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まだまだ続くし~付点の足音~

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こんな事もあった

2012.03.05
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カテゴリ:こんな事もあった

2012     3/5(月)

 

 

こんにちは minminです。

 

なかなか暖かくなりませんが 先日は前後して
蕗の薹と手作りのお味噌をいただきました。
早速お味噌汁に蕗の薹をちらしましたが
出来立てのお味噌の風味と蕗の香りがあいまって
思わず深く深く息をしてしまいました。
残った蕗の薹は蕗味噌にしました。
毎朝 暖かいご飯の上に春をのせています。

 

 

母が分量の塩を混ぜた状態で麹を送ってきました。
更に水を加え一週間程経つと「塩麹」になるのだとか。
昨年の夏に買ってみた塩麹ですが 一瓶使い切って
満足していました。
今回はハーフメイドですから出来上がりも気になります。
発酵過程で二酸化炭素が出るらしく 容器の蓋は少し
ずらしておくようにとレシピに書いてありました。

 

味噌も醤油も酢も酒も・・・。
日本人の食卓が多彩に複雑に味わい深く
作り上げられてきたのは「麹」の存在も大きかった
ことでしょう。


長崎には「麹屋町」という町名が残っています。
春先の故郷をそぞろ歩きたくなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 







Last updated  2012.03.05 16:01:06
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2005.01.08
カテゴリ:こんな事もあった
2004 1/8(土)
おはようございます、minminです。
温度差が激しい毎日で私の体はなかなかついていきません。

この週末は家族で九州へ行きます、って実家の父のお見舞いですけどね。
それでも4人で旅行するのは2年ぶりなので、子供達も何となくウキウキしているようです。

心配していた義父母のコンディションも問題ないようで、朝からホッとしています。
出かける時っていつもこんな心配を先にするので、私は疲れるんだなぁ。

そうそう、心配していたT先生はお元気な事が分かりました。よかったぁ~!!

私だけ年末にも往復したのですが、その時はJ系でした。
今日はA系なので新しい空港ビルもチェックしてきます。






Last updated  2005.01.08 11:23:33
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2004.12.23
カテゴリ:こんな事もあった
2004 12/23(木)
昨日は次女の作文から短い文章を紹介した。
長女は昨年の夏休みの「自分史を書く」宿題にshinの事をテーマに選んだ。

「ちょっと自分史とはずれてない?」と私が尋ねると「先生に相談したらお父さんの病気の事もOKって言われたから大丈夫」と言う。

それなら記録の一つにもなるし書いてみたら…と言っておいたのだが。
結構長いものなので途中少し削った部分もあるが、ほぼ原文のままである。


 6月14日。自宅の1階でテレビを見ていると、2階から奇妙な声が聞こえてきた。上がってみると、午前中授業参観に来ていた父が床に座り込み訳の分からぬ事を口走っていた。ただ事ではないと思ったが、どうして良いか分からずに立ち尽くしていると、祖母が様子を見に来た。そして、父を一目見るなり「救急車をよんで!」と叫んだのである。

救急車?なんで?どうして?そんな思いや不安が頭の中を交錯したが、私は弾かれた様に電話に飛びつき119番通報した。
その後、父の手を握り「もうすぐ救急車がくるからね。大丈夫だからね」と励ましたが、相変わらず妙な事ばかりを口走っており、よく見ると右手右足がぐにゃりとしていた。

数分後、救急車が到着した。救急隊員の人が部屋に入り父に話しかけたりするのを私はぼんやりと見ていた。
まもなく父は救急車に運ばれ、私も祖父も乗った。受け入れてくれる病院が中々見つからなかったが、ようやく見つかったのか、走りだした。

 父が運ばれた病院はH病院であった。この病院は、最先端の医療機器などが備えてあり、カルテは全てコンピュータ化されているのだと言う。

治療の間、先程連絡した母が来るのを待っていた。時間がどんどん経つのに比例して私の不安も増していった。
その不安も最高潮に達しかけた時、妹と外出していた母が来た。「大丈夫だった?よく頑張ったね」この言葉に思わず涙が出た。

暫くすると先生の説明があった。
診断の結果、父の病名は脳出血だった。左脳の視床と言う部分の血管が切れていたらしい。
左脳は言葉や記号を使った論理的機能や言語能力、時間の観念、計算などを司っている。
そこにある髪の毛一本分の血管が切れたのだと言う。

この説明を聞き、私は父が死んでしまうのではないかという不安に襲われた。
意識はしっかりとしているらしいので少し安心したが、「24時間以内に再出血すれば命の保障は出来ないし、体の麻痺や言語障害などの後遺症が残るかもしれない」と言われた。

場合によっては手術をしますと宣言され、母はその後、手術に対する同意書を書いて提出した。

3階のICU(集中治療室)にいる父との面会を許された。ICUは重症患者を収容しているので出入りは厳しく、入るのに3つのドアを抜けなければいけない。
さらに手の消毒は必須である。

父は奥のベッドにいたが顔を合わせた瞬間その場から逃げたい衝動に駆られた。私を見つめていた目が普通ではなかった。まるで科学者を見つめる実験用の動物の様な目だったのだ。  
 
仕方がないと解っていても、父をまともに見ることが出来なかった。
それでも母は「絶対大丈夫だから。諦めないで、頑張って闘おう!」と父に言った。
後遺症の事などで頭が一杯で混乱していた私に比べ、こんな時にもいつもの気持ちを保ち続けている母は強いと思った。

 その後、病院に母を残して私は祖父と家に帰った。祖母と妹に病状の説明を簡単にした後、部活の先輩と友達に明日の予定のキャンセルを連絡した。
そしてテレビを見ながら帰りを待った。
待たずに寝ていなさいと言われていたが、何かせずにはいられなかった。

11時頃に母から電話があった。「今夜中に手術をする」と言う内容であった。結局その電話の後、私はベッドに入って無理矢理寝ようとしたが、意外とあっさり眠れてしまった。

次の日、起きてすぐに母に様子を聞いた。手術は長時間におよび、帰宅したのは日付が変わってから。手術後、父の頭には髄液を出す為の管を2本差し込んであると言う。

「今は落ち着いているから。お父さんは悪運が強いから大丈夫。これからは母さんもお見舞いとかであんまり家にいないけれど、そこは分かってね」母の言葉は最強のお守りだ。
この時ほどそう思った事は無かった。

「明日から1週間は念のため部活を休んで欲しい」と母から言われていた。何となく学校へ行くのが恐かった。

月曜日、私はいつもどおりに登校した。毎朝学校へ一緒に行く友達が、普通に話をしてくれるのが嬉しかった。その後、担任の先生と部活の顧問の先生に事情を話した。
担任はすでに知っていたので励ましてくれた。顧問の先生も快く部活を休む事を承諾してくれた。

それからの一週間は大変だった。生徒呼び出しの校内放送を聞くたびにヒヤッとする。
部活がとても恋しかった。

何より辛かったのは駅や街中で親子連れを見かける時で会った。今まで存在自体が当たり前だった家族が欠けている、当たり前だった人がいないと感じてしまうのだ。親に叱られた時にはよく「親なんてウザいだけだ!」と思っていた。
それなのに、その叱ってくれた人がいなくなると、あの笑い声が懐かしくまた聞きたくてたまらないのだ。
人間ってこんなものなのだろう。ウザいと思っていても、結局心のどこかではその人の事が大切だと感じているものなのだ。

父が入院してから1週間後、私は母と妹と3人で病院へ行った。私にとっては2度目、妹にとっては初めての面会であった。

ICUに入るときは1週間前の事もあってか、少し緊張した。しかし父は1週間前とは明らかに違っていた。私や妹が話しかけると何かしら反応を示し、時々照れたように顔を背けるのだ。

何より自分から話しかけてくれる。意味不明な事ばかりだったが、それでもこれは驚くべき変化である。
帰り際に握手をしてもらった。私の手を握る父の手から「負けるものか」と言う気持ちがヒシヒシをと伝わった。

 父が入院していからちょうど10日目の6月24日。母から、父が一般病棟に移ったと聞かされた。久々に聞く明るいニュースであった。母の話では、これから本格的なリハビリに移るようだ。父はとても負けず嫌いな性格なので、きっと頑張れると私も母も信じていた。

その次の日からリハビリが始まった。父の場合は作業療法(OT)理学療法(PT)が用意されていた。
作業療法では手の訓練、理学療法では足の訓練を行っていた。
ある程度調子が出てきたら、リハビリ専門病院へ移る予定だと言う。

それからの20日間、父のリハビリは進んだ。そして7月16日、更なるリハビリのためF病院に転院した。ここでは作業、理学に加えてH病院ではなかった言語療法も加えられた。

転院後、夏休みになった事もあり私はちょくちょく面会に行った。面会に行くと父はその日の出来事や同室のKさんの事などをよく話した。
一つ私が気に入らない事は叔父の名前と私の名前を取り違える事であった。

家族4人の会話の時間が以前より増えたかもしれない。転院後2ヶ月目からは、言語療法の宿題に加えて右手のリハビリも兼ねて母が買った算数や国語の文章問題のドリルを解くようになった。

8月の後半になると、父は理学療法の一環として外歩きを理学の先生と始めた。わずかな段差、階段、坂道、人ごみ、健康な時には何でもなかったものが、父をひどく緊張させる。
しかし、最後に3階の病室まで階段を上り終えた時は疲労と共に大きな充足感が得られたようだ。

母はその事を聞いて、散髪を兼ねた初外出を計画している。
発病当日、授業参観の帰りに散髪したきりだったので、父の額には管を差し込んだ時の傷口が二つあったが、傷もきれいになり部分的にカットされた髪も傷口を隠すまでに伸びている。

リハビリ科のドクターをはじめ、理学の先生や、担当の看護師さん達は大賛成だ。
患者さんたちに対して、いい刺激はどんどん与えるのが病院の方針らしい。
父は外出に備えてステッキを1本借りる事にした。

そのステッキは当分返さなくてもよくなった。
今まで車イスの移動が主だったが次週からはステッキ歩行となったからだ。
勿論誰かと一緒であるのが条件だが、これは大きな進歩である。

この話を聞いた時、私はH病院で歩行訓練を受けていた父の姿を思い出した。その頃の父は、極度に緊張した顔で最初の一一歩を踏み出していた。
それと比較すると、今、父に少し出てきた余裕の表情を私は嬉しく思い、父の頑張る姿を誇りに思った。

今年は天候も不順で冷夏と言われたが私にとってもいつもと違う夏休みだった。
以前は夕食の配膳ぐらいしか手伝わなかった。最近は母が用意してくれた夕食を温め、私が作った味噌汁を出せるようになった。味にムラがあったり具の大きさがマチマチだったりしたが、今では私の自慢料理である。ちなみに好きな具は茄子である。

 父の突然の病気により、本人はもとより家族全員がパニックに陥った。
特に70代、80代の祖父母は気丈に振る舞っていたものの、息子が命に関わるような病気になり大きなショックであっただろう。

母は父の病状に加えて祖父母の事も注意深く見ていた。
頑なに面会を断っていた祖父母も先日、発病後70日ぶりに父と会った。
二人の肩の力が少し抜けたように見えるのは気のせいだろうか。

さて私達はどうだったか。
妹と相談し、家事の分担を決めた。とりあえず出来る事は母の負担をなるたけ減らす事だと気づいたからだ。
しかしいつも出来ていた訳でもなく、反省する事もしばしばだが、以前よりは家事全般に多く関わるようになり、母からも感謝されている。

 9月の連休には父の初の外泊も予定されている。車の乗り降りをはじめ、2階への13段の階段、狭いトイレや風呂など、課題は沢山ある。でも父は外泊を楽しみにリハビリを頑張っている。私も茄子の味噌汁を味わってもらいたい。

その後さらに1ヶ月、父の入院は予定されている。リハビリの内容は、益々ハードなものになっていくだろう。
しかし私達は希望を失わず父をサポートしていきたい。
来年の6月14日、この話を笑いながら出来るようになるために。

以上が長女の文章である。
夏休みに書いたので9月10月についての記載はないが、長女もこんな風に感じていたのかと思うと改めて子供達へ与えてしまったものの大きさを感じずにはいられない。
さて、明日は…。







Last updated  2004.12.30 22:34:08
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2004.12.22
カテゴリ:こんな事もあった
2004 12/22(水)
今まで私の思いばかりを書いてきた。
「闘病記」は普通病気と闘った本人が書くパターンが多いようだが、shinには記憶に無い部分も多々あり、まだ気持ちの整理もついていないのかもしれない。
(この点について私はshinに尋ねたことがないのだが)

子供達はどうだっただろうか。
shinの発病以来、不安な気持ちになったり悲しくなったりした事もあったと思う。

それでも入院中も自宅復帰後も子供達は自然にshinと関わってくれた。
リハビリの見学、学習の手伝い、外出の補助…家族としてできる事を本当に自然にやってくれた。

リハビリのプロセスを一緒に見守ることでshinの回復を実感してくれたのだと思う。
shinにしても出来ない事は家族の協力を素直に受けていたし、出来る事が増えて来ると時間がかかっても自力でしようと努力もしていた。

ここで次女の文章を紹介しよう。
次女の小学校では毎年全学年の作文集を出すのだが、次女は6年生の作文でshinの病気にふれている。

「お父さんの事を書こうかな」と言っていたので「小学校最後の文集だしもっと楽しいテーマにしたら」とアドバイスしていたのだが、結局shinのことにしたようだ。

11月頃の文章らしいが、短いので原文のまま。


     「がんばろうか」
 これは、私の人生の大きな山の一つかもしれない。六月十四日、父が倒れた。脳の血管が切れて、入院した。梅雨の頃の出来事だった。私の夏休みは、病院に行って父に会うのが日課になった。
 父は、右手右足がまひをしていた。髪の毛一本の細さの血管が切れたため、車いすに乗っていた。リハビリでは、バーにつかまってゆっくり歩く事や、ボール投げ、話す練習をしていた。それもだんだん出来るようになってきた。
 「がんばろうか」
と言う言葉が、私の合言葉になった。
 病院では私は色々な人と出会った。父の命をみつめ、かかわっていくうちに、心が優しくなれる気がした。患者さんたちと話しているうちに、私もがんばろうと思えた。
 今、父は退院し、リハビリをしている。
これからが大変だ。けれど、がんばろうか。



2003 12/22(月)  *自宅復帰58日目*
H病院で予定通り検査を受けました。
今日は段取りも良く(これが普通と思いますが)、それでも午前中一杯かかって終わりました。

shinにとってはシンドい検査だったでしょうし、結果がでればまた辛い思いもするでしょう。
検査の話が出たときにどうしようかと躊躇いもしましたが、この結果をスタート値にすればよい…と割り切りました。

結果は後日出ます。
shinも私も現実をキチンと受け入れなければいけないでしょう。

夕食の時、明日の祝日にお菓子を作りたいと次女が言い出しました。お友達にクリスマスプレゼントとしてあげるそうです。
長女が一人いないだけで食事の後片付の量も少なく、はやく終わりました。

shinが入院してから9時まで開いているスーパーに驚いたり助けられたりしましたが、今日は次女を誘って夜のスーパーでお菓子の材料を買いました。

クリスマスも近い8時過ぎのスーパーは思った以上に人も多く賑わっています。
聞いたことはありましたが、お惣菜や生鮮食品は次々にシールを貼られて値段が下がっています。
へえ~って感じでしょうか。

「私こんな時間にお買い物したの初めて~」といつもと違う体験に次女もちょっぴり嬉しそうです。
時にはこんな事も生活の刺激になるのでしょうか。






Last updated  2004.12.29 23:11:28
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2004.12.17
カテゴリ:こんな事もあった
2004 12/17(金)
我家の近辺にはまだ少しながら雑木林が残っている。
ベランダから見える東側の雑木林は結構横に広くて大きい。
春先にはあちこちにモヤモヤっと咲く桜もあるので、秋になると寒い地方ほどではないが紅葉もし、常緑樹とのバランスが美しい。

季節が進むと葉の落ちた木々は枝だけの姿になるが
朝日の逆光にくっきりとシルエットを見せるその枝々の繊細さは早朝だけに見られる美しさかもしれない。

でも昼間の力強さもある。
雲ひとつない青空に映える葉を落とした木々。
葉も花もついていない枝にあるのは次の春への準備の証しである冬芽だけだ。それでも裸の枝の重なりからは春の予感が
漂い、冬空に透けて見える枝の色も日々変化するのが分かる。

余分なものをすべて捨てた潔い姿に私は何度勇気づけられたことだろう。
小さい事に拘らないで、春は必ず来るから…。
見上げた木々からのメッセージは、ちっぽけな私にも直球でズシリと、変化球でフンワリと届く。

それにしても植物はエライと思う。
芽吹きから爽やかな新緑、開花、冬芽の準備…と段取りを違えることもなく、淡々と永々と命をつなげる。

それぞれに組み込まれたDNAの成せる業と言えばそれまでだが、どんなに厳しい天候が続いても弱音をはいたり諦めたりしない強さには、しなやかな力を感じてしまう。

この一年間の生活で挫けそうになった事も実は何回もあったけれど、その気持ちを軽くしてまた元気にしてくれたのは
いろんな形でサポートして下さった沢山の人々とあの雑木林かもしれない。

太古の昔から人は森から自然の恵みを分けてもらい、更にエネルギーをも吸収してきたのかもしれない。
私は木々に何のお返しも出来ないけれど、感謝の気持ちだけは忘れないでおこうと思う。

 
2003 12/17(水)   *自宅復帰53日目*
午前中は会社へ提出する書類の下書きをしました。
午後からshinは地区のリハビリ教室へ出かけましたが、今日は着いたよコールが出来ました。
「建物に入る前に連絡する」ことが漸く定着してきたようです。

shinが下書きをしながら良い文章が思いつかず、私は文例集を買ってこようと思っていたのに、買い物だけしてすっかり忘れて帰ってきました。
これではshinの事は言えませんね。

どうしようかと迷いましたが、後悔はしたくなかったのでもう一度書店まで出かけました。
ビンゴ!ほぼピッタリの文例を見つけられました。
よかったぁ。






Last updated  2004.12.21 16:16:45
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2004.12.16
カテゴリ:こんな事もあった
2004 12/16(木)
本日は主婦業の日。
お天気も良く、フトン・洗濯物をジャンジャン干し、しばらくサボっていた掃除もま~るく済ませる。

午後からは長女のリクエストのクッキーも作り何だか充実の一日だった。

オーブンを使うのは大好きだ。粉系もお芋もチーズ系もオーブンを使うととてもいい香りがする。
子供の頃、学校から帰って玄関を開けたとき、プーンと暖かい香りがすると何か幸せな気分になったものだ。

「お母さん、今日は何を作ったの?」…数十年前の私も、私の子供達も靴をぬぎながら同じ事を聞いているのがおかしい。

クリスマスが近づくとフルーツケーキやシュトーレン、クッキーなどを焼いてはおやつにしたり、親しい人にプレゼントしたりもしていたのだが、去年今年と生活のサイクルも変わりちょっとサボっている。

それでも今日は長女がお友達の家に持って行くクッキーを作れた。買えば何でもある時代だけれど、私はオーブンを使って子供達に小さな思い出を焼いているのかもしれない。


2003 12/16(火)
朝一番で訪問リハビリのT先生とラッシュ体験をしました。
自宅→駅→会社最寄り駅→会社と歩行も含めてT先生に見てもらいました。

先日二人で乗った時とほぼ同じ時間帯でしたが今日の方が電車は混んでいます。
ドア付近に立っていたので駅に着く度にホームへの出入りがあり、人に押されてよろけないかと心配になりました。

先生もその点が気になったようですが、「全体的には思った程悪くはない」との評価でした。
やはり慣れも必要なのでしょう。

会社までの道のりも確認してもらった後、駅でちょっと休憩しました。
先生とは先週初めてお会いしたばかりなのですが、とても気さくに話してくださる方です。

発病当時の事、リハビリの事、今後の事等など沢山話してしまいました。
誰にでも話せる内容ばかりではないので、shinも私も溜まっていたのかもしれません。

それにしてもこんなに早い時間に一緒に外出訓練をしてもらえるとは思ってもいなかったので、本当に感謝です。
先生もshinのようなレベルの在宅患者は初めてらしく、「私も新たな経験です」と言われました。

先生とは途中で別れ、私達はそのままF病院のリハビリへ向かいました。
今日はSTとOTがあります。

病院へ入るとTさんご夫婦が時計台広場が見える場所におられました。
最近はすっかり寒くなり外に出る患者さんもあまり見かけません。

久々にお会いするTさんです。
随分元気そうになってはおられましたが、歩行と失語症の更なるリハビリのために、明日転院される事を聞きました。

shinとTさんは入院当初いきさつがあったので険悪なムードの時期もあったのですが、3ヶ月の入院期間中にコミュニケーションが出来るようになっていました。

病棟で聞いた話ではTさんは警官だそうです。
意思が強そうなお顔や屈強な上半身を見ていると、ナルホドと思います。

私と奥さんも年令が近いこともあり、会うと近況を話せるようになっていました。
でも「○さんは歩けていいですね」「話せていいですね」
「字が書けていいですね」と言われる事も多く、私も慎重に言葉を選びました。

今日は「○さんみたいに歩けるように新しい病院でもがんばるからねっ」との明るい言葉に救われました。
ちょっとナーバスになっているTさんは「じゃあ、体に気をつけて頑張ってください」と言ったshinの手を握り涙を流していました。

私もウルウルしてしまいましたが、こんな時いい言葉がうまく出て来ない自分がもどかしく思えます。
聞いていて「あぁ」と思える言葉を沢山持っているのは、きっといろんな経験をして涙も一杯流した人なのでしょう。

「頑張る」と一言で片づけるのも好きではないのですが、今日はTさんも奥さんもしなやかに頑張って欲しいと心から願いました。






Last updated  2004.12.20 11:35:00
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2004.12.15
カテゴリ:こんな事もあった
2004 12/15(水)
12月に入り喪中のお知らせが沢山届いている。
その中でも同年代の友人知人からが今年は目立つ。
実家のお父さん、ご主人のお母さん…。
私達も親を見送る世代になってきた…ということだろうか。

そう言えば私が高校生の頃(母は今の私より少し若かった)、母方の祖父や父方の祖母が続けて亡くなった。
孫としての悲しみは充分あったつもりだが、その頃の両親の気持ちまでは理解出来なかった…と思う。

悲しみの中にもいろいろと処理をしないといけない決まり事も多々あり、日常の生活も止まってはくれない。
子としての責任、親としての責任…40代50代は抱えているものも結構大きく重いのかもしれない。

 

2003 12/15(月)  *自宅復帰51日目*
朝一番でH病院の脳外の外来です。
4週間前に受けた検査の結果も今日もらえるように頼んでいたのですが、病院内での横の連絡が出来ていなく後日になりました。

本当にこの検査では最初からスムーズに行かないことばかりです。
検査の日程、段取り、結果…とどれ一つ一度でうまくいってません。
いくら電子カルテで処理をするとは言え、最終的な確認は人の目ではないでしょか。

先日会社より提出を求められた主治医の診断書、一般的な健康診断書の依頼と時間的な余裕があまりない事情についてF病院のK先生とSWのUさんにFAXを送信して今朝は家を出ました。

H病院で順番を待っているとUさんから「一般的な健康診断書は年末でもありちょっと時間がかかるかもしれないです」と電話がありました。

項目によっては結果が出るのは来年になるものもあるようで、すぐ会社に連絡をしてみると「じゃあいいです」。
なんなの、これは。思いつきではないのでしょうが、提出の根拠ってあったのでしょうか。

一方主治医のK先生は今回の事情もよく理解して下さり、「今日中に書いておくから明日取りにいらっしゃい」とのことでした。
書類は事務窓口に依頼書を書いて担当の先生へ廻りそれからまた窓口を通して患者の手元へ…というのが普通なのですが
今回は超特急で書いていただけるようです。

この週末は、会社訪問後の何となく不安な気持ちで過していたのでUさんやK先生の思いが嬉しく、硬くなっていた気持ちもフッと緩んだようになれました。感謝です。






Last updated  2004.12.16 21:29:03
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2004.12.14
カテゴリ:こんな事もあった
2004 12/14(火)
皆それぞれの外出予定があったので私も出かける。
高速に乗って100kを出し、かなりスカッとして帰ってきた。

今抱えている問題の解決にはならないが、自分の気持ちを早めに切り替えないと私も周囲もキツイから。

と言っても私はアブナイドライバーではないのよ。
いつもは安全運転を心掛ける優良ドライバー。
 
今日は天気もよく(私の守り星座は太陽らしい)運良く高速もスイスイと空いていたので、アクセルを踏む右足にもグーンと力が入ったわけで。

落ち込んだ時、元気が湧かない時などに出来る気分転換の方法を沢山持ちたいと最近よく思う。
私は気持ちの切り替えがあまり上手ではないので、いつまでも引っ張ってしまう事がある。

そんな時うまく自分を弾けさせることが出来たら、もっと気持ちも楽になるだろう。


2003 12/14(日)   *自宅復帰50日目*
スキー教室に必要な物の購入のため、長女と買い物へ出かけました。

私は九州出身でスキーが出来るほどの雪を見たことがありません。
shinは以前北海道に転勤したことがあるのですが、スポーツは大好きなのに一度も「スキーに行こう」とは言いません。
きっとシリモチ専門なのでしょう。

そんな訳で我家の子供達は学校のスキー教室が頼りです。
身体能力はソコソコの娘ですから4~5日行ったからってどうと言うこともないでしょうが、まあ何事も経験です。
今年は夏休みもお楽しみはなかったので、楽しい思い出を沢山作ってきてほしいと思います。






Last updated  2004.12.16 15:43:05
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2004.12.12
カテゴリ:こんな事もあった
2004 12/12(日)
次女曰く「私達ももうサンタクロースを信じる年頃でもないんだよね」 「じゃぁクリスマスプレゼントもいらないってこと?」 「そうじゃなくて一緒に買い物に行って自分で欲しい物を決めたいな…って」 「ふ~ん」

…先日からそんな会話をしていたのだが、ちょうど定期試験も終わったので今日は子供達と外出。

いろんなお店が入っているショッピングセンターでそれぞれ予算内で欲しいものをチェック。

私も見たいものはあったが昨日も一日がかりの外出だったので頭が働かずボンヤリしている。
こんな時は変な買い物をする事が多いので、敢えて私の買い物はしない。

昨日の銀座もそうだったがボーナスサンデーのショッピングモールはクリスマスショッピングの家族連れでどこも一杯だった。

子供達は限られた予算の中でも楽しみながら迷っている。
shinは病前から、ユックリモードの買い物に付き合うのは好きでない人なので、今日は子供達と3人ノンビリ過す。

お昼も気に入った所でゆっくり出来て二人ともいい笑顔を見せてくれた。
思えば去年のshinの発病から子供達も結構シンドイ思いをしているはずなのに、shinの事・祖父母の事・家の事と手伝ってくれる二人は私にとっても大きな支えになっている。

これから二人とも進路を決める時期になるのだが、それぞれのやりたい事や夢を叶える為の努力を惜しまず、自分の道をしっかり歩んで欲しい…と思う。


2003 12/12(金)  *自宅復帰48日目*
先日ケアマネージャーのKさんから提案があった訪問リハビリが実現し、今日は事業所の方と担当PTさんに来てもらい契約と顔合わせがありました。

担当のT先生は明るくハキハキとした女性で、両親の自宅でのリハビリとshinの職場復帰に向けての外出訓練などをしていただくことになりました。

さしあたり来週の火曜日はshinのラッシュ体験、金曜日は両親のリハビリです。
さあこれからどのような展開になるのでしょうか。
楽しみです。

shinが病気してから出合った人は沢山いますが、どの方ともとても大切な出会いであり心細い私達を支えたり励ましたりしてもらっています。

今はまだ受身の私達ですが、この出会いの一つ一つが力となり勇気となっていくのが分かります。
そして、いつかどんな形になるかは分かりませんが私達が頂いたエネルギーをまたどなたかにお返しできる日が来るように願っています。

今日のもう一つのイベントは4時の会社訪問です。
今にも雨が降り出しそうな天気になりましたが、3時ごろ家を出ました。

shinが締めているネクタイは今年の父の日に子供達がプレゼントしたものです。
と言っても父の日はICUで危ない状態でしたので、渡せたのは一般病棟へ移ってしばらく経ってからでしたが。

久々にスーツを着たshin。
病後痩せたのでシャツの首周りも少し緩くなりウエストも余っていますが、以前の「働くお父さん」です。
またこうやって毎朝着替えて出かける日が早く来るようにと思わず祈ってしまいました。

会社訪問には同行するかしないか迷いましたが、OTのI先生の「一緒に行かれたがいいですよ」とアドバイスもあったので、会社でのやりとりも確認できると思い一緒に行きました。

会社ではKさんと先日病院へ一緒に来てくださったMさんが対応してくださいました。
雑談の中にもシビアな質問もあり、shinの一挙一動がしっかり見られているのが分かります。

復職願いや診断書等の提出書類の説明があり、なるべく早く提出するようにと指示がありました。

F病院の退院前に休職期間が延びた時、会社からの書類には次期出勤日は2004年1月5日とあったので1/5確実スタートと思っていましたが、そうでもないようなニュアンスの話もあり、まだハードルがある事を改めて感じました。

転職して間もないshinは会社への貢献度も低い訳ですし、中途障害の社員を職場へ迎えるのは会社の負担が増える事になるのでしょう。

まぁでも、ここであれこれ心配しても始まりません。
今出来る事は必要な書類を整えて後は待つだけです。
気持ちを切り替えましょう。

会社を出た頃から降りだした雨はだんだん強くなりました。
帰りを約束していたので、次女の出先へ寄り一緒に帰りました。
次女は「お父さんスーツ着てる。あ、そのネクタイ父の日のだね」と目ざとくチェックです。

帰宅してから次女が私にこっそり言いました。
「あのね、お父さんが病気になった時は私泣かなかったんだよ。でも今日スーツを着たお父さんを見たら涙が出ちゃった。どうしてだろうね」

12月の雨は冷たく、shinは初めて夜道と雨降り歩行を同時に経験する事になりました。







Last updated  2004.12.16 15:00:14
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2004.12.11
カテゴリ:こんな事もあった
2004 12/11(土)
1月からの求職活動に備えて情報収集も兼ね、都内の障害者専門の人材登録会社へ行く。

今日の説明会の参加者は5名で男性はshinのみ。
50代に見えた女性は補聴器を着けていたが、他の若い3名の女性はは内部障害なのか外見上からは分からない人ばかりだった。

全体のオリエンテーションの後、個別面接があり、こちらの情報・希望等を細かく聞いてもらう。
3人の今日の担当者もそれぞれ手帳をお持ちだとか。
この会社自体、よく聞く人材派遣会社の特例子会社で社員のほとんどが障害を持った方らしい。

さて、覚悟はしていたがやはり障害者の雇用ニーズは厳しいようだ。
加えてshinは1月には51歳になり年令のハードルもある。
…と落ち込んでいてもしょうがないのだが。
きっときっと巡り合える職場がある…と信じたい。

shinが病気になってから次々と出てくる厳しい現実。
シンドくてもイヤでもそれを受容しないと前へは進めない。

その現実をゴクリと飲み込む度に、私の胃の中では理科の実験で使ったようなブンドウがゴロゴロと動き回る。私の中で現実がいつの間にか落ち着き、居場所を見つけ、代わりに何かを捨てる…その繰り返しだったようにも思える。

shinとは現実認識のレベルも違うので、そこでも私はストレスを感じてしまう。
これは良くない循環だと分かってはいるものの、じゃぁどうすればよいのか…。

今の私にはこうやって自分の気持ちを言葉にする事ぐらいしか出来ない。
後から読んで「全~部グチだ」と思えるものでも、言葉にする事で支えられている私がいるのだと思う。


2003 12/11(木)   *自宅復帰47日目*
明日の会社訪問に備えて想定問答?をしてみました。
私も同行はしますが、メインはshinです。
さて、明日はどうなるでしょうか。






Last updated  2004.12.13 15:12:50
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