065048 ランダム
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ネオリアヤの言葉

ネオリアヤの言葉

また

また


「云ってたのってあの娘のこと?」
雨の重みで煙った九月の墨色の空に、
白い納骨堂が、影のように浮かんでいる。
山がすっかり姿を奪われてしまったせいだ。

ぼんやり考えこんでいた僕に、君がつぶやく。
初めて訪れる店を、住所だけ伝えて、
あとはドライバーに任せっきりだったことに、 
僕は少し後悔し始めていた、ちょうどその時だった。

君の質問に、僕はうなずくのも曖昧に、また、
窓の外の風景に眼を流す。
雨の色に滲んだ窓ガラスに、
君の栗色にカールした髪がぼやけて映るのを少し思って、
でもやっぱり今の問題は、その店へ辿り着けるかどうか。

君は、その言葉の先を無責任にも、タクシードライバーにあずけたまま、
君は君で、反対側の住宅街をみつめ始める。

艶やかに光った唇が、雨に染まって、僕の記憶が戻る。
晴れて、夏の暑さがしみこんだコンクリートの壁の中で出逢ったときの、
君と僕を。

「この辺だけど」
 
ドライバーの声がして、
「あ」と、僕は、考え事を隠せなかった声で返す。

「十七丁目の四って、どの辺りですかね」
「え、わかんないの?」
 
知ってると思ってたんだけど、と云わんばかりの、
少し苛立った声で、ドライバーは言葉を喉奥に押し込めた。
土砂降りにまいっているこっちにとって、
その響きは、拍車をかける。

「あ、いいですよ、この辺で。歩いて探してみるから」
 
そんな気は毛頭ないというトーンで云い放つ。
 
感情を抑えなくてもいい他人との会話は、かんたんで、
自分の気持ちを左右するのに十分な勢いを持っているのだと、
初めて気づかされる。
昼から続いている雨音の中、歩くのも面倒で乗ったはずのタクシーが、
一瞬のうちに敵に変わった。

「回ってみるかい」
 
十七丁目近辺を、ドライバーは回ると云い出した。
 
どんでもないだろ、と僕は内心思うけれど、
メーターは上がり続けるままに、
うんともすんとも云わずに任せている。
君は、突然に僕らの間に現れて、

「その車のとこ」
 
とつぶやいた。
沢山に止まった車の側に、
ひろく光を放つ大きな窓が、雨の中で不自然に際立っていた。

「あ、そう。そこです」
 
僕は、どうでもいいような声で、またつぶやいていた。
本当は嬉しいのだけれど。
不満を表すのは素直なわりに、
喜びはさり気なさ過ぎて、
いつも君の機嫌を損ねていたことを思い出す。
君のその横顔に浮かんだ表情で。
 
どうってことなく縁どられたマスカラが、
僕のことを追いつめてることに、
君はきっと別離の瞬間まで気づかないんだと思うよ。
 
抱えた花束とか、
部屋の足元に転がってるぬいぐるみが、
どうしようもなく、僕に君の想いを理解させないモノたちだってことが。
限りなく理解の範囲を超えていることも。
 
でも、僕は君の眼にみつめられているよりも、
その俯いて、優しさを讃えた唇もとの方に、
愛情とか思いやりを感じてしまう。
それは、嬉しくもあるけれど、憤りさえ抱かせる。
だから、というわけじゃないけど、君に、
僕と似た色を描けないのはどうしてなんだろう。
水に浸ってよれた画用紙のような、
ただのイメージでしかない僕の中の君は抽象的すぎて、
こうして隣にいても、いっこうに、僕と、混ざらない。

「私のどこが好き?」
 
訊かれたとき、本当に焦ったんだよ。
知らないと思うけどね。

声。顔。表情。仕草、足の爪。声。声、声。
 
どれでもよかったんだと、今では思うけど、
なぜ応えられなかったのか、僕自身もよくわからない。
何でもいいなら、適当な言葉を撰ぶべきだったんだろうけど。
 
全部。
 
そう云うのも嘘くさくて、黙り込んでた。
だって、全部を、君の全てを好きで、
そのまま受け入れられるなんて思ってないし、実際そうじゃない。
 
傍にいること。
それだけで僕の気持ちは満たされてるんだから、
それ以上の言葉がみつからない。
あとは、君がその言葉とか、僕の気持ちを理解してくれるかどうかなんだ。
責任なんてない。
 
この先、同じ想いがあるなんてのも、よくわかりはしない。
ただ、満たされるというだけだから。
そう云っても、君の表情は動かない。

雨が、硬い音を立てて、窓を打つのと同じように。

「550円ね」
 
ドライバーの声に、僕は
「千円でいいですか」と云って、無理やりに紙幣をさし出す。
 
傘をさすのも面倒くさげに、君は、
自動で開いたドアとは反対の扉から出て行く。
僕は、やっぱり何も云わず、悪びれもせずに釣銭を手にして、
同じように降りた。

「どうも」
 
ドライバーの声が、雨の音に消されるように僕の頭に残る。

君の白いドレスが、
どんどん濡れて透明になっていくのを、
僕は、道を渡れずに、
またぼんやりみつめている。




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