STUDIO di KOICHI

2006/02/23(木)00:23

Vol.3

十一月中旬、「長門」は柱島沖の旗艦ブイに係留されました。 何日だったか私達四人は岩田軍楽長と、福崎連合艦隊副官に呼び出され戦斗配置を命じられました。 「電話取次員」 「お前達は今から作戦室の電話取次員をやってもらう。 電話は作戦室の入り口にある。 呉鎮守府の交換を通じて軍令部と話ができる。 参謀から軍令部の部員(参謀)を呼んでくれ、又、軍令部から参謀を呼んでくれと言われたら取り次いでほしい。 参謀の話は他言しないように」 岩田軍楽長は「軍楽隊員が山本長官の側近く作戦室に勤務する事は非常に名誉である。 服装態度には十分気を付け失礼の無いよう勤務してくれ」 と注意を受け、私達は交代で勤務が始まりました。 電話は作戦室の入口の小さな机に置かれ取次員は椅子に掛け電話を待ちます。 ただじっと待つだけでついうとうとし、人が通る気配でハッとすると山本長官で慌てて敬礼する事もあり冷汗をかくこともありました。 十二月三日頃と思いますが渡辺参謀が軍令部と通話中、「気付かれずに行っているし二、三日もすればポンポンやるだろう・・・」の話を聞きいよいよ戦争が始まると感じました。 夜間作戦室の入口で寒そうにしていると、当直参謀が「オイ軍楽兵、電話を作戦室に持って入れよ」と言われ夜間は作戦室内で勤務しました。 有馬水雷参謀は「軍楽兵、眠いのう コーヒーでも飲まんか」と言われたり固くならずに勤務することができました。 持ち込んだ電話の向かいに、「尽忠報国 海軍大尉岩佐直治」、「七生報国」、「至誠」とか仕官下士官十名ほどの人の書かれた書が置いてあり、何故この様な物が持ち込まれているのか、私達に分かるはずも無く毎夜眠気ざましに眺めていました。 これが真珠湾攻撃特殊潜航艇の九軍神の遺書と知ったのは後の事でした。 ・ ・ ・ つづく +++++++++++++++++++++++ 朝、焼きそば+トースト。 焼きそばパン風に。 Vn修理調整。 ホームセンターへ買い物。 さっそく楽天カードを使った。 昼、コロッケ、のり巻き。 修理の続き。 晩、スパゲッティ・ポモドーロ(にんにく、たまねぎ、スモークレバー、チーズ)。

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る