第4回 父の写真

相澤嘉久治さんに学ぶ「主体的創造的に生きること」
第4回 父の写真
   
 そんなある日、結婚の準備で自宅の部屋を掃除していると、父の写真がたくさん出てきた。山形と東京の大学時代、県庁の仲間とスキーや登山に行ったときの写真だった。私は「この写真をどうしようか?」と考えた。

その時、相澤さんのことが思い出された。
 別れた父にわざわざ会いに行ってくれた相澤さんは、「できるだけ、できるだけ身内には祝福してもらうことが妻になる人に対しての礼儀ではないのか?君にとってお父さんは唯一の父であり、お父さんが再婚をした後も、お父さんにとっては自分の血を分けた唯一の息子は君だけだから」と父と会うことを再び説得するのだった。

 祖母は相澤さんの一連の厚意に感謝をしながらも、後は「息子自身の問題である」と冷静に見守ってくれていた。祖母はそういう人だった。
私は自分自身の生い立ちに対しての冷静さや、いまだかつて父に会いたいという気持ちが湧き上がってこないことに対して、相澤さんの言う「薄情な親と子」を意識するようになっていた。「父も父なら息子も息子か」と「その薄情な同じ血が父と私に流れていることを確認する結果になった」と思った。

 この写真が父親のものでなければどのような対処をしただろうか?そう考えると私は「所持者に渡す」ことが自然であると思った。

 私は父の思い出のたくさんの写真を封筒に入れて県庁に向かった。
 父は当時水道課長になっていた。このことは、父のテレビ出演やその他の報道などで知っていた。県庁の受付で水道課を確認してそこに向かった。
 最初から会うつもりはなかった。
水道課に着くと、入り口のドアの近くにいた女性に「これを水道課長の○○さんに渡して下さい」と言って、すぐにその場を離れた。

 この時、私は生まれて初めて父親を意識した。
 
つづく
 次回は1月29日頃に更新予定です。

 11月24日記




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