聖徳太子みろくのひびき

2020/05/02(土)16:44

柿本人麻呂の謎解きー2

2020年4月27日(月) 橿原市の人麻呂(人丸)神社 近鉄線の大和八木駅から徒歩10分ほどの所に人麻呂(人丸)神社があります。 <ウキ抜粋> 人麿(ひとまろ)神社は、万葉歌人で三十六歌仙である柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)を祭神とする神社です。石灯籠と狛犬は明治14年に奉献されています。普段は樹木に覆われた静かな境内も、毎年5月4日に行われる「すすつけ祭」の当日には元気な子どもたちの姿と歓声でいっぱいになります。 神社のある地黄(じお)町の地名は、漢方の薬草サオヒメ(地黄)を盛んに作っていたことに由来すると言われています。 こちらは私が昨年2月に撮った写真です。 人麻呂神社は地黄町(じおちょう)ですが、そこから徒歩5分ほどの小網町(しょうこちょう)に「入鹿神社」があります。 入鹿公 この二つの神社はその規模と造りが見間違えるほど似ています。 大昔は同じ町内(小網町あるいは内膳町)だったと考えられます。 同じ町内に二つの神社??????!!!!。 人麻呂と蘇我入鹿はどんな間柄だったのでしょうか。 2019年10月17日(木) 拙著「蘇る聖徳太子の真実」で、万葉集は聖徳太子によって始められたことを明らかにしました。 その証拠が万葉集第二の歌だったのです。 しかし、この本には書かなかったのですが、私は第一の歌も聖徳太子の歌ではないかと考えています。 何を言い出すやらとびっくりされるかもしれません。 万葉集入門サイトから引用します。 ​万葉集入門​ 万葉集巻一の一 籠(こ)もよ み籠(こ)持ち堀串(ふくし)もよみ堀串(ぶくし)持ち  この丘に 菜摘(なつ)ます児(こ)家聞かな 名告(なの)らさね そらみつ 大和(やまと)の国は おしなべて われこそ居(お)れ しきなべて われこそ座(ま)せ われこそは 告(の)らめ 家をも名をも 《現代語訳> 籠(かご)よ 美しい籠を持ち 箆(ヘラ)よ 美しい箆を手に持ち この丘で菜を摘む乙女よ きみはどこの家の娘なの? 名はなんと言うの? この、そらみつ大和の国は、すべて僕が治めているんだよ 僕こそ名乗ろう 家柄も名も この​歌は第二の歌から150年も前の雄略天皇の歌とされてきました。 しかし、150年も前の歌が、何故に唐突に第一の歌として収録されなければならないのでしょうか。 その理由を合理的に説明することは出来ないのです。 入鹿神社のある小綱町の隣に「内膳町」があります。 聖徳太子の奥さんの膳部夫人は「芹摘妃」という別名があると伊勢物語に書かれています。 聖徳太子が芹摘みをしている膳部夫人を見染めて、斑鳩に連れ帰って奥さんにしたんだそうです。 聖徳太子である蘇我入鹿公は、中年になっても、蘇我馬子が亡くなるまではたびた太子道を通って飛鳥嶋庄を訪れていたはずなのです。 小綱町か内膳町あたりで芹摘みをしているうら若き膳部夫人を見染めてしまったのではないでしょうか。 芹摘みをしている膳部夫人を、母親の家まで行って断ってからその日のうちに斑鳩へ連れ帰ったのでした。 一目で惚れしてしまったということになりますね。 万葉集第一の歌はその時の聖徳太子の歌だとしたら何の矛盾も無く治まるのです。 もしそうだとしたら、聖徳太子は私たちが考えているような堅苦しい聖人ではなく、本当に人間臭い聖人だったということになってしますのです。​ 参考にこちらのサイトをご覧ください。​ ​伊勢物語と仁勢物語​  後日談:芹摘妃の正式な名は「膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ)・膳大郎女」。身分は低い出自ながらも、聖徳太子にもっとも愛され、愛した妻でした。「芹摘妃」は、聖徳太子との間に、四男四女、八人の子供が生まれました。それゆえ聖徳太子は「死後は共に埋葬するよう」と言ったと伝えられ、聖徳太子が病に伏すと、看護し、共に同じ病に倒れ、太子が亡くなる前の日に没した。現在も聖徳太子と共に、同じ墓所で眠っている。 万葉集関連書籍紹介 ​http://manyou.plabot.michikusa.jp/​ 2019年10月8日更新 蘇る聖徳太子の真実 著者/飛鳥真探・編集/佐宗知佳 (文芸社出版) 定価1400円(税別) 当サイト「万葉集入門」を鑑賞してくださっている飛鳥真探さんが、長年のご自身の研究成果をまとめた古代史論考「蘇る聖徳太子の真実 - 皇室は聖徳太子の血統を継いでいた」を上梓されました。 『日本書紀』に隠された暗号を解き明かし、真の聖徳太子の正体に迫ろうとする飛鳥真探史観の集大成。 ■日本の歴代天皇は聖徳太子の血統を継いでいる ■日本の天皇には日本と朝鮮の血統が流れている ■善光寺は聖徳太子を祀る寺だった ■藤ノ木古墳に納められていた遺体は聖徳太子と膳部夫人である ■万葉集は聖徳太子によって始められた など、実地に足を運び、自らの肌で感じ取ることでのみ見えて来る古代史論考の魅力がここに存在します。 また、万葉集においても、その序文が存在したであろうとの仮説を立てて、それぞれの歌に込められた暗号を大胆に考察。 謎の歌人、柿本人麿(柿本人麻呂)の正体と、その実像についても迫っていきます。 通説を疑うことによってのみ見えて来る<歴史の真実>。 万葉集論や古代史論は数多あれど、これほど大胆に通説を解体し、真実を再構成しようとした人物は飛鳥真探氏以外にはいないのではないでしょうか。 アマチュア研究家だからこそ出来る通説に縛られない自由な発想。 その歴史論考の大胆さに驚くとともに、そこに至るまでのしっかりとした下地の知識の豊さにも感動しました。 実地に足を運び、地元の人々と交流し、はるか過去の出来事に思いを馳せる歴史愛好家の醍醐味が詰まったすばらしい一冊を手に取って、ぜひみなさんも失われた歴史の瞬間を想像する楽しさを体感してみてください。 万葉集入門(トップページ)へ戻る ​

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