなshin ~ *自宅復帰31日目* 2003 11/25(火) 今日はお昼を挟んでSTとOTです。 雨がひどいので車で行ってしまいました。 雨の日の駐車場はいつもにも増して混みます。 shinだけ先に降りてSTです。 私は並んで駐車場待ちです。 12時ごろに会計の前で待ち合わせの約束をしました。 shinは覚えているでしょうか。 ベンチに座って待っていると、shinが降りてきました。 「覚えていたね」と言うと「当然でしょ」と返します。 雨の為外にも出れないので、途中で買ったサンドイッチとコーヒーで昼食にしました。 食後shinは312号室へ遊びに行きました。 私は車に戻ってしばし仮眠を取りました。 本当にどんな時もどんな所でも眠れる私です。 あっと言う間に退院して一月が経ちました。 shinには何か具体的な進歩があったでしょうか。 本当はこんなに焦って考えてはいけない事は分かっています。 でも休職期限がきられている以上、やはり先へ先へと急いでしまいます。 来月には会社から面談のお知らせなどもあるでしょう。 復職願いなども書かなくてはいけないのでしょうか。 いろいろ考えすぎると頭がパンクしそうです。 その点、今のshinは先を考えないのでノンキに見え、その事で私がイライラする時もあります。 こんな状態は良くありません。 なんとか、いい循環に変えなければ。 なるべく私もノンキになるようにしましょう。 ************ ~見えない塩分 ~ *自宅復帰32日目* 2003 11/26(水) 退院前の栄養指導では、カロリーと塩分についてが主な内容でした。 カロリーについては以前shinも食べ方を考え直した時期があったので(それまでは食べたいものを好きなだけ…という家風だったようです)、資料もあるし大体の目安も分かります。 塩分は7g/日が目安量なのですが調味料に含まれているもの以外にも、加工食品には当然沢山入っているし、一番困るのは外食の場合です。 最近はカロリーと塩分についてメニュー表示をしているファミレスなどもありますが、まだまだ一般的ではありません。 かと言って塩分チェッカーを持ち歩くのも何だか…です。 病院の栄養士にそんな話をしたら「あくまでも目安なのであまり神経質にならないでください。以前とても気にされる奥さんがいましたが、とうとうストレスからくも膜下出血を起こされましたよ」と怖い話も聞いてしまいました。 自宅では以前から薄味を心掛けていたので、いろいろと計算をした上で更にもう一段階薄くしておく事にしました。 ただお料理の種類にもよりますが、すべてを満遍なく薄くするよりは、いっそ塩分なしで調理をして盛り付けてから岩塩をパラリとかポン酢をタラリと落とす方が満足度が高い事も分かりました。 味の感じ方にも個人差はあるのですが集中した強い味というのもアクセントとして良いのかもしれません。 またお酢やレモン、香味野菜も大事な脇役です。 朝食には欠かせないお助けたんぱく質の卵もshinは1個/2日が目安量です。 かと言って半分に切ったゆで卵や片目玉焼きも続くと味気ないようです。 卵は2~3日に一個ポンと使うようにしました。 その方が食べた気がするようです。 ソーセージなどの加工食品は生協のものでも塩分過多です。 そこで最近の朝食のたんぱく質はもっぱらささ身を茹でて使っています。 実家の母が送ってくれるドライのローリエは市販のものやフレッシュよりも香りが強く、茹でる時に一緒に使うとほんのりといい香りがついています。 暖かいうちに適当に割いて粒コショウをパラリとかけると塩分が全然なくても美味しく食べられる事は発見でした。 今から冬に向かってお野菜も豊富になるのでセッセと茹でたりスープにしたりして薄味で食べようと思います。 外食や行事食まであれこれ悩むときりが無いので、ここはノーカウント。 ただ外食で味が濃く感じられれば、それは家での食事が薄く出来ている目安にもなると思うので、自分達の味覚は大事にしたいと思います。 ************* ~あ~した天気になあれ!~ *自宅復帰33日目* 2003 11/27(木) 明日のPTを変更してもらったので、PTはちょっと遅めのスタートです。 昼食を済ませて、shinとは現地集合の約束をしました。 病院へ着いたら携帯へ連絡…と約束をしましたが、今日はどうでしょう。 駐車場が一杯だったので近くのスーパーへ入れて、私は3時過ぎに病院へ着きました。 電話はやはり無かったのですが、既にPT室でトレーニング中でした。 予約票も出し忘れていたようで、O先生から指摘がありました。 どうやら着いたら連絡、予約票を出す…は忘れて3階の皆さんに会いに行ったようです。 来週は一人で通院の予定なので、O先生にもしっかりフォローを頼みました。そのあたりの事は先生方もよく心得ていて下さるので安心です。 会計の前で同室だったTさんご夫婦と会いました。 shinはさっき話をしてきたようですが、私は久しぶりです。 来月の退院が決まったそうで何だか嬉しそうな様子です。 奥さんは「退院すると一日中いろんな場面ですべてを対応しないといけないのよねぇ。大変かも…」と言われましたが、まさにその通りです。 上手にガス抜きをしないと家族がまいってしまうと思います。 でもshinにしてもTさんにしても歩行は自立しているので、日常の行動は一人で出来る事も多く、車イスでの退院のケースに比べればまだまだ楽な方かもしれません。 shinの左隣のベッドにおられたYTさんは、明日山梨の温泉病院へ転院するそうです。 shinと3階へ上がり、YTさんと奥さんへご挨拶しました。 YTさんは左麻痺の方ですが半側空間無視もあり、よくお薬やお箸・ペンなどを捜すお手伝いをしました。 左足には装具を着けて、病棟でも歩行練習に励んでおられましたが、更なるリハビリが稔りあるものになりますように願わずにはいられません。 明日からの留守のためにいろいろと準備があります。 自分達の用意に加えて家の事も雑雑とあり、ここまでで何だか疲れてしまうのですが。 ただ今回は今のところ皆の状態も良いので、なんとか予定通りに行けそうな気はします。 さあて、明日はどうなるでしょうか。 ************* ~ヒャッホ~!! ~ *自宅復帰後34日目* 2003 11/28(金) お天気も良く家族のコンディションもバッチリで久々に予定通りの旅行が出来そうです。 朝から諸々の仕事を済ませて、3人で出発です。 shinも次女も何だか嬉しそうです。 父の病気見舞いではありますが、私も日常と違う時間を過せる喜びがあり、ちょっといい気分です。 shinと私のチケットは予め購入していたのですが、後から次女が加わったので予約していた子供チケットを空港で受け取りました。 羽田は来るたびに周辺の景観が変わっています。 第二ターミナルビルを建設中らしく工事の車両も多いし、そのためかパトカーや警官もあちこちに見られます。 出発ゲートで昼食も済ませました。 到着地の天気予報も電光掲示板に流されていますが、九州も晴れているようです。 長崎便はボーディングブリッジを使えない事が多く、今日もバスで運ばれます。 飛行機も定刻どおりの到着でした。 気温も関東より4~5度高い感じでしょうか。 寒さの対策をしてきたので、ちょっと失敗? 心配していた父も実際に会ってみると結構元気そうです。 私達が来たのも嬉しいらしくニコニコしています。 shinと病気の話や次女と学校の話などをする様子を見て、「ああ来て良かった」と思いました。 私達の来崎に合わせて父が外泊をする…と母から連絡がありました。 病院の様子も見ておきたかったのですが、外泊もまたお楽しみですし本人のリフレッシュにもなります。(家族はあれこれ気を遣いますが) 父が帰ってきた上に私達が3人泊まると母もちょっとシンドイかもしれません。 また30年くらい経った家なので段差も多く、慣れないshinの足元も心配です。 shinと相談して次女だけを実家に泊まらせ私達はホテルを予約しました。 母は「そんな事しなくてもいいのに」と言いましたが、何でも120%頑張ってしまう母ですから後の疲れも心配です。 「皆が楽をしようよ」と私が言うと母も納得してくれました。 夕食は母の心づくしで楽しい時間を過しました。 弟も時間を調整してくれ、「いつもと違う6人だね」と次女も嬉しそうです。 両親も「来てくれてありがとう。こんなに早く元気になったshinさんに会えるとは思っていなかったよ」と喜んでくれました。 バスの乗り降りは合計3回、また狭い機中での動き、その他知らない場所での戸惑いもそんなに見られず、shinの行動も安心していられました。 この旅行がshinの自信にも繋がるといいな。 ************** ~普段着の記念写真~ *自宅復帰35日目* 2003 11/29(土) 朝が苦手な長女にモーニングコールを入れる為、いつもと同じ5時過ぎに起きました。 横浜に住みだした頃、冬の夕暮れがとても早くなんだか心細い気持ちになったのですが、久々の長崎の朝は7時でもまだ薄暗い感じです。 9時ごろになってようやく「あ、今日もお天気だ」と分かり 明るい気持ちになりました。 昼食集合まで時間があったのでshinとグラバー園へ行ってみました。 本当に何年ぶりでしょうか。 長崎のシンボルである坂道に動く歩道が作ってあります。 この歩道も完成直後は「景観にそぐわない」とか「歩いてこその坂道だ」とか非難ゴウゴウだったのですが、いつの間にか周囲の風景に馴染んだものとなっていました。 有名なグラバー邸の他にも敷地の中には洋館が幾つか建っており、とても綺麗に整備されていました。 観光客も多く、いろんな土地の言葉が聞こえてきます。 長崎は小さな街で主要な観光スポットは路面電車で行ける範囲にあるので修学旅行も多く、シーズン中は電車に乗っているとよく中高生のグループも見かけたりしました。 乗り合わせた地元の人たちは旅行者に行き先を尋ね、降車の電停を教え、次はどこへまわったがいいかまでレクチャーするような親切な街なのです。 中華の昼食を摂ったあと、弟の提案で写真を撮ることになりました。え~聞いてなかったしぃ…。 言ってくれればそれなりに用意のしようもあったのに・・なんて思いましたが、飾らない写真もまたいいかもしれません。 ふらりと入った町中の小さな写真館で6人の写真を撮ってもらいました。弟もいろんな事を考えたのかもしれませんが、私はいい記念になってくれるように祈りました。 一応病人の父も歩きなれた町中をスイスイと動いており、外泊中の人には見えません。 shinもグラバー邸からを含めるとかなりの距離を歩いていますが、特に疲れた様子もありません。 病中の父、病後のshin、この姿を見れてなんだか安心した私です。 次女の憬れの一つに「コタツ」があります。 我家にはコタツが無いためでしょうが、今回の旅行の前に 「おばあちゃん、私コタツに入りたいの」とリクエストをしていました。 でも昨日今日の長崎はちょっと動いただけで汗ばむような気温です。 「Mちゃん、こんなに暖かいけどコタツどうする?」と母は笑いながら次女に聞いています。 楽しみにしていた次女も苦笑いです。 「また寒い時に来るから、その時にお願いね」と答えていました。 私も海辺の町の祖父母の家へ行く時は飼っている動物との交流が楽しみでしたが、大人には何でもないことでも子供には嬉しいものなのかもしれません。 ************* まえへ(2) つぎへ(4) ジャンル別一覧
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