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ねこログ

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2020.06.05
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オオハマボウ(アオイ科)

ホウオウボク(マメ科)

アオサギ(サギ科)

ハシブトガラス(カラス科)



メジロ(メジロ科)

オジギソウ(マメ科)

オオゴマダラ(マダラチョウ科)


「ねこログ」総目次
目次:「ここにいる方が、あ・な・た・に・と・っ・て・、しあわせなのです」、などと断定するとしたら、それは、「パターナリズム」以外のなにものでもないだろう?/1928年に出版された書物が、1967年の駒場を経由して、流れ流れて、ここにやってきた・・・カール・マルクス「猶太人問題を論ず」を、書・き・写・す・/少女の頃の記憶とは全く違うアンネをみか子は記憶した。これを絶対に忘れてはいけないのだ。・・・「アンネの日記」読了、「乙女の密告」再読/



「アンドロイドも夢を見るか」だったっけ(笑)?燕も、また、欠伸をするか?
アレチノギクやヒメジョオン、いずれもキク科、は、お決まりの遊水地散歩、カメラをぶら下げての散歩も、もともとのここ二年来の「引きこもり」(笑)に輪をかけて、「外出自粛」などが奨励されれば、すっかりご無沙汰になっていた。欠伸をするツバメが登場するのは、海のそば、海面を低空飛行しながら、アジサシと競い合うように、しているが、ちょっと離れたここが、彼らのお決まりの休憩場所であるらしい。海に出掛けたのは、農協スーパーへの野菜の買い出し、「買い出し」にだけ出かけるというのが「もったいない」と感じる貧乏性から、足を延ばすことになる。雨の日のイソヒヨドリとかパッションフルーツの花が映っているのは、もう、記憶が定かでないが、地方議会選挙の投票所に向かった日か、または、あれは、ハンナ・アレンとを探しにかな、本屋さんまで出かけた日のことだったかもしれない。



ヒメジョオン(キク科)

ショウジョウトンボ(トンボ科)・メス

セイヨウミツバチ(ミツバチ科)、アメリカハマグルマ(キク科)





リュウキュウツバメ(ツバメ科)

オオハマボウ(アオイ科)

ベニアジサシ(カモメ科)

シロチドリ(チドリ科)

ショウジョウトンボ(トンボ科)・オス

イソヒヨドリ(ツグミ科)・オス

パッションフルーツ(トケイソウ科)

オジギソウ(マメ科)

オオゴマダラ(マダラチョウ科)



ヒヨドリ(ヒヨドリ科)









メジロ(メジロ科)


「懐手をする」、というほどまでには、くつろいでくださっているわけではないけれども、・・・。
三人きょうだいのうち、あと二人の姿が見えなくなってしまって、いつまでも「心配」しているわけにもいかない、いつまでも心配しているわけにもいかないから、人は、「忘れる」ことにするのか?いや、そんなはずはないね(笑)、人間が、そんな風に、「意識」をコントロールできるはずがない、人間にできるのは、ただただ、コントロールできなかった「無意識」の、あの、コントロールできないから「無意識」って言うんだよね(笑)、仕出かしたことを、ことごとく、「後付け」で、「言い訳」するだけだ、三人きょうだいがいた時から、乳離れするようになったら、そして、子供たちが十分馴染んでくれたら、部屋の中に引き取るつもりでいた、三人同時に「馴染む」などと言うのは不可能に近いが、こうして、もともと一番大胆なこいつが、残ったので、こうしてベランダに出るたびに、「捕獲」の「チャンス」を伺うようになったのだが、さすが、「動物」は、つまり、言語を獲得するという方途を採用しなかった動物は、鋭い、こちらが、「捕まえよう」という「気分」で、臨むと、たちまち気取られてしまうのである、君たちにはかなわないよ(笑)、焦らず、もうしばらく、いわゆる「様子を見る」、ことにしよう。名前?名前というのは、「他」と「識別」する際に、必要なものなのである、夏目家の猫が「名前はまだない」状態で、差し支えなかったのは、一匹しかいなかったからだ、こいつを、「呼ぶ」のに、もはや、「名前」を要しないことを知って、改めて、「失った」ことを知ることにもなる。







「足蹴にする」、と、申しますが、・・・、続編。


クロトリマゾール(Clotrimazole)C22H17ClN2

IUPAC名は、
1-[(2-Chlorophenyl)(diphenyl)methyl]-1H-imidazole
図の真ん中の十字の交差部がCで、これが、命名の基底部となっている「メチルmethyl」、メチル基の炭素には4方向に基が接続できるが、その内訳が、「(接続部の炭素から数えて)2番目の炭素が塩化物化した、フェニル基(ベンゼン環)2-Chlorophenyl」と、あと「二つのフェニル基(ベンゼン環)diphenyl」、最後のもう一方向が、「H」の意味がよくわからないのだが、「azo」は窒素を表わす言葉で、窒素を含む五員環一般を「azol」と呼ぶらしく、ここに用いられている形状のものを、語源は不明だが、imidazolと呼ぶようで、その「1」の部位で結合している、という意味なのだろう、このimidazol、よく見ると(笑)、対称的に見える二つの窒素は、同等ではなく、図の上の方のは、右側の炭素との二重結合、左側の炭素との単結合で飽和しているから、こちらと結合する余地はなかったのである、ま、そんなことがわかった。写真の中で、遠目に観察できるかもしれないが、こいつ、背中に、カビ、真菌、が繁殖する症状が出て、円形に毛が抜けかかっている、もう一人、頭にこれが繁殖して、なかなか写真を撮るのもはばかられるほど、に進行している者があって、心を痛めていたのだが、意を決して、動物病院に赴き、本来は、ちゃんと診察していただいてから、お薬出していただくのが筋ではあるが、なにぶん貧乏であるので、と詫びを入れ(笑)、以前、何度も出していただいて、じつに、よく効いた記憶のあったこの塗り薬を、お願いし、快諾いただいて、意気揚々と引き揚げてきたところ、さっそく二人に処方、もう一匹は、なかなか暴れたが、こいつは、全然無抵抗(笑)、二人とも、気のせいかもしれないが、快方に向かっているようにも感じられる、それならば、よいのだが、・・・。


「ここにいる方が、あ・な・た・に・と・っ・て・、しあわせなのです」、などと断定するとしたら、それは、「パターナリズム」以外のなにものでもないだろう?
もちろん、これは、「我が家」のの室内、ありがたいことに、比較的、「汚物」が映らないですむ場所(笑)、を選んでくれたようである。ご飯を出して、リラックスしてくれたところを、「だまし討ち」同然にして首根っこを捉まえ、汚い部屋の中に連れ込まれたのだから、そりゃ、誰だって怒るわさ(笑)、これは、まだ、「憤懣やるかたない」、表情なのだが、しかし、彼らの美質は、まさに、「根に持たない」こと、なのである、きっともうしばらくの辛抱。実は、これより数日前、一度「捕獲」を試みたことがあったのだ、その頃は、まだ、おかあさんもしばしば通ってきていて、それはそれは仲の良い親子だったのじゃ、無理矢理引き裂くのは、心が痛んだが、乳離れはとっくに済んでいるから、もうしばらくすれば、おかあさんも、次の「恋」に忙しく、見向きもしなくなるだろう、そうなったとき、子供がまたふらふらさまよい出て、いや、ふらふらさまよい出るのは、彼らの、伝来の性格、そうすることが生き延びる条件であったところの「性」なのだから、人間如きに文句を言われる筋合いはないが、身勝手に「管理権」を想定しているこちらの、身勝手な「心配」なのであるから、・・・、でも、そのときは、こいつは、一晩中泣き通し、聞きつけた母親が、窓の近くまでやって来て、あの子猫に呼びかけるときの甘い声で、語りかける、二人の「合唱」の切なさに、さすがに辛くなって、もう一度、ベランダに出し、母のもとに「返した」ことがあったのだ。「愛着障害」者にして(笑)、決して、「子孫」をもつことのなかった一生でしたが(笑)、あんなに美しい、「母子」の「情愛」を目撃したのは、初めてのことで、思わず、たじろぐほどだった。でも、しばらくして、やはりおかあさんも、来なくなってしまったようだし、三度続けて、このむさくるしいベランダで子育てをしてくれた、長い長い付き合いであったが、それも、向こうには向こうの事情がある、こちらは、「受け入れる」しか、ないからね、そうして、こいつにも、「うちの子」になってもらうことにした、そういうわけさ。





「無関心」であることが、相互にとって、「居心地がよい」条件でありうることは、ええ、よくわかりますよ(笑)。
一昨晩は、まるで「自らの不幸を託つ」、かのように、一晩中鳴き続けていたのに、おや?今朝はもう、「何事もなかったかのように」(笑)、「ごはん、まだかしら?」とばかりに、ちゃんと「食堂」に現れて、昨日は、あんなに「警戒」していた、「同胞」、に対しても、いや、別に「仲がよくなった」、という訳ではない、ただ、驚嘆すべき(笑)「無関心さ」をもって、ほら、こんな風に、並んでご飯を頬張っている所なんか、何年来も(笑)継続している「日常」みたいに見えるじゃないか?「無関心」であることが、相互にとって、「居心地がよい」条件でありうることは、ええ、「うつ病/引きこもり」としては(笑)、よく理解できますよ。もちろん、猫には猫の「悩み」があるに違いないんだし(笑)、単純に「羨ましい」などというのは、失礼なことだと思いますが(笑)、「社会」を「構成」する、やり方の一つの見本として、いやはや、やはり、学ぶべきことは、多々ある、と感じざるを得ませんね(笑)。


「アニュージュアルunusual」な、組み合わせ。
どちらも「子猫」、とは言え、大きさはずいぶん異なります。目測(笑)、長さ、L1、という「次元」(笑)、にして、1.3倍くらい、でしょうか?すると、体積、L3、では、1次近似↓、

を用いますと、1次近似というのは、「誤差」は往々にして小さいものである、小さいものを何度も繰り返し掛ければ、もっと、小さくなる、2回以上掛けたものは、無視して差し支えない、という考え方ですが、
1.33≒1+3×0.3=1.9
なるほど、ならば、どちらも、ほとんど同じ、それはわれわれも(笑)、タンパク質で出来ているのだから、密度、「次元」で言えば(笑)、M/L3、も同じとして、体重は2倍くらいになるのだね、胃袋の大きさもそんなものなのだろうから、一度に食べられる量もそれに同じ、小さいほうは、まだまだ成長著しい、「拾った」頃は「片手の手のひらに乗るくらい」、だったのだが、今や、「片足と取っ組み合いをしてひけをとらない」(笑)くらいの大きさになったのだし、だから、しばしば、こっそり、この、少し大きい方、に見つからないように(笑)、缶詰の御馳走を、振舞ったりしなければならないのだ。
1次近似談義のついで、前回だったか、「スーパームーン」談義、近地点と遠地点とで、月―地球間距離が、1.1倍くらいの違いがある、万有引力は、「逆二乗法則」に服するから、その大きさは、遠地点にあるときのものに対して、近地点、すなわち「スーパームーン」のときのものは、
1.12≒1+2×0.1=1.2
2割も増す、のである、大きな自然災害が、「スーパームーン」とともに観測されてきた、と言われるのも、故なしとしない。


もう、散会してもいいのに、何か、「立ち去りがたく」しているのは、きっと、「名残惜しい」、みたいな感じが、しているからなんだろう。
おやおや、満腹して、そのまま眠り込みそうですよ、その尻尾で、飽かず遊んでいる子供もいるし、どういう訳なんだろう?いつもは、食べ終わったら、さっさと、自分の場所、もちろん「定住者」ではないから、それは、しばしば変更する、でも、一度決めると、数日は、守られる、そのお決まりの場所に戻って、毛づくろいをしたり、それにも飽きると、うつらうつら眠りはじめたり、という訳なんだが、ほら、「新入り」も、もう、こんなに、みんなの真ん中で、どっかとくつろいでいる、満腹した猫たちの表情を眺めるほど「幸せ」という言葉に相応しいことはない、思えば、私も(笑)、欲がなくなったものだ、それだけで、「生きていてよかった」、と思えるほどなんだから(笑)、ほんとに「生きていてよかった」、かどうか、は、わからないよ(笑)、「生きている」ことを、問題なく肯定的に捉えられるのならば、人は、敢えて「良かった」などとは、言わないものだろうと思うからね。


何にも出ないことが、なんか申し訳ない(笑)、ような気さえしていたのですが、・・・。
今度は、手のひら、やはり、多少は、おかあさんのお●っぱいを思わせるような、柔らかい部分がよいようです。そんなとこ吸っても何にも出ないんだから、何にも出ないことが、なんか申し訳ない(笑)、ような気さえしていたのですが、別に、お腹がすいているときに限って、この仕草をするわけでもないらしく、彼らは彼らで、この「お●っぱいおねだり行動」を、ある種、象徴行為、として行っているのかも知れず、現に、しばらくすると、ぷいっと、離れていくのだが、それが、ある程度、「満ち足りた」感じにも見えなくないので、じゃあ、それでもいいのかな、と思うようになってきた。


一体、どこでどうやって「聞きつけて」、来られるのか、それが不思議でならないが。


「鉢割れ」白黒

「うずまき」茶とら
こうして、ひっきりなしに(笑)、新手の「通い」客の、子猫が現れる、まるで、私が、「近所で評判」(笑)、とでも言うように、人間には(笑)、どんなに愛されなくとも、猫族たちの間に、これほどまでの「信頼」を築き上げられた、というのなら、それは、光栄の限りであり(笑)、喜びに堪えない(笑)、もっとも、彼らにとっては、どういうわけか、そこに「ご馳走」が、「置かれている」ことを、彼らにとっての「幸運」と受け止めているだけで、「私」の、「存在」の、「意味」、(笑)を知ることがない。現に、昨日も、久し振りの買い物に出かけて、階段をのぼって帰って来た私と出くわすと、大慌てで、逃げ出すし、でも、その逃げるさまが、まるで、この、小汚い「ベランダ」、の、諸々のもの影の隠れ場所に、すでに「精通」(笑)しているらしい様子に、安心もした訳だが、・・・、なんとか、たっぷり食べて、生き延びてくれたまえ、もっと「仲良く」なれて、それこそ(笑)「信頼関係」が築き上げられたなら、つまり、首根っこ捕まえて「捕獲」出来るようになれば、ということだが、また、うちの中で暮らしてもらってもいいし、おっと、「こちら」が、いつまで「生きられる」か、わかんないんだけどね(笑)。



ユダヤ人問題を論ず/マルクス
一 ブルーノ・バウアー著『猶太人問題』(ブラウンシュワイグ、一八四三年發行)を評す。
二 ブルーノ・バウアー稿、『現代の猶太人及基督教徒の自己解放の能力』(ゲオルグ・ヘルウェー編、『スヰスよりの二十一ボーゲン』、チューリッヒ及びヰンタートゥール、一八四三年發行、五六―七一頁)を評す。
Braunschweigブラウンシュワイグ
Winterthurヰンタートゥール


一 ブルーノ・バウアー著『猶太人問題』(ブラウンシュワイグ、一八四三年發行)を評す

  • 獨逸の猶太人は解放を要望する。如何なる解放を彼等は要望するか?國家の公民としての解放を、政治的の解放を。
  • ブルーノ・バウアーは彼等に答へる。獨逸に於ては何人も政治的に解放せられてはゐない。吾々自らでさへ自由でない。どうして吾々に、お前等を解放すべき責があらう?若しお前等猶太人が、猶太人としてのお前等の爲に特殊な解放を要求するならば、お前等は利己主義者である。お前等は、獨逸人として獨逸の政治的解放に、また人間として人間的解放に従事すべき筈だ、そしてお前等の壓迫とお前等の屈辱との特殊な態様をば、原則からの例外としてではなく、むしろ原則の確證として感受すべき筈である。
  • それとも猶太人等は、基督教臣民との等置を要求するのであるか?果たして然らば、彼等は基督教國家を是認するものである、果たして然らば、彼等は一般的壓服の統治を承認するものである。一般的な抑壓が彼等の氣に入りながら、どうして彼等には、彼等の特殊な抑壓が氣に入らぬのであるか?猶太人等が獨逸人の解放に興味を感じないのに、どうして獨逸人が猶太人の解放に興味を感じようぞ?
  • 基督教國家は、特權のみを知ってゐる。猶太人は其中で、猶太人たる特權を有ってゐる。彼等は猶太人として、基督教徒の有しない權利を有ってゐる。何が故に彼等は、彼等が有しない所の、そして基督教徒が享有する所の、權利を要望するのであるか?
  • 若しも猶太人が、基督教國家から解放せられむことを欲するのであれば、それは卽ち、基督教國家に對して、その有する宗教的偏見を抛棄せむことを要求するものに外ならない。ではさう云う猶太人自らは、彼の宗教的偏見を抛棄するか?卽ち彼は、他の者に向かって斯くの如き宗教の抛擲を要求するの權利があるか?
  • 基督教國家は、其本質上猶太人を解放することはできない、そして、とバウアーは付け加へる、猶太人は解放せらるゝことはできない。國家が基督教的に、そして猶太人が猶太的に止ってゐる限り、両者には解放を與ふる能力もなければ、之を受ける能力もないのであると。
  • 基督教國家は、たゞ基督教國家の仕方に於てのみ、卽ち特權賦與の方法でのみ、猶太人に臨むことができる、特權賦與の方法と云ふのは外ではない、斯る國家は、残餘の臣民からの猶太人の分離を許容するが、その代りに彼をして、分離せられし他の一半の壓迫を感受せしめ、而も猶太人が支配的宗教に對して宗教的對抗に立てば立つ程、益々痛切に感受せしめること是である。だが猶太人も亦、たゞ猶太的にのみ、國家に對して振舞ふことができる、卽ち、國家に対して他人としてのみ振舞ふことができる。他人と云ふのは外ではない、彼は現實の國籍に彼の神話的な國籍を對立せしむるものであり、現實の法則に彼の幻想的な法則を対立せしむるものであり、自らを以って人類からの分離に特權付けられた者と妄想するものであり、歴史の進行に全然参與せざることをもって主義とするものであり、人間の一般的將來とは少しの共通點をも有たない將來に固執するものであり、自らをば猶太民族の一員と考へ、そして猶太民族をば神の選民と考ふるものであること是である。
  • では一體、如何なる名義に據って、お前等猶太人は解放を要望するのであるか?お前等の宗教の爲にか?それは國家宗教の不倶戴天の敵である。國家の公民としてか?獨逸には國家の公民なるものは存しない。人間としてか?お前等は人間ではない。恰かもお前等が訴ふる相手方の者共が人間でないと同様に。
  • バウアーは、猶太人解放の問題の従來の提唱と解決とを批判した後に、此問題を新たに提唱した。彼は問うて云ふ、解放せらるべき猶太人と云ひ、解放すべき基督教國家と云ひ、一體それ等は如何なる性質のものであるかと。彼は之に答ふるに猶太教の批判を以ってする、彼は猶太教と基督教との宗教的對抗を分析する、彼は基督教國家の本質を闡明する。孰れも大膽と鋭利と気魄と徹底とを以って、又精確剴切精悍の文體に於て。
  • ではバウアーは如何にして猶太人問題を解決するか?解答は如何?凡そ問題の定式は其解決である。猶太人問題の批判は、取りも直さず猶太人問題に對する回答である。摘要は卽ち左の如くである、
  • 吾々は、吾々自らを解放することなくして、他の者を解放することはできない。
  • 猶太人と基督教徒との間の對抗の最も頑固な形態は、宗教上の對抗である。對抗を解決するの途は如何?それを不可能たらしむるにある。宗教上の對抗を不可能たらしむる途は如何?宗教を廃止するにある。猶太人と基督教徒とが、彼等の互の宗教をば、寧ろ人間精神の種々なる發展段階として、卽ち歴史に依って種々の時代に脱ぎ棄てられた蛇の抜殻として、そして人間をば、曾てこれ等を被ってゐた蛇として、認識しさへするならば、彼等は最早や宗教上の關係に立つことなく、たゞ批判的な、學問的な關係に、人間的な關係に、立つに止るに至るであらう。然るときは、學問は彼等の統一である。そして學問上の對抗は學問自らによって解決せられる。
  • 特に獨逸の猶太人には、政治的解放一般の缺如と、國家の宣明的な基督教帰依とが對立してゐる、だがバウアーの考へでは、猶太人問題は、獨逸特有の關係から獨立した、普遍的な意義を有ってゐる。それは宗教對国家の關係の問題であり、宗教的偏見と政治的解放との矛盾の問題である。宗教からの解放は、政治的に解放せられむと欲する猶太人に取っても、將た又解放すべき、且自ら解放せらるべき國家に取っても條件として主張せられる。
  • 『宜しい、と人は云ふ、そして猶太人自らさう云ふ、猶太人は猶太人として、彼が猶太人であるから、彼が古今を通じて謬らず東西に施して悖らざる底の人倫の原理を有するから、解放せらるべきであると云ふのでは決してない。猶太人は寧ろ、彼が猶太人であり、又飽く迄猶太人として止るべき(止らむと欲する)に拘らず、國家の公民としての資格の背後に退くであらう、そして國家の公民たるに至るであらうと。此主張を換言するならば斯う云ふことに歸着する、猶太人は、彼が國家の公民であり、そして普遍的人間的關係の中に生活するに拘らず、やはり猶太人であり、又飽く迄猶太人として止る。彼の猶太的な、限局せられた性質は、常に且つ最後に、彼の人間的及政治的責任に優勝する。偏見は、普遍的な原則に依って壓服せらるるに拘らず、依然として殘存する。而もそれが殘存する以上、それは反ってあらゆる他のものを壓服することになる。』『單に詭辨的にのみ、皮相上に於てのみ、猶太人は國家生活において猶太人として止り得るであらう。それ故、彼にして飽く迄猶太人たらむと欲する以上、單なる外觀は、其實本質的なるものであり、他のものを壓倒するであらう、換言すれば、彼の國家内に於ける生活は、反って單なる外觀であり、本質及原則に対する一時的な例外に過ぎないであらう。』
    ・・・
  • 人間は、バウアーに従へば、一般的な人權を受領し得むが爲には、『信仰の特權』を犠牲にしなければならない。吾々は茲に暫く、所謂人權なるものを、而も其正統的な形態の下に於ける、卽ち之が發見者たる北米人及佛蘭西人の下に有する形態の下に於ける、人權を考察してみよう。此等の人權の一部は政治的権利である。卽ち他人との共同においてのみ實行せらるゝ權利である。共同體への、特に政治的共同體、卽ち國家制度への参與が、其等の内容を形成する。其等は政治的自由の範疇に、國家公民權の範疇に所屬する。そして此等の範疇が、宗教の、従って例へば猶太教の、矛盾のない、積極的な廃止を前提するものでない事は、既に吾々の明かにした所である。そこで殘る所は、人權の其他の部分、卽ち『公民權』droits du citoyenから異なった意味に於いての『人權』droits du l'hommeの考察である。
  • 此種の人權中には、良心の自由、卽ち任意の禮拜を実行するの權利が含まれてゐる。信仰の特權は、或は人權の一種として、然らずむば人權の一種たる自由の結果として、明示的に認められる。
  • 一七九一年の『人間及公民の諸權利の宣言』第十條に曰く『何人も其意見の爲に妨害せられるべきでない。宗教上の意見に付ても亦同じ。』一七九一年の憲法の第一篇中では、『各人に、其信ずる宗教的禮拜を行ふの自由』が保證せられてゐる。
  • 一九七三年の人權宣言は、人權の一として、第七條に『禮拜の自由な實行』を數へている。否、思想及意見を公表し、集會し、禮拜を實行するの權利に関しては『此等の権利を明記するの必要は、専制政治の存在若しくは其記憶を前提する』とさへ云ってゐる。なほ一七九五年の憲法、第十二篇、第三五四條を参照せよ。
  • ペンシルヴェニア憲法、第九條、第三項に曰く、『凡ての人間は、其良心の示唆に従ひ全能者を崇拜する、天賦不可譲の權利を有する、そして何人と雖も、その意思に反して、或宗派若くは僧職に従ふこと、之を指名すること、又は之を支持することを、合法的に強制せられることはできない。凡て人間的權力は、如何なる場合に於ても、良心の問題に干渉し、若くは精神の力を支配することはできない。」
  • ニューハムプシャー憲法、第五條及第六條、『自然權中若干のものは、其本質上不可譲渡である、何となれば、其等の等價たり得るものが存しないから。良心の自由は其一である。』
    宗教と人權との不可結合性は、人權の概念中には存しない、それは宗教的であり得る權利、任意の方法で宗教的であり得る權利、自己の特殊な禮拜を實行し得る權利が、寧ろ明示的に人權中に數へられてゐるのを見ても明かである。信仰の特權は、一個の普遍的人權である。
    droits de l'hommeは、人權は、其固有の意味に於て、droits du citoyenから、公民權から、區別せられる。では『公民』citoyenから區別せらるゝ『人間』とは、一體何人であるか?市民的社會の構成分子に外ならない。然らば何が故に、市民的社會の構成分子は『人間』と呼ばれるか、単なる人間と呼ばれるか、何が故に、彼の權利は人權と呼ばれるか?如何なる根據から、吾々は此の事實を説明するか?曰く、政治的社會の市民的社會に對する関係から、政治的解放の本質から。
    何よりも先づ吾々が明かにして置きたいと思ふことは、所謂人權なるものは、即ち『公民權』から區別した意味に於ての『人權』は、市民的社会の構成分子の、換言すれば利己的人間の、卽ち人間及共同體から分離せられた人間の、權利に外ならぬと云ふことである。最も急進的な憲法が、一七九三年の憲法が、之を説明し得るであらう。
  • 『人間及び公民の諸權利の宣言』第二條、『此等の諸權利云々(天賦且不可譲の諸權利)は、平等、自由、安全、財産である。』
  • 自由とは何であるか?第六條、『自由とは、他人の權利を侵害せざる限り如何なることをも爲し得る、人間に屬する力である。』また一七九一年の人權宣言に従へば『自由は、他人に害惡を及ぼさゞる限り如何なることをも爲し得ることからなる。』
    自由は卽ち、他の何人をも害せざる限り如何なることをも行爲し得るの權利である。各人が他人に無害に行動しうる限界は、恰も二つの田地の限界が垣杙に依って限定されるやうに、法律に依って限定せられる。それは卽ち、遊離せられた孤立的な原子としての、人間の自由である。所でバウアーは、猶太人に人權を受領するの能力なしと主張するのであるが、それは一體如何なる理由に基くか?『彼が猶太人である限り、彼を猶太人たらしむる限局的な性質は、彼を人間として人間と結合せしむべき人間的性質に優勝し、そして彼を、猶太人たらざる者から引き離すに相違ない。』だが自由の人權は、人間と人間との結合を基礎とするものではなく、反って人間からの人間の離隔を基礎とするのである。それは此離隔の權利であり、限局せられた、自らに限局せられた、個人の權利である。
  • 自由の人權の實際的な適用は、私有財産の人權である。
  • 私有財産の人權とは何であるか?
  • 第十六條(一七九三年の憲法)、『所有の權利は、彼の財産、彼の収入、彼の勞働及勤勞の果實を、彼の意の儘に享有し且處分し得る、凡ての公民に屬する權利である。』
  • 卽ち私有財産の人權は、『意の儘に』(à son gré)、他の人間には無関係に、社會から獨立に、彼の財産を享有し且處分し得るの權利、卽ち利己の權利である。曩に述べた個人的自由、並びに右に述べた其適用は、市民的社會の根柢を形成する。市民的社會は、各人をして、他人に於て、彼の自由の実現ではなく、反って其障壁を見出さしめる。だが何よりも先づ、『彼の財産、彼の収入、彼の勞働及び勤勞の果実を、彼の意の儘に享有し且処分しうる』人權を宣言するのである。
    なほ他の人權、卽ち平等及安全が殘ってゐる。
  • 茲に其非政治的意義に於いての平等は、曩に説明した『自由』の平等に外ならない、卽ち各人が平等に、斯かる自立的な原子と視られると云ふことに外ならない。一七九五年の憲法は、此平等の概念を、其意義に該切に、次の如くに定義してゐる。第五條(一七九五年の憲法)、『平等とは、保護する法律であると罰する法律であるとを問はず、同一の法律が凡ての者に適用せらるゝの謂である。』
  • 然らば『安全』とは?第八條(一七九五年の憲法)、『安全とは、社會がその構成分子の各々に対して、彼の身體、彼の權利、及彼の財産の保全の爲に與ふる保護を謂ふ。』
  • 安全は、市民的社會の最高の社會的概念である、卽ち全社會はただ、その構成分子の各々に、彼の身體、彼の權利、及彼の財産の保全を確保するが爲にのみ存在するとなす、警察の概念である。ヘーゲルは此意味に於て、市民的社會をば『必要及悟性の國家』"Noth-und Verstandesstaat"と呼んでゐる。
  • 安全の概念に依っては、市民的社會は、其利己主義から超脱するものでない。安全は寧ろ、其利己主義の保證である。
  • 之に由って觀れば、所謂人權なるものは、どれ一つとして、利己的人間以上に、市民的社會の構成分子としての人間以上に、卽ち自己に閉ぢ籠ってゐる所の、彼の私利と彼の我意とに閉ぢ籠ってゐる所の、そして共同體から離隔せられてゐる所の、個人としての人間以上に、抜け出るものでないことが明らかである。人間は、此等の人權に於て同類體と看做されたどころではなく、反って同類生活自體は、社會は、個々人の外部に存する限界として、彼等の本来の自立性の制限として、現はれるのである。彼等を結合せしむる唯一の紐帶は、自然的必要であり、欲望及私利であり、彼等の財産と彼等の利己的身體との保全に外ならぬのである。
  • 今や將に自らを解放し、種々の國民分子間のあらゆる障壁を撲滅し、一個の政治的共同體を建設しようとしてゐる所の國民、斯る國民が、利己的な、同胞人及共同體から疎隔せられた人間の是認を揚々と宣言すると云ふこと(一七九一年の宣言)、否、英雄的獻身のみが國民を救ふことができ従って命令的に要求せらるゝの秋に於て、市民的社會のあらゆる利益の犠牲が時代の風潮に高められ、利己主義は一個の犯罪として罰せられねばならない秋に於て、斯る宣言が再び繰り返されると云ふこと(一七九三年の人權宣言)、これ卽に一個の不可思議である。然るに國家公民たる資格が、政治的共同體が、政治的解放によって、此所謂人権の保全の爲の單なる手段に迄蔑視せられるとい云ふこと、卽ち公民が、利己的な人間の奉仕者だと宣言せられ、人間が共同體として振舞ふ所の領域が、彼が部分的事物として振舞ふ所の領域の下位に引き下げられ、最後に、公民としての人間ではなくブルジョアとして人間が、本來の且眞の人間だと考へられると云ふこと、斯う云ふことを吾々が見るときに、曩の事實は一層不可思議になって來る。
  • 『凡ての政治的結合の目的は、人間の天賦且不可譲の諸權利を保持するにある。』(一七九一年の人権宣言第二條)『政府は、人間にその天賦且不可譲の諸權利の享有を保證せむが爲に、建設せられたものである。』(一七九三年の宣言第一條)即ち政治的生活は、其まだ若々しい、そして事情の急迫によって極度に迄驅り立てられた、情熱の瞬間に於てさへ、自らをば、市民的社會の生活を目的とする單なる手段だと宣言するのである。固より其革命的な實行は、其理論とは甚だしく矛盾してゐる。例へば、安全は人權の一として宣言せらるゝに拘らず、信書の秘密の侵害は日常茶飯のことゝせられる。又『印刷の無制限なる自由』は、(一七九三年の憲法、第一二二條)個人的自由の人權の結果として保證せらるゝに拘らず、印刷の自由は全然滅却せられる、そしてその理由に曰く、『印刷の自由は、それが公の自由を危うする場合には、許容せらるべきでない』からであると。(Robespierre...)卽ち自由の人權は、それが政治的生活と衝突を來すと同時に、最早や權利ではなくなると云ふのである。これ正に理論を覆すものと云はねばならない、蓋し理論に従へば、政治的生活は單に人權の、卽ち個々の人間の權利の、保證に過ぎないものであり、従って其目的である所の此等の人權に矛盾すると同時に、當然廢止せられねばならない筈であるからである。斯くの如く、革命的な實行は、その理論を事實上に於て打ち壊してゐるのであるが、併し、實際は單に例外に止り、理論が飽く迄原則である。そして理論が原則である以上、人權の思想は、依然として一個の謎でなければならない。だが若し吾々が、革命的な實行の方を正常な立場だと考へるにしても、其場合にも亦、何が故に政治的解放者等の意識に於ては、關係が顛倒せられてゐたか、そして目的が手段として、手段が目的として現はれたか、と云ふ謎が、依然として残るわけである。彼等の意識の此錯覺は、依然としてなほ、同一の謎たるであらう、たとへ其場合には、一の心理的な、一の理論的な、謎であるとは云へ。
  • 謎は簡單に解決せられる。
  • 政治的解放は、同時に、國民から外化せられた國家制度が、支配者の権力が、基礎を置くところの舊社會の分解である。政治的革命は、市民的社會の革命である。抑々舊社會の特質は何であったか?一言にしてよく之を現はすことができる。曰く封建制度が是である。旧来の市民的社會は、直接に一の政治的特質を有ってゐた、換言すれば、例へば所有とか、家族とか、勞働の態様とかの如き市民的社會の諸要素は、地權、身分、乃至特許團體の形式に於て、國家生活の諸要素に迄高められてゐたのである。其等の市民的社會の諸要素は、此様な形式に於て、孤立的な個人の國家全體に對する關係を、換言すれば、斯る個人の政治的な關係を、更に換言すれば、斯る個人が彼以外の社會構成部分から分離し閉鎖する所の關係を、定めたのである。何故かと云ふに、其様な國民生活の組織は、所有なり勞働なりを共同的な要素には高めないで、反って其等のものゝ國家全體からの分離を完成し、そして其等のものをば、社會内における特殊な社會に造り上げたからである。だがそれにも拘らず、市民的社會の生活諸機能と生活諸条件とは、やはり政治的であった、ただそれ等には、封建制度の意味に於て政治的であったのである、換言すれば、それ等は、個人を國家全體から閉鎖した、それ等は、國家全體に対する彼の特許團體の特殊的な關係をば、國民生活に對する彼自らの一般的な關係に、又彼の特定な市民的な活動及地位をば彼の一般的な活動及地位に轉化したのである。斯る組織の必然の結果として、國家全體、並びに國家全體の意識意志及活動たる一般的な國家權力も亦、やはり同様に、國民から切り離された支配者及其家來共の、特殊な事項として現はれざるを得なかった。
  • かかる支配者の權力を轉覆し、國家の事項を國民の事項に高めた所の政治的革命、政治的國家を一般的な事項として、換言すれば現實な國家として、確立した所の政治的革命は、必然に又、共同體からの國民の分離の表章に外ならなかった所の、あらゆる身分、あらゆる特許團體、あらゆる同職組合、あらゆる特權を粉砕した。政治的革命は之に依って、市民的社會の政治的特質を廢止した。それは市民的社會を、其単純な構成部分に、卽ち一方に於ては個個人に、又他方に於ては、此等の個人の生活内容乃至市民的地位を形成する所の、物質的及精神的な諸要素に粉砕した。それは、云はゞ封建的社會の様々な袋路の中に分裂し、散在し、分岐してゐた所の、政治的精神を解放した、それは、此精神を斯る分散から聚集した、それは、此精神を市民的社會との混淆から解放し、そしてそれをば、共同體の範囲として、換言すれば、かの市民的社會の特殊な諸要素から觀念上獨立した一般的な國民事項の範圍として、確立したのである。特定な生活々動と特定な生活地位とは、單に個人的な意義に沈下した。それ等は最早や、國家全體に對する個人の一般的な關係をば形成しない。公の事項其物が、反って各々の個人の一般的な事項となり、そして政治的機能が、彼の一般的な機能となった。
  • だが國家の理想主義の完成は、同時に市民的社會の物質主義の完成であった。政治的桎梏の打破は、同時に、市民的社會の利己精神を縛り付けてゐた繋縛の打破であった。政治的解放は、同時に、市民的社會の政治からの解放、一の一般的内容の外觀からの解放であった。
  • 封建的社會は其基礎に、卽ち人間に分解せられた。だが、實際に其基礎であった所の人間に、利己的な人間に。
  • 斯る人間が、市民的社會の構成分子が、今や政治的國家の基礎であり前提である。彼は國家から、斯るものとして、人權の中に認められてゐるのである。
  • だが、利己的な人間の自由と此自由の認知とは、寧ろ彼の生活内容を形成する所の精神的及物質的諸要素の、恣まゝな運動の認知である。
  • だから、人間は宗教から解放せられたのではない、彼は宗教の自由を獲得したのである。彼は財産から解放せられたのではない、彼は財産の自由を獲得したのである。彼は營業の利己主義から解放せられたのではない、彼は營業の自由を獲得したのである。
  • 政治的國家の構成と、市民的社會の獨立的個人への分解とは、―因みに斯る個人の關係は權利である、之に反して、身分人及び特許團體人の關係は特權であった―同一無二の行爲に於て完成する。所が市民的社會の一員としての人間、卽ち非政治的な人間は、必然に自然的な人間として現はれる。そして『人權』droits de l'hommeは『自然權』droits naturelsとして現はれる。それは、自覺的な活動は専ら政治的行爲に集中せられるからである。利己的な人間は、分解せられた社會の受動的な結果、與へられた儘の結果であり、直接的確実の事物であり、自然的な事物である。政治的革命は、市民的生活を其構成諸部分に分解するが、併し其等の諸部分自體をば革命し批評しない。それは市民的社會、卽ち欲望、勞働、私利、私權の世界を目して、其存在の根柢となすのである、自明の前提となすのである、従って、其自然的基礎となすのである。最後に、市民的社會の一員としての人間は、本來の人間だと考へられ、『公民』citoyenと區別した意味に於ての『人間』hommeだと考へられる、何となれば、政治的人間は、單に抽象せられた、人爲的な人間であり、寓意的、道徳的人格としての人間であるに反して、斯る人間は、感覺的な、個人的な直接的存在に於ての人間だからである。現實な人間は、利己的な個人の形に於て始めて認められ、眞の人間は、抽象的な『公民』の形に於て始めて認められる。
  • 政治的人間の抽象化を、ルソーは正當に次のように描いてゐる。『敢て或る國民に制度を與へんことを企つるならば、其人は必ずや人類の性質を一變せしめ得ると信ずる人士でなければならぬ。卽ち夫れ自身完全且獨立なる個體を形成してゐる各個人を變更して、大なる個體の一部となし個人は此大なる個體より或る程度の生命と存在とを夫れ夫れに享け入るゝものとなし得る人でなければならぬ、孤立的な物理的な存在を更へて、社會的な倫理的な存在になし得る人でなければならぬ。彼は各個人をして其自然に固有して居る力を棄てしめ、之に與ふるに他の人民の補助に依りてのみ使用し得る彼等が従来知らざりし或力を以ってすることが必要である。』(Cont Soc. liv. II. London, 1757, P.67.)
  • 凡ての解放は、人間世界の、関係の、人間自身への還元である。
  • 政治的解放は、一方に於ては市民的社會の構成分子への、利己的な獨立的な個人への、他面においては、國家公民への、道徳的人格への、人間の還元である。
  • 現實な、個人的な人間が、抽象的な國家公民を自己の中に取戻し、そして個人的な人間として、彼の經驗的な生活に於て、彼の個人的な勞働に於て、彼の個人的な諸關係に於て、同類體となったときに、卽ち人間が、彼自らの力を社會的な力として認識且統制し、従って社會的な力をば、最早や政治的な力の形に於て自分から切り離さなくなったときに、其時に始めて、人間的解放は完成せられたのである。

「猶太人問題を論ず」マルクス(岩波文庫「ユダヤ人問題を論ず」所収)



ホウ、ヒョウ、なげうつ
セン、ひらく、ひろまる、あきら か
タン、きも
「肝/胆」、いずれも訓読みは「きも」だが、熟語「肝胆」の説明には、「『肝(きも)』と『胆(い)』」とある
(澹)タン、しずか、あわい、うすい
ハイ、バイ、もとる
ジ、シ、(しげる)、(ここに)
エン、かき
ヨク、イキ、くい
「垣杙」という熟語は、新字源でも、広辞苑でも(笑)、見つからなかった。読み方は、「かきくい」でいいのだろうか?
ドウ、ノウ、さきに
テイ、(ね)
カイ、ガイ、(きる)
広辞苑でも、新字源でも(笑)、「該切」、は見当たらず、「剴切」、「ガイセツ」、適切で行き届く、ぴったりとあてはまる、の意、が正しいようである
シュウ、ジュ、あつまる、あつめる
ブルーノ・バウアーBruno Bauer(1809-1882)
ルソーからの引用元を示す文言の中で、「Cont Soc.」、というのは、「社会契約論Du contrat social」(1762)、の略称とも思えるが、それが、1757年にロンドンで出版されているわけはないから、これも、誤植なのかも知れない。


引用部分に現れた条文を、探し出せた限りで、仏文、英文で、列挙する↓
フランス革命史を瞥見すると、
1789年5月5日「三部会Estates-General」開会、6月20日「球戯場の誓いTennis Court Oath/Serment du Jeu de paume」、7月14日「バスティーユ襲撃Storming of the Bastille/Prise de la Bastille」、8月4日、憲法制定国民会議National Constituent Assembly/Assemblée constituant 、封建的特権の廃止を宣言、8月27日、「人権宣言」採択、10月5日、「ヴェルサイユ行進Women's March on Versailles」
1791年6月20、国王の「ヴァレンヌ逃亡事件」、9月、憲法制定、10月、納税額による制限選挙により「立法議会Legislative Assembly/Assemblée législative」選挙、立憲君主制のフイヤン派Feuillantsと、共和制のジロンド派Girondinsが優勢
(同年8月22日、植民地ハイチで、ブックマンに率いられた黒人奴隷の武装蜂起)
1792年、4月、オーストリアに対して宣戦布告、「フランス革命戦争」、8月10日、初戦敗北は、王族の内通のためとして、テュイルリー宮攻撃、王権停止、9月20、「ヴァルミーの戦い」を機に反攻に転じ、義勇兵の多数を占めたサン・キュロット層の発言権が高まる、これを支持基盤として、革命のジャコバン化、9月、納税額制限のない男子普通選挙によって「国民公会Convention nationale」選出、王政廃止、第一共和政、宣言
1793年1月、国王処刑、6月、国民公会からジロンド派追放、ロベスピエールによるジャコバン派Jacobins独裁の開始
(同年8月、ハイチでは、奴隷制廃止宣言、翌年2月、ジャコバンはこれを追認)
1794年、7月27日、「テルミドール9日のクーデター」、ロベスピエール派の逮捕、処刑
1795年10月26日、国民公会解散、総裁政府
1799年、「ブリュメール18日のクーデター」、ナポレオン・ボナパルトの政権掌握
という流れであるから、1971年憲法は、ジロンド派の影響のもとに制定され、その後の、1793年憲法が、最も、ジャコバン的、急進的、なものであり、1975年憲法は、テルミドール後、ふたたび穏健化、したもの、と想像される。

  • 一七九一年の『人間及公民の諸權利の宣言』第十條
    X. Nul ne doit être inquiété pour ses opinions, même religieuses, pourvu que leur manifestation ne trouble pas l’ordre public établi par la Loi.
    Déclaration des Droits de l’Homme et du Citoyen/1789
    10. No one ought to be disturbed on account of his opinions, even religious, provided their manifestation does not derange the public order established by law.
    Constitution of 1791(English translation)
    一七九一年憲法の「人権宣言」の部分は、1789年のそれをそのまま踏襲している、だから、フランス語版と英語版で年号が異なるように見えるが、同じものに準拠していると思われる。
  • 一九七三年の人權宣言
    Article 7. - Le droit de manifester sa pensée et ses opinions, soit par la voie de la presse, soit de toute autre manière, le droit de s'assembler paisiblement, le libre exercice des cultes, ne peuvent être interdits. - La nécessité d'énoncer ces droits suppose ou la présence ou le souvenir récent du despotisme.
    Constitution du 24 juin 1793/Déclaration des Droits de l'Homme et du Citoyen
    7. The right of manifesting ideas and opinions, either through the press or in any other manner, the right of peaceful assembly, and the free exercise of worship may not be forbidden.
    The necessity of enunciating these rights implies either the presence or the recent memory of despotism.
    Preface to the Constitution of 1793(Declaration of the Rights of Man and the Citizen)(English translation)
  • 一七九五年の憲法、第十二篇、第三五四條
    TITRE XIV - Dispositions générales/Article 354.
    Nul ne peut être empêché d'exercer, en se conformant aux lois, le culte qu'il a choisi. - Nul ne peut être forcé de contribuer aux dépenses d'un culte. La République n'en salarie aucun.
    Constitution du 22 août 1795/Constitution du 5 fructidor an III
    Title XIV. General Provisions./Article 354.
    No one can be prevented from engaging in the worship which he has chosen, while he conforms to the laws.
    No one can be forced to contribute to the expenses of a religion. The Republic does not pay a stipend to any of them.
    Constitution of the Year III(1795)(English translation)
    「一七九五年の憲法、第十二篇、第三五四條」というのは、マルクスの、ないしは、マルクスが参照した書物の誤りのようで(笑)、「第十四篇」なのだ、と思われる。
  • ペンシルヴェニア憲法、第九條、第三項
    Article IX Section 3
    That all men have a natural and indefeasible right to worship Almighty god according to the dictates of their own consciences; that no man can of right be compelled to attend, erect, or support any place of worship, or to maintain any ministry, against his consent; that no human authority can, in any case whatever, control or interfere with the rights of conscience; and that no preference shall ever be given, by law, to any religious establishment or modes of worship.
    Constitution of the Commonwealth of Pennsylvania 1790
  • ニューハムプシャー憲法、第五條及第六條
    Art. 4.
    Among the natural rights, some are, in their very nature unalienable, because no equivalent can be given or received for them. Of this kind are the Rights of Conscience.
    Art. 5.
    Every individual has a natural and unalienable right to worship God according to the dictates of his own conscience, and reason; and no subject shall be hurt, molested, or restrained, in his person, liberty, or estate, for worshipping God in the manner and season most agreeable to the dictates of his own conscience; or for his religious profession, sentiments, or persuasion; provided he doth not disturb the public peace or disturb others in their religious worship.
    Art. 6.
    As morality and piety, rightly grounded on high principles, will give the best and greatest security to government, and will lay, in the hearts of men, the strongest obligations to due subjection; and as the knowledge of these is most likely to be propagated through a society, therefore, the several parishes, bodies, corporate, or religious societies shall at all times have the right of electing their own teachers, and of contracting with them for their support or maintenance, or both. But no person shall ever be compelled to pay towards the support of the schools of any sect or denomination. And every person, denomination or sect shall be equally under the protection of the law; and no subordination of any one sect, denomination or persuasion to another shall ever be established.
    New Hampshire Constitution
    「ニューハムプシャー憲法」の、「第五條及第六條」は、それぞれ、礼拝の方法についての自由、宗派内の自治と宗派間の平等、を謳っているようで、マルクスの引用文に該当するのは、第四条、であるようだ。
  • 一七九三年の憲法、『人間及び公民の諸權利の宣言』第二條
    Article 2. - Ces droits sont l'égalité, la liberté, la sûreté, la propriété.
    Constitution du 24 juin 1793/Déclaration des Droits de l'Homme et du Citoyen
    2. These rights are equality, liberty, security, and property.
    Preface to the Constitution of 1793(Declaration of the Rights of Man and the Citizen)(English translation)
  • 一七九三年の憲法、『人間及び公民の諸權利の宣言』第六條
    Article 6. - La liberté est le pouvoir qui appartient à l'homme de faire tout ce qui ne nuit pas aux droits d'autrui : elle a pour principe la nature ; pour règle la justice ; pour sauvegarde la loi ; sa limite morale est dans cette maxime : Ne fais pas à un autre ce que tu ne veux pas qu'il te soit fait.
    Constitution du 24 juin 1793/Déclaration des Droits de l'Homme et du Citoyen
    6. Liberty is the power appertaining to man to do whatever is not injurious to the rights
    of others. It has nature for its principle, justice for its rule, law for its safeguard. Its moral
    limit lies in this maxim: Do not to others that which you do not wish to be done to you.
    Preface to the Constitution of 1793(Declaration of the Rights of Man and the Citizen)(English translation)
  • 一七九一年の人權宣言
    IV. La liberté consiste à pouvoir faire tout ce qui ne nuit pas à autrui : ainsi l’exercice des droits naturels de chaque homme n’a de bornes que celles qui assurent aux autres Membres de la Société, la jouissance de ces mêmes droits. Ces bornes ne peuvent être déterminées que par la Loi.
    Déclaration des Droits de l’Homme et du Citoyen/1789
    4. Liberty consists in the power to do anything that does not injure others; accordingly, the exercise of the natural rights of each man has for its only limits those that secure to the other members of society the enjoyment of these same rights. These limits can be determined only by law.
    Constitution of 1791(English translation)
  • 第十六條(一七九三年の憲法)
    Article 16. - Le droit de propriété est celui qui appartient à tout citoyen de jouir et de disposer à son gré de ses biens, de ses revenus, du fruit de son travail et de son industrie.
    Constitution du 24 juin 1793/Déclaration des Droits de l'Homme et du Citoyen
    16. The right of property is the right appertaining to every citizen to enjoy and dispose at will of his goods, his income, and the product of his labor and skill.
    Preface to the Constitution of 1793(Declaration of the Rights of Man and the Citizen)(English translation)
  • 第五條(一七九五年の憲法)
    Article 3. - L'égalité consiste en ce que la loi est la même pour tous, soit qu'elle protège, soit qu'elle punisse. L'égalité n'admet aucune distinction de naissance, aucune hérédité de pouvoirs.
    Constitution du 22 août 1795/Constitution du 5 fructidor an III
    Article 3. Equality consists in this, that the law is the same for all, whether it protects or punishes. Equality does not admit of any distinction of birth, nor of any inheritance of authority.
    Constitution of the Year III(1795)(English translation)
    「第五條」ではなく、「第三條」の誤りのようである。
  • 第八條(一七九三年の憲法)
    Article 8. - La sûreté consiste dans la protection accordée par la société à chacun de ses membres pour la conservation de sa personne, de ses droits et de ses propriétés.
    Constitution du 24 juin 1793/Déclaration des Droits de l'Homme et du Citoyen
    8. Security consists of the protection accorded by society to each one of its members for the preservation of his person, his rights, and his property.
    Preface to the Constitution of 1793(Declaration of the Rights of Man and the Citizen)(English translation)
  • 一七九一年の人権宣言第二條
    II. Le but de toute association politique est la conservation des droits naturels et imprescriptibles de l’Homme. Ces droits sont la liberté, la propriété, la sûreté et la résistance à l’oppression.
    Déclaration des Droits de l’Homme et du Citoyen/1789
    2. The aim of every political association is the preservation of the natural and imprescriptible rights of man. These rights are liberty, property, security, and resistance to oppression.
    Constitution of 1791(English translation)
  • 一七九三年の宣言第一條
    Article 1. - Le but de la société est le bonheur commun. Le gouvernement est institué pour garantir à l'homme la jouissance de ses droits naturels et imprescriptibles.
    Constitution du 24 juin 1793/Déclaration des Droits de l'Homme et du Citoyen
    1. The aim of society is the general welfare. Government is instituted to guarantee man the enjoyment of his natural and inalienable
    rights.
    Preface to the Constitution of 1793(Declaration of the Rights of Man and the Citizen)(English translation)
  • 一七九三年の憲法、第一二二條
    Article 122. - La Constitution garantit à tous les Français l'égalité, la liberté, la sûreté, la propriété, la dette publique, le libre exercice des cultes, une instruction commune, des secours publics, la liberté indéfinie de la presse, le droit de pétition, le droit de se réunir en sociétés populaires, la jouissance de tous les Droits de l'homme.
    Constitution du 24 juin 1793/Déclaration des Droits de l'Homme et du Citoyen
    Article 122. The constitution guarantees to all Frenchmen equality, liberty, security, property, the public debt, the free exercise of worship, a public education, public relief, unlimited freedom of the press, the right of petition, the right to meet in the popular societies, and the enjoyment of all the rights of man.
    French Constitution of 1793(English translation)



今日届いたので、さっそく読み始めたわけだが、もう少し長く引用するつもりが、こうして、フランス革命期の憲法などの原文まで、探し出していると、いささか疲れたので(笑)、中断する。この岩波文庫の初版は、「昭和三年」、1928年、ちょうど、「三・一五事件」の年だな、そうして、同じ版の第七刷として「昭和四二年」、1967年、に発行されたものが、巡り巡って、半世紀後、ここ沖縄まで流れてきた訳である。赤と黒のペンで物凄い書き込みがしてあって、その文字がどうみても、我々の「ジャーゴン」として、「トロ文字」と呼ばれる、ロウ原紙に鉄筆で、枠いっぱいに書けばどうしても、角張った書体になる、別に「トロツキスト」仕様なわけではなく(笑)、日本共産党の古いチラシを見れば、やはりそんな字体なのだが、・・・、そんなわけで、最後の頁を開いてみると、こんな書き込みがあった↓のだ、1968年6月17日は、今調べてみると、月曜日である。

1928年の版本なのだから当然であるが、こうして、「旧仮名遣い」や、「当用漢字」外の漢字、などを探しつつ、そうすると、当然、「ワードプロセッサー」の示してくれる「小賢しい」(笑)「変換」機能などが、むしろ煩わしくなる場面もしばしば、一行一行書き写してみると、それは、ちょっと新鮮な、なるほど、「読書百遍意自ずから通ず」とも似ているか?ある種「写経」、というような作業のもたらしてくれるものと似ているかも知れない、「悟り」(笑)のような境地に到達することも有り得ることを知った。高校生が、「英文解釈」とかで、数行のパラグラフを読むのに、10回も20回も辞書を引いていたら、そこに何が書いてあるか、理解できないのは当然であって、「読む」ためには、最低限の「速度」が必要なのである、おそらくそれはハードウェア的な、記憶容量の制限によるものなのだろう?数分前には捉まえられていたはずの「文脈」が、辞書をだらだら引いているうちに、時間が経ち過ぎて、忘却してしまう、だから、ある程度の「速度」を実現するには、「読み流す」ことが必要なのだ、と思ってきたが、それとはちょっと別に、かくも徹底的に、文字通り、一字一字、「書き写す」という作業を実行してみると、もう、そんな「リズム」みたいなものはズタズタで、一行前に何書いてあったかなんか、とっくに忘れてしまっているのだが、今度は逆に、どうしてこの字でなくこの字なのだ、みたいな、「読み流し」ていては決して気づくことのなかった、極端な「ディテイル」にまで注意が及び、そうすることで、何かちょっと別の層の「意味」の風景が見えてくるような、錯覚に襲われ、それはなかなか不思議な経験でもあるので、もう少し続けてみる、多分、それは、薄っぺらいものではあるが、この岩波文庫の本文を、丸々「書き写す」ことになるのだろうけれど、どうせ、閑なんだし、もうじき死ぬんだし(笑)、やってみよう。冒頭に記したが、この「ユダヤ人問題を論ず」は、二編からなっていて、いずれも、「ヘーゲル左派/青年ヘーゲル派」の、マルクスにとっては「先輩」に当たるところのブルーノ・バウアーの論文に対する、書評、批評、反論、から成り立っていて、それこそ、一度「読み流して」みたところでは、「一」の方が、「信教の自由」という概念からの、「人権」一・般・についての議論、「二」の方が、これに対して、「猶太人」、「猶太教」にまつわる固有の問題を、論じている、様で、内田樹が触れていた、「猶太人の社会的解放は、猶太教からの社会の解放である」、なる逆説的な表現は、「二」の末尾の言葉なのであることも知った。「猶太人」でもなければ、「反ユダヤ主義」に日々さらされることもない、非・ユダヤ人にとっては、一般的な「人権」のブ・ル・ジ・ョ・ワ・性・批・判・として、取り上げられたのは、もっぱら「一」の方だったのだと思われ、現に、この若き「駒場」の「全共闘」君(笑)も、「二」の方は、力尽きたのか、ほとんど書き込みもなく、あるいは、読んですらいないのかも知れない(笑)、内田樹も、そんなことを言っていた記憶があるが、「二」を瞥見して得られる印象としては、他ならぬ「同化ユダヤ人」たるマルクス自身による、「ユダヤ教批判」が、「強欲で、利己的で、計算高い」、といった、「資本主義」的人間像そのものとしての、つまり、ヨーロッパ人が、そのような自己自身に対する嫌悪感を、「対象化」して造形したところの、それこそ「シャイロック」的ユダヤ人像を、うっかりすると、何だ、これ「反ユダヤ主義」とそっくりじゃないか?と見えてしまうような、ユダヤ人像を、採用しているように見えることに、やや当惑する。もとより「当惑」、はこちらの事情であって、マルクスにはマルクスの、「当事者性」があったのであるから、つまり、自らに降りかかる「反ユダヤ主義」に対して、「答」を出さねばならなかったのだから、それを、「非・当事者」が、「批評」出来ると考えるのは、おこがましい、まことに、彼には、彼として、こ・う・書・か・な・け・れ・ば・な・ら・な・か・っ・た・、切迫した事情があった筈なのである。できれば、そういう「読み方」をしてみたいもの、と思う。もう一人の、同じく「ユダヤ教」と、それに始源する「キリスト教」に対して、強力な違和感を隠しもしなかった「ユダヤ人」、フロイトについてもまた、「モーセと一神教」(ちくま学芸文庫)、これまた十年ぶりくらいに読み直すことになるが、「精読」(笑)してみる予定、どこまでできるか、わからないけれど(笑)。



もはや、「政治活動」的なものからは、またしても(笑)、「隠遁」を決め込んでおるが、それでも投票ぐらいには行くのですよ、「オール沖縄」が、過半数ちゃんと維持できるか、「はらはらする」、という程度の義理は果たすのですよ、という印。そして、「政府」から、「マスク」が、届いた、こんな、「労働」もせず、税金も払わず、「購買力」としても役に立たず、「生きていてもいなくても同じ」、ものが、「国民」として、依然として算入されていることに、我にもあらず(笑)、「感謝」に似た気持ちさえ惹起させてしまうところが、「国家」イデオロギーの、根の深さなんですよって!実は、待っていたのだ(笑)、一時のように、どの薬局からも、マスクが品切れになって姿を消した、という状態は改善されたようだが、今度は、そうなると、「品切れ」を言い訳に「買わず」に済ます、・・・、だから、やむを得ず買い物に出掛ける時など、ハンカチを対角線で折って三角にし、それを、強盗か「過激派」(笑)の覆面みたいに使ってた、・・・、こともできず、でも、なかなか高価なので、躊躇していた、だから、世上では、色々文句もあるらしい、この品を、「心待ち」にしていたので。




「アンネの日記」、本日読了、いつものことながら、脈絡はあまりないけれど、気がかりな点等について、メモしておく。
前に引用した、「一九四二年七月五日」の記事で、「ハンネリ、または、リース・ホースラル」、英語版では、「Lies Goosens」、「モンテッソーリ・スクール」以来の友だちで、おそらくナチ占領軍の政策で、ユダヤ人/非ユダヤ人の「共学」が禁止されたことから、二人一緒に「ユダヤ人中学校」に転校、の、裕福とは言えない、アンネの目から見ると、好ましく思えない家庭環境について描かれていた。フランク一家が「隠れ家」に潜行してからは、もちろん音信不通だったのだろう。
きのうの夜、眠りに落ちる直前、ふいにわたしの目の前に現れた人影、だれだったと思いますか?ほかでもないハンネリなんです。
わたしの前に立った彼女は、ぼろぼろの服を着て、痩せこけた、やつれた顔をしていました。眼だけが異様に大きく、その目がとても悲しげに、責めるようにこちらを見ているので、わたしにも彼女の内心の思いが読みとれました。「ああ、アンネ、どうしてあたしを見捨てたの?助けて、どうか助けて、この地獄から救いだして!」
でもわたしには、どうしてあげることもできません。ただ見まもるだけです、みんなが苦しみ、死んでゆくのを。そしてただ、なすすべもなくすわって、彼女を私たちの手に返してと神様にお祈りするだけ。・・・
「アンネの日記」アンネ・フランク(文春文庫)・一九四三年十一月二十七日、土曜日
Yesterday evening, before I fell asleep, who should suddenly appear before my eyes but Lies! I saw her in front of me, clothed in rags, her face thin and worn. Her eyes were very big and she looked so sadly and reproachfully at me that I could read in her eyes: “Oh Anne, why have you deserted me? Help, oh, help me, rescue me from this hell!” And I cannot help her, I can only look on, how others suffer and die, and can only pray to God to send her back to us.
A Diary of a Young Girl/Anne Frank(kindle)Saturday, 27 November 1943
続く記述では、新しい学校での、「友達関係」が、うまくいってなかったこと、への悔恨などがつづられているわけで、そんな「日常的」な意味での「裏切り」が、夢の中で誇張されたもの、と読めなくもないけれど、あるいは、自分たちのように、うまく「隠れ家」や「支援者」を得る幸運に恵まれなかったであろう、この旧友とその家族が、すでに収容所に送られているであろうことを、「知っている」ことをほのめかしているようにも見える。ナチのユダヤ人迫害の事実を、まさに「現在進行形」で、見聞せざるを得なかった人たち、一・般・の・オランダ人その他、被占領国民、また、当の迫害の対象である、ユダヤ系市民、が、一体どの程度のことを、その段階で「知り」得ていたのだろうか?という、疑問も湧きおこってくるからね。
クレイマンさんやヤンたちが好んで話題にするのは、やはり潜行生活をしているほかの人たちや、地下活動に加わっている人たちのことです。同じ潜行生活を送っている人たちの事となると、わたしたちがどんなことであれ熱心に聞きたがることや、連行された人たちにも深く同情していること、さいわいそれから解放されたひとがあれば、心からそれを祝福してあげること、などをクレイマンさんたちもよく知っているからです。
いまのわたしたちには、潜行するとか、”地下活動”とかいった考えは、少しも珍しいものではなくなっています。ちょうど、いまは過ぎ去ったむかしには、おとうさんの寝室用スリッパをあらかじめ暖炉の前で温めておく、というのが一般的な常識だったのとおなじようなものです。たとえば≪自由オランダ≫といったような組織が世間にはたくさんあって、身分証明書を偽造したり、”地下組織”に資金を提供したり、潜行先を見つけてあげたり、潜行生活を送っている青年たちに仕事を世話してあげたりしていますが、この人たちが他の人たちを救い、援助するために、わが身の危険をもかえりみず、こうして崇高な、献身的な奉仕活動に邁進していることを考えると、思わず頭がさがります。
ここでわたしたちを援助してくれている人たちも、その好個の例と言えるでしょう。これまでわたしたちが生き延びてこられたのも、ひとえにこの人たちのおかげですし、どうかこれからもわたしたちを支えて、無事に安全の地まで到達させてくれるように祈りたいものです。そうでないと、この人たち自身、現在追及を受けているわたしたちと同じ運命に陥ることになります。わたしたちの存在は、きっとたいへんな重荷になっているのに違いないのに、この人たちの口から、そういう愚痴は一・言・た・り・と・も・聞かれませんし、わたしたちのかけているさまざまな迷惑についても、不平をこぼすのを聞いたことがありません。
「アンネの日記」アンネ・フランク(文春文庫)・一九四四年一月二十八日、金曜日
One favourite subject of Koophuis’s and Henk’s is that of people in hiding and in the underground movement. They know very well that anything to do with other people in hiding interests us tremendously, and how deeply we can sympathise with the sufferings of people who get taken away, and rejoice with the liberated prisoner. We are quite as used to the idea of going into hiding, or “underground”, as in bygone days one was used to Daddy’s bedroom slippers warming in front of the fire. There are a great number of organisations, such as “The Free Netherlands”, which forge identity cards, supply money to people “underground”, find hiding places for people, and work for young men in hiding, and it is amazing how much noble, unselfish work these people are doing, risking their own lives to help and save others. Our helpers are a very good example. They have pulled us through up till now and we hope they will bring us safely to dry land. Otherwise, they will have to share the same fate as the many others who are being searched for. Never have we heard one word of the burden which we certainly must be to them, never has one of them complained of all the trouble we give.
A Diary of a Young Girl/Anne Frank(kindle)Friday, 28 January, 1944

総じてここの男性軍は、かなり率直な意見の交換をします。つぎにご紹介するヤンとのやりとりは、そのひとつの例です―
≪隠れ家≫側(以下A)―「われわれが懸念しているのは、もしドイツ軍が撤退するとなると、オランダ全国民を本土まで連れてゆこうとするんじゃないかってことだが」
ヤン(以下J)―「それは無理ですよ。輸送のための車輌がありません」
A―「車輌だと?やつらが民間人を汽車に乗せてくれるなんて、本気で思ってるのかね?とんでもない。”膝栗毛”(デュッセルさんはいつも、”使徒たちのごとく徒歩によって”と言っていますが)で行かせるさ」
J―「とても信じられませんね。あなた方は物事の暗い面ばかり見ている。ただの市民を残らず連行していって、いったいどうしようっていうんです?」
A―「ゲッペルズの言ったことを聞かなかったのかね?かりに撤退を余儀なくされた場合には、すべての占領国のドアを、われわれの出たあとでぴしゃりとざしてゆくつもりだ、そう言ったんだぞ」
J―「やつらはいろんなことを言いますからね」
A―「ドイツ軍がそういうことをしないほど高潔だとか、人道的だとか思ってるのかね?連中の考えてるのはこういうことさ―もしわれわれがやられるのなら、われわれの支配下にあるやつらだって、残らず一蓮托生だ、ってね」
J―「ばかも休みやすみ言ってください。そんなこと、とても信じられませんね」
A―「ほらな、いつだってそうなんだ。実際に危険が目の前に迫ってくるまで、それが近づいてきてるってことをだれも見ようとしない」
J―「ですが、なにもはっきりしたことがわかってるわけじゃないでしょう?それはたんなる憶測ですよ」
A―「いいかね、わたしたちは実際にそのすべてを体験してきてるんだよ。最初はドイツで、いまはここで。それに、ソ連でだって、いま何が起こってると思う?」
J―「ユダヤ人問題をこれに含めないでください。ソ連でなにが起きてるか、はっきり知っているものはいないはずですよ。イギリスだって、ソ連だって、プロパガンダのためには、ぜったい事実を誇張してるにちがいないんだ。ドイツと同様にね」
A―「とんでもない。イギリスのラジオはいつだって真実を伝えてるさ。かりに一割ぐらいは誇張があるとしても、とにかく事実そのものが悲惨きわまりないんだ。きみだって否定はできまい―ポーランドやソ連で、平和を愛する何百万という民衆が、問答無用で殺されたりガス死させられたりしているという事実は」
まあこのへんにしておきましょう、こういうやりとりの実例をお聞かせするのは、わたし自身はこうした周囲の騒ぎや議論とはいっさい無縁に、終始沈黙を守っています。もういまでは、自分の生死がどうなろうと、いっこう気にならない境地に達しました。わたしがこの世から姿を消しても、地球はこのまま回転をつづけるでしょうし、なにがあろうと、起こるべきことは起こるでしょう。どっちにしろ、抵抗したところでどうにもならないのです。ですからわたしは運を天にまかせて、ひたすら勉強に励みます―いつかはすべてがめでたい終わりを迎えることを願いながら。
「アンネの日記」アンネ・フランク(文春文庫)・一九四四年二月三日、木曜日
The gentlemen in the “Secret Annexe” give pretty straightforward warnings; an example is the following conversation with Henk.
“Secret Annexe”: “We are afraid that if the Germans withdraw, they will take the whole population with them.”
Henk: “That is impossible, they haven’t the trains at their disposal.”
“S.A.”: “Trains? Do you really think they’d put civilians in carriages? Out of the question. They could use ‘shank’s mare’.” (Per pedes apostolorum, Dussel always says.)
H.: “I don’t believe a word of it, you look on the black side of everything. What would be their object in driving all the civilians along with them?”
“S.A.”: “Didn’t you know that Goebbels said, ‘If we have to withdraw, we shall slam the doors of all the occupied countries behind us’?”
H.: “They have said so much already.”
“S.A.”: “Do you think the Germans are above doing such a thing or too humane? What they think is this: ‘If we have got to go down, then everybody in our clutches will go down with us.’”
H.: “Tell that to the Marines; I just don’t believe it!”
“S.A.”: “It’s always the same song; no one will see danger approaching until it is actually on top of him.”
H.: “But you know nothing definite, you just simply suppose.”
“S.A.”: “We have all been through it ourselves, first in Germany, and then here. And what is going on in Russia?”
H.: “You mustn’t include the Jews. I don’t think anyone knows what is going on in Russia. The English and the Russians are sure to exaggerate things for propaganda purposes, just like the Germans.”
“S.A.”: “Out of the question, the English have always told the truth over the wireless. And suppose they do exaggerate the news, the facts are bad enough anyway, because you can’t deny that many millions of peace-loving people were just simply murdered or gassed in Poland and Russia.”
I will spare you further examples of these conversations;I myself keep very quiet and don’t take any notice of all the fuss and excitement. I have now reached the stage that I don’t care much whether I live or die. The world will still keep on turning without me; what is going to happen, will happen, and anyway it’s no good trying to resist. I trust to luck and do nothing but work, hoping that all will end well.
A Diary of a Young Girl/Anne Frank(kindle)Thursday, 3 February, 1944
「shank’s mare」、shankすね、mareメスの馬、ロバ、が、「徒歩で」、を意味することは、前に調べた。「Tell that to the (horse) marines!」、どういう由来か説明はないが、確かに手元の辞書にも、この慣用句で、「嘘をつけ!そんなこと誰が信じるものか?」、となるらしい。marinesが大文字で始まっているが、もちろん(笑)、それだと「海兵隊」だが。
「≪隠れ家≫の男性軍」、などと婉曲化しているが、こんな風に、まさに上の引用文にもあったように、わが身を危険にさらしつつ、自分たちユダヤ人家族を、守ることに粉骨砕身してくれている、「レジスタンス」のメンバーのヤンに、高飛車な議論を吹っかけて恥じない「デュッセルさん」に対する、うっすらとした嫌悪感が漂っていることは読みとれるだろう。気がかりだったのは、同じく「現在進行形」、であったところのスターリン下の「粛清」が、多かれ少なかれ各国の「共産党」の影響下にあっただろう、「レジスタンス」の人びとに、やはりどの程度知られていたのだろうか?「ユダヤ人問題と、『粛清』とを混同しないでくれ」、というヤンの言葉にも、当惑が聞き取れなくもないからね。
フランス語のことで二、三わたしが教えてあげたあと、わたしたちはじきにとりとめのないおしゃべりを始めました。彼は将来、蘭領東インドへ行って、そこで農園を経営したいのだとか。また、今までの家庭生活のことや、闇市場のことを話したうえ、いまの自分がひどく役たたずみたいな気がすると言いますので、あなたは劣等感が強すぎると言ってあげました。そのほか、戦争のこととか、そのうちソ連とイギリスは必ず対立して、戦争を始めるようになる、などといった観測について話し、さらにユダヤ人問題についても語りました。もしぼくがキリスト教徒だったら、こんなひどい目にはあわずにすんだろう、なんなら戦後はキリスト教徒になるのもいいかな、などと言うのを聞いて、じゃあ洗礼を受けたいのかとたずねると、そういうわけでもないという返事。どう考えても、キリスト教徒らしい気分にはなれそうもないけど、戦争が終わったら、ユダヤ人だってことは、だれにも知らせないようにするつもりだ、そう言うのです。これにはちょっと胸が痛みました。ペーターにはほんのわずかですが、こういう不正直なところがあるみたいで、それがまことに残念に思えます。
そのあとペーターは、こうも言いました。「ユダヤ人はつねに選ばれたる民だったし、これからもずっとそうだろう」って。
ですから私、こう言いかえしました。「わたしはね、いつもこう思ってるわ―一度でいいから、”いい意味で”選ばれるといいんだけど、って」
「アンネの日記」アンネ・フランク(文春文庫)・一九四四年二月十六日、水曜日
We soon began talking, after I’d explained some of the French to him. He told me that he wanted to go to the Dutch East Indies and live on a plantation later on. He talked about his home life, about the black market, and then he said that he felt so useless. I told him that he certainly had a very strong inferiority complex. He talked about the Jews. He would have found it much easier if he’d been a Christian and if he could be one after the war. I asked if he wanted to be baptised, but that wasn’t the case either. Who was to know whether he was a Jew when the war was over? he said. This gave me rather a pang; it seems such a pity that there’s always just a tinge of dishonesty about him.
A Diary of a Young Girl/Anne Frank(kindle)Wednesday, 16 February, 1944
「選ばれたる民」についてのやり取りの部分が、英語版では、省略されているようである。ここで、「he」は「Peter」のこと、二人きりでややこみ入った話もするような親密な関係になった頃のこと。ずっと後の方にも、あったので、また引用するが、ここで二人の宗教観、あるいは、それぞれの家族の宗教観、というべきものかも知れないが、の差異が表現されているように思える。どちらも、「同化ユダヤ人」家庭なのではあろう、そして、「隠れ家」では、まわりの「支援者」達が、オランダ人キリスト教徒であるからだろう、クリスマス、イースター、等、「お祝い」などのスケジュールは、キリスト教的な暦に従っているようにも見えるから、はっきりしないけれども、アンネが時々「祈る」という言葉を用いるとき、それは、ユダヤ教の作法に従っているようにも、感じられる。それに対して「ペーター」は、宗教心が希薄だ、などと言う感想も漏らされている。素人ながらに気がかりなのは、「ペーター」の名、これは、変名、本名、共通であるが、新約聖書由来の、キリストの使徒の一人、ペテロ、に由来するものであろう?古代ギリシャ語で「石」を意味する、とのこと、ならば、ファン・ダーン家の両親は、彼が生まれる時点から、「キリスト教に改宗」、と言わないまでも、ユダヤ教との関係は、ずいぶん希薄になっていた、と考えるべきなのだろうか?でも、「ハヌカー祭」の時、「メノーラ」というろうそく立てを、大工仕事でつくってくれたのは、確か、「ファン・ダーンのおじさん」だった筈だ、などと、とりとめもないこと(笑)を考えている。
あっという間に仕事をすませた彼は、窓に近いいつものお気に入りの場所にすわりこんだわたしを見て、そばに来ました。わたしたちはふたりしてそこから青空と、葉の落ちた裏庭のマロニエの木とを見あげました。枝という枝には、小さな露のしずくがきらめき、空を飛ぶカモメやその他の鳥の群は、日ざしを受けて銀色に輝いています。すべてが生きいきと躍動して、わたしたちの心を揺さぶり、あまりの感動に、二人ともしばらく口もきけません。
「アンネの日記」アンネ・フランク(文春文庫)・一九四四年二月二十三日、水曜日
From my favourite spot on the floor I look up at the blue sky and the bare chestnut tree, on whose branches little raindrops shine, appearing like silver, and at the seagulls and other birds as they glide on the wind.
A Diary of a Young Girl/Anne Frank(kindle)Wednesday, 23 February, 1944

オペクタ商会の建物は、南南西から北北東へ流れる運河の右岸に面していて、運河沿いの道路と反対側の、屋根裏部屋は、すると、東南東に向いていることになるだろうか、記述は、「朝」のことのようだし、なるほど、その時間帯なら、日が当たるのだろう。もちろん「潜行生活」なのだから、密告を恐れてほとんど窓も開けない生活なのだから、「自然」が描かれることは、とても珍しいのだ。海に面した低地の街なのだから、カモメが飛び交っていても不思議はなかろう、アムステルダム、緯度: 52.366697 経度: 4.89454、稚内が北緯45度だから、それよりずっと北なのだ、「冬鳥」として、その地で繁殖するものなのだろうか?ちょっとわからないけどね、想像してみる。
マロニエ、トチノキ科セイヨウトチノキ、英名horse-chestnut、たんに「chestnut」ならば、それは、ブナ科クリ属のものを指す、とのこと、どうも、クリ属は温暖な気候隊に生育するもののようだから、との考証の上、「マロニエ」と訳されたのだと想像される。
けさペーターが、いつか晩にでもまた話しにこないかと誘ってくれました。ほんとにわたしが行っても邪魔になんかならないし、ひとり分のスペースがあるなら、ふたりになってもじゅうぶんまにあうさ、そう言うんです。うちの両親がいい顔をしないから、そう毎晩は行けないというと、僕ならそんなことは気にしないがな、との答え。そこで、できれば土曜の夜に行きたいけど、お月様の見えそうなときなら、そのことを教えてね、と頼みました。
「アンネの日記」アンネ・フランク(文春文庫)・一九四四年三月二十日、月曜日
This morning Peter asked me if I would come again one evening, and said that I really didn’t disturb him, and if there’s room for one, there’s room for two. I said that I couldn’t come every evening, because they wouldn’t like it downstairs, but he thought that I needn’t let that bother me. Then I said that I would love to come one Saturday evening and especially asked him to warn me when there was a moon.
A Diary of a Young Girl/Anne Frank(kindle)Monday, 20 March, 1944
「月」の記述が出て来るのは、こことあと一か所だけだったと思う(笑)。カレンダーを調べてみると、この日の直前の土曜日として、1944年3月18日の月齢は、23.0、「下弦」を過ぎて、もっと細くなっていよう、月の出も夜半過ぎだし、そう、それこそ「二十三夜の月待講」、じゃあるまいし(笑)、ちょっと合わない気がする、やはり、「あいびき」の口実に過ぎなかったのかも(笑)。

ロシア戦線に関しての一般の見通しは、総じてまた楽観的になってきています。すごい戦果が挙がっているからです。政治については、わたしがあまり書かないのはご存知のとおりですけど、現在どういう状況になっているか、それぐらいはお話しておくべきでしょう。目下、ソ連軍は反攻に転じて、ポーランド国境まで進撃し、一部はルーマニアに近いプルート河にまで達しています。ほかにオデッサに肉薄している一隊や、テルノポリを包囲している一隊もいます。≪隠れ家≫のみんなは、毎晩のように、また新たな臨時声明がスターリンから出るんじゃないかと期待しています。
・・・
ハンガリーはドイツ軍に占領されたままです。ここにはまだ百万人ものユダヤ人が残されていますから、この人たちは今頃、さぞひどい目にあっていることでしょう。
「アンネの日記」アンネ・フランク(文春文庫)・一九四四年三月三十一日、金曜日
In general public feeling over the Russian front is optimistic again, because that is terrific! You know I don’t write much about politics, but I must just tell you where they are now; they are right by the Polish border and have reached the Pruth near Rumania. They are close to Odessa. Every evening here they expect an extra communiqué from Stalin.
...
Hungary is occupied by German troops. There are still a million Jews there, so they too will have had it now.
A Diary of a Young Girl/Anne Frank(kindle)Friday, 31 March, 1944
オデッサОдеса(Odesa)/Ukraine
テルノポリТернопіль(Ternopil)/Ukraine


オデッサは、ウクライナの黒海に面した港湾都市、テルノポリは、ウクライナ/ポーランド国境に近いルヴィヴLvivという街から東に100kmばかり、ルヴィヴは、やはりソ連軍の戦果として、「日記」の後の方に出て来たと思うが、オーストリア・ハンガリー帝国時代の名称がレムベルクLembergで、「ある『ナチ党員』、への、手紙」、に登場したから覚えている。

プルート河Râul Prut(Prut river)、ルーマニアRomaniaとモルドヴァMoldovaの国境を画する川のようである。
ソ連軍はクリミア半島の半分以上を制圧しました。イタリア戦線のカッシーノへ向かった英軍の方は、まったく前進していません。そのうちわたしたちは、”嘆きの壁”にすがることさえ必要になるかも。
「アンネの日記」アンネ・フランク(文春文庫)・一九四四年四月十五日、土曜日
これに対応する部分、英文版では省略されているようである。
クリミア半島Crimean Peninsula、オデッサの東方、黒海に突き出た半島。
カッシーノCassino、ナポリ―ローマ間、約200kmの、ほぼ中間地点。

「嘆きの壁」、下の地図↓、エルサレム旧市街、アル・アクサ・モスクの西側、、「Wailing Wall」とある。

連合軍の第五方面軍がローマを制圧しました。両軍ともに、戦闘によって市街地を破壊することを避け、空爆も行われませんでした。ヒトラーにとっては、すごいプロパガンダといったところ。
「アンネの日記」アンネ・フランク(文春文庫)・一九四四年六月五日、月曜日
The Fifth Army has taken Rome. The city has been spared devastation by both armies and air forces, and is undamaged.
A Diary of a Young Girl/Anne Frank(kindle)Monday, 5 June, 1944
「ヒトラー」の「プロパガンダ」、といった部分は、英語版では省略、のようである。
おばさん―「嘘おっしゃい。あなたの言うとおりなら、上陸作戦は去年始まってたはずだし、フィンランドはとっくに戦線を離脱していたはずよ。イタリアはこの冬のあいだに手をあげたけど、でもソ連だって、もう今頃はリヴォフを落としてなくちゃおかしいわ。そうなのよ、あなたの予言なんて、だれがあてにするもんですか」
「アンネの日記」アンネ・フランク(文春文庫)・一九四四年五月十六日、火曜日
Mrs. Van Daan: “That’s not true. The invasion was to have come last year, and the Finns were to have been out of the war by now. Italy was finished in the winter, but the Russians would already have Lemberg; oh, no, I don’t think much of your prophecies.”
A Diary of a Young Girl/Anne Frank(kindle)Tuesday, 16 May, 1944
「連合軍」の進軍の「予想」について、ファン・ダーン夫妻が、言い争っている場面。今年の「ヨーロッパ戦勝記念日V.E.Day」にちなんだ、アル・ジャジーラ記事、「ある、ナチ党員への手紙」は、オーストリア出身のナチ党員、オットー・バハターの足跡を辿るものだが、この人物は、1942年1月に、「ガリシア地域」の知事に任命されている、その首都がレムベルクLemberg、現・リヴォフLvivなのである。スラブ系の言葉のローマ字音訳、どう読むのかわからないので「ルヴィヴ」、などと書いていたが、これが正しいようである。オーストリア・ハンガリー帝国、1938年のナチスによる併合後は、ドイツ「第三帝国」、その下でのドイツ語名が、レムベルクだったのだろうから、そのドイツから、国籍を剥奪されオランダに避難を求めてやってきたこれらの家族の会話や、日記にも、おそらく、そのドイツ語名で記されていたのであろう、とは思われるが。
第二次世界大戦前後のフィンランドの歴史を瞥見しておく。第二次大戦勃発直後、ソ連がフィンランドに侵入、これに対抗して、1939-1940、「Winter War」、引き続き、1941-1944、ナチス・ドイツが、ソ連に侵入すると、ドイツと連携し、これを、間接的に支援、872日間にわたるレニングラード包囲を可能にした。ソ連軍の反攻の後、1944年、フィンランドは、ソ連と停戦協定、・・・。その日付がよくわからないのだが、「ファン・ダーンのおばさん」の言う、「戦線を離脱」は、これを指していると思われる。「イタリアはこの冬のあいだに手をあげた」は、「日記」の、前に引用した部分にもあった、1943年9月8日の「イタリア降伏」を指すことになろう。
その「ある、ナチ党員への手紙」の記事では、ガリシア知事オットー・バハターが、「ガリシア地域は、事実上、失われた」として、レムベルクを去るのが、1944年7月27日、その後、この人物は、イタリア降伏後もドイツが占領していた、イタリア北部の、軍政長官となり、訴追を免れて生き延びるのだが、ともあれ、「日記」のこの日付の時点で、レムベルクは、まだ、「落ちて」いない、ことはわかった。
夏目漱石「倫敦消息」(青空文庫)に、「グード・フライデー」についての記述があったのを覚えていた。
この前の金曜が「グード・フライデー」で「イースター」の御祭の初日だ。町の店はみんなやすんで買物などはいっさい禁制だ。明る土曜はまず平常の通りで、次が「イースター・サンデー」また買物を禁制される。翌日になってもう大丈夫と思うと、今度は「イースター・モンデー」だというのでまた店をとじる。火曜になってようやくもとに復する例である。
「倫敦消息」夏目漱石(青空文庫)
この記述の日付が、「四月九日夜」、夏目漱石の、イギリス留学は、1900年9月10日、日本出発、1902年12月5日、ロンドン発で帰国、であるから、ロンドンでの「四月九日夜」、は二回経験していることになるが、二年目の1902年は、秋ごろから既に「夏目発狂」の噂が日本でも流れるくらいの、極度の「神経衰弱」状態にあったようだから、ここに見られるような明るい文体は、1901年のものと、予想がつけられる、それは前も言った。カレンダーに問い合わせると、1901年4月9日は、火曜日、ならば、その直前の週末が、4月5日金曜日、「グード・フライデー」、4月7日日曜日、「イースター・サンデー」、だった、ということで辻褄が合う。「イースター・サンデー」は、もう一度おさらい(笑)しておくと、「春分後初の満月後の最初の日曜日」、であった、二十四節気の一つ「春分」は、もとより太陽暦上の出来事だから、グレゴリオ暦上、ほとんど移動せず、この年1901年も3月21日木曜日、であった、その日が、「旧暦」上は二月二日、従って、その後の初の満月は、旧暦二月十五日に当たるのが、4月3日水曜日、なるほど、その終末が、「イースター」で、合っている(笑)。
「アンネの日記」全編を通して、おそらく、ちゃんとページ数を数えたわけではないが、一番長い記事、泥棒が入ったり、そのために、警察の捜査を受ける可能性が出てきたり、記事の中にもあるけれども、オランダの警察官が、必ずしも「親ナチ」であるわけでもないから、ならばどのように対応すべきか、全員で一晩まんじりともせず息をひそめて過ごしたり、そんな長い長い一日、それゆえに、来し方行く末について、たくさんのことを考えもしたのだろう、それが、「一九四四年四月十一日、火曜日」、なのである、まだ、確認してみていないから、違ったかもしれないが、私がそもそも、「アンネの日記」を読むことになったきっかけを与えてくれた赤染晶子「乙女の密告」(文藝春秋掲載)、の中でも、主人公の「みか子」、が暗唱の際にいつも、つまってしまう個所、それは、最も重要、であるがゆえに、もっとも「忘却」されやすいのだ、ということを暗示しているが、アンネ本人にとってもまた、最も重要な記事だったのだ、ということが示唆される、あるいは、それが、この日の記述だったのではないか、と思っている、今調べてみればわかることなのだけれど、後に取っておく(笑)ことにする。長々と引用する予定だが、まずは、その日の書きはじめに、
金曜日は≪聖金曜日≫でしたが、日中はみんなでゲーム盤を使ったゲームをし、土曜の午後にも同じゲームをしました。この二日間は、あっという間に過ぎました。
「アンネの日記」アンネ・フランク(文春文庫)・一九四四年四月十一日、火曜日
On Friday (Good Friday) we played Monopoly, Saturday afternoon too. These days passed quickly and uneventfully.
A Diary of a Young Girl/Anne Frank(kindle)Tuesday, 11 April, 1944
「モノポリー」というゲームなら、私も覚えているぞ(笑)、特に親しくもない、いや、「特に親しい『友達』」などそもそも、一人もいなかったのだが、お金持ちの「級友」(笑)の「お誕生日会」とかに、一応の「義理」として呼ばれて(笑)、ルールもわからないまま、あいまいに卑屈に笑みを浮かべなどして(笑)、時間をやり過ごしただけだろうけれど、それはさておき(笑)、上に掲げたカレンダーに見る通り、1944年4月11日火曜日、から見て、おそらく「先週の金曜日」ということなのだろう、1944年4月7日金曜日が、「聖金曜日Good Friday」であることの、確認(笑)、をとっておく。「春分」はやはり同年3月21日火曜日、その日は月齢26.0とのことだから、次の満月、微妙なところで、月齢13.5ではあるが、旧暦表示では確かに、その他ならぬ、4月7日金曜日が、旧暦三月十五日、十五夜、ということになるから、その「満月」直後の日曜日、4月9日が、「イースター・サンデー」、遡って、4月7日が「聖金曜日」、合っている(笑)。
話は逸れるが、なお「暦」の話を続けると、「一九四四年五月二十六日、金曜日」、の記事に、ミープが、アンネに、干しブドウ入りケーキを届けてくれ、添えられたカードに「聖霊降臨祭おめでとう」とあった、とある。
聖霊降臨祭Pentecostes、キリストの昇天後、ユダヤ教の「五旬祭」に際して集まっていた使徒たちの眼前に、「精霊」が「降臨」した、との「使徒言行録」2章1節―42節の記述に基づく。語源は、ギリシャ語「五十日後」にある。penta-が「5」、「旬」は通常「10日」を表わすから、「ペンテコステ」もまた、「五旬節」の意味だったのだ。
五旬祭(シャブオット)、出エジプトの四十九日後にシナイ山で神が律法を与えたことを記念。「過越」の第二日の7週間後に始まる三日間の祭礼。
「過越」は、グレゴリオ暦上は、通常3月下旬から4月に当たる、太陰太陽暦たるユダヤ暦の第一月の満月、であった。
ならば、ちょうど上で調べたように、1944年4月7日の「満月」が、つまり、「イースター・サンデー」直前の「満月」が、「過越」の「満月」に、この年も、重なることになったのではなかろうか?すると、その「過越」が、1944年4月7日、に始まるとして、その「第二日」を、翌1944年4月8日としてみよう、その「7週間後」は、なるほど、確かに、5月27日、となるのだ。一応、「使徒言行録」の原文、日本語版、英語版、に当たっておく、と言いたいところだが(笑)、長いので次回にまわす。

家に帰ると、みか子は早速『ヘト・アハテルハイス』を開く。教材で使うドイツ語版にはオランダ語の原題がそのままついている。初めてこのタイトルを観たとき、『ヘト・アハテルハイス』という言葉が不思議な呪文みたいに思えた。みか子は暗記を始める。一九四四年四月九日、日曜日の夜の日記でアンネは語っている。
『わたし達は、今夜、思い知らされました。わたし達は隠れて暮らす身なのです。わたし達は鎖につながれたユダヤ人なのです』
『ヘト・アハテルハイス』の中でも最も緊迫する一日だ。
この日、隠れ家の隠しドアのすぐ後ろまで警察がやってきた。見つかれば、アンネたちは逮捕される。アンネは自分が「ユダヤ人」であることを痛いほど思い知らされるのだ。ここでアンネは「ユダヤ人」としての自己を名乗る。この自己が同時にアンネを追いつめていく。
みか子はわからなかった、なぜ、バッハマン教授はこの日を最も大事な日だと言ったのだろう。アンネは無事だったではないか。九死に一生を得たではないか。
『けれども、いつかはこのひどい戦争も終わるでしょう。いつかはわたし達だって、ユダヤ人というだけではなく、再び一人の人間になれるでしょう!
誰がわたし達ユダヤ人にこんな思いをさせるのでしょう?誰がわたし達ユダヤ人を世界中の民族とは違う異質なものにしたのでしょう?誰がわたし達ユダヤ人を今日までこれほど苦しめてきたのでしょう?』
みか子はバッハマン教授の言ったことを考えてみる。アンネ・フランクをちゃんと思い出すとは一体どういう意味なのだろう。みか子が思い出せるのは少女の頃に必死で読んだアンネだ。アンネがこのようにユダヤ人について書いていたことはあまり印象に残っていなかった。
『わたし達をこんな風にしたのは神様です。けれども、わたし達を救ってくださるのも神様です。わたし達があらゆる苦しみに堪え、それでもなおユダヤ人が生き延びたなら、ユダヤ人は「永劫の罰を受けた人」から、人々のお手本へと変わるでしょう』
みか子は苦労する。なかなか覚えられない。アンネの言葉を初めて見る言葉みたいに感じる。
『もしかしたら、わたし達ユダヤ人の宗教は、世界中の人々、民族がよいことを学びとれるものかもしれません。そして、そのために、ただそのために、わたし達も苦しまなければならないのかもしれません』
夜は更けていく。みか子は必死になる。
『わたし達ユダヤ人はオランダ人だけになることも、イギリス人だけになることも、決してできません。他の国の人間にも決してなれません』
アンネは知っている。国籍を得たとしても、それはあくまで表面上だけのことだ。ユダヤ人は完全にオランダ人になることも、他の国の人間になることもできない。ユダヤ人であるというアイデンティティは決して消えない。ユダヤ人という自己は他の国の国籍と完全に同化することはない。ユダヤ人であるという自己認識は他の国の国籍を他者にしてしまう。アンネはオランダに移住する前に、ドイツ国籍を剥奪されている。他の国の国籍はアンネから簡単にひき離されて、ユダヤ人であるという自己をむき出しにした。
『わたし達ユダヤ人は他の国の人間になれたとしても、いつだってそれに加えてユダヤ人でもあり続けなければならないのです。そのことを望んでもいるのです。』
自己と他者は一人の人間の中で共存せざるをえない。それが「ユダヤ人」であるが故に迫害を受ける人々の苦悩である。
『勇敢でありましょう!ユダヤ人としての使命を自覚しましょう』
アンネはユダヤ人であることに強い自覚を持つ。
みか子の知らないアンネだった。みか子はこんなアンネをまったく覚えていなかった。みか子の覚えているアンネは可憐な少女である。ロマンチックな悲劇のヒロインである。みか子は戸惑いながら、すべてを暗記する。みか子は一通り暗唱してみる。なんとかできた。アンネの言葉をすべて言えた。不思議な気持ちだった。少女の頃の記憶とは全く違うアンネをみか子は記憶した。これを絶対に忘れてはいけないのだ。
「乙女の密告」赤染晶子(文藝春秋2010年9月号所収)
「乙女の密告」、読み返してみた。やはり、物語の中で、ドイツ語教師のバッハマン先生が、「最も大事な日」、と呼んだのは、この日だった。オペクタ商会に泥棒が入り、日曜であったからだろう、事務所に社員はおらず、「隠れ家」の人びとが降りていったところ、おそらく、そこを、泥棒にも、また、物音を聞きつけて近づいてきた通行人にも、見られてしまった可能性がある、通行人が通報すれば、警察が現場検証にやって来るだろう、オランダの警察が、直ちに、「親・ナチ」であるとは限らない、実際、こんな風に隠れ潜んでいたユダヤ人は膨大な数に上ったであろうし、同情して見逃してくれる可能性もある、更に、もし、「NSB」の支持者だったら、今探しても見つからないのだが、多分そう書いてあったと思う、オランダの親ナチ政党、オランダ国家社会主義運動National Socialist Movement in the Netherlands/Nationaal-Socialistische Beweging in Nederland、だろうと思われる、次は「賄賂」を贈って目をつぶってもらうことを考える、という構えではあったらしい、事実、「乙女の密告」の別の個所に書かれているが、アンネたちが連行された後、ミープ・ギースは、ゲシュタポの本部に、その「賄賂」交渉のために出向いた、という。「官僚制」が、必ず「腐敗」している、という事実は、こうして、一つの「希望」でありうることもあることを知らねばならない、「賄賂」で、す・べ・て・の・「ユダヤ人」を救出することはできないが、特定の、「名」を持った、あ・な・た・の・知・っ・て・い・る・、誰か、を助け出すことは、可能だったのだから、・・・、それはさておき、やがてやって来るかも知れない警察を待ちながら、息を殺し、灯りをつけるわけにはいかず、水音を立てることもできないからトイレも使えない、まんじりともせずに過ごした一夜の記録が、おそらく、この「日記」中、一番長いだろうことは、前も言った。ただ、日付が違うのだ。作者の赤染氏が「注」で述べるところによると、引用文は、1988年にフランクフルトで出版されているドイツ語版の彼女自身による訳出、私の手元にある、「アンネの日記―増補新訂版」(文春文庫)の、第一刷が2003年だから、その間に改変があったのかもしれないが、手元の文春文庫版では、また、これは出版年がよくわからない、kindleの英語版でも、1944年4月9日日曜日の、出来事を、1944年4月11日火曜日の、記述で振り返る、という体裁になっている。そして、このようにして、「必死で」暗記したはずのみか子が、いざ暗唱を始めると、繰り返し繰り返し、同じところで、続きの言葉を忘・れ・て・しまう。人は、それが最も重要であるがゆえに「忘れる」のだ、という、おそらくこの作品の一つのテーマが、浮き彫りになるのだが、それが、引用部分には、あからさまには表記されていないが、この、「勇敢でありましょう!ユダヤ人としての使命を自覚しましょう」、の次・の・言葉なのだ。重複を厭わず、引用してみる。
というわけで、わたしたちがあらためて痛切に思い知らされたのは、自分たちが人目を避けて暮らす身だということでした。わたしたちは、鎖につながれ、一か所に縛りつけられたユダヤ人であり、どんな権利もなく、ただ義務だけを山のように背負わされているのです。わたしたちユダヤ人は、けっして感情を外にあらわしてはなりません。つねに勇敢に、強く生き、あらゆる不自由を忍んで、けっして愚痴を言ってはなりません。自分たちの力でできるかぎりのことをし、あとは神様を信頼しなくてはなりません。このいまわしい戦争もいつかは終わるでしょう。いつかはきっとわたしたちがただのユダヤ人ではなく、一個の人間となれる日がくるはずです。
いったいだれがこのような苦しみをわたしたちに負わせたのでしょう。だれがユダヤ人をほかの民族と区別させるようにしたのでしょう。だれがきょうまでわたしたちを、これほどの苦難にあわせてきたのでしょう。わたしたちをいまのようなわたしたちにつくられたのが神様なのは確かですが、いつかふたたびわたしたちを高めてくれるのも、やはり神様にちがいありません。わたしたちがこういったもろもろの苦難に堪え抜き、やがて戦争が終わったときにも、もしまだユダヤ人が生き残っていたならば、そのときこそユダヤ人は、破滅を運命づけられた民族としてではなく、世のお手本として称賛されるでしょう。ことによると、世界じゅうの人々、世界じゅうの民族が、わたしたちの信仰から良きものを学びとることさえあるかもしれません。そしてそのために、ただそのためにこそ、いまわたしたちは苦しまなくてはならない、そうも考えられます。わたしたちは、けっしてただのオランダ国民にも、ただのイギリス国民にも、いえ、そのかぎりでは、他のどんな国民にもなれないでしょう。わたしたちはつねにユダヤ人なのです。わたしたちはつねにユダヤ人であるしかなく、またそれを望んでもいるのです。
勇気を持ちましょう!ユダヤ人としての使命をつねに自覚し、愚痴は言いますまい。解決のときは必ずきます。神様はけっしてわたしたちユダヤ人を見捨てられたことはないのです。多くの時代を超えて、ユダヤ人は生きのびてきました。そのあいだずっと苦しんでこなくてはならなりませんでしたが、同時にそれによって強くなることも覚えました。弱いものは狙われます。けれども強いものは生き残り、けっして負けることはないのです!
「アンネの日記」アンネ・フランク(文春文庫)・一九四四年四月十一日、火曜日
ここまでが、上の「乙女の密告」引用の該当部分、みか子は、ここで、次の言葉を忘・れ・、立ち止まるのである。引用を続ける、・・・、
騒ぎのあった晩、わたしはほんとうに一度は死ぬ覚悟を決めました。警察がくるのを待ち受け、心の準備をしていました。戦場に出た兵士たちとおなじ気持ちで、祖国のために喜んで死ぬつもりでいました。ところがいまは、こうして命が助かった今は―そう、いま何よりも望むのは、戦後はほんとうのオランダ人になりたいということです。わたしはオランダを愛します。この国を愛します。この国の言葉を愛し、この国で働きたいと思います。もしそのために女王様に直訴しなくちゃならなくても、目的を達するまでは、けっしてあきらめないでしょう。
「アンネの日記」アンネ・フランク(文春文庫)・一九四四年四月十一日、火曜日
We have been pointedly reminded that we are in hiding, that we are Jews in chains, chained to one spot, without any rights, but with a thousand duties. We Jews mustn’t show our feelings, must be brave and strong, must accept all inconveniences and not grumble, must do what is within our power and trust in God. Sometime this terrible war will be over. Surely the time will come when we are people again, and not just Jews.
Who has inflicted this upon us? Who has made us Jews different from all other people? Who has allowed us to suffer so terribly up till now? It is God that has made us as we are, but it will be God, too, who will raise us up again. If we bear all this suffering and if there are still Jews left, when it is over, then Jews, instead of being doomed, will be held up as an example. Who knows, it might even be our religion from which the world and all people learn good, and for that reason and that reason only do we have to suffer now. We can never become just Netherlanders, or just English, or representatives of any country for that matter; we will always remain Jews, but we want to, too.
Be brave! Let us remain aware of our task and not grumble, a solution will come, God has never deserted our people. Right through the ages there have been Jews, through all the ages they have had to suffer, but it has made them strong too; the weak fall, but the strong will remain and never go under!
During that night I really felt that I had to die, I waited for the police, I was prepared, as the soldier is on the battlefield. I was eager to lay down my life for the country, but now, now I’ve been saved again, now my first wish after the war is that I may become Dutch! I love the Dutch, I love this country, I love the language and want to work here. And even if I have to write to the Queen myself, I will not give up until I have reached my goal.
A Diary of a Young Girl/Anne Frank(kindle)Tuesday, Tuesday, 11 April, 1944
どうしてこの一節が、みか子の「無意識」が「検閲」をかけ、「忘却」されなければならなかったか、作品中では、決して一度もそう名指されたことはないが、彼自身「ユダヤ人」と、想定されるところの、バッハマン教授に、語ってもらうことにしよう。ちなみに、つまらない詮索を付け加えておくと(笑)、作中、ほとんど「一人称」の如き扱いの「みか子」は、「京都の外国語大学」、周辺の風景やバス路線(笑)の記述から考証して、それは京都外国語大学、著者の赤染晶子氏の出身校なのであるが、の、「二年生」という設定、失礼なことに知らなかったのだが、この大学には、日本全国でただ一つ「オランダ語学科」が設置されており、著者が、「注」の中で、こともなげに(笑)、オランダ語の文献を参考書に挙げていることから想像するに、この人自身は、同学科の卒業なのだろうと想像される、ならば、「みか子」は、今はどう呼ぶのか知らないが、「教養課程」の、一般教養科目の第二外国語で、ドイツ語を学んだのであろうか?おそらく「ユダヤ系」と想定されるドイツ人の教授が、「アンネの日記」の子供向きの翻案版が、広く読まれているとはいえ、元「枢軸国」であったにもかかわらず、実体的な「反ユダヤ主義」の影響を受けることを、おそらくは、免れてきた、遠く東洋の島国にやって来て、オランダ語で書かれた日記の、ドイツ語翻訳を、テキストに採用する、という、それ自体一つの「屈折」に、関心を引かれたので。ちなみに、「みか子」と「バッハマン教授」との、以下の会話は、ドイツ語で行われることになっている、「みか子」は、なかなか優秀な学生ではないか(笑)。
・・・みか子は忘れていたアンネの言葉を思い出す。
『今、わたしが一番望むことは、戦争が終わったらオランダ人になることです!』
ミープ・ヒースの手記にもこの恐ろしい夜が明けた時の記録がある。
「アンネは胸の内を打ち明けました。
『わたしもオランダ人になりたい』
『戦争が終わったら、あなたのなりたいものになれるわ』」
アンネの言葉に答えたミープ・ヒースの言葉は皮肉だ。
アンネのなりたかったものは何だろう。アンネはアンネのままでいたかったはずだ。この夜に、アンネが本当に一番望んだことは何だったのだろう。どちらだったのだろう。ユダヤ人でいることか。オランダ人になることか。この夜はすさまじい夜だった。一夜明けて、ミープが隠れ家にかけつけた時、アンネはひどく泣いてミープの腕の中に飛び込んできた。アンネは忍び寄る他者に怯えた。アンネがアンネのままではもう生きていけない。ユダヤ人であることをむき出しにしては生きていけない。もはや、他者と同化しなければ生きていけない。残酷な現実がある。ユダヤ人は他者と完全に同化できない。ユダヤ人はユダヤ人であり続けなければならない。そのことを望んでもいる。アンネ自身がそのことを語っている。アンネはこの矛盾をどうすればいいのだろうか。バッハマン教授が言う。
「アンネの自己とは存在することが許されないユダヤ人という自己です。アンネは他者に見つかることを恐れました。それほど他者によって追いつめられた自己です。アンネの自己は他者と共存できるでしょうか。自己が他者に侵食されてしまわないでしょうか。確かに、アンネはとてもオランダを愛していました。自身がドイツからの移民であるにもかかわらず、オランダが『祖国』になることを望んでいました。実際に、アンネは日記の中で何度もオランダのことを『祖国』と呼んでいます。祖国とは自己を自己たらしめるものです。ユダヤ人は長い歴史の間ずっと祖国を手に入れることができませんでした。しかし、祖国を追われ祖国を失ったユダヤ人をユダヤ人たらしめたのも祖国なのです。それは祖国への望郷の念によってです。何世代も何世代もユダヤ人は祖国を異郷の地から偲びました。ユダヤ人の祖国とは世代を超えた記憶の彼方にあるのです。この受けつがれた記憶がユダヤ人をユダヤ人たらしめました。アンネは自らを『祖国を失った者』と語ります。それこそがアンネなのです。ユダヤ人なのです。アンネがオランダを『祖国』と呼ぶ時、それはもはやアンネの自己に反するのです。決して忘れないでください。ミカコがいつも忘れる言葉はアンネ・フランクを二つに引き裂く言葉です。アンネの自己に重くのしかかる言葉です」
「乙女の密告」赤染晶子(文藝春秋2010年9月号所収)
「みか子」は、京都駅発7時何分、だったかの「京都外大行」の市バスで通学する。途中のバス停でバッハマン教授も乗ってくる。おぼろげな記憶では(笑)、JR京都駅、北側の出口は、なんと言ったっけ、ああ、「烏丸口」だ、そのバスターミナルから出る「外大行」は、おそらく、烏丸通を北上、四条で西に折れるものか、あるいは、七条通り、西大路、経由で、西院で左折、ではなかったろうか(笑)?「みか子」の住んでいる「京町屋」風の住居、豆腐屋の自転車が、路地の中に入ってくるような、は、おそらく、その途中にある、確かに、ありそうな街並みだ、「母」は、「みか子」と夕食を済ませると、化粧をして「スナック」に働きに出掛け、深夜、酒臭い息をして帰宅する、「父」の存在の形跡は、感じられない。アンネが「名」を名乗ること、「他者」であること、「密告」されること、それが、女子学生ばかりの外国語大学の、いわゆる「友達地獄」的な、日常の諸々のゴシップ、いじめ等々との話題との間を行きつ戻りつするこの作品が、「よく出来た」ものなのかどうかは、私には判断できないけれども、むしろ、その二つの「寓話」の接続が、決して上手くいっていないように見えることさえ、美点と感じられるように、こうして三回目ぐらいになるか(笑)、しかも、「アンネの日記」そのものを読み終えた後での、感想、ということにしておく。あといくつか細かい点、考証(笑)、しておく。
アンネ・フランクは七・五ギルダーで密告された。わずかなお金である。潜行生活中に、ミープの同僚がアンネに贈ったスカートの値段が、七・七五ギルダーだった。
・・・
オランダ警察にも記録が残っているのだ。誰かが隠れ家の住人八人を密告した。八人分の密告の褒賞金六十ギルダーを確かに誰かが受け取った。この数字が記載されている。
「乙女の密告」赤染晶子(文藝春秋2010年9月号所収)
マルゴーとアンネのために、ベイエンコルフ・デパートまで自転車で出向いて、スカートを買ってきてくれたのは、ベップである。オペクタ商会の一番年若い、薄給の事務員であるから、「贈った」わけじゃない、元・百万長者の令嬢、とアンネが自分でも言っている(笑)、この姉妹が、父にお金を出させて、それをベップに渡して、買ってきてもらったのだと思われる、そのとき、調べたが、1938年現在の、オランダ・ギルダーの購買力が、2017年現在の、9.54USドルに相当する、との記事を見つけたので、1USドル≒100円、として、およそ、1ギルダー≒1000円、でよかろう、戦時下の経済統制で、ますます品薄だったのだろう、ジャガイモの袋みたいと散々ケチをつけたそのスカートが、7750円、ということになる。ついでに、戦時下の物価について書かれた部分を、引いておくと、・・・、
ヤンやクーフレルさん、クレイマンさんたちから聞かされる物価の高さ、あるいは外の世界の人びとの話、とてもほんとうとは思えません。お茶二百二十五グラムがなんと三百五十ギルダー、コーヒーが同じく八十ギルダー。バター四百五十グラムで三十五ギルダー、卵一個が一・四五ギルダー。ブルガリア煙草三十グラムで、なんと十四ギルダーもするとは!
「アンネの日記」アンネ・フランク(文春文庫)・一九四四年五月六日、土曜日
What they tell us about the prices and the people outside is almost unbelievable, half a pound of tea costs 350 florins,18 a pound of coffee 80 florins, butter 35 florins per pound, an egg 1.45 florin.
A Diary of a Young Girl/Anne Frank(kindle)Saturday, 6 May, 1944

もう一つ、「乙女の密告」が掲載された「文藝春秋」、芥川賞選評を、選考委員の作家が述べるコーナーで、知らない作家なので名前を挙げるのは控えるが、ナチ当局の、ユダヤ人であることの判定も、杜撰であったことの例証として、「アンネの、ユダヤ人中学校時代の友人のヨーピーは、出生証明書、洗礼証明書を偽造することで、迫害を免れた」という趣旨のことが書かれているのだが、それについては、同様の疑問を、私も持っていて、この部分、・・・、
午後にはクレイマンさんが訪ねてきて、お嬢さんのヨーピーのこととか、彼女がジャック・ファン・マールセンとおなじホッケークラブにはいっていることとか、いろんな話をしてくれました。
「アンネの日記」アンネ・フランク(文春文庫)・一九四四年五月三十一日、水曜日
Mr. Koophuis came to see us in the afternoon and told us masses about Corry and her being in the same hockey club as Jopie.
A Diary of a Young Girl/Anne Frank(kindle)Wednesday, 31 May, 1944
オペクタ商会の重役にして、「外」の「支援者」であるクレイマンさん、は「ユダヤ人」ではないに違いなく、ならばその「お嬢さん」もまた、そうであろう。「ユダヤ人中学校時代の友人」は、ジャックリーヌ・ファン・マールセンの方なのであって、それは、前に引用した部分にもあった。モンテソーリ学校以来の友人で、一緒にユダヤ人中学校に転校してきた、ハンネリ(リース)・ホースラルについては、この友人が、おそらくは収容所から助けを求めている情景とも見えるような、辛い夢を見たことが書かれているのに、同じく「ユダヤ人」であるはずの、ジャックが、ここに見る限り「現在形」で、「ホッケークラブ」には・い・っ・て・い・る・、と書かれているのが解せなかったのだ。あるいは、上の「選評」の記事は、ジャックについての話を、混同されたものかと想像する。ここでもまた、官僚システムが「腐敗」しておればこそ、「賄賂」、その他の方法で、助かる道があり得たことが示唆されるのだが、やや不思議なのは、アンネ自身が、それを、当然のように書いていることだな。様々な事情があり得るから、これ以上の詮索は無用であろうが。

もうひとつ、それを聞いたわたしたちにショックを与え、また遺憾にも思わせたニュースがあります。わたしたちユダヤ人に対する大多数の人びとの態度が、ここへきて変わってきているというのです。聞くところによると、反ユダヤ主義の波紋はいまや、かつてはそんなことなど考えもしなかった人びとのあいだにまで及んでいるとのこと。このニュースは、わたしたち≪隠れ家≫の八人全員に、深い、深い衝撃を与えました。ユダヤ人へのこうした憎しみの原因は、けっして理解できないものではありませんし、時には人間的とさえ思えますけど、でも正しいとは言えません。キリスト教徒はユダヤ人を、ドイツに秘密を売りわたしたと非難しています。ユダヤ人はそうやってわれわれを裏切ることに手を貸した、そしてそういうユダヤ人の過ちのために、多くのキリスト教徒が、これまで多くの殉難者たちとおなじ道をたどっている、恐ろしい罰を受け、身の毛もよだつ運命にあえいでいる、そう言って非難するのです。これはみんなそのとおりです。とはいえ、物事はいつの場合も表裏両面を見なくちゃなりません。かりにキリスト教徒がわたしたちの立場だったら、ちがう行動をとったでしょうか。残忍なドイツ軍の手にかかったら、ユダヤ人であれキリスト教徒であれ、はたしていつまで沈黙をつらぬきとおせるでしょうか。それが事実上不可能であることは、だれだってわかっていることです。それならどうしてその不可能なことを、ユダヤ人にたいしてだけは要求するのでしょうか。
地下活動をしている人びとの間で、こういうことがささやかれています。ドイツ系ユダヤ人で、かつてオランダに移住し、いまは連行されて、ポーランドに送られた人びとは、将来もこの国へ帰ることが許されないだろうというのです。いったんはオランダに避難する権利を得た人びとですが、ヒトラーがいなくなれば、彼らもドイツへ帰るべきだというわけです。
こういうい話を聞くと、いったいわたしたちはなんのために、こんな長い、苦しい戦争を戦っているのか、わからなくなってきます。いつも聞かされるのは、われらはともに手をたずさえて、自由と、真実と、正義のために戦っているのだ、などというごりっぱなお題目なのに!それが、まだ戦いが終わりもしないうちから、そういう内輪もめがあらわになってきて、またしてもユダヤ人は、ほかの人たちから一段劣った立場に立たされることになるのでしょうか。じっさい、情けないことです。とても悲しいことです。いままでに何度となく言われてきたことですが、ここでいま一度、むかしながらの真理が証明されることになろうとは。「ひとりのキリスト教徒のすることは、その人間ひとりの責任だが、ひとりのユダヤ人のすることは、ユダヤ人全体にはねかえってくる」って。
率直に言って、わたしがどうしてものみこめないのは、このオランダ人という善良で、正直で、廉潔な人びとが、どうしてそういう色眼鏡でわたしたちを見なくちゃならないのかということです。およそ世界じゅうで、わたしたちほどひどい迫害を受け、わたしたちほど不幸で、わたしたちほど憐れむべき民族はないでしょうに。
いまはたったひとつのことを望むしかありません。それは、このユダヤ人にたいする憎しみが、一過性のものであり、オランダ人がいつかは正気をとりもどして、二度とけっして迷ったり、正義感をなくしたりはしないということです。なんといったって、この風潮は正義に反することなんですから!
それにしても、もしもこの恐ろしい脅威が現実になるようなことでもあれば、そのときは、いまこのオランダ国内に残っている少数の憐れむべきユダヤ人も、この国から出てゆくしかないでしょう。わたしたちもまた、いま一度わずかな持ち物を背負ってここを出、この美しい国から―かつてはわたしたちを温かく迎え、いまはまたわたしたちに背を向けたこの国から、立ち去ってゆかねばならないのです。
わたしはオランダという国を愛しています。祖国を持たないユダヤ人であるわたしは、いままでこの国がわたしの祖国になってくれればいいと念願してきました。いまもその気持ちに変わりはありません!
「アンネの日記」アンネ・フランク(文春文庫)・一九四四年五月二十二日、月曜日
To our great horror and regret we hear that the attitude of a great many people towards us Jews has changed. We hear that there is anti-Semitism now in circles that never thought of it before. This news has affected us all very, very deeply. The cause of this hatred of the Jews is understandable, even human sometimes, but not good. The Christians blame the Jews for giving secrets away to the Germans, for betraying their helpers and for the fact that, through the Jews, a great many Christians have gone the way of so many others before them, and suffered terrible punishments and a dreadful fate. This is all true, but one must always look at these things from both sides. Would Christians behave differently in our place? The Germans have a means of making people talk. Can a person, entirely at their mercy, whether Jew or Christian, always remain silent? Everyone knows that is practically impossible. Why, then, should people demand the impossible of the Jews?
It’s being murmured in underground circles that the German Jews who emigrated to Holland and who are now in Poland may not be allowed to return here; they once had the right of asylum in Holland, but when Hitler has gone they will have to go back to Germany again.
When one hears this one naturally wonders why we are carrying on with this long and difficult war. We always hear that we’re all fighting together for freedom, truth, and right! Is discord going to show itself while we are still fighting, is the Jew once again worth less than another? Oh, it is sad, very sad, that once more, for the umpteenth time, the old truth is confirmed: “What one Christian does is his own responsibility, what one Jew does is thrown back at all Jews.”
Quite honestly, I can’t understand that the Dutch, who are such a good, honest, upright people, should judge us like this, we, the most oppressed, the unhappiest, perhaps the most pitiful of all peoples of the whole world.
I hope one thing only, and that is that this hatred of the Jews will be a passing thing, that the Dutch will show what they are after all, and that they will never totter and lose their sense of right. For anti-Semitism is unjust!
And if this terrible threat should actually come true, then the pitiful little collection of Jews that remain will have to leave Holland. We, too, shall have to move on again with our little bundles, and leave this beautiful country, which offered us such a warm welcome and which now turns its back on us.
I love Holland. I who, having no native country, had hoped that it might become my fatherland, and I still hope it will!
A Diary of a Young Girl/Anne Frank(kindle)Monday, 22 May, 1944
umpteen、無数、多数の、umpteenth、その「序数」形、「何番目かわからないほど、たくさんのものの後の」
kindle英語版の「検索」機能で調査したかぎりでは、このアンネの日記全体を通じて「反ユダヤ主義anti-Semitism」という用語が登場するのは、この二ヶ所のみのようである。後の方が、日本語訳では、「この風潮」、と、婉曲化されているが。アンネが、「みんなそのとおりです」と受け入れている、「ユダヤ人」の「過ち」の内容が、日本語訳ではうまく読み取れなかったのだが、英語では、はっきり、「betraying their helpers、自分たちの『援助者』を裏切って」、と書いてあるね、オランダ人に匿われていたユダヤ人が、ゲシュタポに発見されて、連行され、拷問を受けた末、「援助者」のオランダ人の名前を明かしてしまったために、その人たちが、弾圧を受けることになった、という事実を指していることが、ようやくわかった。

「本日はD デーなり」きょう十二時、このような声明がイギリスのラジオを通じて出されました。まちがいありません、まさしく”きょうこそはその日”です。いよいよ上陸作戦が始まったのです!
イギリスは今朝八時に以下のようなニュースを流しました。カレーブーローニュルアーブルシェルブール、そして(例によって)パドカレー一帯に、空からの猛烈な攻撃が加えられた。さらに、すべての被占領地域の安全をはかるため、海岸から三十五キロ圏内に居住する全住民に対し、爆撃への備えをせよとの警告が出された。可能なかぎり、英軍は攻撃開始一時間前に、警告のビラをまくであろう。
ドイツ軍側の発表によると、イギリスの空挺部隊がフランス海岸に降下、強行着陸したとのことですし、BBC放送では、「英軍の上陸用舟艇がドイツ海軍と交戦ちゅう」とも伝えられています。
九時の≪隠れ家≫での朝食の席で、この作戦について出された結論はこうです―どうせこれも二年前のディエップ上陸のときのように、試験的な作戦だけで終わるだろうよ。
・・・
一時の英語ニュース(翻訳してお伝えします)―一万一千機の航空機が投入され、不眠不休で海峡を往復して、戦闘部隊を降下させ、敵の後方を攻撃している。四千隻の上陸用舟艇並びに小型艦艇も、シェルブールルアーブル間において、常時折り返し運航を行っている。英米両軍の上陸部隊は、すでに激しい戦闘にはいっている。
・・・
「アンネの日記」アンネ・フランク(文春文庫)・一九四四年六月六日、火曜日
This is D-day,” came the announcement over the English news and quite rightly, “this is the day.” The invasion has begun!
The English gave the news at eight o’clock this morning: Calais, Boulogne, Le Havre, and Cherbourg, also the Pas de Calais (as usual), were heavily bombarded. Moreover, as a safety measure for all occupied territories, all people who live within a radius of thirty-five kilometres from the coast are warned to be prepared for bombardments. If possible, the English will drop pamphlets one hour beforehand.
According to German news, English parachute troops have landed on the French coast, English landing craft are in battle with the German Navy, says the B.B.C.
We discussed it over the “Annexe” breakfast at nine o’clock: Is this just a trial landing like Dieppe two years ago?
English broadcast in German, Dutch, French, and other languages at ten o’clock: “The invasion has begun!”—that means the “real” invasion.
...
English news in English at one o’clock (translated): 11,000 planes stand ready, and are flying to and fro non-stop, landing troops and attacking behind the lines; 4,000 landing boats, plus small craft, are landing troops and matérial between Cherbourg and Le Havre incessantly. English and American troops are already engaged in hard fighting.
...
A Diary of a Young Girl/Anne Frank(kindle)Tuesday, 6 June, 1944
親愛なるキティーへ
上陸作戦についてのとびきりすばらしいニュース。連合国は、フランス海岸の小村バイユーを制圧し、いまはカンを攻撃しています。連合軍の意図が、シェルブールを含む半島全体を遮断することにあるのは明らかです。
「アンネの日記」アンネ・フランク(文春文庫)・一九四四年六月九日、金曜日
Dear Kitty, Super news of the invasion.
The Allies have taken Bayeux, a small village on the French coast, and are now fighting for Caen. It’s obvious that they intend to cut off-the peninsula where Cherbourg lies.
A Diary of a Young Girl/Anne Frank(kindle)Friday, 9 June, 1944
「Dデー/D-Day」は、この日1944年6月6日の、連合軍ノルマンディー上陸作戦Normandy landings/Operation Neptune、を指すコードネームのようであるが、どうして「D」なのかは、突き止められなかった。イタリックにしてあるのは、ラジオ放送から聞こえて来たものを、アンネ自身が英語で書きとっている部分、「隠れ家」の中で、彼女は、英語とフランス語を勉強しているのであるし。

Boulogne-sur-Mer
Cherbourg-en-Cotentin
Pas-de-Calais
Dieppe
Bayeux
この辺りで、いったん、アンネ・フランクには別れを告げることにしよう。アムステルダムから、連合軍の上陸した最北端のカレーまで、約250km、一番遠いシェルブールでも、約600km、そこまで、「解放」の予兆が迫っている中で、アンネは、「戦争が終わったら」、ジャーナリストか、あるいは、作家になりたい、と、希望を語っている。それが「叶えられなかったこと」、を、人は大いに嘆くのであろうが、そして、そこに、「改めて、戦争の悲惨さを思い知りました」と付け加えれば、優秀な「読書感想文」が出来あがるのであるが、そうは、しないでおこう、と思っている、「みか子」が、少女の頃に熱中した「可憐な少女」としてのアンネと、「別人のような」アンネを発見したように、その「別人」のアンネは、そんなに簡単ではないのだ、ということもあるけれども、まず、それ以前に、人が「希望」を中絶させられて「死んだ」、そのこと自体を、「責める」のは、生き残った、つまり、ま・だ・、死んでいないものの、恐怖に根差す「自己愛」的振舞いに過ぎないのであって、それは、「死者」を、「弔う」振舞としては、相応しくない、ということだろうな、「日記」は、一九四四年八月一日、火曜日、で、唐・突・に・、終わっているけれども、原理的に、どんな「日記」も、必ず、唐・突・に・、終わらざるを得ないものなのだし。「隠れ家」の人々が、ラジオにくぎ付けになっていた、多分同じ日に、英仏海峡を挟んだ海上、凄まじい悪天候の中の、上陸用舟艇のどこかに、もう一人の「ユダヤ人」、ロバート・キャパが、いた筈なので、今度は、そちらをたどってみることにする。




それだけで、こちらまで、嬉しくなってしまう。
人影もすっかりまばらになった近所の公園、ホウオウボク(マメ科)が咲いたようです。オオハマボウ(アオイ科)は、海岸植物ですから、また、海に出掛けた模様、アオサギ(サギ科)、ダイサギ(サギ科)、そして、セイタカシギ(セイタカシギ科)、冬の渡り鳥なのだから、もうとっくに、北の繁殖地に、帰っていなければならないはずなのに、いや、向こうにも、事情があるのだろうから、こちらが余計な「心配」をしても始まらないね(笑)。ベニアジサシ(アジサシ科)は、夏鳥、相変わらずたくましい飛翔力、縦横に飛ぶさまを、カメラで追跡できると、こちらまで、嬉しくなってしまう(笑)。と、一回り大きいのが、明らかにもっとゆったりと飛んできた、ゴイサギ(サギ科)のようである、こいつは「留鳥」、もっぱら、夕刻に「仕事」をするようだから、もう、日暮れが近いのかもしれない。





旧暦閏四月二十一日の月、月の出、0:06、南中、5:46、月の入、11:27、月の出ている時間、11:40、撮影は、月の出2時間後、と、南中2時間後



ホウオウボク(マメ科)



イソヒヨドリ(ツグミ科)・オス



オオハマボウ(アオイ科)

アオサギ(サギ科)

セイタカシギ(セイタカシギ科)

ハシブトガラス(カラス科)

ダイサギ(サギ科)

旧暦閏四月二十二日の月、月の出、0:40、南中、6:30、月の入、12:20、月の出ている時間、11:40、撮影は、「有明」、月の入二時間前

旧暦閏四月二十三日の月、月の出、1:12、南中、7:11、月の入、13:11、月の出ている時間、11:59、撮影は、月の出一時間半後。たまたま夜半まで起きていたから、眠いのを我慢してもう少しで月の出だから、「待とう」、と思った。島崎藤村「夜明け前」に、かつては、「二十三夜」の「月待講」という習俗があったことが書かれていた記憶があるが、いやはや、夕暮れからこの時間まで、「月待」にかこつけて、「どんちゃん騒ぎ」(笑)するんだろ?肝心の月が東の空から昇る頃には、もう、泥酔状態だったのではなかろうか?

同じく、旧暦閏四月二十三日の月、その「有明」、撮影は、南中三時間後


短い、「お散歩」。
クロトリマゾール、か、あるいは、蚤とりスプレーか、動物病院に買いに出かけたついで、ここよりは、もう少し北の方にある、王朝時代の「城(ぐすく)」跡が、公園になっているところへ、疫病蔓延の折から、売店や食堂は閉まっていて、駐車場も一部閉鎖されていたり、だから、人影もまばら、植物の種類によるのか、ここは、野鳥の楽園であるより、蝶の宝庫、であるようで、写真はピンボケになってしまったから、掲げなかったが、リュウキュウアサギマダラ(マダラチョウ科)も見かけた、かつての「昆虫マニア」少年、といっても、どこにも出掛けず「図鑑」を繰るのが趣味だっただけだが(笑)、は、いまだに、心躍ったりするのだな。

ツマムラサキマダラ(マダラチョウ科)、タチアワユキセンダングサ(キク科)

クロマダラソテツシジミ(シジミチョウ科)、タチアワユキセンダングサ(キク科)



シロガシラ(ヒヨドリ科)、幼鳥。その名前に反して、「頭」が「白く」ない、のは、子供の徴、両親に引率されて、巣立ち前の、飛行実地訓練ツアーのようであるが、想像に難くないが(笑)、飛び立つ瞬間には、まだ、「躊躇」があるのだろう、「ドキドキ」している気持ちまで、伝わって来そうな気がするね。

タイワンツチイナゴ(バッタ科)




「閏月」はいつの間にか終わってしまった(笑)、旧暦五月七日の月、月の出、1120、南中、1746、月の入、012、月の出ている時間、1252、撮影は、月の入三時間前、月の出ている時間が、平均より大きいので、仰角はかなり大きかったはずだ。



ダイサギ(サギ科)

セイタカシギ(セイタカシギ科)

イソヒヨドリ(ツグミ科)・オス

ホウオウボク(マメ科)

オオハマボウ(アオイ科)





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Last updated  2020.09.27 07:04:29



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