|
カテゴリ:イエローのたわごと
このブログを書き始めたきっかけは、「子供達への遺言」のためだった。とはいっても、余命を宣告されたわけではない。ただ、友達が大好きだった祖父が何を感じて生きていたのかを懸命に探し求めているのをみて、自分がどんなことを感じながら生きたのか、子供達には知っておいて欲しいと思った。ダンダンと、おばかな日記になってきたが、それも含めて、感じて欲しいと。
そんな意味でも、ひとつ書いておかなければならないことを、子供達への手紙にしたためよう あらためて、書こうとすると少し照れるけど、今ありったけの感謝を込めて、書いておくね。 子供達へ 愛情たっぷりの貧乏世帯に生れて、たくさん苦労かけたね。父も朝早くから晩遅くまでの仕事。母も物心ついたときには働いていて・・・。母が働くことについて、いろいろな意見もあったけど、きっとあなた達は背中をみてくれる、そう信じてた。いつも、背中にあなた達を感じながら働きました。そういうと、さも子供の為に働いた様な感じだけど、実ははっきり自分自身の為でした。母は、かなり変わった生い立ちをしています。なので、小さい頃から何かあるたび、「この思いは、これから起こる何かのための準備に違いない」と自分に言い聞かせました。だから、しっかり家族ができ、足元が固まった時、それを探したくてしょうがなかった。そして、たくさんの仕事を掛け持って、馬車馬のように働くうち、その答えにたどり着きました。胸を張っておと、ライフワークと呼べる仕事に携わり、「出会えてよかった」と涙を流して喜んでくれる人達とともにいます。家族って何だろうって思ってた自分に神様はこれでもかってくらいたくさんの血のつながらない家族をくださいました。そして、たくさんの人達が、天に召されていき、母はそのたびに、胸いっぱいに宝物を「たのむね」と預けられた感じがしたんです。どうやら、「答え」だと思っていた所は、入り口だったようです。その宝を胸に、関わらせてもらったたくさんのこともあって・・・あなた達には、苦労おかけしてます。「若い時の苦労は買ってでもしろ」という言葉がありますが、母は自分が目いっぱいしんどいことやっとくと、いっしょに家族もしんどいことに付き合わざるおえなくなって、「どっこい生きる」ということをしてくれるんだな・・・とあなた達から学びました。とーちゃんとしみじみ話しました。「貧乏したけど、子供らがよく育ってくれてありがたいね」 6月から母は、常勤勤務になります。そのことを盆と正月が一緒に来た様に喜んでくれているお年寄り達とパラダイスをつくろうと思ってね。ご理解いただき、家事手伝い、よろしく。父も母もその頑張りのもとは、家族です。生れてくれて、育ってくれて、健康でいてくれて、寄り添ってくれて、ありがとう。至らぬ親ですが、これからもよろしく!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年05月21日 01時44分35秒
|