STUDIO di KOICHI

2006/02/21(火)10:12

Vol.2

翌十八日、「長門」は出航し大分県佐伯湾に入港しました。 軍楽隊の日課は総員起こしから朝食までは乗組員と同じですが軍艦旗掲揚の為、八時五分前に衛兵と共に船尾に整列し、八時になると「君が代」を奏楽。 午前中は「昼奏楽」の合奏訓練、「昼奏楽」とは長官の昼食時、毎日約四十分位演奏を行います。 午後は翌日の曲目の練習、日没時には軍艦旗降下で「君が代」奏楽。 以後は乗組員と同じですが艦を挙げての「戦斗訓練」があれば軍楽隊員「応急員」と言う戦斗配置があり参加します。 但し私達は戦斗配置が無くどんな訓練だったのか知りません。 何日頃か、「総員見送りの位置に付け」と艦内放送があり上甲板に出ると潜水艦が数隻、後部に何か大きな物を積み出航するところで、山本艦長以下乗組員は帽子を振り見送り、潜水艦も乗組員が帽子を振り出航していきました。 後で知ったことですが「特殊潜航艇」が真珠湾に向けての出撃で、帽子を振っていたのは「九軍神」(十名)だったのでしょう。 十一月中旬、「長門」は岩国沖に入港、この時真珠湾攻撃最後の打ち合わせが岩国航空隊に於いてあり、そうとは知らぬ乗組員は岩国に上陸し喜んでおりました。 ・ ・ ・ つづく

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