2010/07/05(月)20:08
なぜ人を殺してはいけないのか?
こうやって人は生きてきたのか…
人気ブログランキングへ
【お台場メール】限界「衝撃映像」どっさり - MSN産経ニュース
「殺し」を受け入れる心
今日、テレビをなんとなく見ていたら「(株)世界衝撃映像社」って番組で、「平成ノブシコブシが、人食い部族の村にホームステイ」ってのをやってました。
前半、初めて会う部族の人々は警戒して取材班の荷物を検査して煙草を奪ったり、彼らの「虫を喰らう」食生活に圧倒されたり、未だにこのような生活をしてる人々に驚きました。
そしていよいよ、芸人の平成ノブシコブシが、ホームステイ先の家の屋根(かもい?)に人骨を見つつ部族の長に尋ねます。「人を殺したことがあるのか?そして食べたことがあるのか?」と。
すると、長は「確かにそのような文化は、あるにはあった。ただし、それは村が他の部族に襲われた際の儀式だ。今はもう無い。ただ、自分が若い頃は、襲ってきた奴を何人も殺した。そうやってこの村を自分は守ってきたんだ。」と語ります。
びっくりです。何がビックリかって言うと、何故か未開の地の人々のこうした殺し合いは受け入れてしまう自分に。
「襲ってきた、だから殺した。」
時に笑顔を見せて語る長に、特にコレといった嫌悪感は感じません。彼らにとってそれが当たり前なのだから、遠い異国の人間のこちらは受け入れるしか無いんでしょう。どうやら、殺した相手の肉を食べることによって邪気を払うって目的があるようです。
でも、戦争だったワケですよ。村同士の小競り合いといえども。拡大してけば、内戦、世界を巻き込む戦争なんですよね。
やはり「人を殺す」ってのは、人間本来の行動、衝動なんですかね。
未開の人々、そして私たち
では何で、未開の地の人々と、開拓された地に住む我々と何が違うのか?
それは「豊かさ」だと思うんですよ。
「豊か」なんだから喧嘩しなくても、争わなくても、腹は満たされますし、住むところも確保され、好きな服を着て自由に遊び、学び、仕事して。
一方、未開の地では周りが豊かな森ってのは、彼らに対する憧れ期待に過ぎないでしょう。きっと、食料にありつけない日が何日も続いて隣の集落を襲って…
「人を殺してはいけない」のか?
今日も、多分昨日も明日も殺人のニュースが新聞テレビに上がるだろう。その殺しの意図、動機を見てみれば、「金」「性的欲求」「妬み」などなど。
物質的に満たされ精神的には満たされない。とは、よく聞く台詞だが、まさにこの言葉が鍵かと…
なぜ人を殺してはいけないのか?
人気ブログランキングへ