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misty247

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2007.03.14
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カテゴリ:自然を表現する文
/\/\/\[甲武信岳]/\/\/\

 甲武信岳は、長野県・埼玉県・山梨県の三県の寄り合う地点に位置し、標高は2460mです。地図でみますと東京の西端であった前回の雲取山から西に続く縦走路を、峰いくつか越えた先です。私のイメージする日本絵図では、東京と長野は、快晴の日でも互いが霞の彼方に溶けて見えないほどに離れていたのですが、いま地図をよく見ますと、東京の西端と長野の東端は、隙あらば握手せんとまでに境界線を近づけあっていました。直線距離で20km強ぐらいですね。縦走路をとると30kmぐらいでしょうか。
 「今日は、東京から長野まで歩きました。」というのが、健脚者であれば可能なんだなというのが、甲武信岳に注目してまず一番のわたしの発見でありました。

・甲武信は奥秩父のヘソといいたい山である。甲州、武州、信州から、その川の源を深く探っていくと、どちらからもこの山の頂上に出る、というのもおもしろいではないか。頂上に降った一滴は、千曲川に落ちて信濃川となり日本海に入る。他の一滴は荒川に落ちて大東京を貫流し東京湾に注ぐ。更に次の一滴は笛吹川に落ちて富士川となり太平洋のものとなる。

 甲武信は「コブシ」と読みます。甲州、武州、信州の頭文字をあわせたものです。

・その頃私は甲武信岳へ二度登った。思い出は模糊としているが、最初は新緑の候に笛吹川の上流東沢をつめて頂上に立った。秩父の特色である深林と渓谷の美しさをこの時初めて知った。殊に釜ノ沢の美しさには眼を見張った。

 一段凄いものに出会って初めて良さを知ることは自然美ではよくあります。私は薊岳でブナ林の良さを知りました。それまで和泉葛城山を数回歩いていたのですが、あの頃は分かっていませんでした。また、宮の谷で渓谷の美しさを知りました。数年前に赤目渓谷を訪ねていました。赤目に行った後も渓谷という言葉は相変わらず地理的な響きの言葉のままでしたが、宮の谷の後は渓谷という言葉がずっと昇格して貴いものになりました。


/\/\/\[金峰山]/\/\/\

 金峰山(きんぷざん)は甲武信岳からさらに西へ移ったところにある2599mの山です。山梨県の北の県境を走る山並を奥秩父山塊と呼び、2000m級の山多数を周辺に従え中心部を占めるのはこの金峰山や北奥千丈岳といった2600m級の山です。

・われわれ山岳党の大先輩木暮理太郎氏に次のような言葉がある。「金峰山は実に立派な山だ。独り秩父山脈の中に嶄然頭角を抜いているばかりでなく、日本の山の中でも二流を下る山ではない。世に男の中の男を称えて裸百貫という諺があるが、金峰山も何処へ放り出しても百貫の貫禄を具えた山の中の山である。」金峰山に対してこれ以上の讃辞はあるまい。

 百名山の本には金峰山は2595mと記されていますが、最新の地図では2599mになっています。秩父の最高点は北奥千丈岳の2601mで僅か2m差です。測量で金峰山の背が伸びたとき、もうあと2mあって北奥千丈岳と仲良く並んで2601mだったらと、著者同様に金峰山を秩父の王者と呼ぶのに賛同する人たちの何人かは思ったことでしょう。

・頂上で一時間ほど休んで、鉄山へ向かって尾根を進みかけたが、匐松が深くて道が分からない。断念して川端下へ下る道を採ったが、とうとう途中で日が暮れ、おまけに雨が降りだし、寒い野しゃがみの一夜を送って、翌日ようやく梓山へ出た。

 野しゃがみという表現がいいですね。この言い方に比べたらビバークは気取っています。山に慣れて徐々に冒険的なことをし始めると、ビバークの備えが必要になります。テントほど大掛りではない何か防寒防風防水防滴の役割を果たすものを探したらビバーク・ツェルトという商品を見つけました。これいいなと思ったのですが使用例の写真をみてやや引いてしまいました。使用中の姿がどうみても粗大ゴミに出された人間にしか見えなかったからです。

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Last updated  2007.03.20 10:22:02
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