カテゴリ:教会
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物として御子を遣わしました。ここに愛があるのです。 1ヨハネ4:10」
私がもし、ほかの愛するもののために、一番愛している人をささげなさいと神様から言われたらどうなるだろう。 絶対に「神様無理です。変わりに私の命をささげます」と言っていたのかな。 それとも無視しているのかな。 それにしても、自分の命は、愛する者のためにささげていても、ほかの愛するもののために一番愛する者をささげるって並大抵の覚悟がないといけないこと。 ほかの愛する人が本当に愛していること。一番愛する者を同様に・・・。 しかも、その一番愛する者があの一番醜い十字架に架かっている姿を見たら本当につらいだろうな。 でも、神様は私たちのために、一番愛する御子イエス様を十字架に架かるために、この世に遣わした。それは私たちを本当に愛していることを証明できること。 だって、もし神様が私たちを愛していなければ、イエス様をこの世に遣わすことなんてなかったもん。 それだけではない、3日目にイエス様がよみがえってくださった。 それは、ただの人間ではできないこと。神の御子イエス様だからできること。 今もイエス様は生きている。 つらいときには、一緒にいてくださる。 倒れた時には、抱き抱えてくださる。 喜びの時には、共に喜んでくださる。 そんなイエス様が復活されたイースターがお祝いできることは本当に感謝 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007/04/08 05:28:30 PM
[教会] カテゴリの最新記事
|
|