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カテゴリ:歴史
日曜日のあさ、NHKで、目撃にっぽんが、 放映されている。 20分くらいの番組だが、秀逸なドキュメンタリーだ。 今日は、中国残留孤児のかたがたのための介護施設に通う何人かに焦点をあてて、彼らの人生をうつしていた。 一笑苑は、東京の板橋にある。 中国残留孤児のかた同士で過ごせる介護施設だ。中国語が、とびかっている。 食事も中国風だ。 立ち上げたかたも、中国残留孤児3世ということもあり、中国語で、対応されていた。 施設内では中国の躍りや、歌が、催され、 長い間中国で暮らしていた残留孤児のかたがたの心をなぐさめる。 75歳の女性は、未だに身内がわからない。 中国に捨て置いた両親をいまだに、憎んでいる、と。 そして街の雑踏に身をおくと、自分とにたひとはいないかと、いつも探しているのだという。 ある男性は、兄が、自分をすて、 一人で日本に帰ったと思い込んでいた。 帰国後、兄と面会し、なぜ、自分をおいていったのかとたずねたが、きちんとした答えは、聞けず、いつも、ただ、生きていてくれればいい、と、繰り返すだけだったそうだ。 その兄がなくなり、遺品から、生前兄が綴った文章がでてきた。 それをよんで、彼は愕然とする。 終戦となり、ソ連におわれながら逃げるなか、両親がなくなり、開拓団の人間も、みな、いきるか死ぬかの状態になった。 兄は、まだ16歳。16歳で一家をささえねばならなくなった。 周りのみなが、ソ連軍に殺されたり、飢えでなくなるなか、弟や妹をいかすために、やむを得なく中国人に預けたのだそうだ。 そして兄は日本には、帰らず、しばらくは中国で死体を焼く仕事をして、いきつづけた。 弟は、兄はさっさと日本に帰ったとばかりおもっていた。自分一人で。 しかし、兄もまた帰ることができなかった。 辛い仕事が終わる夜には、弟や妹の無事を願い、一人涙していた。 兄は、弟や妹が連れられていく後ろ姿を思いだしては、悔恨の思いにかられ、ずっとくるしんでいた。 今、残留孤児のかたがたは、幼少時のフラッシュバックに苦しんでいる。 子育て、仕事をおえ、一段落した今、過去の辛い出来事が思い出されるのだ。 涙ながらに中国東北部からの逃避行をかたったり、その後の過酷な人生をかたったり、互いに共有できるからこそ、思い切りはきだすことができる。 フラッシュバックに立ち向かうには、吐き出すことが一番だ。 残留孤児の方々にとっては、本当に心休まる場所なのだ。 親を憎んでいる女性も、兄に捨てられたと思っていた男性も、この一笑苑に来ている間は、笑顔である。 残留孤児の方々にとっての居場所なのだ。 一笑苑を作られた方には、ただただ敬服するしかありません。 本来なら国がやるべき事業だと思います お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.10.11 18:49:20
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