眼覚め眼覚め「隼人、たいへん」 半分眠ったままの自分の声が、部屋に響いた。 枕に頭をのせて、胎児のように丸まって寝ている隼人。 彼の、かすかに温かい肩に手を触れ、揺らす。 乱れない寝息のとなりで、カオルコは、枕元のデジタル時計の文字盤をボンヤリと見つめた。 本当は夢かもしれないと、一瞬、淡い期待を抱く。 二時。 朝の二時だよね、と自分自身に呟く。 裸の上半身を起こすと、レースの隙間から群青色の空が見える。 「隼人…起きて。帰んなきゃ…」 再び肩に触れる。 覗きこんだ顔は、完全な熟睡モードだった。 このまま眠らせてあげたいのは山々だけれど、帰るべき場所があるのは、 隼人もカオルコも同じ。 シャワールームへとつながっている扉の下の隙間から、 一本のあかりが漏れ、この部屋の内装を、うっすら浮き上がらせている。 高い天井、ヨーロッパ調の家具と、アーチを描く細い窓枠。布張りのソファと、足元から大きく空へと向かう一面のガラス。 カオルコがそれまでイメージしていた、いわゆるラブホテルとは異なっていた。 ブティックホテルの異名を持つわけが、わかった。 小奇麗で、デザインホテルのような雰囲気さえ漂っている。 でも、少し変なカンジがしていた。 隼人と、こんなところで眠っていていいのだろうか、ということに対して。 「何時?」 彼の声がする。 まだ眠い瞼を無理にこじ開けながら、温もりのある腕をカオルコの躰に絡ませる。 このまま倒れたい衝動にかられた。 「二時。帰らなくちゃ…大丈夫?」 「うん。俺は大丈夫だよ。でももうちょっと待ってね」 まだ運転できるモードになってないから、と隼人は声を出して全身を伸ばす。 今夜は、シャワーは浴びずに帰ろうと思った。 たぶん、妹が寝ずに待っているだろうから。 石鹸と温水の匂いは、誰とどこで一緒だったかを有言に物語ってしまう。 「カオルコ…?」 隼人が立ち上がりながら振り向く。 「もっとゆっくりしたいね」 「…」 「次は、ちゃんと時間とるからさ」 微笑と一緒に届けられた言葉は、彼の優しさと本音を露呈していた。 もっと一緒にいること。 それは、ゆっくり眠ることを意味している。 カオルコと一緒にいることを理由にするときだけ、 安心して眠りに落ちることを彼は自分に許せる。 カオルコもそれを知っている。 だから、彼女も優しく微笑んで頷いた。 「私も隼人ともっと一緒にいたい」 「ふぅ…さて。帰ろっか」 「ごめんね」 「何が?」 「起こしちゃって」 車に乗り込むと、彼はカオルコに 「キスしていい?」 と訊ねた。 唇を重ねながら、カオルコは幸福と寂しさを覚える。 隼人が優しくなるのはいつだって、彼が疲れているときだった。 自分の疲れを伝えまいとして振舞う言動は、痛いほど彼女の胸に突き刺さる。 本当は、どうしたいのだろう。 どこを見つめているのかが、わからない。優しくされればされるほど、 カオルコは自分が拒絶されていくようで不安だった。 近づけない領域が、いつまでも深い溝のまま横たわっている関係。 それなのに、どうして二人で眠ることを求め合うのか。 好きになればなるほど苦しさが増すだけで、一向に満たされない心。 ひとつが満たされれば、また別の想いを欲する自分の際限のなさを知ってはいるけれど。 隼人をゆっくりと眠らせてあげられないのは、自分のせいのような気がして堪らない。 カオルコが、隼人の望まない気持ちまでを求めているから、 溝が埋まらないと思えて仕方なかった。 決してすれ違っているのではない。 すれ違うほどには互いに近づいていない。 それだけだった。 「おやすみ」 助手席を後にしながら、握られた右手にそっと力をこめる。 「寝坊するんじゃないよ」 最初から変わらない、カオルコを子供扱いする隼人の言葉が、 彼女の唇に諦めにも似た微笑を浮かばせた。 「隼人もね…」 「おやすみ」 隼人の安心したような表情に、カオルコは一層苦しさと刹那さをつのらせた。 ジャンル別一覧
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