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お笑い芸人の〆さばヒカルさんが18日に亡くなった。
37歳。若すぎるよ。まだまだこれから。やっと人生の半分来たところだったのに・・。 私は一ファンとして、ヒカルさんについて書くことにした。 彼のことを知らない人にも、〆さばヒカルという芸人がいたことを知ってもらうために。 それがファンの役目。勝手に私はそう思います。 いつものようにネットで日本のニュースを見ていて、この悲しい知らせを知った。 「嘘でしょ?」嘘や冗談であって欲しかった。 交通事故にでもあったのかと思ったら、肝不全が死因だった。 その昔彼が肝炎で入院していたことを知っている私は、肝臓がそこまで弱まっていたのかと驚いた。 あの当時だけの、軽い肝炎だと思っていたのに。 平成のはじめ、彼はビートたけしの弟子入りを果たし、相方(〆さばアタル)と漫才コンビを組むことになる。 たけし軍団の下の芸人になったのだ。 私がはじめて彼らの漫才を見たのは、オフィス北野ライブでだった。 メインは浅草キッド、彼らはちょうど売れ始めた時期。 それに比べて〆さばコンビは新人若手お笑い芸人だった。 〆さばアタル・ヒカルはこの当時雨空トッポ・ライポと名乗っていた。 二人の一生懸命な姿に惹かれ、私はファンになり、その後ライブ通いが始まることになる。 素顔のヒカルさんはとても真面目、誠実な人だった。 行ったライブ数は年間何本だったのだろう? 多い時は週に2本、平均して月に5、6本は見ていたかもしれない。 オフィス北野主催ライブ、大川興業主催のライブ、テレビのライブ収録、ラジオの生録、地方営業、寄席での舞台・・等。 月に同じネタを何度も見ることになるのだけれど、やはりライブというのは面白かった。 唾の飛ぶ距離(汚いけど本当に飛んでくる)で見ているのと、家でゴロッとテレビで見るのとでは大違いだ。 下ねた、放送禁止ネタは当然だから、そういうライブに慣れてくるとゴールデンタイムのテレビ番組では満足できなくなるのだ。 お笑いブームが起こるたび、新人お笑い芸人として取り上げられた。 だけどいつも彼らは波に乗り遅れ、芸のないお笑いタレントだけが売れていった。 そんな彼らも「雨空トッポ・ライポ単独ライブ」を成功させ、テレビやラジオの仕事が増えてきた。 それは嬉しいことであったけど、彼らの漫才を見る機会が減ってしまった。 雨空トッポ・ライポから〆さばアタル・ヒカルに改名したのもこの頃だったように思う。 〆さばヒカルになった後の漫才を私は一度も見ることがないまま、彼は逝ってしまった。 一ファンとして、ヒカルさんと一緒に過ごした時間は最高の思い出です。 お笑いタレントではなく「漫才師」だったヒカルさん、楽しい笑いをどうもありがとう。 闘病生活、辛かったでしょうね。 ゆっくり休んでください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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