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2008.12.05
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カテゴリ:東海 橋めぐり
東海 橋めぐり、今回は大井川橋。

旧国道1号線が大井川を渡る橋です。

081012oigawabashi-01.jpg
金谷方面から旧国道を走ると見えてきます。
昭和初期の厳つい鉄橋のようです。

081012oigawabashi-02.jpg
下流側から見たトラス1径間分の全景。
橋端部が垂直になっています。
トラスの構造はプラットトラス。

後年取り付けられたと思われる歩道部分が残念。

081012oigawabashi-04.jpg
金谷側の橋のたもとにはこのようなモニュメントが建てられていました。
黒御影石を使用した立派なものです。

081012oigawabashi-05.jpg
モニュメントに貼付けられた橋の諸元です。

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道路の名称 一般県道島田金谷線(旧国道1号)
所在地   静岡県島田市稲荷~金谷町金谷河原
橋 長   1026.4m
橋の形式  17径間下路式プラットトラス橋
下部工   橋台2基 橋脚16基
建設期間  大正13年~昭和3年
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金谷町は今では島田市と合併しているのですが、こんなところにも市町村合併の影響が・・・

ともあれ、昭和初期に完成した大井川に架かる永久橋は、地元の人々のみならず、東海道を行く旅人たちにとっても悲願だったことでしょう。

もっとも、完成当時は東海道線が開通しており、東海道ルートは鉄道がメインになっていましたが・・・

「箱根八里は馬でも越すが 越すに越せない大井川」と昔から言われるとおり、この大井川を渡ることは古の時代から困難の象徴でした。

もともと島田と金谷はともに東海道の渡津(としん)集落として栄え、川を渡るために形成された町という歴史があり、かつての渡し場は今でも名所となっています。

081012oigawabashi-25.jpg
歩行者から見た橋のたもとはこんな感じになっています。

081012oigawabashi-08.jpg
上流側には橋門に銘板が貼付けられています。

081012oigawabashi-12.jpg
橋桁にも製造会社の銘板が残ります。
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昭和二年六月
横浜船渠
株式会社製作
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081012oigawabashi-16.jpg
橋脚部分は石積みで中央がアーチになっています。
これが16個も並んでいるので、まるでトンネルのような印象です。

先ほどのモニュメントはこの橋脚をモチーフに作られたのでは・・・


081012oigawabashi-28.jpg
トラス部分のディテールも、リベットが目立つ昭和初期の厳めしさがなかなか良いです。

以上、大井川橋でした。

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Last updated  2008.12.06 05:32:37
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鉄コレん@ Re:鉄コレ 名古屋市営地下鉄 連結面間隔の短縮(11/02) ためになるアイデア有難うございました。 …
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