あるサヴァン症候群の男のお話 116
続きです。臨死体験後、一郎君本人以外はイギギさまにもらった不思議な能力については全く知らないうちに年月が過ぎて行きましたが、彼が10歳の時に祖父貴尚氏が亡くなると、家族の中にまともな人間が居なくなったように思いました。祖母の鶴子さんは、勝手気ままに暮らしていますし、父の常和氏は、不正行為の後も、会社を2回倒産させ、嘘ついて悪いことばかり繰り返すのですが、神坂家の資産がどんどん減っていくにしたがって、悪さのスケールも小さくなりますから、どんどん影が薄くなっていきます。結局2回目の倒産以降は全く働かずに義父の財産を売り食いに専念していました。母の高子さんは、夫をまともに働かせるための努力もせず、一緒になって売り食い浪費生活を続けていたのです。祖父貴尚氏が亡くなって直ぐ、常和氏不在の夜、高子さんは、一郎君と君子さんにこう言いました。「ごめんね、今晩食べるものがないの。我慢してね。」戦後の食糧難の時代ならともかく、昭和40年代に、しかも3千坪の大邸宅に住んでいる一家の主婦が言う言葉ではありません。そもそも、高子さんが料理が下手というよりも嫌いでしたから食べるものを作れなかっただけで、家の中に食料が全くなかったはずはなかったのです。この一言、まだ8歳だった君子さんは、「お腹空いたよ。」と泣いていただけでしたが、一郎君の心には、大変深く刻まれてしまいました。でも、決して悪いことではありませんでした。この後、自分で工夫して料理して、母の高子さんがいなくても妹と自分のご飯を作ることができるようになりましたし、食べ物があるだけで幸せと感謝できるようになったのです。後に一郎君と結婚した美奈子さんは、高子さんと違って家事が得意で大変よく気が付く女性でしたが、夫が何を出しても文句ひとつ言わずに食べるので、その理由を聞いたら、この一夜の経験で、食べるものがあるだけでありがたいと感謝できるようになったのだと答えました。それに対して美奈子さんの感想は、「それはお義母様が悪い。」の一言でした。そして、この今晩食べる物が無いの事件、一郎君が積極的に料理するようになった他にも呆れた後日談があるのです。翌日からは何とかお金を工面して食べ物が出てきたのですが、1週間後に土地の切り売りでまとまったお金が入ると、高子さん、当時まだ営業していた大阪北浜の三越デパートに行って、チーク材の木彫りの大きなスプーンとフォークを買ってきたのです。一郎君、恐らく1万円近いものだと思いましたから、無駄遣いだ、と母を非難しました。すると、彼女は嬉しそうにこう答えたのです。「ううん、これ、どこかの原住民が、何時でも食べ物がありますようにとの願いを込めて家の中に飾っておくものなんだって。だから、我が家ではもう食べる物がないなんてことは起きないわ。」しかし、このスプーンとフォークの一件は、「ああ、これを買うお金があれば、一家が2週間は食いつなげるのに。」と、彼には大きな落胆となって残ったのです。10歳の息子に本格的に経済観念を疑われた母の高子さんだったのです。これにも後日談があり、このスプーンとフォーク、高子さん存在すら忘れていて京丹波の家にほったらかしになっていたのですが、美奈子さんが見つけて夫の一郎君に、「これ、もらって帰ってもいい。」と聞いたのです。「いいよ。」と即座に答えた一郎君でしたが、一瞬嫌そうな顔をしたのを見逃さなかった美奈子さん、夫を問い詰めて由来を聞くと、本当にひどい母親だと改めて呆れました。でも、単なる偶然なのか、このスプーンとフォークが来て以来、神坂家では食べ物が無いという事件は起きませんでしたから、どこかの原住民のおまじないはよく効いたのかも知れません。そして今も一郎君の家にあり、昔話の種になっています。臨死体験後も8歳ころまで息子の一郎君に散々殴る蹴るの虐待を繰り返していた高子さんしたが、君子さんのことは一切虐待しませんでした。しかし、それ以上に彼女の心を大きく傷つけました。易者の予言通り、何十万人に一人の天才ぶりを発揮する兄一郎君のことを、高子さんは何と君子さんの前で、「私は一郎の方が可愛い。出来がいいから。」と何度も明言したのです。この言葉で君子さん、自分は兄ほど愛されていないとの被害妄想の塊になってしまいました。そして、ようやく母高子さんからの虐待が無くなった兄を、階段から突き落としたり、後ろからこん棒でぶんなぐって殺そうとしたことが計3回ありました。これ、イギギさんが彼を現世に戻す時に、「このままだとまた直ぐに舞い戻ってくることになるだろうから、特別丈夫な体にしてあげよう。」と配慮してくれて超人的に丈夫な肉体になっていなかったら、最後のこん棒の時は死んでいても不思議はありませんでした。高子さん、可愛い一郎君に「お兄が憎かった。」と殺意をもって暴力を振るった君子さんのことをこっぴどく叱りつけましたが、むしろ彼女は更に兄に憎しみを持つ逆効果になったようでした。しかし、一郎君は、それでも家族を全く恨むこともなく、淡々と生きて行きました。彼のサヴァン症候群、感情が欠けていましたが、逆に、感情を全く無視して最善の策を選択することができたのです。また、苦労することなく何でもできましたから、他人に嫉妬するという感情も理解できませんでした。このあたりは、祖母の鶴子さんも全く同じでしたから、彼女も一種のサヴァン症候群だったのかも知れません。才能でもお金でも、欲しいと思えば、努力すると言うよりも自分で手に入れることができる方法を考えればよい、それだけだ、と割り切ることができたのです。両親がひどい有様でしたから、3千坪の大邸宅も、一郎君が京都大学に入学した後人手に渡り、財産がほぼ枯渇した時になってようやく常和氏と高子さんは、今更ながらなのですが、お互いの責任を非難する泥仕合をはじめ、離婚調停を行うことになりました。この時、大変理不尽なことに、一郎君は15年ぶりぐらいに両親から肉体的ならぬ精神的な虐待に遭うことになりました。調停の時、常和氏は、嘘をつきまくって涙ながらに自分こそ被害者だと訴え、調停委員をだまそうとしたのに対し、高子さんと君子さんは、感情的に怒鳴りちらすだけでしたから、調停になりません。家族の中では一郎君だけがひたすら冷静であり、父の嘘だけでなく母の悪い所も、穏やかに、調停委員に説明し続けたのです。その結果、一郎君に白羽の矢が立ってしまったのです。「お母様や妹さんでは何の話もできませんから、次回からは息子のあなたがお母様の代わりに調停に出席してもらえませんか。」と。大学4年生になっていた一郎君、純粋にそうするしかないと判断して即座に引き受けましたが、母高子さんの代理人の立場ながらも、調停委員には、父常和氏の嘘を暴くと同時に、真実を整理して説明することに終始しました。この時呆れつつも興味深かったのは、父の常和氏、嘘を嘘でかためただけでなく、涙まで流して見せましたから、女性の調停委員は最初見事にだまされたのです。一郎君、「役者やのう。」と言いたくなりましたが、「大の男が、涙まで流して嘘をつきまくるかしら。」と懐疑的な女性の調停委員に対し、「息子の私だからわかりますが、父は、自分の体面を保つために、嘘をつき続けるしかなくなったのです。働こうとしなかったことについては、1年半前に私と佐々木氏(不動産会社社長のやーさん)が書かせた「今度は真面目に働きます。」という念書が確たる証拠になりますが、嫌々それを書かされた後も、全く働いていませんから。」と冷静に答えました。そして、法律の知識もあった一郎君は、弁護士顔負けの手腕を発揮して離婚調停を切り回し、わずかに残った財産を、公平に分与して離婚と言う一歩手前まで進めました。この手腕は、調停委員も弁護士も、すばらしいと称賛したほどだったのです。ところが、最後の最後、お互いが財産分与の確認書と離婚届に押印して終わる直前になって、常和氏は、自分の取り分が少ないとごね、高子さんは高子さんで、それに乗じて夫にはびた一文くれてやりたくないとごねたのです。この時常和氏は、「一郎が悪い。あの子が生まれてから妻は私のことを見てくれなくなった。」と理不尽な非難を始めました。一郎君を非難するのは全然理屈が通りませんが、この一言で一郎君は、父常和氏は、本当は妻の高子さんに甘えたかったのに、逆にいじめてしまう子供のような感情を持っていたのだと理解しました。高子さんは高子さんで、弁護士も同席して話し合った結果の財産分与だったのに、「一郎が悪い。勝手に交渉をして常和に財産をやる方向に持って行った。」と二人して一郎君に責任転嫁してののしったのです。一郎君、母の非難の方は、理不尽な上に哀しいなと思いました。これならむしろ、子供みたいな父常和氏の方がましだとも。二人のあまりに理不尽な言動は、調停委員と弁護士を唖然とさせましたが、調停委員(男女1名ずつの2名)と弁護士は、一郎君を慰めるとともに、常和氏と高子さんに対し、自分たちの落ち度を間に入って面倒を見てくれていた親孝行な息子さんに押し付けて理不尽に罵るとはそれでも親か、と非難しました。結果的には、調停不調で離婚訴訟に移行し、全て弁護士に任せることができるようになり、一郎君の手から離れることになりました。流石に一郎君も精神的に疲れ果てましたし、そのせいか、舞台となった北浜の大阪家庭裁判所には二度と行きたくないなと思いました。続く。画像は、我が家の冬の風物詩、クズ米に群がるスズメたちです。入れ替わり立ち代わり数百羽のスズメが餌をたかりにきます。