「拡大自殺」の連鎖
止まらない「拡大自殺」の連鎖 東大前で刺傷、高2少年の素性 無断欠席も「衝撃」の真面目さ 識者「大阪放火事件の延長線にある」楽天Infoseek NEWS / zakzak by夕刊フジ / 2022年1月17日 11時0分「拡大自殺」と思しき事件が続いている。世の中も少し気づき始めているらしいことがこの記事にも書かれている。だが、犯人個人の問題に矮小化してしまっていないだろうか?確かに最後の最後は犯人の「感情」に左右される固有の事象かもしれない。しかし、そこまで人を追い込むのがこの社会の在り方に問題があるからとは考えないだろうか。そこまで追い込まれている人の個別の事情については千差万別で、一つ一つを取り上げてもあまり意味がないが、テレビのワイドショーは必要のないことまでつまびらかにする。総括して、そういう事件が増えているから「怖い」と言う。特定の何かが怖いというのではなく、全体的に漠然と「怖い」と言うのは「論理的分析」のできていない人が使う言葉だ。対処方なり回避法がわかっている人は心の中で準備を整え、「怖い」と言う言葉は使わない。もしもの時のために「用心」するのだ。ワイドショーは大衆迎合する番組なのでそうでないと視聴率が稼げないのかもしれない。物事の本質、基本的な部分を見るワイドショーのような番組は、ショッキングな映像やコメントで表面的な恐怖感をあおるのがうまい。番組的には「恐怖」こそが最高の調味料だからだ。しかし、それでは物事の本質に触れられないし、問題の解決にも至らない。先日、書いたように、世の中の価値観、特に人に対する評価が画一化していることが根本的な問題だ。個性には長所も短所もない私は占いをやっているからわかるのだが、本来個人個人が持っている特性には長所も短所もない。長所としての積極性は、しばしば配慮に欠けた行動を伴い、短所と思われがちな行動力のなさは、熟慮する慎重な性格を示す。それぞれ、自分の特性を長所として活かせる場所・機会を得られれば最高のパフォーマンスを発揮できる。ところが、現在の社会、特に日本では「良い大学に行って良い会社に入る」と言った画一的な価値観に縛られてしまっている。テレビで「東大生」だとか持ち上げているのを見ればわかる。東大生と言う価値は、その人の持っている価値の一端でしかないが、それが多くの人に対する優越した存在として認識されている。その人より早く走れる人はたくさんいるだろうし、その人よりセールスの上手な人だっていくらでもいるのに、世の中が「東大生」としてその人を素晴らしい人とするのが「当然」と言う風潮がある。自己肯定感の欠如が最大の理由世の中全体がそのような意識なので、それに外れた人間「評価されない人間」「価値のない人間」と言うレッテルが張られてしまう。それが自己評価の低下につながり、「自分は必要のない人間」と言う考えに陥り、自らの命を絶つことを考え始める。「拡大自殺」でなくとも、そのようにして死を選ぶ人は少なくない。ではなぜ、人を巻き添えにした「拡大自殺」を選ぶのだろう。社会への恨み、逆恨みと表現されることが多いが、もう少し深く、なぜそういう気持ちになったかを考えてみればわかるのではないだろうか。「自分は頑張ったのに評価されない」「社会に見捨てられた」「もうこれ以上頑張れない」「誰にもわかってもらえない」きっと、このような後ろ向きな言葉が次々に浮かんできて、暗黒の底へ引きずり込まれていくに違いない。問題解決の糸口はあるかいま、国や自治体がやっていることは、このような苦しい思いをしている人に対して、「相談相手になります」「一人で悩まずに連絡してください」と言うことだ。それ以上の考えはないらしい。もっと根本的に考えれば、「人の価値はひとつの基準では測れない」「だれもが長所を持っている」と言うことが実感できる社会であれば、そのような対応は必要ない。「あなたにできる仕事はありません」「雇ってもいいけど非正規で給料は最低ランク」「条件が合わないので生活保護の対象にはなりません」世の中にあふれているのはそう言った「人を否定する言葉」ばかりだ。一定の基準でしか人を判断できないと言うことは基準に合わない人をすべて否定していると言うことになる。「社会の多様性」が必要と言うなら、採用用件から「学歴」「職歴」などの条件を排除すれば良い。「ダイバーシティ」を標榜する都庁の職員や、高級官僚、大企業の採用方針自体がその最たるものではないのだろうか。一般人、素人、まともに卒業したのは小学校と中学くらいの私が言うのだ。一流の大学を出ていらっしゃる方々にわからないはずがないと思うのだが。