あるサヴァン症候群の男のお話 98
寒い日が続きます。昨年までとは寒さの傾向が異なっていて、例年なら、零下10度になることもありますが、1日か2日であとはプラスが多かったのですが、今年は連続して氷点下5度以下が続いています。そのためと、火災の影響もあってちゃんと寒さ避けをしなかったこともあって、庭のサボテンとアロエが全滅したかもしれません。さて、続きです。定年後、継続雇用でまあのんびりと、仕事で馬にも乗ったりしながら過ごしていた一郎君だったのですが、預かった30歳の馬を、彼は老齢でも動きをととのえてやるようにと毎日軽めに乗っていました。すると、動物愛護団体からいちゃもんをつけられたのです。30歳の馬に乗るとは虐待だと。これ、馬を扱っていない人が言うことで、彼のように動きを整えて動かすことができる人が乗らないと、特に老齢馬ほど、乗らなくなって動かなくなったらお終いなのです。可哀想にその馬、彼が乗らなくなったら1週間でヨレヨレになり、2か月後に死んでしまいました。ところが、この馬が死んだ影響、思わぬところに出たのです。それまで、3頭の馬をリハビリさせて訓練に復帰させると同時に、彼自身のホースセラピーにもなっていたのですが、乗る馬が居なくなったら、途端に体調が悪くなったのです。62歳になって真夏に馬に乗っても平気でいたのに、乗らなくなって、冷房の効いた事務所でオフィスワーク主体の仕事するようになったら、逆に脱水症状を起こすようになったのです。それから、猫の影響も深刻になって来ました。神坂家、猫を25匹飼っていて、毎日が大掃除だったのです。一郎君と美奈子さん、朝5時には起きて、掃除機をかけ、雑巾がけをして、最後はモップをかけていたのですが、それが毎朝2時間半かかっていたのです。馬に乗っていた時は、割と平気で毎朝掃除していたのですが、乗らなくなったら、体調悪化と連動して掃除が辛くなってきたのです。夫の体調が悪くなったことで、美奈子さん、悪いことを考えてしまったのです。この猫たちが居なかったら、家も綺麗だっただろうし、掃除も楽だし、特に猫の便所掃除と餌やりに追いまくられる毎日からも解放されるし、病気の猫の治療費もなくなると。同時に、猫がひっかいてぼろぼろの壁紙や、傷んできた床や、何度かリフォームしつつも古くなってきた台所も、綺麗にしたいなあとも。一郎君自身は、自分の一番の幸せは、大変でも猫たちと触れ合える日常だと確信していましたが、それが少し大変になってきたことは自覚していました。そして、将来的には、完全に退職して年金生活になったら、金銭的にかなり厳しくなることも自覚していました。だからこそ、今の25匹をこれ以上増やすことはできないと思っても居たのです。一郎君、超能力的なサヴァンの予知は、主に夢で見るのです。60歳過ぎると、その夢の内容の記憶力が減退してきましたが、それでも時々、近い将来こうなるんだなという映像を夢に見ていたのです。63歳になって、余り覚えていない夢の予知映像ながら、違和感を感じるようになってきました。その映像には何かが足らないのですが、それが何かははっきりしないのです。そうこうするうちに、5月になったのですが、25匹の猫たち、全頭一緒に餌を食べさせると、見張りが行き届かず仁義なき戦いになりますから、1階の居間で16匹、2階の洋室で9匹と二つに分けて食べさせていたのです。その2階の部屋に、座敷童さまが居ついていると思われる大きな姿見があったのです。すると、我が家で生まれた子猫のカメ一郎とカメ四郎が、鏡を覗き込んでいるのです。今までそんなことはなかったので、一郎君二匹に聞いてみました。「座敷童さまが呼んでいるのかい。」すると、カメ四郎がニャーと答えました。翌日、大震災の時に福島で保護した猫、チロが死にました。チロの死とは別に、何だか気になるなあと思っていると、二日後に大事件が起きたのです。続く。画像は、今までの愛猫たちの中で最も印象に残っている3匹です。昭和の時代の一番最初の愛猫ニャンコ、前世からのつながりがあると思われたオッドアイのミント、そして、14年間私の夜のお供だったミトラ(子供の時)です。