065084 ランダム
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ネオリアヤの言葉

ネオリアヤの言葉

眼覚め

眼覚め


「隼人、たいへん」
半分眠ったままの自分の声が、部屋に響いた。
枕に頭をのせて、胎児のように丸まって寝ている隼人。
彼の、かすかに温かい肩に手を触れ、揺らす。
乱れない寝息のとなりで、カオルコは、枕元のデジタル時計の文字盤をボンヤリと見つめた。
本当は夢かもしれないと、一瞬、淡い期待を抱く。
二時。
 
朝の二時だよね、と自分自身に呟く。
裸の上半身を起こすと、レースの隙間から群青色の空が見える。

「隼人…起きて。帰んなきゃ…」
 
再び肩に触れる。
覗きこんだ顔は、完全な熟睡モードだった。
このまま眠らせてあげたいのは山々だけれど、帰るべき場所があるのは、
隼人もカオルコも同じ。
シャワールームへとつながっている扉の下の隙間から、
一本のあかりが漏れ、この部屋の内装を、うっすら浮き上がらせている。
高い天井、ヨーロッパ調の家具と、アーチを描く細い窓枠。布張りのソファと、足元から大きく空へと向かう一面のガラス。
カオルコがそれまでイメージしていた、いわゆるラブホテルとは異なっていた。
ブティックホテルの異名を持つわけが、わかった。
小奇麗で、デザインホテルのような雰囲気さえ漂っている。
でも、少し変なカンジがしていた。
隼人と、こんなところで眠っていていいのだろうか、ということに対して。

「何時?」
 
彼の声がする。
まだ眠い瞼を無理にこじ開けながら、温もりのある腕をカオルコの躰に絡ませる。
このまま倒れたい衝動にかられた。

「二時。帰らなくちゃ…大丈夫?」
「うん。俺は大丈夫だよ。でももうちょっと待ってね」
 
まだ運転できるモードになってないから、と隼人は声を出して全身を伸ばす。
今夜は、シャワーは浴びずに帰ろうと思った。
たぶん、妹が寝ずに待っているだろうから。
石鹸と温水の匂いは、誰とどこで一緒だったかを有言に物語ってしまう。

「カオルコ…?」
 
隼人が立ち上がりながら振り向く。

「もっとゆっくりしたいね」
「…」
「次は、ちゃんと時間とるからさ」
 
微笑と一緒に届けられた言葉は、彼の優しさと本音を露呈していた。
もっと一緒にいること。
それは、ゆっくり眠ることを意味している。
カオルコと一緒にいることを理由にするときだけ、
安心して眠りに落ちることを彼は自分に許せる。
カオルコもそれを知っている。
だから、彼女も優しく微笑んで頷いた。

「私も隼人ともっと一緒にいたい」
「ふぅ…さて。帰ろっか」
「ごめんね」
「何が?」
「起こしちゃって」
 
車に乗り込むと、彼はカオルコに

「キスしていい?」

と訊ねた。
唇を重ねながら、カオルコは幸福と寂しさを覚える。
隼人が優しくなるのはいつだって、彼が疲れているときだった。
自分の疲れを伝えまいとして振舞う言動は、痛いほど彼女の胸に突き刺さる。
本当は、どうしたいのだろう。
どこを見つめているのかが、わからない。優しくされればされるほど、
カオルコは自分が拒絶されていくようで不安だった。
近づけない領域が、いつまでも深い溝のまま横たわっている関係。
それなのに、どうして二人で眠ることを求め合うのか。
 
好きになればなるほど苦しさが増すだけで、一向に満たされない心。
ひとつが満たされれば、また別の想いを欲する自分の際限のなさを知ってはいるけれど。
隼人をゆっくりと眠らせてあげられないのは、自分のせいのような気がして堪らない。
カオルコが、隼人の望まない気持ちまでを求めているから、
溝が埋まらないと思えて仕方なかった。
決してすれ違っているのではない。
すれ違うほどには互いに近づいていない。
それだけだった。

「おやすみ」
 
助手席を後にしながら、握られた右手にそっと力をこめる。

「寝坊するんじゃないよ」
 
最初から変わらない、カオルコを子供扱いする隼人の言葉が、
彼女の唇に諦めにも似た微笑を浮かばせた。

「隼人もね…」
「おやすみ」
 
隼人の安心したような表情に、カオルコは一層苦しさと刹那さをつのらせた。



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