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Feb 21, 2006
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第七話 幽霊の国
一行に引っ付いて旅をしていた凛凛は、悟空と喧嘩をしてはぐれてしまう。
夜、廃寺に泊まった一行は、凛凛の開けた井戸の蓋から這い出して来た幽霊と遭遇する。幽霊は蓮歌と名乗り、自分は福永国の王妃だったと言う。凛凛は蓮歌を封じ込めていた札を解いた呪いを受けてしまい、病にかかってしまった。蓮歌は三ヶ月前、隣国に買い物に行った帰りに妖怪に殺されてしまったのだが、国王と二人の王子が心配で死んでも死にきれない、ひとつお城まで行って、国王達の様子を見てきて欲しいと言う。悟空達は蓮歌の使っていたほっかむりを持って福永国へ。
福永国に着いた一行。だが、国王は王妃が亡くなったことを信じようとはしなかった。なぜなら城には王妃にそっくりの、蓮歌とは性格が変わったように優しく、見目麗しい、色気ある女性が蓮歌になりすましていたからだ。蓮歌は悟空を連れて再びお城へ出向く。蓮歌は新しい王妃が体に悪そうなものを国王達に与えているのを見て、たまらず悟空の体を借りて国王達に自分の事を気づかせようとする。国王は、王妃の尻を掻く癖とほっかむりを見て蓮歌を思い出すが、新しい王妃に言いくるめられ、悟空を城の外に出してしまう。
廃寺に戻った蓮歌は、生前の自分を反省する。その時王子の一人が倒れこむように廃寺に助けを求めに来る。国王ともう一人の王子も穴倉に捨てられていた。
国王達や凛凛はかけられた呪いにより、魂が還り始めていた。老子によると呪いを解くためには、黄泉の国に行って魂を洗い流してこなければならないと言う。悟空は三蔵の願いにより、一度死んで国王達の魂を洗ってくることに。一度死んだものでも、後ろを振り向かないという黄泉の国のことわりを守れば再びこの世に帰ってこれるのだ。ただし、振り向いたら二度と帰ってこれない。悟空はきっと戻ってくると三蔵と約束をする。
悟空は蓮歌と共に、黄泉の国で国王達の魂を洗う。帰り道、悟空達の後ろで魔物が囁きかける。魔物は三蔵たちの声で、天竺など無い、妖怪が人間になれる訳がない、生きていることそのものが無駄なのだ、楽になろうと言い振り向かせようとするが、悟空は黄泉の出口から聞こえてくる三蔵の声に導かれてこの世に帰ってくる。蓮歌は元気になった国王達に別れを告げ、いつものように国王達を気遣う口癖をつぶやきながら消えて行った。
一行は王妃に姿を変えていた妖怪を退治しに行く。悟空は、「人間の一生は妖怪よりもずっと短いが、人間はずっとずっと大切なことを知っている。命の価値は、いつかさよならを言う時泣いてくれる者がいるか、さよならをする時残されたもの達の為に泣けるかどうかだ。涙が魂を洗うのだ。心を知らない魂はどろどろに腐っている。」、と言う。一行の誰かに寄生して乗り移りながら逃げようとする妖怪を、悟空が退治する。
妖怪を連れに来た老子に悟空は、「妖怪は天国に行けるのか?」と問う。老子は「地獄か、もっとすごい地獄だ。」と答えた後、「嘘だ。そんなこと知るか。」と言って天に帰って行く。国王達と別れを告げ、一行はまた旅路に就くことに。

レビュー
心について溢れる諸処の言説にけじめをつける話であり、復讐心だとか、憧れといった、「叙述的な事象の納得」から一歩踏み出し、「自己の同一性に磨きをかける」という、求道的な転回を成し遂げている。人生の鉱脈としての心のあり方に、実体のない霊の世界から家族という確かな存在を浮かびあがらせている。それがミスマッチか否かという話は後の評価になろうが、さしあたって自己なるものの概念化には必要な工程ではなかろうか。蓮歌という女性については、例えば一冊の本があったとする。彼女はその内容を決してああだこうだ言い聞かせたりはしない。ただ、机の上に無造作に置いてその上に果物でも乗せておく。そういった人である。しかしその価値に気付いた時、本を読むという行為そのものもひとつの情景となって家族達を結ぶ。語り尽くせない時間を引き連れて。さて、坂元氏は今回この試みに踏み切ったわけだが、ドラマならではのツールを効果的に使えたかどうかが評価のキーポイントであるだろう。悟空と三蔵の関係を、近代の書生と現代の学生ぐらいの違いに目をつむり、蓮歌とその家族の関係に置き換えてみる。すると、悟空にとっての三蔵が蓮歌にとっての家族と反対の立場になり、上昇性と下降性を兼ね備えた、一粒で二度美味しい物語になった。心は努めて強くなければならない、心はいつでも涙を知っていねばならない。「はあ?」と言われようが妥協はできない。何も入っていない箱にも、何かがきちんと収まっているものだ。たぶんそういうことなのだろう・・。


テレビドラマの時間 三田ちゃんのそら見たことか








Last updated  Feb 26, 2006 10:53:25 PM
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