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まだまだ続くし~付点の足音~

(11) 2004年 11月



(11)


まえへ(10)


つぎへ(12)

     2004    11/1(月)


雷とすごい雨音で目が覚める。
いつもなら6時過ぎには明るくなるのだが、雨のせいか外は暗い。でも登校時には小雨になって良かった。

今日はSTとOTの日だが久々に私も見学することにし、病院で現地集合とした。(shinは早く出て保険料などの払い込み)

STのS先生はまず、雑談から話を進めるスタイルでその日のshinの状態を掴んでいるようだ。

記憶のレベルの話になった。
退院後一年が経ち、随分shinの状態も回復しているように思えるが、入院中に記憶のテストを行ったきりなので、記録更新の意味も兼ねてもう一度記憶のテストを行うことになった。

その後、昨年H病院で受けた高次機能検査も数回に分けて受けるようになるだろう。
検査はH病院でもF病院でもいい…と言われたので、shinはすかさず「ここで(F病院)お願いします」と答えた。

昨年の暮れにH病院で受けた検査は、段取りが悪かったり横の連絡が取れていなかったりしてshinはすごく疲れ、気分を害してしまったので、もうH病院では受けたくないのだろう。

おまけに検査を受ける度にshinは落ち込んだ。
結果を聞くまでもなく出来なかったことが分かるので、少々可哀相なくらいしょげていたが
「きっとこれが底だから。これからはきっと右上がりになるよ。データのスタート地点だし」と何回も慰めた覚えがある。

病前は何でも覚えてしまう人で、携帯の登録が一つも無かったのもshinが病気になってから気がついた。

濃淡はあっても、この一年間、身体能力だけでなくオツムのトレーニングも家族として出来るだけの関わりをもってきたつもりだから、少しでも向上していれば私としても嬉しいし、何よりshinの自信になるだろう。

午後から中学校の予定が入ったのでOTはK先生に挨拶し、最近右腕が痛いようなのでマッサージについて尋ねてから先に帰る。

F病院の前の銀行へ行ってみた。
長蛇の列…かと思っていたら簡単に「新札」に両替ができた。

帰宅後家族に「これがホログラムよ」なんて私が作った訳でもないのに、自慢してみせる。

私って…結構ミーハー。


*****




    2004    11/2(火)


昨日今日と中学の文化祭。
2学期制になった今年から文化祭の様子も変わり、例年趣向を凝らしていたクラス毎の出し物が無くなった。変わって2日目は全学年の合唱コンクールとなった。

次女も自由曲の伴奏を引き受けていたので家でも練習はしていたのだが、直前の週末には伴奏譜を学校に忘れてくる始末で、親として不安なままに当日を迎えた。

本番は何とか伴奏もうまくいき私もホッとしたのだが、それでもクラスとしては自信があったらしく「最優秀賞を逃した」と帰宅してから涙を流していた。

伴奏は当然ピアノが弾ける子が担当するので、後は歌の仕上がりは勿論だが自由曲の選曲とか指揮者のパフォーマンス性も判断の基準になると思った。

いかにも中学生らしい固い指揮から、工夫や努力の跡が見られる振り方まで、2~3分の曲ではあるが指揮者の後姿からいろいろと感じ取られ夫々好ましく思った。

次女のクラスと最優秀賞のクラスの違いは、自由曲の選曲センスと指揮者としての器量が一段上だった事をそれとなく次女に言った。

さっきまで涙を流していたのに「よし、来年は指揮をしよう」と早くも来年の予定を決めた次女だった。

shinは昨日、私は今日、インフルエンザの予防接種を済ませる。
F病院の近くの個人病院はお値段も手ごろだったので。
shinは何とも無い・・・と言ったが、私は注射の跡が痛いような
痒いような。



*****



    2004   11/3(水・祝)


文化の日らしく上天気。
11月3日はもともと晴れの特異日だそうだが、この10年間では5割の確率だとか。

今年は秋晴れも少ないので貴重なお天気だ。
朝からあれこれ忙しい。

次女は午前中部活。昨日の合唱コンクールの伴奏と今週の土曜日の新人戦が気になり、ここ数日何となく元気がない。
「食欲がな~い、胃の調子がわる~い」と言いながら過しているが、一つは終わったので少し顔つきも変わったようだ。

長女は、家庭科でりんごの皮むきチェックがあるとかで、朝からナイフを握っている。
コツを教えて私は台所から離れた。

義母が起きてきたようで、二人の声が聞こえる。
長女と義母は共通DNAが濃いようで、私が一緒に行動するよりもうまくいく場合が多い。

義母は子供たちともこのような関わり方をしてくれるので私としても嬉しく思う。

いささかデコボコの4個分のりんごは刻んで煮りんごにし、昼食のデザートになった。
「お姉ちゃんが皮をむいて刻んだのよ」と一言付け足すだけで
いつもの煮りんごが美味しくなるのが不思議。

明日の家庭科は大丈夫だろう、きっと。


*****



     2004   11/4(木)



10時のPCの為には9時少し前に家を出ないといけないのだが、今朝のshinは外出前の時間設定が出来ていないようで新聞を丁寧に読み、出る直前に掲示板に書き込みをしていた。

段取りしながら予定を立てる事を常にshinには言っているのだが…。
ただし病前から時間的なものは私と大きくズレていたので、これが高次脳による遂行機能障害か病前の習性が増幅されたのかは分からない。

ひとつ言える事は自分でもっともっと意識しないと社会復帰は難しいだろう。

昨日りんごの皮むきを練習した長女は、家庭科のテストもOKだったらしい。
特に時間の制限は無く皮がむけているか…がチェックの基準だったらしいが、中には器用な男子もいて「△君は普通にむいたのとウサギちゃんカットと両方してたよ。すごいねぇ」と感心していた。

私は男の子・女の子の区別はしていないつもりだが、子供の話を聞くと最近は器用でマメな男の子が多いらしい。
先日の調理実習でも「早く来ておコメを研いでいたのは××君で、△さんが研いだおコメは水加減が違っていて食べられなかったんだよ」と話していたのが可笑しかった。

これからは一人の人間としてどこででも暮らしていける生活力は重要だろう。そしてこの点、長女の事が心配な私。


*****



   2004   11/5(金)


shinは午前中グランドゴルフ午後は同じ施設でフィットネス後、隣のリハビリセンターに入院中のTHさんをお見舞いして5時過ぎ帰宅。

最近は日暮れが早くなり、4時半くらいから急に暗くなる。以前は暗い道も心配で帰宅も早く出来るようにスケジュールを調整したりしたが、だんだんそんな事も考えなくなってきた。

でも何事も慣れた頃が危ない…と言われるので注意はしないといけないのだろう。



*****



    2004   11/6(土)


秋晴れの今日は次女の陸上秋季大会。800mの新人戦に出場だが競技時間が9時と早く、朝からバタバタでshinと出かけた。

サッカー場もある大きなスポーツ公園なのだが、地下鉄の駅から15分ほどの上り坂で、shinはフーフー言っていた。

9時丁度に着いたがフィールドではもう1組めが走っており、焦ってしまった。
次女は3組のスタート。800mはフィールド2周なのだが後半がキツイらしい。
前半はかなり飛ばしていたが、最後がバテたようだ。
タイムトライアルで目標は2分45秒台と言っていたが、10秒あまりオーバーしたらしい。

しばらくしてから次女を捜すと、電光掲示板の下にフィールドに背をむけて座っていた。前に廻りこむと、あららパンをムシャムシャやっている。目には少し涙の跡があったのだが、何か食べながら気持ちの整理が出来るのだから、心配はないだろう。
肩をポンポンとたたいて私はshinの所へ戻った。

それでもshinは「前半からスピードを出す方がいいよ。トレーニングでもそうやって走っているうちにスタミナも持久力もつくから」と言う。

私はスポーツに関しては何も分からないがshinのそんな言葉が妙に頼もしく「帰ったら本人にも言ってやってね」と約束した。

午後からの予定がキャンセルになったのでゆっくりと帰る。
競技場前のバス停からバスに乗り、自宅の最寄駅の二つ前まで来れた。

この便は便利だと思ったが、なんと1時間に一本しかなくタイミングがすべてだと分かった。

明日が立冬の土曜日だったがポカポカと暖かく、気持ちの良い一日だった。


*****



    2004   11/7(日)


shinと長女が学園祭へ出かける。
病後この組み合わせで外出するのは初かもしれない。

すれ違っても気づかない二人なので、次女は「大丈夫かな」と笑っていたが…。

「昨日は駅の階段やエスカレーター上で止まってパスケースをしまったりしていたから、人ごみではちょっと注意してね」と長女に耳打ちして送り出した。

基本的に流れる時間波長は一致する二人なので、夕方いい顔をして帰宅した。

次女は昨日の疲れもあり、終日ボーッとして過していた。
大会の日は「駅集合6時」が多いので、朝はとても早くなる。
夏の間は5時には明るくなっていたが、冬時間になると6時でもまだ暗く、こんな時間に出かけるのも結構シンドイだろうなぁと思ったりする。



*****




   2004    11/8(月)


長女の三者面談。はぁ~~~の一日。



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     2004   11/9(火)


義母と外出の約束をしていたが、なかなか起きてこず家を出たのは昼過ぎだった。

もともと朝は起きれない人なのだが最近は予定も忘れるようでヘルパーさんやケアマネさんの訪問日も起きれなくなっている。

車に乗ると色々と話をする義母だが、話題が飛ぶこと著しく慣れない頃は運転しながら話についていけなかった。

話すだけ話すとすっきりするらしいので、最近は運転中の安全確保のためにも私は相槌専門。

間接話法は結構上手く、「は~ん、これは私に言っているのね」と思える事も多々ある。

しかし年月は素直だった私を強かに育ててくれ上手に逆襲が出来る時も多くなった。なはは。

「ブッシュさんはもっとエネルギー問題に目を向けるべきよ」…おお今日の話題はグローバル。

でもね、お義母さん、エネルギー問題ならまずお部屋のエアコンや電気の消し忘れからチェックしましょうか。

「エコ」は身近な所から始まるのよ。



******



   2004   11/10(水)


今朝は両親の介護保険更新の為の認定調査の予定があったのだが、またまた忘れていたらしく二人とも10時ギリギリの起床でハラハラだった。

本人への聞き取り、可能な場合は家族への質問もあり、その内容からまだまだ深刻な状態の方もいらっしゃるのだと改めて思う。

13日に開かれる駅伝の県大会。
次女の中学はもともと3年と2年のチームで市の大会も入賞していたのだが、一人欠員が出てしまい、次女がピンチヒッターになってしまった。

選ばれた経緯は簡単で1年生の長距離メンバーが少なく、おまけに次女より記録がいい子は練習参加に問題があるらしい。
先生も究極の選択だったのだろう。

「先輩が作ったタイムの貯金を私が全部使って赤字を出すかも…」なんて言っているのだが、小心者の次女はもう心臓が喉の辺りまで来るくらい緊張しているようだ。(笑)

さりとて私に出来る事は限られており、練習で固くなった筋肉をマッサージしてほぐしてあげるのが、毎晩の日課になっている。

さてさて本番はどうなることやら。

今朝は夜明け前に美しい情景を見た。
5時半頃の東の空。
雑木林のシルエットの上にうっすらと赤みがさした朝焼け…その上は群青色へのグラデーションと続くのだが、さらに上を見ると暁の明星と尖った三日月そして木星。

私は描写力がないので「そのまんま」の表現しか出来ずに残念だが、限られたときのハーモニーは秋の夜明けのきりりとした緊張感の中にあった。

小さなささくれがアレコレ多い毎日だが、こんな時自分が浄化されていくような気がする。



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   2004   11/11(木)


ヘルパーさんのスタート時間が早まり両親は昼前より外出。
shinはKさん主催の料理講習会&昼食会でマツタケご飯など「豪華なお昼」と言って出かけた。

誰もいない貴重な昼下がり、ノンビリゆっくり過す。



*****



   2004   11/12(金)


朝はかなりの雨だった。

義父の誕生会を日曜日に予定しているので、スポンジだけを
午前中焼く。

11月は温度も安定しているので義父のBDはチョコレートケーキがお決まりなのだが、さすがに昨年は焼けなかったなぁ…。

そんな事も思い出しながら材料を揃えているとココアを切らしているのを発見。
最近は全部この調子で、どこか抜けている私。
え~い、本当はダメなのだが砂糖入りのインスタントココアを使ってしまった。へへへ。



*****


    2004 11/13(土)


今日は次女の駅伝本番。
駅伝の応援も初めて、会場も初めての所で様子が分からないので少々早めに家を出た。

男子は6区、女子は5区に別れており1区とアンカーのコースと距離が違うらしい。

「女子は2~4区は周回コースでなぎさ広場の東側と西側を走りますから急いで行き来すれば2回応援ができますよ」と大会関係者に教えてもらった。

なぎさ広場へ行ってみるとナルホド選手達もアップを始めているし、応援も多い。

スタートから10分ほどで1区の選手が通過する。
実況放送も大きく聞こえるので、選手が通り過ぎてからも大体の様子が分かる。

駅伝もマラソンもshinが大好きなのでTV中継はよく見るのだが、中学生レベルでも実際には初めての応援だ。

50ccの先導バイク!の後を首位グループが走る。
広場の東側を通過したら、50m程の西側まで急いで移動。

風はあるものの温度は結構高いので、選手の顔も上気している。次女もチラリと私達の応援を左目で捉えて走り去った。
照れ屋なので、こんな時も絶対に反応はしない子だ。

応援の若者はサァ~ッと移動する。芝の上を早足で歩くのはshinもだんだんきつくなったようだが、この様子を早送りで見ると結構おもしろいかも…ナンテ思いながら応援しているうちに女子の部は終了。

首位争いは最後まで熾烈だったようで、ずっと2位に着けていた学校が初優勝し、全国大会への切符を手にした。

最後に抜かれて2位になった学校のアンカーはゴールインとともに泣き崩れる。

3位に入った学校は初の関東大会出場決定でうれし泣き…と悲喜こもごものゴール風景だった。

55校の参加で次女の学校は半分よりちょっと下だったらしい。
練習ではなかなかタイムも伸びなかった次女も自分のベスト記録でタスキを繋ぐ事が出来た。

疲れた中にもホッとした表情で次女が帰って来た。
小心者なのできっと精神的な疲労が大きかったろう。
これからもチャンスはきっちり捉えて、体も心も強くなって欲しい…と欲張り母さんは思った。



*****



   2004   11/14(日)


朝からケーキのデコレーション。と言っても私は凝ったことはしない。
チョコレートケーキは温度とタイミングさえ外さなければうまくいく…ハズだから。

本当は明日が義父の誕生日なのだが、いつも皆が揃う土日になる。
1月の長女とshinから始まり11月の義父の誕生日で6人分のセレモニーはおわり。
12月はクリスマス、年末のあれこれと何もしないくせに主婦としては好き…ではなくなった。



*****


   2004   11/15(月)


先週から風邪気味だった長女はジンマシンまで出てしまい朝から病院へ。

昨夜は薬疹かとも思ったが「薬疹にしてはタイミングが合いませんね。でも念のためお薬は変えておきましょう」と内科の先生は気持ちよく対応してくれた。

昨日も練習があった次女もとうとう疲れが出たのか、ダウン。

こんな雨の日は体もお休みモードになるのか、娘達はベットの上で爆睡の一日だった。



*****



   2004   11/16(火)


先月から引っ張っていた歯科も「ようやく今日で卒業」と言いながらshinは外出。
お天気もまあまあなのでそのままフィットネスへ行くと言う。

退院から一年が経ったが、漸く一日に2~3つの予定をこなせる体力・気力・判断力がついてきたかな…と思える。
でもこれも一定ではなく(体力的に落ち込む事は少ないが)判断力や記憶の面では「上出来」から「う~ん、あと一歩」のレベルまである。

やはり脳血管障害の後遺症として頭の中の「晴れ具合」は日によって差があるらしく、曇っている時はいろんな力も鈍るようだ。

でも朝からどんな状態かは私も分からず、shinと話をしたり
結果としてついてきた事を考え合わせながら「ああ今日は曇りだったのね」と後から辻褄が合うことも多い。

気象庁の天気予報のようにshinの頭の中のお天気も、朝から予報が出たらいいのにな。おでこの色から分かるとか…ね。



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   2004   11/17(水)


shinは午前中PC、午後から地区のリハビリへ出かけた。
随分以前に陶芸のメニューがあったのだが、今日は完成品を貰って帰ってきた。

20cmくらいの花瓶が一つと小皿3枚、中皿3枚を新聞紙に厳重に包んで持ってきたので、もともと薄いバッグがパンパンに膨らんでいたのがおかしかった。

もともと不器な右手なのだが釉のかけ方のせいか色のムラと焼け方のムラが面白く出ていて、なかなか味のある出来上がりだった。

せっかくなので渋めの和柄の風呂敷と焼物をアレンジしてサイドテーブルに飾ってみた。
ドライになったほおずきもあしらうとなかなか面白い。
義母は「あらぁ、こんな風に飾ってあると名のある人が作った物みたいね」と笑っていた。
shinも満更ではなさそう。



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    2004   11/18(木)


以前から下肢の血行障害を訴えていた義父だが、とうとう専門の病院での診察をする事になった。

主治医からの診療情報提供書があったので、本人や家族からの説明はあまりする事もなかったのだが、3項目の検査も含めて診察終了までにはかなりの時間がかかった。

大きな病院であればあるほど待ち時間も長いのは当然なのだが、同行した義母の腰の痛みも心配しながら4時間あまりを病院で過す事となった。

今日の検査の結果、腎臓に心配な点があるため造影剤は使用できない事が分かり改めて22日に超音波の検査を予約した。

自分の症状の説明は縷々と出来る義父も、ちょっとした指示や説明でも理解できていないのが一緒にいてよく分かった。
22日はshinと箱根へ行く予定があったのだが、私は義父の方へついて行く事になるだろう。

昨夜から喉があやしかった私だが、今朝は完璧に風邪の状態。先週から子供達が風邪気味だったのできっとうつったのだろう。
shinや両親にうつさないようにしないといけない。



*****



   2004   11/19(金)


昨日からの風邪が本格的になり体がだるい。
午前中はどうしても外せない用があったので午後から病院へ行こうかとも思ったが、シンドイ時は出るのも億劫で結局午後からお昼寝をした。

昨日帰宅したshinは22日の義父の検査の予定を知り、ションボリしていた。
「お友達も沢山行かれるし、うるさい私が一緒に行くよりいいんじゃない?」と言ったらブツブツと不機嫌になった。

それでも日帰り旅行の幹事さんのKさんに電話をして、私の分のキャンセルを連絡していた。
私が自分で連絡しないといけないかなぁ…と思っていたのでこんな事にも気がまわるようになったshinの行動がちょっと嬉しかった。


*****



   2004   11/20(土)


昨日は半日寝ていたので少し回復したような気もするが、次女もまた風邪気味なので(本当に風邪ばかりひいている)二人で内科へ行く。

「しっかり風邪」と診断されてお薬もドッサリ!貰う。
朝一番を目指して行ったので9時過ぎには内科を出た。
スーパーの開店まで待つ気にもなれず、帰宅する。

shinも今日はPTで外出前だったが「もう帰って来たの」と早い帰宅に驚いていた。

結局もう一度買い物に出ることもせず、今日も一日休養日とする。



****




   2004   11/21(日)


弓道の大会で長女は朝早く家を出る。
昨日は直前練習で9時過ぎに帰宅したし、どれ位休めたのだろうか。(それにしても直前練習の効果は…)

前回は会場も遠くおまけに試合の順番も当日にならないと分からないと言うので、shinと7時過ぎに家を出たのに武道館の最寄駅に着いた途端「もう終わったから」のメールを貰いガックリしたのだ。

今回も同じ条件で、私の体調も余りよくない。
次女の大会には最近何度も行っているので、長女には悪いなとも思ったのだがshinとも相談し、今日の試合はパスすることにした。ごめんね。

今日の順番はお昼近くだったらしく、待ち時間が長かったようだ。結果は…直前練習があまりにも直前すぎたのか…予選通過は出来ず夕方には長女も帰宅。

少々疲れているようだが、部活の雰囲気があまりキリキリしていないようなのでノンビリの長女でもついて行けるのだろう。それなりに頑張って欲しい。



*****



   2004   11/22(月)


とてもいいお天気。
shinは仲間の方たちと箱根へ日帰り旅行へ出かける。
幹事のKさんが入念に準備をされたので、きっといい旅行になるだろう。

午後から先週予約した義父の超音波検査。
義父は初めての病院なのだが、院内の清潔感・設備の充実度・スタッフの対応などが気に入ったようで、しきりに「いい病院だなあ」を連発する。

病院に対する信頼を何を基準に持つかは様々だと思うが、今後の展開が読めない状況では好感と信頼感のセットはプラス要素だろう。

腎機能の問題があり造影剤の使用が制限され超音波の選択になったのだが、循環器のDrが検査を担当してくれたようで、これも義父の満足度を上げたようだ。

結果は木曜日に分かる予定。
さてさてどうなるか…。



*****


   2004   11/23(火・祝)


F病院の近くの音楽専門ホールのリハーサル室でバイオリンの小さな演奏会があった。

奏者のS先生は昨年まで次女がお世話になっていた方だ。
以前我家の近くに先生がお住まいの頃の次女は就園前でバイオリンを持てるほどの落ち着きは無い子だったのだが、「入口は広い方がいいですよ」とピアノから教えていただいた。


いつも明るく行動的で綺麗な方なのだが、5年前に突然大病をされた。
幸いに徐々に元気になられ、今ではバイオリンの演奏もこなされるまでに回復されたのだが、病直後は病気とPTSDとの闘いの日々だった。

それでもご家族のサポートと音楽への熱い想いをエネルギーに少しずつ(螺旋階段を昇るように…と闘病記では書かれていたが)回復されていく様子には、週に一回次女のレッスンでお会いする度に胸を打たれた。

病気から5年経った今年、一つの区切りのためにもと演奏会を計画されたようで、先月ご案内をいただいた時はいろんな思いが交錯するとともに私も本当に嬉しかった。

プログラムの中には病後初めて公式な場での演奏をなさった時の曲もあり(その時は私が伴奏者だったので、先生の足を引っ張らないようにと必死に練習したのだが…)、聴いているうちに当時の事も思い出されて涙が出てしまった。

また曲の間には病後のエピソードも話されたのだが、改めて聞く先生のその頃の思いが、昨年の私が体験した事とも重なりまたまた涙してしまった。
(隣に座った次女が心配そうに私を覗き込む)

私は音楽を聞いてもお話を聞いても、まだ涙してしまうのだが、先生のお話しからは乗り越えられたものの大きさと現在の充実ぶりが感じ取られ、大きく安心した。

プログラムの後半はオーケストラの仲間の方たちとのアンサンブルもあり、盛り沢山の演奏会だった。
また会場にはあふれんばかりのお客さんで、皆さん先生の回復を喜ばれているのが分かり、とてもよい雰囲気だった。

中でもいつも優しいご主人とご両親が本当に嬉しそうになさっていたのが印象的だった。

shinや私も2年後5年後…とだんだん気持ちも穏やかになっていけるだろうか。
確証は無いけれども、shinと二人で一つ一つの事を丁寧にクリアして行ければいいのかな…と思いながら帰宅した私。



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   2004   11/24(水)


ケアマネージャーKさんの訪問日。
明日が義父の診察日なので、このタイミングでのKさんの訪問は両親にも私にも有難いことだ。

義父は月曜日の検査の様子などを説明している。
明日結果が分かるのでKさんへのお知らせを忘れないようにしよう。

先週の初診に至たるまでは「明日にでも手術を受けるぞ」といったテンションの義父だったが、ここ数日トーンダウンしてきているようだ。

やはり年齢的な問題もあるし、リスクはどんな手術にも伴うのだから…。

義母にも「お義父さんの気持ちをほぐしながら手術となった場合について、もう少し話し合ってみたら…」と話したのだが、義父は義母の言葉に怒ったようになったらしい。
あ~余計な事を言わなければ良かったかな。

緊急性のある手術ではないのだが、手術への不安や思いをキチンと言葉に出す事は、手術への大切なプロセスだと思う。

徒に結論に走るのではなく、自分の気持ちを整理しながら言葉を選ぶ作業は無駄なようにも思えるが、術後の結果の受容度と大きく関わるのではないだろうか。

しかし最近の義父の状態を見ていると、まわり道とも見えるプロセスを経る精神力が薄くなってきているのかもしれない。



*****



   2004   11/25(木)


今日の診察は10時半の予約なのでヘルパーさんはキャンセルしてしまった。

義母は先週の診察時の待ち時間が長かったため、腰の痛みも相当あったらしい。(我慢強い人なので大騒ぎはしない)

「無理しなくてもいいのよ」とお留守番を勧めたが、やはり気になるのだろう、一緒に行くから・・と言う。
義父も義母がいてくれた方が心強いだろう。

今日は40分の待ち時間で呼ばれた。
Dr.Kは先日の検査結果をじっと見ていたが、
「う~んやっぱり手術をした方がいいかな。左は大丈夫。右だけしようか」と結果だけが飛び出した。

検査の説明もほとんど無く両親も言葉を挟まないので、私が聞いてみようかと思った時、「はい、分かりました」と義父が答えてしまった。オイオイ、いいの?

それから更に待つこと1時間。
手術担当のDr.Yから詳しい説明があった。

先日の検査の結果、手術方法、伴うリスク等などをゆっくり説明してもらう。
「いろんな事を考え合わせても今なら手術をする事で現在の状態の改善が見られると思うのですが…」と慎重に言葉を選びながら言われた。

私も2~3質問をしたが、両親は黙っている。
義父はしばらく考えていたようだが「よろしくお願いします」と頭を下げた。

「お義父さん、もう少しゆっくり考えてもいいのよ」と声をかけたが、「大丈夫だ」と穏やかに答える義父。
いつになく落ち着いた表情だったので、私の気持ちも決まった。
私が出来るサポートをキチンとすればそれでいい。

それからは具体的な話となり、いくつかの検査、手続き…とすべて終わったのは2時を過ぎていた。
義母の腰の痛みもピークのようで、表情も冴えない。

この後12月初旬の手術日まで二人の体調が気になるところだ。
まぁ気持ちが落ち着いているようだし、大丈夫だろう。



*****



   2004    11/26(金)


昨夜、お風呂でシャワーを使っていたら突然シュワーッとホースからお湯が噴き出した。

一瞬何が起こったのか分からずに驚いてしまったが、以前からホースの根元が膨らんでいたので、10年間使っているうちにだんだん薄くなっていたのかもしれない。

で、シュワーッと来て原因も分かった時、「あぁshinの血管もこんな風に切れたのかな」と思ってしまった。

shinの場合、切れたのは髪の毛一本ほどの血管と説明があったのだが、やはり長年のうちには中が狭くなったり血液が濃くなったりもしていたのかもしれない。

さらにもう一つ「加齢のために脆くなった動脈がバルーンの圧に耐えきれず破れる事例もあります」と昨日の義父の手術のリスク説明があった事も思い出された。

我家のシャワーも手元で止めたり出したりするタイプなので
止めている時の圧はかなりのものだったろう。

ホースのシュワーッでshinの脳出血と義父の右足を連想してしまったのだけれど、子供達に話したら「お母さん、飛躍しすぎ」と言われてしまった。

私って変かな。



*****



   2004   11/27(土)


訪問PTのT先生の海外でのお仕事が決まり、後任にはT先生の
同期のO先生が我家の担当となった。

両親は今まで通り家庭でのリハビリや天気のいい日の外歩きなどもお願いする事に。

shinにはこれからの社会復帰にむけて架空の場面設定をし、判断力や優先順位のつけ方などをトレーニングしてもらうことになった。

T先生からの引継ぎやこの日記によってある程度のshinの情報はあるものの、現状を認識してもらうために今日は一緒に外出をした。

当初予定していたバリアフリー住宅の展示場の見学のため、最寄り駅に着いて詳しい場所を聞こうとshinが不動産屋さんや交番で尋ねたところ、すでにクローズされたとの事。

「あ~こんな事もあるのね」と三人で苦笑いだったのだが、
わりと近くに新築のグループホームの内覧会があっていたので急遽そちらを見学することになった。

先生はshinや私と話をしながらも、歩行やバスの乗り降り、食事、人との対応などいろんなポイントをチェックしていたようだ。

O先生の専門はOTなのだが、リハビリの専門家はどなたもスルドイ観察力をお持ちなので、今日のshinを参考にこれから新たなリハビリが計画されるのだろう。

グループホームについても興味深いものがあったのだが、これはまた後日。

夕方帰宅すると外出していた両親もちょうど帰ったところだった。
いつものように義母に外出の様子などを聞くと(ご挨拶代わり)、なにか屈託のある表情。

私も少々疲れていたので「休憩したいな」と思ったのだが、
「なにかあったの?」と聞いてしまった。

こちらが元気がある時はよいのだが、義母の話は始まると止まらない。時間に余裕が無いときも、どう止めようか困る時があるし、先日は私が留守の時に新人のヘルパーさんを50分近く引き止めて話し込んだらしい。

で、うっかり聞いてしまったらやっぱり洪水のように話が止まらなくなった。
…いわく…二人で外出をするといつもとても疲れるのだが、今日は特別疲れた。
耳が遠いから私の話は聞いていないし、勝手に道は渡ろうとするし。帰りには希望の品物を購入して自分が持つからって言ったくせにタクシーに忘れたの。親切な運転手さんが届けてくれたからいいようなものの、私のせいにするし。
おまけに包みを開けて、これは自分が希望したものではないって言うの。はぁ~~~私が間違えて買ったって。…

とまぁ、こんな内容なのだが途中寄り道しながらしゃべるので話を聞くだけで軽く1時間くらいかかった。

要は、外出するといつも自分だけでもシンドイのに義父の様子も気にしなければならず、おまけに今日は大きな行き違いもありとっても疲れてしまったし、軽い痴呆が出てきたのではないかと心配…。と、言うのが話の趣旨だった。

とりあえず「うんうん、それで」と聞いてはいたのだが、義母も顔色も冴えず、全身から疲れが滲み出ているような気もする。

木曜日の診察時や昨日の様子を思い出してみても特別に動揺した様子も無く、むしろ落ち着いた穏やかな顔つきだったので義父については安心していたのだが、やはり入院・手術への無意識の内の不安があるのだろうか。

高齢者の入院については、病気や怪我などの体の状態の変化だけでなく精神的な変化も心配される…と聞いた事があるのだがもしかしたら今の義父も既にそうなのかもしれない。

入院・手術が決まった事をケアマネージャーのKさんにメールで報告したら、やはり義父の精神状態を心配してくださったところからも、ありがちな事なのだろう。

こんな時、義母にはあまりマイナス要素を教えるのも考えものかもしれない。
「入院もあるし、あまりキリキリしないでちょっと様子をみようか」と提案したら、少し安心した表情になった。

考えてみれば義母はこれまですべての事が義父任せだったので、入院だけでも心配な材料なのに義父の様子の変化が顕著になってくると、とても不安なのだろう。

なるべく話を聞いて両親とも安定した精神状態で入院の日を迎えられるように…それくらいしか今の私達に出来る事はないのかもしれない。



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   2004   11/28(日)


昨日はO先生との外出で結構歩いたのだが、shinはそれほど疲れた様子もなく起きてきた。
一緒に歩いた私のほうがチト筋肉痛。(ナイショだけど)

先日PC教室でお薦めの年賀状ソフトをshinが買ってきているので「早めに取り掛かってね」と頼んでいるのだが、なかなか
エンジンがかからない。

「ご面倒は先送り」は病前からではあったのだが…。
トラブルが起きてもいいから早めにスタートする積極性が今は欲しいと家族としては思う。



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   2004   11/29(土)


shinはSTの記憶のテスト。
朝から音読や計算をしてウォーミングアップをしていったが果たして…。

最近「曇りオツム」が続いている。
退院して一年が経ったが、なかなかshinのオツムの状態は分からない。
ただ病院でもこの病気の後はオツムが晴れている時と曇っている時があるから…と聞いていたので、ああこれがそうか…
と思うのだが。

段取りや判断・記憶など「上出来」と言える時も増えてはきているものの、いつもそうとは限らず最近shinの行動を見ていて「今日は晴れ」「曇りかな」と判断出来るようにはなってきた。

しかしこの一年間毎日一緒に過してきた私がやっと判断できる事をもし社会復帰できたとして、職場の人たちが分かってくれるだろうか。
こんな事を考えていると胃がシクシクしてくる。

帰宅後様子を聞いてみると「う~ん分からない」。
次回は12/27なので私も一緒に行き結果を聞くことにしよう。



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   2004   11/30(火)


義父に頼まれた入院の為の買い物。あれこれ他の用事もためていたので午前中に出たのに帰宅は3時過ぎになってしまった。

義母は先送りにしていた歯科治療。
わざわざ遠くの歯医者へ時間をかけて行っているのに噛む力は弱まる一方で、コスト意識は持たないのだろうか…と不思議に思う。

もともと胃腸も弱いので、これ以上噛めなくなったらどうなるのかなぁ。

義父は入院に備えて「今日中に年賀状を完成する」と言い、朝から一日PCと格闘?!

義父がPCを触ると何故かいろんなトラブルが起き、パニックになる。機種が違うので私のフォローも限界があるのだが、最近の義父は理解力・記憶力ともに落ちているので同じ事を何回も何回も説明しなければならない。

来年も自分で年賀状を作れるのだろうか。



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