2005/04/03(日)09:00
修行僧・大工時恵
托鉢で生計を立てている修行僧である。通常は野宿しているが帰るお寺が滋賀県にあり、その住所へ年賀状を出すと返事が来る。返事はすぐ来るとは限らない。彼が寺に帰らなければ当然遅れる。その寺も経済原則には勝てず、やがて閉鎖されるだろうとのことである。
修行を止めるときは死ぬときだと彼は言っている。高野山に僧籍はあるが今は行っていないそうである。自分は原始仏教に近い考え方をしていると言う。
私は彼とは天王寺駅前で数回会って少し話しただけである。話している間にも彼に敬意を表し、両手を合わせてから会釈し私財をカンパして行く人も何人かいた。お年寄りばかりではない。若い人もお金を入れて行く。
が、彼に言わせると、日本人よりは欧米人や他のアジア人の方が素朴な宗教心があるそうで、世俗を捨て志を持って生きる人間への純朴な敬意を表してくれる人々には、却って自分の方が頭が下がるとのことである。