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私は人の名前をなかなか覚えられない。
≪まさこさま≫みたいに、上から読んでも下から読んでも 同じだといいのになあと、いつも思う。 だが。 覚えるのは苦手だが、相手の名前自体を覚えてないので、 呼び間違えることはない。 「○○部のネオリですが、先ほどの資料を取りに伺ってもよろしいでしょうか」 ペーペーの私では、まずほとんど普段は言葉を交わさない 上層部の人に、今日、社内電話をした。 仮に藤原さんとしよう。彼は会社の最上階付近にいる。 明らかに≪偉い≫囲いのなかに納まっている藤原さんのもとへ、 (↑納まってる云うな!) 私は笑顔で出かけ、無事に、滞りなく資料を受け取った。 「わざわざすまないね、ネオリさん」 「とんでもありません。こちらこそお手数かけてすみません」 なんて美しい会話なんだ。 いつもこうありたいものである。 数十分後。 その藤原さんがなんと、同じフロアにいるではないか。 「どうしたんだろう。ナンだ? 何かミスしたか?」 案外気の小さい私は、気づかないフリをして 資料のまとめに余念のない雰囲気を漂わせてみた。 藤原さんは私の横を通り過ぎ、 後ろでモニターチェックをしている、仮名=近藤さんに何やらボソボソと声をかけた。 近藤さんは私のデスクのすぐ近くにいる30歳以上70歳以下の、 △△部の男性である。 (↑範囲が広すぎる) 「よかった。私じゃないのね」 と安心したところに、後ろで近藤さんの声が訊こえた。 「青木さん青木さん」 「?」 はて…青木さんなんて人、うちにいたか? 少なくともこのフロアに青木さんなんて人はいない。 そうか! 来客の人を呼んでいるんだな。 私はそう思って視線を手元の資料に落とした。 「青木さん!」 さすがにその来客はどこにいるのだろうと気になり、 近藤さんの視線の先を確認するため、私は振り向いた。 「青木さん、これダビングしてくれないかな」 ・・・あのぅ、 私と眼が合っているのは何かの間違い、ですよね? 近藤さん。 危うく自分に向けられた笑顔を無視するところであった。 「青木さん頼むよ」 ちなみに私の苗字は青木ではない。 ネオリである。 「え、私のことですか?」 思わず、訊いてしまった。 うん、とは云わないが彼の笑顔は紛れもなく ≪YES≫だった。 「ぷっ、あ゛ん、ごほんごほん」 同僚が、噴き出した声を誤魔化して咳こむフリをする。 極めつけは、彼の傍に立っている藤原さんの笑顔だ。 「いやあ、また青木さんにお世話になっちゃうなあ」 ちょっと待てーーーーー! さっき 「わざわざすまないね、ネオリさん」 って云ったばかりぢゃないかーーーー。 しかも、ネオリの「オ」しか合ってない。 待てよ・・・もしかして 知ってて云ってるのか? そこは私がツッコミを入れるべきボケなのか? 何か? 試されているのか? 「どうも、青木で~す♪」 とかおちゃらけてしまえばいいのか? このくらいでへこんでいては社風に合わないとか? この会社に来て1年とちょっと経過。 ここにきてまさかの抜き打ち役員面接なのか、これはっ?! 私がボケないからか、 それとも苦笑で依頼のビデオを受け取ってしまったのがいけないのか、 その後、淡々とダビング作業が行われ、 藤原さんは感謝の笑顔でフロアを去って行った。 喜んでもらったのはいいのだが、 どうもしっくりしない。納得しかねる。 近藤さん。ひとつだけ云わせ欲しい。 私の名前、覚えてないんだったら せめて「ちょっと」とか「あのさ」とか云ってください。 なんでそんなに堂々と 「青木さん」 なんて呼べるんだっ!!!! で、あのう…藤原さん。 私は合格だったのでしょうか…。 ***** 『また』。 この作品は、他の小説とは異なる手法で書いたものです。 現代美術に関心を持ち、アートギャラリーに出向いたりする人ならば よく耳にする言葉に ≪ライヴ・ドローイング≫というものがあります。 ある場所で、一人ないし数名の作家が観客(=ギャラリー)の目前で作品を仕上げていく行為のことです。 それを、絵画から小説に置き換えて書いたものが、『また』です。 その時、実際には絵画ドローイングだったのですが、 途中から私は「小説」という行為で参加しました。 かかったのは1時間くらいでしょうか。 目の前にはモデルの女性(白いドレス)がいたので…。 すみません。 小説を書くようになって、初めて人前で創作活動をしたのですが、 アルコールも多少入ってました。 すごく楽しかったです。 ***** お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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