890811 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

misty247

misty247

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2007.03.10
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
 エレベータのある建物に以前住んでいた。マンションに限らずオフィスや商業ビル等、どこでも普通に見られる光景だが、あとから人が近寄ってくると先に乗り込んだ人は「開」ボタンを押して待つ。先にいくか、待つか、悩ましい「微妙な間」があるのは大半の人が経験して知っていることだと思う。
 あまり長く待つと過ぎた親切が双方の負担になるし、また棟にエレベータが1基しかないなら殊更であるが、確保すると上階で待つ人の迷惑にもなる。先にいくか、待つか、時として難しい。そしてなにより後からきた人が郵便受けに寄るのかどうかが、判断を著しく難しくさせる。
 こういった待つ側の困惑を知っている人は、待たせる側になったときに「どうぞ、お先にいってください」と声をかけてくれる。ああいうのが朗らかで一番いいなと思いつつも、余分に考えすぎる嫌いのある私は、先方に待つ意思があるのかが定かでない状況で、待ってもらえることを前提にした言い方をすることに抵抗を感じてしまい、屈託のない対応が真似出来ないでいる。微妙なかち合いにならないように周辺から歩幅を調整したりする、そういう性格である。

 こんなことがあった。私がエレベータに乗り込んだ時、郵便受けに人の気配があった。(見通しのきかない配置だった)
 郵便受け回収作業は所要時間が予測不可なので、郵便受けに人がいても待たない、が私の基準だ。なので[閉]ボタンを押して構わず先にいったのだが、動き出して扉のガラス部分から一階のフロアが見えなくなる寸前に、郵便受けにいたであろう人が寄ってくるのがちらっと見えた。で、その直後、「バーン!」と激しい音。先に行かれたのが面白くなく、腹が立って扉を蹴ったのだ。
 酒が入っていたのかも知れない。郵便受けに向かう前に手際よく呼んでおいたエレベータだったのかも知れない。それを横取りされたように感じてつい気がはやった?
 それにしても蹴るとは!だ。個人を特定できない状況になった途端、不遜な行動に出る人がいてもさして珍しいことではない。しかしあのシチュエーションが当人にとって、憤慨あらわにするほどまで「微妙な間」から掛け離れていたのかと考えると、物事の判断基準の個人差激しいことにあらためて驚かされる。

 この体験は思い返すうちに心に消えないある思いを生んだ。それはニュートラルのない人にはなりたくないという思いである。ニュートラルのない人というのは、待ってもらえたら『申し訳ない』、先にいかれると『なんて野郎だ』と、二極化される状況に、あるタイミングで遭遇したばかりに、平静な心の置き場(ニュートラル)を失ってしまう人である。
 ニュートラルを見失いやすい「微妙な間」は、エレベータの待合の他に交差点での出会い頭など、卑近な所に数多く見られる。黙っていれば無愛想といい、話しかければ馴れ馴れしいという人。席を譲ってもらえれば「若いのに出来た人」と感心し、譲らないと「無神経な輩」と誹る人。日本的美意識に従って謙虚に臨む人を自信欠如と評し、アメリカ的流儀に則って売り込み型で臨む人を自信過剰と評する人。……
 よろずに両極の形容詞をつけたがる性癖ともいえようか。
 どういう状況に出くわしても、そこから展開される事態のどれかを自分は受け入れなければならない。二極に限らず三通りでも無数にあっても同じである。物事に対して、怒るでもなく哀しむでもなく咎めるでもない、心の掻き乱されることのない範囲をまずは見据え、見当たらなければ作り出そうとまでする人が私のいうニュートラルのある人だ。

 腹立たしい目に遭っても、先にニュートラルを評価する思考順序は状況観察に努める冷静な視点を養い、かつ不愉快な感情も先に思考に毒素を幾分か濾過されて精神的に優しいものとなり、無用なストレスの軽減に役立ちもした。ニュートラルを求めるのは多分に感覚的にそうありたいと願ったのが発端であるけれど、多々好ましいことのようである。
 加えて最近思うことは、ニュートラルを求めることが即ち自分を探すことではないかということである。あたかも撒き散らされた砂鉄が磁力の出現によって向きを統べられて模様を描くように、無数に散在する選択のフィールドでニュートラルの磁極を探った思考の軌跡が何かしらの焦点を結ぶことのあったなら、その模様こそが自分ではないかと。
 自分探しの旅に出かけるという表現を聞くたび、人は皆うまれながらに尋ね人の調査を担った興信所員なのか、と錯覚させられる。しかし自分の在りかは、そんな気長な隠れんぼを強いる分身の内ではなく、家の玄関に、その先の四辻に、日常のそこらじゅうにある選択の中から片鱗を集めて地道に作り出すものと最近思うようになった。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007.03.14 10:08:37
コメント(0) | コメントを書く


PR

Calendar

Profile

misty247

misty247

Freepage List

Keyword Search

▼キーワード検索


© Rakuten Group, Inc.
X