小説「ゆめを追いかけて」 続き
次日からアルバイトに行くのが楽しくなくなった。宅老所の方もぜんぜん進んでいないようだし、リホームもやる様子はない。いつまで弁当屋をやるのだろう? そんな事を思いながらアルバイトに来ていた。「雪矢君も働き始めてから二週間がたつから、いろいろ覚えていって欲しいの。今日は油の取替えをやってくれる?一人前にならないと介護の方にいけないから頑張って」店長がニヤニヤしながら言ってきた。 豊はそんな事聞いていないぞ。ここの仕事と宅老所は関係ないでしょうと、思い、ムッとした。「はい。どうやればいいのですか?」 せきさんがやって来て「ここを外すだけ」と言って、下の栓をを抜くと油が床に流れ出した。「油をそのまま流してしまうの?」豊は、せきさんの仰天な行動に驚いた。「いいの、いいの。ちゃんと濾過してるから」振り返ると加山社長がいた。どこにそんな装置があるのだろうか? と思いながらも「そうなんですか」と答えた。心の中で、僕の心が見えるのなら何か言ってみろ! と挑戦的な心でいたけど、何も言ってこなかった。「雪矢君、〈母が命がけで仕事をしなさいという意味がわかった気がする〉と日記に書いてあったけど、君はオレのところで働いているんだぞ、指導者はオレなんだ。わかるか?君はねマザコンなんじゃないか? 君のお母さんがどれだけの年収があるというんだ。オレよりも多いのか? オレは年収一千万円だぜ。この他にも能力開発セミナーもやっているんだ……」 豊は何をそんなに興奮しているのか分からなかった。そもそも日記は、加山社長が書きなさい! と指導した事だ。日記を書くことで自分の心を見つめる事が出来るからという理由からだった。昨日から日記をつけ初めたばかりだ。昨日、えびの皮むきをやった。一時間で一箱剥くのが普通の速さで、加山社長の息子も出来る! と言われたので頑張ってやった。でも、一時間では出来なかった。悔しかったのでもう一度やらせてもらった。何とか五八分くらいで出来た。 その時に中学卒業して家業のパン屋で働いていた時に、豊は家で働いている甘えから、真剣に働くということが分からなかった。母にはどんな仕事、洗物でも、掃除でも、どんな小さな仕事でも命がけでやれ! と言われていた。その意味が分からずにずっと生きてきた。店が廃業になってからは、そんな命がけで働くということすら忘れていた。その意味をえびの皮剥きを必死になってやった事で気づかせてもらったのだ。絶対にやるという強い思いと、魂を込めた作業、そして、このえびをおいしそうに食べてくださるお客様の笑顔。全てはお客様に繋がっている。お客様の笑顔に繋がっている。 介護も同じ。介護保険を利用してくださる利用者様の笑顔を作るために、食事、排泄、入浴、コミュニケーション等いろいろなケアする。そんな事を思っていたら早く介護がやりたくなった。 ふと、現実に戻ると、まだ、加山社長が怒鳴っている。 「そいえば、一年ぐらい前に辞めた梶君という二十歳の子が君と一緒のマザコンで、ママ、ママ、言っているから、おしゃぶりを買ってきて首からぶら下げてやったわ」 豊はそれを聞いて、驚くというよりも恐怖を感じた。ちょっとこの人狂ってる! 普通じゃない! ここで働いているみんなも正常な感覚じゃない。加山社長を信頼しているんじゃなくて、信仰しているんだ。加山社長は教祖様なんだ。だって、普通バイトの子におしゃぶりをぶら下げるか? それを見ていてなんとも思わないなんて異常だ。これは新興宗教の詐欺弁当屋だ。 「豊はすぐに辞めたかったが、明日が給料日なので、明日で辞めようと思い帰って行った。 いつも通りに出勤して仕事にはいった。 「ゴキブリが浮いている、どうしたらいいかね」 から揚げを揚げていたお母さんが豊に聞いてきた。 「一回油を捨てて入れ替えをしたほうがいいのでは」 お母さんは豊の言葉ではまだ迷っていた。 「店長、油にゴキブリが浮いている。どうしたらいい?」 「ゴキブリだけとって捨てればいいよ」 「えっ、嘘でしょう。油入れ替えないの? 入れ替えた方がいいよ」 豊は店長に信じられないという驚きを感じながら言った。 「そんな油を入れ替えている時間はない」 そう言いながらゴキブリと一緒に上がったから揚げも捨てずに弁当箱に詰めていく。 「なんで? ゴキブリと一緒に揚がったから揚げを使うの? 信じられない! お客さんに失礼だよ。頭がおかしいんじゃないの?」 「二百度近くで揚げているんです。菌は死んでいます。問題ありません」 「そういう問題じゃないでしょう。あなたゴキブリと一緒に揚がったから揚げと知っていたら食べるの? 食べないよ。ここで弁当を買っているお客さんに聞いてみたらいいじゃないの? みんながそんな汚いから揚げを食べたいかどうか、ゴキブリが揚がった油を入れ替えもせずに、そんな気持ち悪い油で揚がった物を食べたいかどうか」 「おい! 何を騒いでいるんだ」 加山社長が驚いた様子で厨房に入ってきた。 「から揚げと一緒にゴキブリが入っていて、雪矢君はから揚げも捨てて、油も入れ替えた方が良いと言うんです。私は菌は死んでいるからその必要はないと言うのですが、納得してくれなくて」 「店長の判断が正しい。雪矢君は間違っているね。今の時間帯で油を入れ替えたり、から揚げを揚げ直したりしていたら、昼の時間に間に合わなくなる。それの方がお客さん失礼になる」 「でも…」 「口答えをするんじゃない。ここはオレの弁当屋だ」 「申し訳ありませんがあなたにはついていけません。辞めます。お給料はいりません。今から帰らせていただきます」 豊は走って出て行った。