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「隠れ家」 自分の郷土や文化や同胞を愛するというのは人間の自然な感情ですが、一方では「愛国主義は悪党の最後の隠れ家」と言うことわざもあります。国のリーダーたちが国内の行き詰まりから国民の目を反らすために、対外的な冒険に出て行くということも歴史でいろんな例があります。 そういう中で愛国心が健全で自然であるためには、いくつかの条件と警戒心が必要だと私は思います。例えば、不安や怒りの捌け口として愛国心に立てこもるというのは控えたほうが良い。あるいは、国を愛しているからこそ、その国の「あり方」について厳しいことを言う人間というのは当然出てくるわけですから、愛国心の表現の仕方には、いろんな「あり方」があるということを認める。ひとつの「あり方」を強制すべきではない、ということも考えるべきだと思います。 そして何よりも外国への排他的な、敵対的な手段として愛国心というものを弄んだり、固執するというのは、あまり健康なものとは遠くなるだろうと思います。 それから最後に国家と言うのは国民の利益と安全を守るためにあるわけで、その逆ではない。国家に奉仕する、あるいは国家のために犠牲というものを国民に強いるという形の愛国心というのは、やはりいろんな問題を生むだろうと思います。 もちろん、いろんな議論があっても良いわけですが、何よりもこの問題を「目が吊り上がった強ばった形」で議論するのではなくて、もっと自然に議論して欲しいと思います。 これはどこの国を指して言っているのでしょうか・・・ まさか日本ではないですよね・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.01.08 16:30:51
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