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カテゴリ:スポーツ
連日、世界陸上の感動的なシーンがテレビを、新聞をにぎわしている。
スポーツの醍醐味を味わうことができる瞬間である。 日本人の活躍、マラソン・やり投げ・リレー、メダルに届かなくてもその感動シーンには胸を打たれる。 また、ボルトらの新記録だけでなく、世界のトップレベルで争われる競技に、日本人が出ていなくてもわくわくしながらみることができる。 たとえば、女子走り高跳びの決勝でみられた光景。 アリアネ・フリードリッヒ選手(ドイツ)は指に口にあて、会場を静かにさせて、自分を集中させる。会場もそれに協力する。 一方、ブランカ・ブラシッチ選手(クロアチア)は手を上に挙げて叩き、会場にも拍手を求め、会場とともに高揚感を高めて競技を行う。 この二人、どちらがすばらしいというわけではない。 自分が飛びやすいような環境を観客にお願いする。このとき、観客も2人と気持ちを同じになる。選手が競技している感動を観客も味わう。この2人がクリヤーした瞬間、観客も一緒に飛んでいるのだ。 これこそが競技を観戦している時に味わえる感動であろう。 別に観客が競技者の指示に従えというわけではない。 ただ、すばらしい競技を行っているプレーヤーはいつも観客と一緒になる。 それに対して、バレーボールのワールドカップはどうだろうか。 わけのわからないタレント(誰だこいつら、説得力のない口先だけで感動を押しつけようとする、およそ、私たち仕事でやってます風のへたくそども。テレビ局はこいつらを売り出したいから使ってるのかな?それとも人気があるのかな?まあ、およそスポーツに似つかわしくない連中だが・・・)がうわべだけの感動をおしつけようとする。 しかも、あの応援。 強要されたあのわけのわからない応援。 オリジナリティーのない、ただただ、連呼するだけの応援。 サーブをするときの「そおれ」のかけ声。 みているといらいらしてくるのは自分だけか・・・。 野球のように、のべつまくなし太鼓と鉦をうちならすのが観戦になれすぎているのではないだろうか。 野球やサッカーのようなフィールド競技だからこそできる応援というものがある。 室内競技で同じようなことをやるのはどうだろうか? まあ、こんなこと考えるのは、自分がひねくれているからかな? でも、バレーの中継は全くみる気がしない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.08.24 09:49:47
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