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カテゴリ:イエローのたわごと
(舞台が終わり、あたたかいご感想をたくさんいただき、出合った全ての人に、言葉には出来ないほどの感謝です。PCキーボードが故障中のため、携帯で送信し、貼り付けています。ブログに書いて下さった方、メッセージかけなくてすいません。どうしても、更新したい思いがあったので、必死こいて携帯を叩きました。)
表現倶楽部うどい第二回公演「飛夢」の舞台をステージとバンドピットと客席が見渡せるバンドピットの階段で観ていた。この舞台をどうしてもみせたい人物がいたので、呼びかけてみた。それは、「6歳の私」ステージでかわいく笑っていた「ちいちゃん」よりもひとつ下。 6歳の私は、船の上にいた。なぜか財布を握り締めていた…… 「これからは九州のじいちゃんばあちゃんと住むんやで」物心ついてから、ずっと一緒にいた母から別れを告げられ、オバサンにつれられ電車に乗り、着いた家には、母から死んだと聞かされていた父が、若くてきれいな女の人と産まれて間もない赤ん坊とともにいた。「ここで、暮らしてもいいんやで」と父は言ったが、子供心にそれはみんな困るんだろうなと思い、首を横に振ると、次の日、九州行きのフェリーに父と乗っていた。 「蛍の光」が流れる船の上で、対岸が遠くなるのを眺めながら、言い知れぬ恐怖にも似た孤独が背筋を寒くした。手には、母が「これ、おかあさんと思って大事にしてな」と、買ってくれたビーズがたくさん付いたピンクの布の財布。ぼそぼそっと、感情がかけぬける。無理だよ…おかあさん、このサイフ、きれいだけどね、ビーズいっぱい付いてるけどね…おかあさんとは思えない…だって、あったかくないもん、歌うたってくれないもん、抱きしめてくれないもん…不思議と涙は出なかった。ただ、ただ… 迷子のように心細い。その時、何かが私の中で凍りついた…… 涙が噴出したのは、次の日のこと。九州のじいちゃんばあちゃんの家。父は、私をあずけると帰った。 笑顔で私に何が食べたいときくばあちゃんに「のりとごはん」と答えた。出されたごはんをほおばると、歯にカチッと何かがあたった。口から出すと、それは小さな小石だった。田舎の自家精米の米にはよくあることである。だが、私は、その瞬間、火がついたように泣き出した。小石が「泣いてもいい」きっかけを与えてくれた。 「おかあさーーーーん!!」泣いて泣いて泣きつかれて動けなくなり、きがつくとじいちゃんの膝に頭を乗せてひっくひっくと目をとじていた。寝ていたのではない。放心状態という感じだった。店をしていたので、買い物に来た近所のおばちゃんが、どうしたのかとたずねると、私が寝たと思ったばあちゃんが、あれこれ話し始めた。離婚した両親が共に再婚するため、この子をひきとったんだと……。そうか…そうなのか…口にできない感情、全身凍りつきそうになる中、手ぐしで私の髪を撫でていたじいちゃんが、祈りにも似た口調で一言いった。 「こん子がむげのしてこたえん…」 九州の言葉で「この子がかわいそうでいとおしくてたまらない」というその言葉が、じいちゃんの匂い、手の感触、ひざの硬さと共に鮮明にそして優しく私の心の中に「お守り」をくれた。。。。 「6歳のミワちゃん」、ごめんね。待たせたね。あのとき、心を凍らせた「思い」をやっと、とかしにきたよ。しばらくしてわかったけど、あれは「ワタシハ、ナンデ、ウマレテキタンダロウ」って、ことだよね。これからもしばらく…何十年かそんなこと、考えたけど、苦しかったけど、あのじいちゃんの「お守り」が、守ってくれるからね。 「こん子がむげのしてこたえん」 その言葉は太陽のようにあなたにふりそそぐよ。 寒かったね。待たせてごめんね。でも、今日から一緒にいられそうだね…私の中に、帰ってきてくれてありがとう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年11月21日 07時35分43秒
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