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![]() メジロ(メジロ科)、ヒカンザクラ(バラ科) ![]() カタバミ(カタバミ科) ![]() イソヒヨドリ(ツグミ科)・メス ![]() シロハラ(ツグミ科) ![]() シロガシラ(ヒヨドリ科) 「ねこログ」、総目次(笑)/「スクラップ・ブック」、の、目次。 目次:「当たり前だ。そのつもりで、運ばれてきたんだ。」・・・古山高麗雄を、読み直す/「その言葉も、僕が聞いた言葉の中で、やはり一番奇麗な言葉だった。アッサラームアレイコム。」…西加奈子「サラバ」を、読み直す/「土地は、母を意味する」、この抗議運動の屋台骨を支えているのは、そうしたインドの母たち、姉妹たち、娘たちなんだ・・・インド農民デモの記事/ ![]() 名前のない、月。 「満月・望」の前夜が「待宵」、その前の「十三夜」は、そのまま月齢を言ったに過ぎないが、樋口一葉の小説のタイトルにもなるくらい、月見の習慣もあったようだし、特別な感じのする名称ではあろう、「十六夜」もそのまま月齢だが、これには「いざよい」という呼び名がある、以降、十七から二十まで、順に、「立待」、「居待」、「臥待」、「更待」などと言う風雅な呼び名がついている、十九日「臥待」は「寝待」とも言う、それが、翌二十一日からは、「名・前・が・な・い・」のは、いわば当然のことで、夜半遅くに出て、「有明」として西の空に残るものの、太陽光にまぎれて、あまり見ることもない、という事情なんだろう、こうして、たまたま晴れが続いてくれたから、撮影を試みてみて、確かに、その「なじみのなさ」だけは、体感できることになったのだな(笑)。 ![]() 旧暦十二月二十二日の月、南中 ![]() ![]() 旧暦十二月二十二日の月、南中二時間後「有明」 ![]() 旧暦十二月二十二日の月、月の入二時間前「有明」 ![]() 旧暦十二月二十三日の月、月の出一時間後 ![]() 旧暦十二月二十三日の月、南中 ![]() 旧暦十二月二十三日の月、南中、「有明」 ![]() 旧暦十二月二十三日の月、南中一時間後、「有明」、この月の「月の出」は夜半過ぎ、だから、昇った時はすでに、「旧暦十二月二十四日」なのだが、それは、夜半に日付が変わる、という「約束事」のせいなのであって、確か、島崎藤村「夜明け前」に「二十三日の月待講」というのが出てきた記憶があるが、二十三日の夜更けまで、「月」を「待つ」のを言わば「口実」にして、酒を飲み、歓談したのであろう、宵の口から始めたのなら、充分「ぐでんぐでん」に酔っぱらえただろうな(笑)、そんな風に、この月は、やはり、「二十三日」の晩、その延長、に「迎えられた」のだから、それでいいのだ、と思う。 ![]() 旧暦十二月二十四日の月、月の出二時間半後 ![]() 旧暦十二月二十四日の月、南中、「有明」 ![]() ![]() 旧暦十二月二十五日の月、南中、「有明」、この月の、月の出は、午前二時ごろ、「二十四節気」は、「冬至」から数えて、「小寒」、「大寒」、「立春」、「雨水」、「啓蟄」、「春分」、と続くのだが、今はその「立春」と「雨水」の中間だから、日照時間を表わす関数を、 y=-cosx とすれば(笑)、最小値「冬至」の位相が0、振動の中心、±0となる「春分」の位相が1/4、に対して、現在、1/8を過ぎたあたりな訳だから、話が長いが(笑)、そろそろ日も長くなってきているので、月の出から、夜明けの間の、暗い空に浮かんでいる時間はますます短くなる、つまりは(笑)、寝過ごしたのだ、さらに、だんだん細くなって、光の量も足りないから、まもなく空が明るくなってしまえば、もうこんなか細いものは、見つけることがかなわない、だから、言わば(笑)、貴重な月なんだ、と思って、何枚も何枚も、変わりばえのしないものを撮った。 α、は、地球の公転面の法線と、自転軸とのなす角23.4° θ、がその地の緯度、「北緯」をプラスとする すると、 cosφ=-tanθ・tanα によって算出されるφが、日照時間の半分を著す角度となる、らしい(笑)、三年ほど前に自分で作ったものだが、「夏至の日照時間の研究」、によれば、・・・、「夏至」以外についてはどうする?地球の中心から太陽を望む角度は、「夏至」に+α、「秋分」に0、「冬至」に-α、「春分」に再び0、であるから、これを正弦関数的に割り振って、上式のαをこれで差し替えればよい訳だ、ほんとか(笑)? ![]() Tを太陽年、tを「春分」からの日数、「二十四節気」に「翻訳」したければ、下の式、「春分」を0として、純に割り振ったjなる整数を用いればよかろう。 那覇市は東経127.68度、日本の標準時は兵庫県明石市135.00度で定めるから、 60×12×(135.00-127.68)/180=29.3 と言う訳で、29.3分、ここでは、何もかもが「遅れる」わけである(笑)、計算上得られた日照時間を単純に半分にして、正午からそれだけ遡った時刻を「日の出」、同じく正午からそれだけ経過した時刻を「日の入」と、大雑把に計算したうえで、その「時差」を加味してみると、こんな具合、 ![]() 差し当たり、「春分」と「雨水」の間の今日の「日の出」は、午前7時ちょっと前、まあ、当たらずと言えども遠からず(笑)。 続いて、月が細くなると見付けにくい、談義、として、ずっと前、どの作品だか忘れたが、山崎ナオコーラの小説で、恋人同士が月を見ている、「満月かな?」、「ちょっと待って」、ともう一人がスマホを取り出して、どこかを検索すると、日付を入力すれば、「月齢」その他の情報がたちどころに出てくるらしい、そこに「輝面比」なる用語が登場、真似をして「検索」すれば済むものを、「数学の先生」であったという「矜持」が邪魔をして、光っている部分の全円に対する面積比だろ、と雑に(笑)推測し、計算してみたことがあった、こんな「置換積分」、「老衰」した今となっては、思いつけないだろうから、そのまま引用しておく、 ![]() ここにtは、「新月・朔」からの日数、つまり「月齢」を、「平均朔望月で除した数、であろうかと思う。 ![]() これが計算結果、なるほど、今日の月なら、光っている部分の面積は、「満月」の2割くらい、全天からそれを見つけ出す「確率」も同じく、2割に減る、ほんとか?(笑)、というような、当たり前すぎて何の感動もない結果を得、それでも、またしても「時間を潰せた」ことにありがたみを感じているところですね(笑)。 ![]() 旧暦十二月二十六日の月、月の出二時間半後、昨日の「寝過ごし」を反省し(笑)、月の出は午前四時頃だが、無理をして夜更かしした、東側は、首里城につらなる小高い丘なので、顔を出すまでに一時間近くかかり、何度も屋上までの階段を行ったり来たりすることになったが、なんとか撮れた、それは結構なのだが、少し眠ってから、明け方、ふたたびカメラをさげて屋上へ登ったものの、空は青く晴れているのに、見当をつけた方向には、影も形も見当たらないのだな、薄い雲が覆っているのかも知れなかった、ほどなく太陽が昇り始めると、なるほど、この月を「追いかける」形になるから、近すぎて明るさにかき消されてしまうのだろう、「有明の月」も、昨日、「二十五日月」あたりが限界、ということなのかもしれない、そういうことも、いまさらながら(笑)、学ばれたわけだ。太陽と月とは、軌道面の傾き方も異なるし、角速度も、わずかだが月の方が遅くなるだろうが、大雑把に、24時間で360度が移転するなら、1時間当たり15度、太陽が昇った「今」が午前7時、月の出が4時だったとして、その差三時間、角度にすれば45度、なるほど、「近過ぎる」とは言えるかも知れないね。 ![]() 地球から見た、月と太陽のなす角度 トラックに乗る前に、軍装して並んだ私たちの前で、尾形大尉が言った。 「当隊は、ただいまより、匪賊討伐作戦に出動する。当隊は、明日、午前中に匪賊の拠点であるところの某村を包囲する。隷下部隊から、歩兵砲が二門来て、援護する。匪賊はむろん、皇軍の敵ではない。だが場合によっては、白兵戦もありうる。しっかりやれ」 私たちがトラックに乗って、発車するまでに、ちょっと間があって、その間に班長の大沢軍曹が補足説明した。 「おめえら、たるんでっからよ、演習の代わりに実弾の飛んで来る所に連れて行ってやっから。気合かけてやっから。匪賊というのはカレン族という民族じゃ。ビルマにはいろいろ民族がいっけど。カレンというのがいるんだな。ビルマ族は色が黒いが、カレン族は色が白い、ビルマは仏教だが、カレンはクリスチャンだ。キリスト教信仰して、親英的なんだな。親英的ということはつまり、反日的ということだ。・・・」 ・・・ ビルマに匪賊がいるとは初耳だったが、そのカレン族というのは、匪賊ではなく、ゲリラだろうと思われた。フィリピンにはフク団がいて、マライには共産ゲリラがいる。ゲリラは、どこに行ってもいるようだ。・・・ ・・・ それにしても、クリスチャンのゲリラというのは、珍しい。フク団もマライゲリラもコミュニストだった。実は私は、フィリピンのフク団はカトリックだと考えていた。フィリピン人は、民族語のほかに、三十代より上の者はスペイン語を使い、若い人は英語を使っていた。宗教はカトリックが大半だと聞かされたが、事実ルソン島では、いくつか、教会を見た。ところがフク団はコミュニストだと聞かされたので、意外な気がした。それからマライに移って、ゲリラはコミュニストだと聞かされ、さらに、そこには行ったことがないが仏印の北部やラオスにもコミュニストの匪賊がいるという話を聞かされた。そのうちに、なんとなく、ゲリラといえばコミュニストと思うようになっていた。だが、クリスチャン・ゲリラもいたわけだ。ビルマに来て、まだ一度も教会を見たことはないが、尾形の言う某村にはそれが立っているのだろう。 「白い田圃」古山高麗雄(文春文庫「二十三の戦争短編小説」所収) ![]() この後、「ゲリラ」と「匪賊」の違いが考察される、「匪賊というのは例の国策語なのだ。ワダツミ、神兵、ハッコーイチウなどと共に、・・・」、そして「私は、馬賊は嫌悪しなかったが、匪賊は嫌悪した。そこが狙い、だったのだろう。それは嫌悪されなければならなかったのだ」と結論付けつつ、「馬賊」という言葉の「ロマンチック」な響きに誘われて、少年時代の記憶に話が流れる、この作家は、現在の北朝鮮と中国との国境、鴨緑江沿いの新義州という町に生まれたのである。 ・・・ 新義州は鴨緑江に沿う国境の町で、対岸に、満州の安東(アントウ)を望んだ。・・・ 鴨緑江を遡ると朔州(さくしゅう)という小さな町があり、さらに遡ると満浦鎮(まんぽちん)という小さな町がある。・・・ 「白い田圃」古山高麗雄(文春文庫「二十三の戦争短編小説」所収) 彼の父は医者だったそうで、その患者の税関官吏が、父のもとで働く「看護婦」に懸想した話などが続くが、それが、この「カレン族の村」と称するものへの襲撃前夜の、長い「回想シーン」となっているのだ、もちろん、小説の構成上、のちに必要になる「情報」を植え込んでおいた利の技法上の問題もあるだろうが、また、無駄話であっても「紙数」を稼ぐのに必要だったのかもしれないが(笑)、そういう部分は私にはわからないけれど、どこか、この「身振り」には、記憶がある、つまり、肝心なことを書くことを、先に延ばしているのではないか?もちろん、書かねばならないのである、いや、お金や仕事の話は、差し当たり度外視しよう、書いてしまわなければ「成仏」出来ない「トラウマ」体験なのであろう、だが、同時に、書きたくない、そういう時、人は、かえって、饒舌になるものだ、ということは、まさに、自分を振り返って、知っている。 「安東」は、現・中国遼寧省・丹東市、「新義州」は現在も、新義州市(Sinuiju/신의주시)、「満浦鎮」は、現・満浦市(Manpo/만포시)、いずれも朝鮮民主主義人民共和国の町、その間にあるとおぼしき「朔州」、は発見できず。 ![]() ワタツミ:神話上の海の神、「古事記」では、綿津見神(わたつみのかみ)、大綿津見神(おおわたつみのかみ)、「日本書紀」では、少童命(わたつみのみこと)、海神(わたつみ、わたのかみ)、海神豊玉彦(わたつみとよたまひこ)、等の表記がある、とのこと。 ・・・ 「フク団」との関連で、フィリピン史を瞥見すると、・・・ 1521年、マゼラン率いるスペイン艦隊到着、以降19世紀末、ホセ・リサールJosé Rizal(1861-1896)、エミリオ・アギナルドEmilio Aguinaldo(1869-1964)などの独立運動が活発化するまで、スペイン植民地 1898年、米西戦争勃発 1899年、独立宣言、第一共和国、アギナルド大統領 1901年、アギナルド、米軍に逮捕され、第一共和国崩壊 1916年、アメリカ合衆国内フィリピン自治領成立 (1929年世界恐慌下、フィリピン産砂糖が、アメリカ産甜菜糖、キューバ糖を脅かすとして、排斥運動、関税を課すための独立認容の声が高まる) 1935年フィリピン・コモンウェルス成立、初代大統領マニュエル・ケソンManuel L. Quezon(1878-1944) 1941年12月日本軍マニラ上陸、翌年前半にかけて全土占領 1943年10月、日本占領下で、ホセ・ラウレルJose P. Laurel(1891-1959)を大統領として独立(第二共和国)、アメリカは、日本の傀儡だとして承認拒否 1944年末、米軍上陸、その以前から、親日ゲリラ「マカピリMakapili/比島愛国同志会」、親米反日ゲリラ「ユサッフェ/USAFFE」(元来U.S. Army Forces Far Eastであるが、日本による占領後ゲリラ化)、フィリピン共産党指導下の抗日ゲリラ「フクバラハップHukbalahap(フク団)」間の戦闘 1946年、日本敗北後のアメリカ植民地支配から、再独立、第三共和国 1950年代、「冷戦」下、フクバラハップ、地主支配との闘争を継続するが、ラモン・マグサイサイRamon Magsaysay(1907-1957)のもとで、壊滅的弾圧を受ける 1965年~、フェルディナンド・マルコス大統領の独裁体制 1969年、フィリピン共産党(CPP)再建、「新人民軍(NPA New Peoples Army)」結成 1986年2月22日、「ピープル・パワー・レヴォルーション/People Power Revolution」 ・・・ 僕が最初に上陸したのは、フィリピンのルソン島でしたが、そのころの日本には、まだ輸送能力があったのでしょうね、ルソン島ではカバナツアンという町が駐屯地だったのです。 ・・・ ただ僕は、マライのクアラルンプールで、ディゴの樹の根もとに何通も手紙を埋めたことを憶えています。ディゴの樹は、ビルマでは見当たらないようですが、僕はあの樹の緑が好きでした。ディゴの葉は、柔らかな緑の光がすき透るのです。 ・・・ ここへは、ネーパン村からまっすぐ、トラックで来ました。正確にいえば、ボーシという町までトラックで来て、そこからが徒歩の行軍でした。ネーパン村を出ると、イラワジ河を渡って、ラングーンに出て、ラングーンから北上してマンダレーに来て、マンダレーから山道になりました。 マンダレーまでは、一面の大平野でした。ビルマの平野も広いよ。満州ぐらいあるんじゃないかな。地平線から日が昇り、地平線に沈みます。・・・ ・・・マンダレーから、ラシオをいう所を通って、前記のボーシという所に来たのですが、ボーシというのは、支那とビルマの国境から少しばかり支那に入った所らしいのです。僕はネーパン村を出るとき、北ビルマに行くと聞いたので、ではミートキーナあたりに行くのかな、と思っていました。それは、今年の五月ごろ、ミートキーナにイギリスの空挺部隊が攻めて来て、激戦が続いていると聞かされていたからですが、僕たちが運ばれてきたところは、中国の雲南省でした。こことミートキーナと、どれぐらい離れているのか、僕にはわかりません。なにしろ僕たち一等兵には、ほとんど何もわからないのです。・・・下士官の説明によると、僕たちが通って来た山道は、テンメン公路といって、もとは、インドから重慶に物資や兵器などを運ぶために、イギリスが作ったいわゆる援蒋ルートと呼ばれる道路なのだそうです。それを日本軍が、リュウリョウだとか、トーエツだとか、ラーモーだとかいう要衝の町を占領して、切断していたのだそうです。ところが重慶軍が反撃してきてリュウリョウだとか、トーエツだとか、ラーモーだとかの守備隊は包囲されていて、全滅になりかかっているのだそうです。そしてその守備隊を助け出すのがこの作戦の目的なのだそうです。つまり、トーエツやラーモーより、もっとこちら側まで攻めて来ている重慶軍を、トーエツやラーモーの向こう側まで押し返してしまえば、守備隊を助け出すことになるのです。・・・何でも、リュウリョウとラーモーとトーエツのうちでは、一番手前にあるのがリュウリョウであって、ラーモーとトーエツはリュウリョウよりもう少し遠いところにあるのだそうです。・・・ テンメン公路というのはね、トーエツを通り、ラーモーを通り、昆明を通り、重慶に通じているのだそうです。トーエツは、公路から離れているのだと聞かされました。この重なり合った山々の向こうには、サルウィン河が流れ、その向こうには、四川盆地があって、そこに蔣介石がいるのだと聞かされました。 「蟻の自由」古山高麗雄(文春文庫「二十三の戦争短編小説」所収) ![]() フィリピン、ルソン島、「カバナツアン」 ![]() これは、当地、沖縄の、昨年五月ごろだ、デイゴ(マメ科)の花と、メジロ(メジロ科)、残念ながら「葉」は写っていないね(笑)。 ・・・ ![]() テンメン公路/Burma Road/滇缅公路/滇緬公路 上の図面に見える「Bham」は「Bhamo」であるらしく、ミャンマー、カチン州の都市、「ボーシ」とは、ちょっと似ていないかもしれない、同じく「Tengchong」が、「腾冲/騰衝」であるから、これが、「トーエツ」かも知れない、「Wanling」は「海南省・湾岭/灣嶺」を指すようだから、「Wanding」の誤りであろう、「Yunnanyi」は「云南」、「彝」、シノ―チベタン語族四川彝語Sino-Tibetan/Yi(Nuosu) language、を指しているのではないかと思われる。 ![]() 「テンメン公路」を含む連合軍の「援蒋ルート」 wikipedia中国語版「滇缅公路」には、以下のような里程標が掲載されている。 Kunming昆明市(Yunnan雲南省/中国)―0km Anning安宁市(Yunnan雲南省/中国)―33km Chuxiong City楚雄市(Chuxiong Yi Autonomous Prefecture楚雄彝族自治州/Yunnan雲南省/中国)―168km Nanhua County南华县(Chuxiong Yi Autonomous Prefecture楚雄彝族自治州/Yunnan雲南省/中国)―204km Dali大理市(Dali Bai Autonomous Prefecture大理白族自治州/Yunnan雲南省/中国)―378km Yongping County永平县(Dali Bai Autonomous Prefecture大理白族自治州/Yunnan雲南省/中国)―478km Baoshan保山市(Yunnan雲南省/中国)―579km Longling County龙陵县(Baoshan保山市/Yunnan雲南省/中国)―721km Mangshi芒市(Luxi潞西市)(Dehong Dai and Jingpo Autonomous Prefecture德宏傣族景颇族自治州/Yunnan雲南省/中国)―748km Wanding Town畹町镇(Dehong Dai and Jingpo Autonomous Prefecture德宏傣族景颇族自治州/Yunnan雲南省/中国)―833km Muse木姐/Shan State/Myanmar―905km Lashio腊戍/Shan State/Myanmar―1453km 下に掲げる直線距離の積算値と比べて、およそ2倍以上にもなっているから、如何に、曲がりくねった道のりであるかが、わかるというものだ。 ![]() ![]() ![]() これは他の作品に確か書いてあったと思うが「ネーパン村」というのは、架空の村、というよりは、実在するのだが、名称は変えてある、とのことだった、この作品を初めて読んだのは、2016年の5月、思えば大変な時期だった、リナさんの事件があって、6月に県民大会があって、「ツィッター」などというものを始めて、7月に参議院選挙と高江の工事開始があった、・・・、「太平」でもなかったが、「眠り」を醒まされて、「老骨に鞭打つ」日々が、し・ば・ら・く・は、続くことになったのだから、そもそも、「シールズ」という若者たちの運動が話題になっていて、それにもかかわりのあった高橋源一郎の書物の中に、この作家のことが書かれていたからだったな、・・・、「ネーパン村」から、ラングーン、現・ヤンゴン、に出るのに、イラワジ河を渡った、とあるから、その架空の村は、ヤンゴンの西方数十キロあたりに想定されているように思われる、マンダレー以降「テンメン公路」沿いらしきいくつもの地名のうち、「リュウリョウ」は、別の作品の中で同じ町らしきものが「龍陵」と表記されていたから、「Longling/龙陵」で間違いなかろうと思う、また、「トーエツ」は「Tengchong/腾冲」にしておこう、それ以外は、ちょっと無理みたい、・・・、私は、当地に来て二十年、海洋に浮かぶ島なのだから、水平線から日が昇り、水平線に日が沈むのは、何度も見たけれど、「地平線」というものを、見ることなく、終わることになるだろうな、私の生まれた阪神間とか、長く暮らした京都盆地とかは論外だが(笑)、少しだけ過ごしたことのある「関東平野」だってなかなかのもんだったが、一体「地平線」というものが「見える」条件は、何なのだろうか?また、暇に任せて(笑)、考えてみることにしよう、・・・。 ![]() 例えば、上の図で、Pというのが、標高h[m]の山の頂上、としよう、そこからr[km]隔たったQ地点では、その頂が、「地平線」に隠れてしまうのである、ならば、そこ、つまりQから、半径r[km]にわたって、h[m]級の高さの山が一切なく、「平地」が広がっていたとしたら、ちゃんと「地平線から日が昇り、地平線に沈み」、を経験できることになるね、 h=500、ならば、r=80.00 h=1000、ならば、r=113.14 なるほど、マンダレーの南西の方角にある平野ならば、東西百数十キロばかりの広がりがありそうだから、それもあり得たかもしれない。 ・・・ ラングーンからマンダレーまで、何時間くらいかかったのだったろう?ラングーンからマンダレーまで、直線距離だと六百キロ足らずである。道が曲がっているから、もっと自動貨車は走ったわけだが、しかし、出発した翌日には、休憩をしたり、飯盒炊爨をしたりの行軍でも、到着したのであったろう。 マンダレーの兵站でも何泊かしたのだ。それからシャン高原の山道に入って、芒市というところから徒歩行軍になったのだ。芒市はすでに中国領であった。私たちは北ビルマから国境を越えて、中国の雲南省に入ったのだった。 「戦友」古山高麗雄(文春文庫「二十三の戦争短編小説」所収) 私は、ネーパン村に駐屯していたとき、カレン族討伐作戦に連れて行かれた。そのときのことを、私は「白い田圃」という大の短編小説に使っている。ビルマの国民は、全体の七〇パーセントはビルマ族であって、約一〇パーセントのカレン族が、ビルマ族に次ぐ多数民族だという。そのほかに、シヤン族、チン族、ムン族、印度人、華僑がいるが、戦争中、ビルマ族は親日的で、カレン族は親英的だとされていた。 下級兵士であった私には、ビルマの国内事情など、皆目わからなかった。ビルマにカレン族という民族がいることを、そのときはじめて知った。知ったかぶりの下士官が、カレン族は親英的であり、キリスト教徒であり、したがって、親日的で仏教徒であるビルマ族とは仲が悪い。そういう民族だから、諜報活動をしている。だから討伐しなければならないのだ、と説明した。 ・・・ その説明を私は鵜呑みにしたが、戦争が終わったあと、本で調べて、ビルマのカレン族には、山地カレン族と平地カレン族とがいることを知った。山地カレン族は、モールメン北方の山地に住んでいて、キリスト教徒とは、山地カレン族のことである。私たちが討伐に行ったのは、ネーパン村南方のイラワジデルタに住んでいる平地カレン族であったが、平地カレン族は、別にクリスチャンではない。 「戦友」古山高麗雄(文春文庫「二十三の戦争短編小説」所収) まず、これで、上の「ボーシ」が、なるほど、漢字をそのまま日本語風に読んだのだな、「芒市」であることがわかったわけだ。 「カレン族」は、それ自体がきわめて多様性に富んだ、多くの言語民族集団の総称であるらしく、従って、分類に関してなお議論があるようで、例えば、上の図表の中では、「7%」を占めることになっている「Karen」と、「0.8%」の「Kayah/Red Karen」とは別扱いになっている、「Kayah」という名前の州は、確かに、「モールメン北方の山地」であるから、こちらが、「山地カレン」におおよそ該当するのかもしれない、確かに、バプティストをはじめとする、キリスト教徒の占める率は、高いのである、どうやら、歴史的には、イギリス植民地時代、バプティストBaptistの宣教団が、集中的にカレン族の間に布教、かつ、キリスト教化したカレン族の住民を、植民地当局が、軍人への登用、議会への関与等、ビルマ族にはありえないような差別的な優遇策をとったらしい、そして、そのような、優遇を受け、「西洋」での教育を受けた知識人層から、統一的な「カレン族」という「民族意識」が、は・じ・め・て・生まれて来た、という事情のようである、またしても、イギリス帝国主義の、往々にして恣意的、場当たり的な、「分割統治」が、のちの長い長い年月にわたる「第三世界」の「民族紛争」の遠因を与えている、という図式を、ここにも見ることになる訳である。 ![]() ![]() ![]() 班長は鈴木班長だけしか来ていなかった。鈴木班長や梅ちゃんは、ガダルカナルの生き残りである。勇部隊は、開戦時にジャワを攻略し、そこからガダルカナルに転じて壊滅的な状態となった。生存者は、ブーゲンビルを経てフィリピンに撤退した。一平さんや菊さんや私は、師団再建のための壊滅分の補充要員としてフィリピンに送られたのである。 「優勝記略」古山高麗雄(文春文庫「二十三の戦争短編小説」所収) ![]() ![]() 勇三九部隊が、最も長期にわたって駐屯したのは、ビルマのネーパン村だった。ネーパンという寒村の記載されているビルマの地図は、日本では市販されていない。私の知っている限りでは、ネーパン村の所在が示されている地図は、ビルマから復員した軍人のあるグループの人々が作成した白地図に、おそらくそこには勇の指令部が駐屯していたという理由で記載されているのがあるのみである。 「優勝記略」古山高麗雄(文春文庫「二十三の戦争短編小説」所収) ![]() また記憶違いであった、「ネーパン村」は、「架空」なのではなくて、ただ、「市販」の地図には載っていない、とあったから、当然のように探索を諦めたのであった、わずか五年ほど前に読んだものなのに、こんなにもいい加減なことを言っている、自分の頭の悪さを棚に上げて(笑)、「人間というものは」という一般論に流し込んでおこう、アメリカ帝・国・主・義・の軍需産業の一翼を担う、某Gマップがそんな手抜きの仕事をするわけがない、改めて、ヤンゴン北西部イラワジ川近く、しかし、河岸ではなく、少し離れた、という手がかりで、探してみよう、前回も引用したこの記述、・・・ ネーパン村は、イラワジ河の、中流もしくは下流の沿岸にある。沿岸と言っていいだろうか。ネーパンから河は見えないのだ。 だが、河からいくらも離れていないのは確かだ。ネーパンから東へ、七キロから八キロ、せいぜい十キロもいけば、河に突き当たるのではないか、と思っている。私は、ネーパンに来たときのことを思うと、そんな気がするのだ。私は泰緬鉄道でタイからビルマに入って、モールメン、ペグー、ラングーンなどという町を経て、西へ西へと来た。そのとき、サールウィン、シッタン、イラワジを渡り、河の名を覚えた。鉄道は、イラワジの東方で切れていて、そこから徒歩の行軍になった。 「白い田圃」古山高麗雄(文春文庫「二十三の戦争短編小説」所収) 「ペグー」は現Bago、「ラングーン」は現Yangonである、この地図の左上の方にある、「Neik Ban」でどうだろう?イラワジ河岸に出るのに、10km程度、地図を拡大してみると、村役場と八百屋と電器屋が一軒ずつ、「パゴダPagoda」というのは仏教寺院だろうか、「モナステリーMonastery」というのも、やはり仏教の修道院なのだろうね、そんなものが散見できるくらいの、だから「寒村」と言っていいのだろう、・・・、きっと見つけられない、と心に決めていたものが、割合あっさりと見つかってしまったものだから(笑)、勝手な話だが、かえって気が抜けてしまったような感じさえするね。 ・・・ マルグリット・デュラス「愛人(ラ・マン)」を、何十年ぶりかで読み直すことにしたのは、たまたま、立ち寄った古本屋で捨て値で売られていたからだし、林芙美子の方は、これまたたまたま、関川夏央「汽車旅放浪記」を、何を思う事があったのか記憶にないが、やはり再読し始め、そこに林芙美子「放浪記」の、まさに「汽車旅」が詳細に検討してあった(笑)からだな、ずっと以前、島崎藤村「新生」、いや、石堂清倫「わが異端の昭和史」に、島崎こま子氏が、京都の北白川で、京大の「社会科学研究会」の共産主義者の学生たちを支援していたという話を読んだことがそもそものきっかけだが、その、二人の関係の破綻について、林芙美子が雑誌の記事のなかで、手厳しく藤村批判を行ったという話も、少しは気がかりであったが、いずれにしても「浮雲」を、これまた、古本屋で100円もしない値段で売られていた文庫本を、とりあえず買っておいたものだった、そんなに愉快な読後感を与えてくれるわけではない(笑)この書物を、なんとか読み通す事が出来たのは、そういえば、こんな風に、地図をつくったり、距離を計算したりという「手法」は、「鉄道マニア」たる関川夏央の「受け売り」なんだね、「仏領インドシナ」の、地名や風物に対して、の興味だ・け・だった、と言ってもいい、・・・、これらみな、「2月1日」以前のことなのである、こうして、またしても、他人様の「不幸」をきっかけとして、他人様の暮らす土地について初めて興味を抱く、ということに対する「罪悪感」を自分のなかに認めながらも、・・・、きっと、似たような理由で、「急遽」関心を抱くに至った人も多々存在し、だから、この種の書物にも、あるいは「注文が殺到」しているのかもしれないが、改めて、「東南アジア近現代史」を、遅まきながら、学ぶことにしたのだった、・・・、その昔、「アジ演説」の冒頭は、「あの、1975年の、ベトナム人民の、民族解放闘争の偉大な勝利によって、追いつめられたアメリカ帝国主義者は、・・・」と始めるのが定番であったし、「民主カンプチア」反越三派連合政権の構成党派の正式名称をよどみなく挙げることができたにもかかわらず、私の「知っていること」は、まことにそのような「お題目」でしかないことは、そのときから、十分自覚していたから、敢えて、「学び直す」などとは言わない、・・・、そんなわけで、ともかく、始めてみる、「入門・東南アジア近現代史」岩崎育夫(講談社現代新書)、を読む。
「入門・東南アジア近現代史」岩崎育夫(講談社現代新書) ![]() ![]() ・・・ ![]() ![]() ・・・ Thailand
![]() ![]() ![]() Tai-Kadai languages,Austroasiatic languages,Hmong–Mien languages ![]() ![]() Austronesian languages,Austronesian languages/Malayo-Polynesian languages ![]() ![]() Sino-Tibetan languages(■Lolo-Burmese■Karen),Dravidian languages,Indo-Iranian languages ![]() ・・・ Japanese occupation of Malaya History of Malaysia
![]() ヤンゴン市街図 【訳注】ミャンマーの民族構成について 人口比で上位10の民族集団について、その主要言語、宗教構成についての一覧を作成した、上のインタヴューに登場する「チン族」、は、その9番目に位置し、人口構成の上では1%と言われている、もう一人の所属する「ナガ族」は、主に、シノ―チベタン語族ナガ諸語Sino-Tibetan/Naga languagesを話す民族で、ミャンマー北西部と、インド北東部を居住地とする、インドには、ミャンマー国境地帯に、ナガランドという州が存在する。この集団は、ロヒンギヤ同様、「その他」の5%に含まれると思われ、従って、人口比では、0.8%未満、ということになろう。 ![]() ![]() インド、州区分図 また、下図は、インドシナ半島5カ国について、「主要」構成民族について、言語上の大分類「語族」に関する広がりを見たものである、リストの上位にあるものを恣意的に並べただけであるから、人口比を正確に反映しているとは言い難いが、それでも、シノ―チベタン語族、タイ・カダイ語族、オーストロアジア語族、オーストロネシア語族、ミャオ・ヤオ語族、五つの大分類にわたる民族集団が、このような狭い地域に混在しているのは、世界にも類例がないであろう、・・・、なお、この中に、ミャンマーの少数派、インド系を加えれば、さらに、ドラヴィダ語族、インド―ヨーロッパ語族、の二つが付け加わることになる、これらの人々は、イギリス植民地統治下に、植民地政府によって、軍人、労働者、として、計画的に、連行ないし、移住を奨励された人々の子孫が多くを占めると言われている、ロヒンギア人もまた、インド―ヨーロッパ語族に属する言語を話す民族であるが、この人たちが、ミャンマー西部に居住することになった由来が、イギリス植民地支配と関係があるのか否かは、まだ、調べていない。 ![]() インドシナ半島諸民族の、「語族」による分類 ![]() 「花鳥図」、への、「反復強迫」、あるいは、「梅に鶯」かも知れないが、「桜には目白がよく似合う」について。 ![]() ![]() シロハラ(ツグミ科)、「有明」の月を探しに、屋上に上がって、ようやくまわりが明るくなってきて、今日もいるかな?と、隣の草むらをのぞきこむ、これで三回目だ(笑)、ひょっとしたら、「同一人物」?、同じ個体なのかも知れないね、確かめようもないけれど。 ![]() ![]() ![]() メジロ(メジロ科)、ヒカンザクラ(バラ科) ![]() リュウキュウコザクラソウ(サクラソウ科) ![]() ホウキギク(キク科) ![]() カタバミ(カタバミ科) ![]() シロガシラ(ヒヨドリ科)、ヒカンザクラ(バラ科) ![]() キセキレイ(セキレイ科) ![]() ムラサキカタバミ(カタバミ科) ![]() ![]() シロガシラ(ヒヨドリ科)、ヒカンザクラ(バラ科) つい先日は、観測史上何番目、とかいう冷え込みだったのが、今度は、連日の「夏日」です、などと言うニュースが伝わってくる、まことに「中庸」というものを知らない(笑)、などと「都人」は、思わず、憤慨してしまう。大雑把に、赤道のまわり、北回帰線、北緯23.4度、と南回帰線、南緯23.4度、に挟まれたエリアは、年がら年中、一日のうちに、太陽が、直上から照射する瞬間を持つから、受け取る放射熱量も多い、これが概ね「熱帯」であり、当然にも「季節の変化」などと言うものは乏しくなる、一方、その23.4度という、地球の太陽に対する公転面の法線と、自転軸とのなす角度を、直角から減じずると、 90-23.4=66.6 となるが、今度は、北緯66.6度以北、および南緯66.6度以南の、「極地」帯では、一年の半分が、一日中太陽が沈まない日々、残り半分が、一日中太陽が昇らない日々、に分けられるわけで、これまた、「季節の変化」、少なくとも「四季」などと言うものとは、縁がありえない世界なのだ、従って、その間に位置するエリア、南北それぞれ、23.4度と66.6度との間の帯状の地帯のみが、言いたければ、「春夏秋冬」、「スプリング、サマー、オータム、アンド、ウインター」、前に紹介したが、「アフリカ、お前をむしり取る」という映画、熱帯に位置するカメルーン、ブリティッシュカウンシルでの英語授業風景だから「オータム」なのだ、アメリカ人、私は知らなかったのだが、内田樹が「私家版ユダヤ文化論」(文春新書)の中で、挙げていたから初めて知った、キャロル・キングCarole Kingは、ユダヤ系アメリカ人だそうなのだが、その「ユーヴ・ガッタ・フレンドYou've Got a Friend」の歌詞は、「ウィンター、スプリング、サマー、オア、フォール」だった、フランス語はなんていうんだっけ?「プランタン」しか思い浮かばないな、あとで調べよう(笑)、と、「四季」の存在を謳歌できるのだ、それが「当たり前」に感じられるとしたら、それは、単に、「資本主義」が、この帯状地帯のうちの北半球の、しかしかなり北限に近い場所から勃興し、みるみる「世界」を「支配」することができたからに過ぎない、茶も、コーヒーも、カカオも、サトウキビも、ゴムノキも、その「支配」を可能にした産品は、ことごとく、「熱帯」原産であったにもかかわらず、当地那覇市は、北緯26度あたりだから、南限に近いとはいえ、その北半球の帯状地帯に属しているわけだが、島の近傍を「黒潮」と呼ばれる暖流が通過していることもあって、「亜熱帯」気候に数えられるわけだ、なんの話か、だんだん分からなくなってきたが(笑)、「四季」がない、と侮って、嘆いて見せるしぐさは、まことに歴史的に、「植民地主義者」の身振りに根差しているのだ、とでも言ってオチをつけることにする(笑)、で、まさかこのまま「春」は当然のようにすっ飛ばして、「夏」になるとも思えない、もう一度や二度、冷え込みの揺り戻しがくるに違いないのだが、今が「立春」と「雨水」の間、「啓蟄」はその次だからまだ先だが、それって、春の訪れとともに、虫なんかが、蠢き始める、という意味なんだろ?あ、「 ![]() ゴイサギ(サギ科) ![]() ミサゴ(タカ科) ![]() ![]() イソヒヨドリ(ツグミ科)・メス、で、そのあと、せっかく外に出たんだからと、農協スーパーにお買い物、先日、ミサゴの雛が困惑しているのを目撃した干潟のそばの川べり、もう、「桜に目白」もシロガシラも、ちゃんと撮れた気でいたから、潮目もよくなかったし、対岸に、ゴイサギ(サギ科)を発見したところで、今日は長居せずに退散、数年前、そうね、2016年秋から2019年の春まで、短い期間だったね(笑)、「辺野古」や「高江」に「決起」していた頃は、この季節、帰り道には名護の農協スーパーで、必ず買って帰ったものだった、この島の北部は、隆起サンゴ礁の南部とは異なって、非・石灰岩の堆積岩を基盤とする「高島地形」、地質がなじむのか、地形がよいのか知らないが、シークワサーにしても、柑橘類は、「やんばる」の特産だ、そこに出かけなくなってしまったし、貧乏でもあったから(笑)、買うのは久しぶり、もちろん、賞味期限切れ間近だから安かったから買った、これが、タンカン。 ![]() ![]() タンカン「桶柑」、ミカン科、ポンカンとネーブルオレンジの自然交配種、中国広東省原産、18世紀末、台湾へ、続いて、19世紀末、南西諸島へ移植、とのこと。 ![]() 沖縄近傍での「黒潮」の経路 ![]()
「なんて言ったん?」 父に問うと、 「神のご加護がありますように。」 それは、僕が生まれて初めて聞いた言葉だった。意味は分からなかったが、きっと、今まで聞いた中で、一番奇麗な言葉だった。 「エジプト語では?」 「アッサラームアレイコム。」 その言葉も、僕が聞いた言葉の中で、やはり一番奇麗な言葉だった。アッサラームアレイコム。 「サラバ」西加奈子(小学館) ![]() 1.'alif「単独形」 ا 23.laam「左接形」 لـ 12.siin「両接形」 ــســ 1+23.'alif+laam「合字」「右接形」 ـلا 24.miim「単独形」 م ここまでで、「アッサーラム」 السلام 18.'ayn「左接形」 عــ 23.laam「両接形」 ــلــ 28.yaa'「両接形」 ـيـ 22.kaaf「両接形」 ـكـ 24.miim「右接形」 ــم そして、「アレイコム」 عليكم このブログでは「Ariel」というフォントが使えないようなので、ところで「Ariel」って、シェークスピア「テンペスト」に出てくる妖精、ではないか?プロスペロが植民地主義者で、それに対する被植民者の二つに分裂した態度、「コロニアル・メンタリティー」の二面性、攻撃的なカリバンと、過度に迎合的なエーリエル、という話だったね、元来はヘブライ語で「神のライオン」という意、フォント名に用いられた由来は不明、・・・、それはさておき、まるで違った綴りに見えてしまうが、ほれ、これを「Ariel」書体で、画像ファイルにしたら、こうだから、ね、合ってるでしょ? ![]() アラビア語アルファベット 「アラビア語入門」的なサイトでの、説明 ![]() 20210209 001 ![]() ![]() ![]() ![]() シロハラ(ツグミ科) ![]() ![]() シロガシラ(ヒヨドリ科) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() シロハラ(ツグミ科)
![]() ![]() ![]() Bhagat Singh(1907-1931)、現在のパキスタン・パンジャブ生まれの、社会主義革命家、インド独立運動闘士、同じく、独立運動の英雄、ララ・ラジャパット・ライ暗殺への報復として、イギリス植民地当局の警察官を殺害、23歳で死刑に処せされた。「Singh」という姓は、シーク教徒のものであると思い込んできたが、この人の親類縁者には、シーク教徒ばかりでなく、ヒンズー教徒もいるようで、独立運動の闘士をあまた産み出した家庭であったようである。 Lala Lajpat Rai(1865-1928)、1920年、インド国民会議派党首、1917年から1919年まで、アメリカ合衆国に滞在、この時期、のちに中国革命に参加することになるアメリカ人女性、アグネス・スメドレーが、ニューヨーク大学で、教授を受けたことが、「中国の歌こえ」(みすず書房)の記述に見える(下の記事↓参照)。この人はヒンズー教徒だったが、カースト制度に反対する改革をとなえていたという。 「ハリウッド、ロック・ザ・カスバ、漆喰とアスファルト、新宿のカレー店、など、・・・、いくつかの『備忘』」・・・「ねこログ」記事 65 Days Strong Singhu Morcha/Jassi Sangha、シングー・ボーダーにおける抗議行動のドキュメントのようである(英語字幕付き) ![]() 20210213 001 ![]() ![]() ヒヨドリ(ヒヨドリ科) ![]() ![]() ![]() シロハラ(ツグミ科) ![]() メジロ(メジロ科)、ヒカンザクラ(バラ科) ![]() リュウキュウシロスミレ(スミレ科) ![]() リュウキュウコスミレ(スミレ科) ![]() ダイサギ(サギ科) ![]() アオサギ(サギ科) ![]() タガラシ(キンポウゲ科) ![]() シマツユクサ(ツユクサ科) ![]() ヤエムグラ(アカネ科) ![]() シロガシラ(ヒヨドリ科)、ヒカンザクラ(バラ科) ![]() ![]() ![]() ヒカンザクラ(バラ科) ![]() トックリキワタ(アオイ科) ![]() リュウキュウコスミレ(スミレ科) ![]() シロハラ(ツグミ科)
![]() 一昨日が、「旧正月Lunar New Year」、だったのだから、これが、「三日月」、クロワッサンCroissant、そして「四日月」、「五日月」。 ![]() ![]() ![]() 旧暦一月三日の月、月の入二時間前
![]() ![]() 旧暦一月四日の月、月の入三時間前 ![]() ![]() 旧暦一月五日の月、月の入四時間前 ![]() 20210218 001 ![]() ヒヨドリ(ヒヨドリ科) ![]() ![]() キセキレイ(セキレイ科) ![]() コチドリ(チドリ科) ![]() ヒドリガモ(カモ科) ![]() ![]() アオアシシギ(シギ科) ![]() ![]() イソシギ(シギ科) ![]() ![]() カワウ(ウ科) ![]() 20210222 001 ![]() ![]() スズメ(ハタオリドリ科) ![]() 旧暦一月九日の月、月の出四時間後 ![]() 旧暦一月九日の月、南中 ![]() アキノノゲシ(キク科) ![]() シマキツネノボタン(キンポウゲ科) ![]() トキワハゼ(ゴマノハグサ科) ![]() ![]() ヒカンザクラ(バラ科) ![]() ![]() ![]() サシバ(タカ科) ![]() ![]() メジロ(メジロ科) ![]() ユウゲショウ(アカバナ科) ![]() オニタビラコ(キク科) ![]() ![]() キセキレイ(セキレイ科) ![]() 旧暦一月十日の月、月の出四時間後 ![]() 旧暦一月十一日の月、月の出三時間半後
![]() ホウキギク(キク科) ![]() リュウキュウコザクラソウ(サクラソウ科) ![]() シロガシラ(ヒヨドリ科)、ヒカンザクラ(バラ科) ![]() キセキレイ(セキレイ科) ![]() シロハラ(ツグミ科) ![]() メジロ(メジロ科)、ヒカンザクラ(バラ科) ![]() イソヒヨドリ(ツグミ科)・メス
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2021.03.01 02:07:20
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