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ねこログ

2022.05.19
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コアジサシ(カモメ科)

シロチドリ(チドリ科)

セッカ(ウグイス科)

ヒヨドリ(ヒヨドリ科)

アダン(タコノキ科)


「ねこログ」、総目次(笑)/「スクラップ・ブック」、の、目次。
目次:「放蕩息子の帰還」の聖書談義、「イナゴマメ」、あるいは、キャロル・キング「タペストリー」の猫/「あくがれる」、枕草子談義、アカショービンとホトトギスの思い出/「於菟」、「芥川」、「白玉」、もちろん、「伊勢物語」と、川上弘美、山崎ナオコーラ/「アンチポデス」と「アナクロニズム」、そして、「その内部まで金無垢のようにぎっしりつまったエクゾティシズム」、・・・、澁澤龍彦「高岳親王航海記」を読む/雨上がりが待ち遠しい、蝶たちの「乱舞」、カバマダラAfrican Monarch、はまだ現れないが、それにまつわる「擬態」、「毒/薬」談義/「笑いかわせみ」の歌をどうして覚えているのか?「小児期健忘」とか、「テレビの歴史」とか/もちろん、「不快感」の由来は、そこにあるのではなくて、・・・、その歌を「覚えている」という事実を、「隠蔽」したいという欲望であるに違いない/「不忘」という言葉を使おうとは思わない、「鎮魂」というのは、生者が死者のことを、きっと、かならず「忘れてしまう」ことに対して、死者に対して寛恕を乞う行為だと思う・・・23年前と33年前の6月4日をめぐる「私事」、など。/




「放蕩息子の帰還」って、何だ?一度失われた、と思われたものが、戻って来た、それは、結構なことではないか?、あ、それなら、わかる!
「ルカによる福音書」第15章11~32、裕福な父に、二人の息子があって、弟の方が、「相続財産」の「生前贈与」を要求、受け取るや、旅に出て、放蕩の限りを尽くし、すっからかんになった、・・・、「いなご豆」とはなんだろう?地中海原産の、マメ科ジャケツイバラ亜科の常緑高木、同亜科の常緑高木、なら、当地では、ナンバンサカイチ、ホウオウボクがある、ナンバンサカイチは、巨大な「ソーセージ」大の鞘を垂らし、確か、健康食品として、通販で取引されているようである、この、イナゴマメは、古代より、イネ科のサトウキビ導入以前の時代、甘味料として利用されたとのこと、また、家畜の飼料でもあった、英語版では、「husks」となっていて、これは、穀類の「殻」という意味らしい、wikipedia日本語版「イナゴマメ」に、この「ルカ伝」記述への言及があるから、おそらく、ヘブライ語音訳Charuv、ギリシャ語音訳kerátiōn、英語carobにあたるものが、聖書には、記されていたのであろう、ちなみに、宝石の重さの単位の「カラット」は、これが語源、とのこと、・・・、で、そんな、豚の飼料にするもので、飢えを満たしていたが、詫びを入れて父の家に帰ることを決断、「雇い人でもいいから置いてください」とへりくだるが、父は、大歓迎、ご馳走まで振る舞う、従順な長兄は、これに不満を述べるが、父が、こう答えるのだ。
・・・
15:11また言われた、「ある人に、ふたりのむすこがあった。
15:12ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。
15:13それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。
15:14何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた。
15:15そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。
15:16彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった。
15:17そこで彼は本心に立ちかえって言った、『父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。
15:18立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。
15:19もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』。
15:20そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。
15:21むすこは父に言った、『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません』。
15:22しかし父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。
15:23また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。
15:24このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから祝宴がはじまった。
15:25ところが、兄は畑にいたが、帰ってきて家に近づくと、音楽や踊りの音が聞えたので、
15:26ひとりの僕を呼んで、『いったい、これは何事なのか』と尋ねた。
15:27僕は答えた、『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事に迎えたというので、父上が肥えた子牛をほふらせなさったのです』。
15:28兄はおこって家にはいろうとしなかったので、父が出てきてなだめると、
15:29兄は父にむかって言った、『わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません。
15:30それだのに、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこのあなたの子が帰ってくると、そのために肥えた子牛をほふりなさいました』。
15:31すると父は言った、『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。
15:32しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』」。
ルカによる福音書
15:11 And he said, A certain man had two sons:
15:12 And the younger of them said to his father, Father, give me the portion of goods that falleth to me. And he divided unto them his living.
15:13 And not many days after the younger son gathered all together, and took his journey into a far country, and there wasted his substance with riotous living.
15:14 And when he had spent all, there arose a mighty famine in that land; and he began to be in want.
15:15 And he went and joined himself to a citizen of that country; and he sent him into his fields to feed swine.
15:16 And he would fain have filled his belly with the husks that the swine did eat: and no man gave unto him.
15:17 And when he came to himself, he said, How many hired servants of my father's have bread enough and to spare, and I perish with hunger!
15:18 I will arise and go to my father, and will say unto him, Father, I have sinned against heaven, and before thee,
15:19 And am no more worthy to be called thy son: make me as one of thy hired servants.
15:20 And he arose, and came to his father. But when he was yet a great way off, his father saw him, and had compassion, and ran, and fell on his neck, and kissed him.
15:21 And the son said unto him, Father, I have sinned against heaven, and in thy sight, and am no more worthy to be called thy son.
15:22 But the father said to his servants, Bring forth the best robe, and put it on him; and put a ring on his hand, and shoes on his feet:
15:23 And bring hither the fatted calf, and kill it; and let us eat, and be merry:
15:24 For this my son was dead, and is alive again; he was lost, and is found. And they began to be merry.
15:25 Now his elder son was in the field: and as he came and drew nigh to the house, he heard musick and dancing.
15:26 And he called one of the servants, and asked what these things meant.
15:27 And he said unto him, Thy brother is come; and thy father hath killed the fatted calf, because he hath received him safe and sound.
15:28 And he was angry, and would not go in: therefore came his father out, and intreated him.
15:29 And he answering said to his father, Lo, these many years do I serve thee, neither transgressed I at any time thy commandment: and yet thou never gavest me a kid, that I might make merry with my friends:
15:30 But as soon as this thy son was come, which hath devoured thy living with harlots, thou hast killed for him the fatted calf.
15:31 And he said unto him, Son, thou art ever with me, and all that I have is thine.
15:32 It was meet that we should make merry, and be glad: for this thy brother was dead, and is alive again; and was lost, and is found.
Bible (King James)/Luke
・・・
毎日、どころか、一日に何回でも、私がベランダに出ると、どこからともなく駆け寄ってきて、奇声を上げて歓待してくれる、そんな「常連」野良猫だったのだが、ここ三日ばかり、ぱったりと姿を見せなくなった、それっきりになることも、経験上、とてもしばしばあったから、私は、例によって、「愛の対象喪失」の、深い「抑鬱」におちいることで、つまり「喪の作業」の先取りをして、やり過ごそうとしいていた、それでも、一日に何度も、ベランダに出てみて、路地のあちこちを眺め、えっと、松任谷由美だっけ?「今しも、あなたが、白い息を吐き、通りを渡って、この部屋に、来る気がして」、いや、亜熱帯の初夏だから、「白い息」は吐かんけどね、・・・、そのたびに、諦めたり、気を取り直したり、そんな過ごし方をしていたところ、先程、その、路地の向う側に、まがう事なき、こいつの姿があるではないか?でも、なんか、様子が変、よそよそしい感じなのは、ああ、けがをしているんだ、自分に「弱み」があるから、いくら「仲良し」の人間(笑)であっても、「警戒」モードに入るのは、生きていく上の必要な習性だからね、なんとか機嫌を取りつつ、部屋に引き入れ、最初は、そりゃ、こんな狭いところに閉じ込めたら不快だろう、ここは、昔、うちが二十数匹の猫屋敷だった頃に、そういう、怪我、病気、その他「友達関係」の桎梏(笑)、などの際、「隔離」出来るようにと、杉角材とベニヤ板で、「Do It Yourself」した、「三階建て猫アパート」、それでも、頭をなでたりなど、機嫌を取るうち、少しは落ち着いてくれたようで、喉を鳴らしてくれたりもするようになった、連休明けには、お医者さんに連れて行こう、すっかり貧乏になってしまったから、もう何年も、薬などを分けてもらいには、ときどき出向いていたが、診察してもらうことは、絶えてなかった、「貧乏」ぶりを強調して、憐憫を乞うことで、なるべく安上がりにしてくださったら、嬉しいのだけれど、・・・、右側に明り取りがあって、そこから光が差しこんでいるこの構図、何か見覚えが、・・・、キャロル・キングの「タペストリー」のジャケット写真だ、若きキャロル・キングが、窓際に、えっと「体育座り」っていうのかな?しているだけでなく、もちろん、連想がはたらいたのは、そこに映っている丸々太った猫が、こいつと、同じデザインだからだな、・・・、そう、このごろは、すっかり猫家族の数も少なくなって、何度も言ったが、世界の言語の数字表現では、「3」と「4」との間に、劇的な変化がある、これは、「3」までの数は、一目で、たちどころに把握できるのに、「4」以降は、まず、対象の一つ一つに指さしつつ「一対一対応」で、「順序数」を割り当てたうえ、割り当て終ると、その最後に唱えた数を、「カーディナル数/集合の要素の個数」として、「一対一対応」については、忘却した上で、記憶に格納する、という操作を必要とすることを暗示している、そんなわけもあって(笑)、猫に「名前」を付ける、ということを、すっかり怠っている、だから、こいつも、「名前は、まだない」、・・・、

Tapestry/Carole King(1971)


夜深くうちいでたる声らうらうじう愛敬づきたる、いみじう心あくがれ、せむかたなし、ってところかな?
「枕草子」には、いくつかの校本があるようで、手元の、角川文庫「新版・枕草子(上/下)」は、「三巻本」と呼ばれるものに準拠しているらしい、その版では、これは、第「三八」段、「鳥は」で始まり、さまざまな鳥類の名をあげて、例の如くに、好き勝手な(笑)「評価」を下していて、依怙贔屓も甚だしいし、そもそも、もちろん双眼鏡や望遠レンズのカメラのない時代なんだから、そこを責めても不当だが、この人は、実際鳥を、見たり、その声を聞いたり、いわば、それこそ「近代的」な意味で(笑)、「自然」を愛でているのでは少しもないのは当然で、もっぱら、歌に詠みこまれたもの、とか、「宮中」のサロンで話題になったもの、とか、そういう、「鳥」に関して語・ら・れ・た・、いわば「二次的情報」、「文献資料」、について説いているわけだから、もちろん、「憤慨」してみても、仕方ないのである、この一節は、「郭公」と書いて「ほととぎす」と読む、現代の分類学上は、ともにカッコウ科に属する、カッコウ、ホトトギス、という別種の鳥が、かつては混同されていたらしい、について、述べているところ、もう十年以上「バードウォッチャー」であったはずだが、じつはホトトギス(カッコウ科)を実見したのも、声を聴いたのもたった一度だ、王朝時代の「城(ぐすく)」の森の、非常に高い木の天辺にとまって、延々と鳴いていた、ポケットカメラで撮影したぼけた動画が、どこかにあるはずだが、今となっては、どんな声だか、思い出せないのだが、「てっぺんかけたか?」という「聞き做し」の言葉が、よくできているな、と思った記憶だけが残っている、別に「枕草子」の悪口を言う予定ではなくて、このところ、夜も明けやらぬ頃から、毎日のように、アカショウビン(カワセミ科)の声が聞こえる、どんどん宅地が造成されてやせ細っていくものの、首里城の丘から流下する川添いには、鬱蒼とした森が残っていて、そこは文字通り「野鳥の楽園」、つまり、人が入っていけないからなんだな、きっとそこに住んでいるのだと思われる、川の流れのそばを好むはずだし、これまた、「バードウォッチャー」歴十数年にして、この鳥を「見た」のが数回、写真は一度も撮れたことがない、でも、声はしばしば聞く、と言っても、その「よく聞く」声が、アカショウビンのものだ、と知ったのは、かなり最近で、そう、高江のヘリパッド工事の頃、もちろん、「刑事特別法」の援用する「住居侵入罪」に問われる可能性のある行為だが、その米軍が「所有」している、まあ、そのおかげで、「手つかずの森」であり続けたわけでもあるが、深い森の「探検ツアー」に参加したとき、ああ、あれが、アカショウビンの声ですよ、と教えてもらったのだ、それまでも、こんな風にうちの近くでも聞いていたのだが、私は、図鑑のページを繰って、勝手に、サンコウチョウ(カササギヒタキ科)なんだと決めてかかっていた、この鳥の名の由来は「月、日、星」で「三光」、「聞き做し」でいったん文字にしてしまうと、不当に説得力を持ってしまうものなので、その時は、そう聞こえなくもなかったのだろう、サンコウチョウを見たのも、一度だけ、近所の公園で、鳴かない、衣装の派手さも少ない、メスの方だったけれども、その眼のまわりのブルーは、この世のものとも思えぬ(笑)鮮やかさだった、という記憶だけ残っているな、沖縄に引越してきたばかりの頃、私は、いっぱしの「平和運動家」気どりで(笑)、「自然を守れ!」とか宣った(のたまった)かもしれないが、特に「自然」に関心があるわけでもなかった、つまりもっと「人間」の方に関心があったのだろうが、それがもろもろの事情によって破綻をきたすことで、やむなく「自然」へと「退避」し、だから、「バードウォッチング」や「シュノーケリング」などと言う、結構な趣味を持つようになったのは、「鬱病」発症後の、いわば「リハビリテーション」、いや、「治る」つもりがあまりないから、それは正確ではないな、「緊急避難」、「防衛機制」みたいなものだ、その「平和運動家」が、ある日、国道329号線、キャンプ・シュワブ前の長い下り坂を、北、つまり名護市内に向けて走っていた、窓を全開にして、ひょっとしたら、ボブ・マーリーとかを大音量でかけていたかもしれない、とつぜん、ばさばさ、という、音、なのか、気配、がして、ふと助手席を見ると、それこそ、目も覚めるような真っ赤な鳥が座っていて、多分、ちゃんと、目が合った(笑)、こっちもびっくりしたけど、あっちも慌てただろうな、キャンプ・シュワブの山側は、やはり米軍所有になっている部分が多いが、やはり深い森なのである、そこから道路上を飛び渡ろうとして、そこに稀有な偶然で私の車が窓全開で通りがかり、頭から突っ込んでしまったのだろう、もちろん、ほんの数秒のことに違いない、私はもちろん、スピードを落としたに違いない、ともかく、また、ばさばさ、と気配がして、飛び去って行った、怪我をしていなければよいのだけれど、もちろん、二十年前のことだから、今は、彼または彼女も、この世のものではないのだろうけれど、「自然」にさしたる関心ももっていなかったけれど、その鳥が、アカショウビンという名であることだけは、知っていたような気もする、爾来、とりわけ、ずっと後、病を得て、「バードウォッチャー」となるにつけ、なかなかその鳥を近くで見ることなど望むべくこともないことを知るにつけ、川のほとり、すぐ近くにいた筈なのに気付かず近寄ってしまい、気配に驚いて、対岸に飛び去ってしまう、「赤い」後姿を目撃できただけ、とか、だったし、こうして、アカショウビンは、「あこがれ」の対象となった、で、「あこがれ」って、「あくがれ」の音変化なんだろ?と、古語辞典を引いたところ、この「枕草子」、ほととぎすのくだりが例示してあったわけだ、この古語辞典は、別の校本を参照しているようで、第「四一」段、とあったので、探し出すのに、少し手間をとってしまった、
「あくが(る)」、あるべき場所から離れる、という意味、から、心が、さまよい出る、上の空になる、と転じて、なにものかに恋い焦がれる、となったものであるらしい、「憧憬」という熟語があるが、いずれの字も、訓読みは「あこがれる」
「らうらうじ」、「労労じ」と書く、物慣れて巧みである、才気があって洗練されている、の意、「シク活用」形容詞のはずだが、語尾が濁音になった由来は、不明、とのこと、・・・、

「天辺描けた?」








「パレスチナ国民運動Palestinian National Initiative」、2002年、ファタFatah、ハマスHamasとは異なる「第三の民主勢力」として、創立、第二インターナショナル系社会民主主義政党

マサフェル・ヤッタ地区Masafer Yatta

「国際刑事法廷ローマ憲章」第8条「戦争犯罪」


「+972 Magazine」、2010年、テルアビブ在住のイスラエルの著述家たちによって、「とりわけ若い世代に、イスラエル―パレスチナ問題に関する論議を、国際的に広める」ことを目的として、発刊された、英語による左翼系雑誌、タイトルの「+972」は、イスラエル、パレスチナ共通の、国際電話コードからとられた、という
+972 Magazine/+972 Magazine
「ダマスカス門」、アラビア語「バブ・アル・アムド」は「石柱の門gate of the column」、ローマ時代以来、広場を囲む石柱に因む命名
باب العامود
シュアファトShuafatは、東エルサレム北郊のパレスチナ人居住地区、イスラエルが建設した西岸の分離壁の外側に位置しているものの、法的には、イスラエルの行政権下にある唯一のパレスチナ人難民キャンプ、が、その東側にある

きわめて大雑把な定義を与えるならば、以下のようになるであろう
アシュケナジーAshkenazim東欧、中欧在住ユダヤ人コミュニティー
ミズラヒムMizrahim中東地域在住ユダヤ人コミュニティー
セファルディムSephardimイベリア半島在住ユダヤ人コミュニティー



ディエゴ・ガルシアという島、そして、B52とあなたとわたし/リンゼイ・コルン
「プロスペロ・コンプレックス」から、マダガスカル、モーリシャス、「リンゼイ・コルン」という作家の名前の、おぼろげな記憶へ



アフリカ非核地帯条約African Nuclear-Weapon-Free Zone Treaty、アパルトヘイト政権下の1970年代、南アフリカで、原子爆弾が開発、貯蔵された研究施設に因んで、「ペリンダバ条約」と呼ばれる、その施設は、首都プレトリアの西30キロの、ハートビースポールト・ダムHartbeespoort Dam、にあり、「ペリンダバPelindaba」は、ズールー語Zulu(ニジェール―コンゴ語族Niger–Congoバンツー諸語Bantu)で、「物語の終わり、結論」の意味




だから言ったじゃない、君には○○が欠けている、って言われても、初めから持っていないものは何なのかわからないから、「反省」のしようもないんだって(笑)、・・・。


ヒヨドリ(ヒヨドリ科)、旧暦四月の月は、十二夜を最後に、ずっと雨で、見れない、もう、「梅雨」に入ってしまったのだろうか?だから、もっぱら、風呂場の窓から(笑)「バードウォッチング」、・・・、









セッカ(ウグイス科)

キチョウ(シロチョウ科)、タチアワユキセンダングサ(キク科)

ハラビロカマキリ(カマキリ科)・幼虫

グンバイヒルガオ(ヒルガオ科)



シロチドリ(チドリ科)、「千鳥足」なんて言うが、とんでもない、彼らは「二足歩行」の達人ですよ、身体を少しも上下に揺らすことなく水平移動できるのです、ほら、・・・、「渡り鳥」が去った浜辺は、彼ら「留鳥」、つまり「地元の人」、の「天下」となる、文字通り「羽を伸ばしている」、ようにさえ、見受けられる、













コアジサシ(カモメ科)、そして、「夏鳥」、コアジサシ(カモメ科)、滞空しているときは、あくまで「優雅」、でも、地上に舞い降りると、地上が安全でないから飛ぶようになった生き物なのだから、その言い方は酷だが(笑)、何か落ち着きがなく、黒い「過眼線」が、サングラスかけた「わるもの」みたいなのも笑わせてくれる、飛びながらも鳴くし、地上でも、嘴を広げているのが写っている写真もあるし、さかんに鳴いている、「ドップラー効果」がかかっていない声がすれば、どこかで休んでいるので、姿を見つける手掛かりにもなる、で、その鳴き声、うまく「聞きなし」して、文字にはできそうにないけれど、なんだか、仲間同士で、「ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ」、喋り合っているかのようなサウンド、・・・、

オオハマボウ(アオイ科)

クロサギ(サギ科)・黒色型、の羽かと思われる、

マガリケムシヒキアブ(ムシヒキアブ科)、初めて見た、「曲がり・毛・虫・引き・虻」、ムシヒキアブ科という、文字通り他の昆虫を捕食する肉食性の一群のアブがあって、その仲間は、前に一度、アオメアブ、というのを見たことがあったな、で、これは、どこが、「曲がり・毛」なのかはよくわからない、しっぽの先端が尖っている、これは産卵管のようで、メスの特徴なのだそうだ、とまっているのは、海岸の、サンゴ由来石灰岩、

アダン(タコノキ科)

モンシロチョウ(シロチョウ科)、タチアワユキセンダングサ(キク科)

ハマゴウ(クマツヅラ科)、別の図鑑には、確か、シソ科、とあった、分類には議論があるらしい、

ハマボッス(サクラソウ科)





「ネット」、というところでは、全然、見たい、と思っているわけでもないものが、うっかり、目に入ってしまって、あ、別に、それは、そんな「仮想現実世界」でなくとも、普通に「社会生活」を営んでいたらしばしばあることに決まっているのだが、・・・、なんでも、これは、東京の、非常にお金持ちの御子息御令嬢が通われる、きわめて「偏差値」の高い、私立中学の入試問題、なのだそうで、・・・、ABCDが正方形であることと、∠DAFが31°、∠EABが14°、ということのみが与えられていて、さて、∠EFCは何度であるか?、という趣旨のものであるらしい、・・・、線分AE、EF、FA、によって、点A、E、F、のまわりに、それぞれ3つずつ、合計9個の角度が現れ、このうち2個が、既知のものとして、与えられているのだから、未知数の個数は、7個、まず、
1)点Aに集まる3つの角の合計が、直角であること、
2)点Eに集まる3つの角の合計が、二直角であること、
3)点Fに集まる3つの角の合計が、二直角であること、
そして、この3本の線分によって、4つの三角形が生じ、それぞれの内角の和が二直角であることから条件式が4つ得られることになりそうだが、このうち3つが成立すれば、他の1つは、「自明」のものとなるはずだから、そのうち「独立」なものの数は、3となる、例えば、
4)△ADFの内角の和が二直角であること、
5)△CEFの内角の和が二直角であること、
6)△BAEの内角の和が二直角であること、
を採用すれば、これで条件式の数は合計、6、未知数の数に一つ足りない、ここまでの議論で、まだ組み込まれていない条件は、四角形ABCDが、その四隅がいずれも直角である、つまり、長方形であるばかりでなく、正方形である、ということだろう、ならば、どうしても「長さ」を問題にせざるを得ない気がする、例えば、一辺の長さを、Lなる定数とでもして、これを用いて、各線分を表現、その上で、
7)DF+FC=AD
とか、
7')CE+EB=AB
のどちらか、これらも一方は「従属」となるであろうから、を、採用すれば、なるほど、これで、未知数の数と、条件式の数が一致し、解ける「可能性」があることには、なる、直角三角形の斜辺を表現するのに、角度の変数を用いて、三角比を用いる、もちろんそんなことを「小学生」に要求できないから、それと「同値」なものとして、「三平方の定理」がありうるけれど、こちらも、2次方程式になってしまうだろうから、やはり、「中学入試問題」の解法としては、無理がある、・・・、結局、数時間かけて(笑)、私は、音を上げた、・・・、いかにも辣腕そうな「塾講師」らしき青年が、黒板の前で、もちろん、ことさら「こともなげ」に、解いてみせるヴィデオでは、△ABEを、Aを中心に、反時計回りに90度回転、ABがADと重なるように置けば、ほら!、・・・、という鮮やかな「裏技」、が紹介されていた、なるほど、与えられた既知の角度が、31と14、足せば、ちょうど45、直角の半分、となるのが、「意味ありげ」と感じてはいたのだが、それは、「酸っぱい葡萄」、「後の祭り」である(笑)、こうして、私は、もちろん、私立中学を受験して「人生をやり直す」ことも、また、もう一度「塾の先生」として「口を糊する」ことも、もはや不可能である、という当たり前の事実に、もう一度気付かされることに、終わったわけだ(笑)、・・・、そういう数値の設定の上での、偶然というべきか作為というべきか、がなければ、おそらく、ここに示した如き、「頑迷な」(笑)方法以外では、解けないのだろう、・・・、ところで、その「裏技」では、「ABがADと重なる」という部分に、「正方形であること」、つまり7)の条件が組み込まれていることになるのだろう、・・・、ということで、不思議な「安心」の仕方をしておくことにする、・・・、変数が7つも出てくるのは繁雑なので、αβγの3つだけにして、1)~6)を組み込んで、他はこの3変数で表示、そのうち2つが既知のものとして与えられたなら、あと一つ条件式があればよい、それが、*、で示したもので、これは、直角三角形CFEの斜辺EFが、線分、CF、CEと、それぞれ、角βの、それぞれ正弦、余弦で表示したものが一致する、という意味になっている、そうして、エクセル互換表計算ソフトで、「逆三角関数」まで動員して計算すると、確かに、ちゃんと、答えは出る(笑)、・・・、




「根に持たない」ってのは、そのまま「記憶容量が小さい」ってことでもあるのだが、でも君たちから常々学ばせられる「美質」の一つではあるのだからね(笑)。

女はお屋敷に住んでいた。年は十五歳。顔は美人でもなく不美人でもなく、普通。ただ、肌と声はきれいだった。肌は白い。ちょっと病的なくらい。声はソプラノ。ホトトギスみたいに清らかだった。
飴色の子猫を飼って、自分の妹分にしている。書き損じた紙を結んで、それを投げては、猫をからかっている。
これは『伊勢物語』の六段の、一般的に「芥川」というタイトルで呼ばれることの多い物語を元にした小説だ。登場する女は、高貴な姫君である。高貴なだけあって、ほとんど外に出たことがない。
日焼けをまったくしていないし、腕にも足にも筋肉が付いていない。
今は平安時代の初めで、ここは京の真ん中だ。
風通しの悪い、陽の当たらない、小さな部屋が、この女の部屋だ。小さい頃から住んでいるこの部屋と、一緒に住んでいる二つ年上の女房と、お母さんと、ときどき来るお父さんが、女の世界の全てだった。女はもうすぐ、いとこのところへ宮仕えに出る予定で、そのあと、もっと大人になったら、天皇の后になる。自分の将来のことは、だいたい予想がついていた。
「論理と感性は相反しない」山崎ナオコーラ(講談社文庫)

むかし、ひんがしの五条に、大后おほきさい(1)の宮おはしましける、西のたいに住む(2)ありけり。それを本意ほいにはあらで、こころざし深かりける人、きとぶらひけるを、・・・
「伊勢物語」・第四段/「伊勢物語」(定家本)「伊勢物語」(定家本)
注釈によれば、(1)の「大后」は、五条堀川付近にあったとされる「東五条院」を御所とした藤原冬嗣の娘、仁明天皇の女御、順子、(2)の「西の対に住む人」は、順子を叔母とする、二条の后、だそうである、・・・、第六段、「芥河」で、在原業平に擬せられるところの「男」が、「盗み」出す「女」が、この二条の后、と言われているから、ここ、山崎ナオコーラの引用部分の「女」も、この人物、ということになる、角川ソフィア文庫版「伊勢物語」には、巻末に詳細な索引が付されているのだが、「猫」、「於菟おと」、いずれも見つからない、ということは、「飴色の子猫を飼って」いたというのは、ナオコーラ氏の「創作」ということになりそうだ、

現代の地図に、かつての「平安京」を重ね書きしたもの、確かに、烏丸通から河原町通辺りという現代の「都心」から見れば、五条堀川を「東」と呼ぶのには違和感があるが、なるほど、かつての「京」はもっと、西にあったのである、

姫さんは、おとなしやかな中にも、おちゃめなところのあるおかたでした。
・・・
お仕えして三日目のことでした。姫さんが、わたしにお声をかけてくださったのです。
「於菟は、好き?」と。
於菟、というのは、猫のことです。夢の中の、平安時代の生家のまわりには、猫がうじゃうじゃいました。春、月の出ている夜などに、猫らが一晩じゅう、泣きさわぐ赤子のようなうるさい声をあげているのを、兄や弟たちが興がっていたことを、わたしはすぐに思いだしました。外で騒ぐ猫だけでなく、家の中にも猫がいました。母が、猫をいとしんで飼っていたのです。
「はい」
わたしは、びくびくしながら答えました。
すると、姫さんはくすくす笑いながら、こうおっしゃるではありませんか。
「あんたはえらい、猛々しいなぁ」
・・・
「せや、於菟は、からくにの、けおそろしいけだものやしな」
・・・
ある日姫さんは、古びた巻物をわたしに広げてみせてくださったのです。そこには見慣れぬ服を身につけた人々や、知らぬ木々や動物が描かれていました。
「これが、からくにの於菟や」
姫さんは、隅に描いてある動物を示しました。
あっ、これは、虎だ。
「三度目の恋」川上弘美(中央公論社)

こちらの「姫さん」は、在原業平の「正妻」、となる人、そして、語り手の「わたし」は、その「姫さん」に仕える、ほぼ同年配の「女房」、という「設定」になっている、こちらの物語でも、「伊勢物語」、「芥河」が重要な意味を持つことになるのだが、「あらすじ」を「バラす」ようなことは控えよう、・・・、だから、人物としては、異なるのだが、こちらにも「猫談義」が登場しているので、ちょっと驚いたのだ、・・・、「」は「兎」の異字、「於菟」の字の由来を調べているうちに、南方熊楠「十二支考」に行き当たることになる、・・・、
わが国で寅年に生れた男女に於菟おとという名を付ける例がしばしばある、その由来は『左伝』に、・・・、楚人乳をこう虎を於菟という、因って子文の幼名を闘穀於菟とうこうおとすなわち闘氏の子で虎の乳で育った者といったと見ゆ。
「十二支考/虎に関する史話と伝説民俗」南方熊楠
不義の関係から生まれた子供を捨てたところ、虎が乳を与えて育てた、ということらしい、だから、中国語の原義としては、「於菟」はもっぱら虎を指していたらしく、日本語の用例として、猫をもそのように呼ばれるようになったらしい、熊楠氏も、引用部分に続けて、貝原益軒などを引きつつ、猫も、自分の子でない者にも乳をやるのは「博愛だ」などと論じている、もちろん、これは、私も、実見したこともあるし、同感である(笑)、・・・、ちなみに、「左伝」、正式には「春秋左氏伝」、は紀元前700年頃から約250年間の魯国の歴史、を描いたものだそうで、その成立は、諸説あるが、戦国時代(紀元前5世紀から紀元前3世紀)の魏、といわれている、「楚」という名称の国はほかにもあるが、ならばここでは、春秋時代(紀元前8世紀から紀元前5世紀)、を指すことになろう、エジプトで、リビヤヤマネコが馴致され、「家畜」化されたのが、今から4000年前、それが、その習慣が東洋に伝わるのには、かなりの時間がかかったと思われ、「十二支」に、「猫」がいないのと同様、その時代の中国に、「猫」は、まだ存在していないのだから、「於菟」が、それを指しようがなかったのである、「枕草子」には、「猫」が、多々登場する、だから、平安時代の日本に、それが伝わる以前に、中国で、「猫」で飼われていたのは、確かと思われるが、それに、同じネコ科の動物、トラ、を指す「於菟」なる言葉が流用された、という事情もありうるだろう、・・・、

もう一つ、この作品にいたく惹かれたとすれば、それは、この「姫さん」をはじめ、往時の「京」の、人々が、川上弘美氏は生粋の「東京人」であろうから、若干、わざとらしい感さえするような、「京都弁」で描かれていることだな、果たして、当時の、「話し言葉」が、多少なりとも、後年の「京都弁」に似たところがあったかどうかなどは、想像できないけれども、その町に二十年住んだ者の印象としては、この様な言葉を与えられることで、登場人物たちが、にわかに生き生きと立ち上がってくるような錯覚さえ持ってしまったのだな、・・・、橋本治という人をとても尊敬しているのだけれど、かの「桃尻語訳・枕草子」にはどうしても手が出なかった、ああ、あれも「京都弁」だったら、もっと、しっくりしたのかもしれない、などと思い当たったりして、・・・、
ちなみに、「芥河/芥川」というのは、高槻市内を北西から南東へ向かって流下する、淀川の支流の一つ、その近くで働いていたことがあるから、何度も、その上を渡ったり、流れを覗きこんだりしたことがあったはずなのだが、少しも思い出せないのが残念だ、それにしても、「京」から「女」を「盗み」出して、在原業平は、どこまで逃げのびるつもりだったのだろうか、こうして「西国街道」を西へ下っているところを見ると、・・・、私は、西宮市の生まれで、隣町の芦屋には、「業平町」という地名があるのは子供のころから知っていた、川上弘美のこの作品にも、「蘆屋」に、業平の領地がある、という記述があったから、あるいは、そこまで行くつもりだったのだろうか、50kmくらいはある、乗り物は?、山崎ナオコーラの作品では、
白玉かなにぞと人の問ひしとき、露とこたへて消えなましものを
のシーンは、「女」が「男」の背中に負われながら「露」を指さすことになっている、川上弘美作品では、確か、「牛車」を用意した、と書かれてあったのではなかったかな、・・・、



「せや。於菟は、からくにの、けおそろしいけだものやしな」
川上弘美「三度目の恋」(中央公論社)
在原業平(825-880)の妻となる「姫さん」が、「からくに」の絵巻物に描かれた虎を指して言う、でも、話題は猫の事なんだ、・・・、「十二支」に猫がもれているのは、鼠の意地悪で会合に遅刻したからだ、と言われるが、エジプトで、リビヤヤマネコかもしれない原種が「家畜化」されたのが、四千年前、シルクロードか海路か、中国に伝わるにはかなり時間がかかったようで、あるいは、本当に、「十二支」の選定には、間に合わなかった、つまり「遅刻」だったのかも、・・・、もう、人間のひざやおなかの上に乗っかるのは、「暑苦しい」という訳なのね?(笑)
・・・

ところで、この川上弘美の作品には、高野山で修業をしたこともあるという経歴の、小学校の用務員さん、「高岳さん」が登場したりして、それは、あとがきで明かされているように、澁澤龍彦「高岳親王航海記」(文藝春秋)への「オマージュ」なんだそうで、だから、もちろん、こんな豪華本なのに、わずか100円という捨て値だったし、取り寄せて読むことにした、で、またしても「偶然」に驚くのだが、・・・、

「アンチポデスって、知ってる?」
矢野が白ワインをひと口飲んでから、静かな声で言った。
「何?アンチ何?」
神田川は聞き返し、キルメスビールを飲む。
「アンチポデスって、自分の反対側の存在って意味だと思うんだけど・・・・・・。澁澤龍彦の本に出てきた言葉なの。世界には裏側があって、自分の足の裏、ちょうど反対に、アンチポデスが、逆さに立っている」
「ふうん。うちらが東京にいたときは、うちらのアンチポデスはきっと、今うちらがいるブエノスアイレス辺りにいたんだろうね。ここ、地球の反対側だよね!」
「うん。それで今は、うちらがアルゼンチンに来たから、アンチポデスは東京にいる」
・・・
その頃、神田川のアンチポデスは秋葉原にいた。
ボルヘスという男だ。
ボルヘスはブエノスアイレス在住のサラリーマンだ。外資系の企業に勤めている。
出張で東京にやって来た。一日半のフライトを、ビジネスクラスで足を伸ばしながら過ごしたのだが、やはりぐったりだ。
「論理と感性は相反しない」山崎ナオコーラ(講談社文庫)

Antipodes:wikipedia英語版

「キルメスQuilmes」は、アルゼンチンを代表するビールの商標名、ドイツ系移民が創業者、であるとのこと、
Buenos Aires―緯度: -34.603684 経度: -58.381559
秋葉原―緯度: 35.702259 経度: 139.774473
下で検討することになるが、「アンチポデス」は、緯度に関しては、赤道を挟んで「対称移動」、経度に関しては、180度分の「平行移動」、となる、
35.702259-34.603684=1.098575
139.774473-(-58.381559)=198.156032
なるほど、まずまず、というところだろう、
澁澤龍彦の原著には、「アンチポデス」がどのように登場するかと言うと、高岳親王が天竺に向かう船が嵐に巻き込まれ、たどりついたのが、「越人の住む日南郡象林県、あるいは近ごろ占城チャンパと呼ばれている土地」、そこで「おれは大蟻食いというものだ」と称する生き物に出会うが、「そもそも大蟻食いという生きものは、いまから約六百年後、コロンブスの船が行き着いた新大陸とやらではじめて発見されるべき生きもの」であって、こんなところにいるはずがない、と詰られたのに対し、「おれたち一類の発祥した新大陸のアマゾン河流域地方は、ここから見て、ちょうど地球の裏側にあたっている・・・つまり、おれたちは新大陸の大蟻食いにとってのアンチポデスなのだ」と答える、・・・、「占城」は「Indrapura」とも呼ばれ、現在の「Quảng Nam province/広南省/クアンナム省」にあたる、らしい、下の地図では、Da Nangのすぐ南にあたる、「新大陸のアマゾン河流域地方」として、ブラジル、アマゾナス州Amazonas、マナウスManaus、を採用してみようか、・・・、
Quảng Nam province, Vietnam―緯度: 15.539354 経度: 108.019102
Manaus, Brazil―緯度: -3.119028 経度: -60.021731
15.539354-3.119028=12.420326
108.019102-(-60.021731)=168.040833
という結果となった、・・・、
ところで、ここでの、「大蟻食い」の「発言」に対して、「アナクロニズム」だ、という「批判」が行なわれるのだが、通常の、「時代錯誤」のニュアンスとちょっと異なる用法のように感じられたのだが、歴史学上の用語としては、まさに、この様に、後代の知見によって前代の事物についての判断を下すという「錯誤」の意だそうだから、さすが該博な著者のことである、むしろ正当な用語法、なのであった、
ἀναχρονισμός(anakhronismós)
ἀνά(aná)が「~に反して」、「アナキズム」の「アナ」と同根なのかどうかは不明にとどまった、χρόνος(khrónos)が「時間」を意味する、

ここで、「二地点のなす角」、は、地球の中心から見た、二地点のなす「立体角」を表すわけで、どちらも165度程度だから、厳密な「アンチポデス」、180度、にはやや足りない、ことがわかる、




上の「アンチポデス」の説明図、地球を、円形の平面図にして、こちら側、見えている部分の陸地をブルーで表し、裏側、当然それは「鏡像」になる訳だが、その陸地部分を黄色で、そして、表と裏の陸地の重なり合い部分を、赤っぽく表してある、立体を平面に表すのだからひずみは生ずるだろうから、細かいところの正確さには欠けるようだが、意外なのは、「アンチポデス」の対が、ともに大陸部になっているのは、非常に少ない、ということだな、グリーンランド、シベリアと南極、南極には人が住んでいないのだからという理由で除外するとすれば、それ以外には、中国、東南アジアと南アメリカ、そして、ニュージーランドとイベリア半島、くらいしかないのだ、この山崎ナオコーラの作品にもあったように、私たちは、「私たちの地球の裏側は、アルゼンチン」と、常識的に思い込んできたけれど、それも、若干ずれていて、日本の「裏側」には、どうも、陸地はないらしいのだね、・・・、そんなわけで、閑に任せて、えっと、もうここ数年、私は、「閑」、でなかったことがない(笑)、残りの人生そのものが、「閑つぶし」、より正確に言えば、「人生」そのものを「つぶし」ている、とも言えなくもない、だから断るまでもないのだが、「アンチポデス」研究に従事してみることにした、・・・、3次元空間を「極座標」表示するには、「原点/極」から問題となっている点への「長さ」を表す変数r、と、あと二つの角度を表す変数、θφ、を定めれば足りる、ここでは、地球表面の話であるから、地球半径をRとすれば、r=R、と固定できる、その上で、xyz直交座標との対応関係は、問題としている点Aから、xy平面上に降ろした垂線の足をHとして、∠XOH=θ、∠AOH=φ、とすると、
A(Rcosφcosθ,Rcosφsinθ,sinφ)
となるであろう、これは、Xを通るxz平面上の大円の半円が、ちょうど、経度0°、グリニッジ天文台を通過する子午線だとすれば、X、つまり、経度緯度ともに0°の地点、コートジボワールCôte d'Ivoireの首都アブジャンAbidjan南方の、ギニア湾Sea of Guineaの海上になるようだが、そこを起点にして、上、つまりz軸正方向から覗きこんで「反時計回り」に、θをとっていることになるから、これは、正の値、0からπまでなら「東経」、負の値、0から-πまでが「西経」を表すことになり、今度は、直角三角形AHOを、この順に回った時「右ねじ」の進む向きから覗きこんで、やはり「反時計回り」に、φをとっているから、これは、プラスなら、0からπ/2までが「北緯」、マイナス、0から-π/2までが「南緯」、を表すことになる、・・・、さて、Aに対する「アンチポデスAntipodes」を、A'とすれば、その座標は、どう表されるべきであろうか、地球の中心に関して「点対象」なのだから、xyz座標ことごとく、正負の符号を逆転すればよいのは言を俟たないが(笑)、それが、θφの2つの変数に、どのような「変換」を加えた結果なのか、という「解釈」が必要なのだね、もちろん自分の頭が悪いのは否定しないけれど、上に掲げたみたいに、平面化された世界地図の上で、この都市とこの都市が「アンチポデス」関係、と差し示すのが、なかなか難しく感じられ、それは、どうやら、「経線/緯線」、どちらも「糸/いとへん」なのは、機織りの「経糸たていと緯糸よこいと」に由来するからだ、という座標のシステムの、設計上、その「縦/経」と「横/緯」との間に、非対称性がある、例えば定義域も異なる、こととどうも関係がある予感がして、これは、あるいは、「鏡像問題」、鏡の「こちら」と「あちら」で、逆転しているのは「前後」なのに、人間は、それを、「左右」が入れ替わった、と受容する、こととも似た、人間のハードウェア上の制限に根差しているような気もするのであった、・・・、思いつくのに結構時間がかかったのだが(笑)、結論は、φは、プラスマイナスの反転、でよいが、θの方は、「1)πを加える、2)πを越えてしまった場合は、πで除した剰余を採用する」、という表現になりそうだ、すなわち、
A'(Rcos(-φ)cos(θ+π),Rcos(-φ)sin(θ+π),sin(-φ))
上の図面を眺めながら、いくつかの「アンチポデス」の対になる都市を選び出し、経線緯線がそのまま縦軸横軸となるような長方形の図面にプロットしてみた、「西安/サンティアゴ」、「サンダカン(カリマンタン島)/マナウス」、「ジャカルタ/カラカス」が、中国、東南アジア―南米、「オークランド/グラナダ」が、辛うじて、ヨーロッパ―オセアニアが重なる稀有な例、そして、一方が大洋上の島となる例として、「スヴァ(フィジー)/ティンブクトゥ(マリ)」、「バミューダ諸島/パース(オーストラリア)」、「ホノルル/ケープタウン」、対応する都市を線で結んでみたが、もちろん、こういう事情だから、それが、球体上でのように、一点で交わることはなく、上下、すなわち「緯度」については、「赤道面」での対称移動、左右、「経線」は、πすなわち180度、平行移動ということになる、・・・、
・・・
「高岳親王航海記」、先程読了、ヴェトナム、マレーシア、そこからベンガルに向け航行中に、ミャンマーのアラカンの浜辺に打ち上げられる、雲南まで旅した後、ふたたび船出、スリランカを目指すが、たどりつけず、スマトラへ、そしてシンガポールで没する、その道程には、近頃、慣れ親しむようになった地名がいくつもちりばめられているので、もう一度、この著者の該博な漢籍の知識にも触れつつ、地図の上でたどってみたいが、雲南のある湖、水面に顔が映らなかったら、その人は一年以内に亡くなるとの言い伝えがある、という、高岳親王が没したのが67歳、この作品が絶筆となった澁澤龍彦(1928-1987)本人は、59歳で亡くなっている、「自分がまもなく死ぬ」という感覚が、行間から非常に生々しく伝わってくるのは、私自身が、正確に同じくらいの年齢で、そろそろ死にそう、いや、そろそろ死んでもらわないと、お金が無くなって困るぞ(笑)、と、「急かされる」感覚に、日頃から慣れ親しんでいるからだろうが、「凄味」というのでもないな、でも「淡々と」でもない、でも、何か、「真似してみたくなる」(笑)、潔さ、を感じたのであった、・・・、


唐の咸通六年、日本の暦でいえば貞観七年、高岳親王は広州から船で天竺へ向かった。・・・唐代になって安南都護府がそこに置かれ、アラビア人からルーキンと呼ばれていた交州(今日のハノイ)とならんで、そのころ、この広州は南海貿易のもっとも殷賑をきわめた港であった。・・・
おおよその計画としては、親王の一行は小さな船に身を託して、この港から広州通海夷道と称する航路を南西に向かってすすみ、安南都護府のある交州で上陸して、安南通天竺道と称する陸路から天竺入りする予定だった。安南通天竺道は交州を起点として二路に分れ、一つは安南山脈を越えて扶南(シャム)方面へ出る道、もう一つは北方の峻嶮たる雲南の昆明大理を経てピュー(ビルマ)にいたる道である。どちらの道をえらぶか、まだこの段階では決めていなかった。場合によっては海路をえらび、大陸の沿岸づたいに占城チャンパ(ベトナム)、真臘しんろう(カンボジャ)、盤盤ばんばん(マライ半島中部)、と過ぎ、羅越(シンガポール付近)の岬を迂回してマラッカ海峡からインド洋に出るという手も考えられなくはなかった。
「高岳親王航海記」澁澤龍彦(文藝春秋)
カン、みな、ことごと(く)
咸通かんつう」は、860~874年、したがって、「咸通六年」は、865年、一方「貞観じょうがん」は、859~877年、したがって「貞観七年」は、やはり、865年、当然だが、合っている、・・・、
「交州」は「交趾」と同義の言葉のようで、はるか後に、フランスがインドシナ半島を植民地化した際に採用した「コーチシナCochinchine/交趾支那」も、これに由来するが、位置は大きく異なっており、植民地主義者が恣意的に付した名辞だと言われている、「ルーキン」との呼称については突き止められなかった、
「扶南Funan」、1世紀から7世紀にかけて、カンボジア、ベトナム、タイにまたがる地域に存在したクメール人国家、同じクメール人の「真臘Chenla」(6世紀~9世紀)によって滅ぼされる、クメール語は、オーストロアジア語族Austroasiaticモン・クメール語派Mon–Khmer、
「驃Pyu」、3世紀から9世紀、イラワジ川沿いに存在した国家、
「占城Champa」、2世紀~19世紀にヴェトナム中部に存在したチャム族Cham、の国家、チャム語Cham languageは、オーストロネシア語族Austronesianマレー・ポリネシア諸語Malayo-Polynesian、に属する、
「盤盤Pan Pan」、3世紀から7世紀にかけてマレー半島中部に存在した国家、「シュリーヴィジャヤ王国Srivijaya/室利仏逝」によって滅ぼされる、

この地図は、第二次世界大戦期、連合軍の「援蒋ルート」の一つ、「ビルマ・ルート」を調べたときにつくったもの、昆明、大理、はその経路にあたっている、

フランス領インドシナ/占城国Champa
大仏開眼の法会のあった貞観三年三月から、たった五ヶ月しかたっていない八月九日に、早くも親王は難波津から九州行の船に乗って、大宰府の鴻臚館まで来てしまっている。・・・
船はいったん、五島列島のはずれの遠値嘉とおちかで順風を待ってから、ふたたび発して激浪の東シナ海を突っきり、ついに明州揚扇山に着いたのは九月七日のことであった。明州から越州に移り、入京許可の手つづきをしながら待つこと一年八か月、ようやく許可がおりて親王が洛陽から長安城に入ったのは貞観六年五月二十一日である。
・・・
広州についてみると、あたかもよし、風は東北モンスーンの最終季節にあたっていたので、親王の一行はここで稽留すべからずとて、ただちに南へ向う便船に乗りこんだ。それが貞観七年正月二十七日のことである。
雷州半島海南島の間の水道をぬけると、海はいよいよ青ぐろく、もちのような粘りけさえ発して、名にし負うモンスーンもあらばこそ、船は遅々としてすすまなくなった。
・・・
「うむ。それはおれもさっきから気づいていた。案ずるに、あれは烏蛮の言葉ではなかろうか。」
「うむ。雲南の奥に住む羅羅ローローのことさ。・・・」
・・・
さいわい増水期で水位があがり、メコン河につながる河川はいずれも勢いはげしく逆流していたから、一行の船はごく自然に海から河をさかのぼるというかたちになり、十日ばかり北へ北へとさかのぼった末、気がついたときにはすでに内陸部にふかく入りこんでいた。すると、そこに途方もなく大きな湖があった。周達観が「淡洋」と呼んだところの、現地の言葉でいえばトンレサップ湖である。
・・・
舟がすすむほどに、最初はごくまばらであった岸の植物もだんだんと蜜にはびこって、棕櫚や檳榔びんろう樹や榕樹ガジュマルの気根や、さては奇怪にねじくれた蔓性植物などの繁茂を見せるまでになった。
「高岳親王航海記」澁澤龍彦(文藝春秋)
鴻臚館こうろかん」、中国南北朝時代の外交施設にちなんで命名された施設、「鴻/おおとり」転じて「大きい」、「臚/はだ」転じて「伝える」、で、外交施設の来訪を告げる声、とのこと、
値嘉島ちかのしま」、9世紀に肥前国から分離された、江島、平島を除く五島列島、および、平戸島からなる行政区分、

「明州」、中国浙江省寧波市付近、とのことだが、「揚扇山」は見つからず、「越州」は、浙江省紹興市一帯、「洛陽」、河南省洛陽市、「長安」、現在の、陝西省西安、
「雷州半島Leizhou Peninsula」、広東省南部、海南島に向けて突出した半島、
インド洋を「渡る」という想像から、「貿易風」、「偏西風」、「モンスーン」の研究、台風の季節に調べた「コリオリの力」がここでも役立つ(笑)
「リス族/傈僳族Lisu people」が、かつて、「烏蛮」と呼ばれていたらしい、リス語Lisu languageは、シナ・チベット語族Sino-Tibetanチベット・ビルマ語派Tibeto-Burman、サルウィン川沿岸に居住、
「トンレサップ湖Tonlé Sap」、プノンペン北方、100kmあたり、
「棕櫚」、日本語の古典的用法としては、ヤシ科Arecaceaeシュロ属Trachycarpus、のみならず、一般にヤシ科植物を広く表す、「檳榔」は、確か、牧野富太郎も柳田国男も書いていたと記憶するが、混乱の多い名称で、元来は、ヤシ科Arecaceaeビンロウ属Arecaビンロウ、その種子「檳榔子ビンロウジ」を細かく刻んで、キンマ(コショウ科コショウ属)の葉にくるんで噛む、という軽度の興奮性のある嗜好品として用いられる、を、指す、これに対して、ヤシ科Arecaceaeビロウ属Livistonaビロウ、別名蒲葵ホキ、当地沖縄では、「くば」と呼ぶ、・・・、ヤシ類の葉には、複葉の中心に一本の軸があってそこから平行に葉が伸びるものと、扇の要から広がるように、掌状のものがあるようだが、沖縄の在来種としては、ヤシ科Arecaceaeクロツグ属Arengaクロツグが前者の代表、ビロウが後者の代表と言えよう、ビンロウの方は実見したことはないが、写真による限り、前者に分類されるようである、・・・、柳田国男の「海南小記」は、その大部分が、平安時代の京の牛車の車輪にまで、その「蒲葵」の葉が用いられているらしいことから、南から北への、文字通り「海上の道」を構想した記述となっているのだ、
「榕樹」をガジュマルとするのもまた、語訳の一つだ、と読んだ記憶があったような気がしていたのだが、違ったかもしれない、気根を有し、他の植物に絡みつくさまが、「榕」、「溶ける木」と形容された、ガジュマルを含むクワ科イチジク属に属する熱帯性の樹木を広く指す言葉であるらしい、ちなみに、「榕」という感じの訓読みは「アコウ」、やはり当地でもよく見かける、同じくクワ科イチジク属の樹木である、

唐代の中国


・・・
盤盤ばんばんという国の名が初めて出てくる文献は唐代に成立した『梁書』であろう。そこにはマライ半島にあったとおぼしい国々として、頓遜とんそん毗騫びけん、盤盤、丹丹たんたん干陁利かんだり狼牙脩ろうがしゅうの六国があげてある。六世紀後半から七世紀前半にかけて、真臘(カンボジャ)が興って扶南(シャム)の文化を圧迫すると、もっとも古くからインド文明の影響を受けていた扶南の文化は、その大乗仏教とともに南下して、マライ半島中部のバンドン湾にのぞむ盤盤にうつった。『梁書』に見える他の五国はすべて七世紀以降に影がうすくなるのに、この盤盤だけが唐代を通じてしぶとく生きのびるのは、おそらく同地が東部インドの大乗仏教研究の中心地たるナーランダーと、新たにスマトラ島に興った仏教王国スリウィジャヤ(室利仏誓)とをむすぶ航海上の中継地点に位置していたためであろうと推定されている。
「高岳親王航海記」澁澤龍彦(文藝春秋)
「頓遜」、「毗騫」、「丹丹」、は、検索してみると、いずれも、この他ならぬ澁澤龍彦の作品を引用した「ブログ」か、遡って、「梁書」からの引用か、しかなくて、新たな知見を得ることは出来なかった、「毗」の字は、「毘」の古い形、ということがわかったくらいだな、「干陁利」に関しては、ここではマレー半島にあったとされているのだが、南ヴェトナム、「占城Champa」(チャンパ)の後継国、「Panduranga」の音を移しているのだ、との説もあるようである、「狼牙脩」は、上に掲げた地図の中に、「盤盤Pan pan」に接して北側に描かれている、「Langkasuka」に当たるようである、・・・、「バンドン」と聞いて、てっきり「バンドン会議」の「バンドン」だと思い込んだが、インドネシア、ジャワ島のそれは、英語の音訳としては、「Bandung」、こちらは、タイの、マレー半島部分、タイ湾Gulf of Thailandに臨むさらに小さな湾で、「Bandon Bay」であった、「ナーランダ僧院」のあったナーランダNalanda、は、インド、ビハール州Bihar、「シュリーヴィジャヤ」は、「Srivijaya」、仏教が盛んだ、ということは、高校「世界史」の記憶にも残っているが、さすがにこの時代に興亡した諸国の「民族構成」などは、不明のものも多いのだろうか、書かれていない場合が多く、ただ、言語は、古マレー語、および、サンスクリット語、だったとのこと、
・・・
・・・二世紀中葉のプトレマイオスの「地理学入門」にも名前の出てくる、マライ半島西岸の投拘利タコラという古い港から、親王の一行は太守の家臣たちに見送られつつベンガル湾方面を目指して出発した。もし順風にめぐまれれば、それほど時日を要せずしてベンガル湾のガンジス河口付近に達することをうるだろう。このあたりには、やはりプトレマイオスの世界図に出てくる多摩梨帝タマリテイという古い港がある。・・・
・・・すなわち出港してから数日後、アンダマンの島影を左に見てすすむうち、折からのはげしい偏西風に押しまくられ、あれあれと見るまに船は飛ぶように陸地に吹き寄せられて、そのまま樹木におおわれた、いずことも知れぬ蛮地の海岸にたたきつけられるように座礁してしまった。・・・
「わたしの想像いたしますのに、ここはおそらくピュー(ビルマ)の一地方ではないかと思います。もっとも、国は近ごろ北方の南詔国にほろぼされて、新たに土地の蛮族が蒲甘パガンという国を建てたとつたえ聞いておりますから、あるいは驃と呼ぶのは適当でないかも知れませぬ。」
・・・
「・・・ここはベンガル湾にのぞむアラカンという国だよ。アラカン国は海岸沿いに細長く伸びていて、ついそのうしろには南北に山脈がはしっている。山脈のかなたでは、たえず国と南詔国が相争っているが、その影響はこちらまではおよばない。もう五百年もむかし、チャンドラという名をもつ王がここに国を建てて以来、アラカン国にも南詔国にも一度として属したことのない絶域として、独特の歴史を保ってきたといってもよいだろう。・・・」
・・・
「いや、アラカン自体にはめぼしい産物とてないが、背後の山脈を越えて伊洛瓦底イラワジ河の流れをどこまでもさかのぼってゆくと、やがて峨々たる険峻にかこまれた山中の別天地ともいうべき雲南地方にいたる。・・・」
・・・
やがて禄卑江を越え、怒江を越え、瀾滄江を越えると、たたなわる山と山のあいだに、小さく鏡のように光る湖水が見えてきた。大理盆地の中心にある洱海(西洱河)であろう。洱海をはさんで、その手前には蒼山が見え、その向こうには、いただきに突兀たる無数の岩々の林立している鶏足山が見える。・・・
「高岳親王航海記」澁澤龍彦(文藝春秋)
「投拘利」、「多摩梨帝」、いずれもそれらしい名称を見つけることは出来ず、・・・、「驃」を建国したのは「ピュー族」、シノ―チベタン語族Sino-Tibetanに属するらしいこと以外、はっきりしたことは不明であるらしく、同じくシノ―チベタン語族、の、チベット―ビルマ語派Tibeto-Burmanに属する、ビルマ族の国家、「蒲甘」が、当初、やはり、チベット―ビルマ語族に属する民族からなる「南詔」、こちらは、上に登場した、「烏蕃」族の国家であったようだ、のいわば先兵として、南下し、ここに、「ビルマ族最初の王朝」を建てた、とある、・・・、「アラカン」は、現ミャンマーの、ラカイン州Rakhine、に位置するアラカン族、の国家、アラカン語Arakaneseは、シノ―チベタン語族チベット―ビルマ語派、・・・。アラカンから雲南へと向かうのならば、ミャンマーを北から南へと流下する河川が、三本、ほぼ平行に走っている訳だから、「イラワジ河Irrawaddy」、「シッタン河Sittaung」、そして「サルウィン河」の順に、「越え」て行くはずである、 「怒江」が「サルウィン川Salween」の中国名であることは、古山高麗雄に出てきたのだろう、知っていた、「瀾滄らんそう江Lancang」は「メコン川Mekong」上流の中国での呼び名であるらしい、そうすると、「検索」でヒットしてくれない、いや、中国語サイトで一か所見つかったのだが、どうやらそれは、ずっと北の長江流域について述べているように、漢字の羅列からは、想像された、その「禄卑江」は、「シッタン河」を指す可能性が高い、と思われるのだが、不明のままにとどまった、なお、図面の中に見える「Jinsha」は、「金沙江」、長江上流部を指す、聞いたことのある名称、ああ、上海に「金沙江大酒店」というホテルがあるのだ、ひょっとしたら、一度だけ訪れたとき、泊まったのだったかも知れないけど、思い出せないな、・・・、「たたなわる」は、「畳なわる」、なるほど、「重畳ちょうじょう」というしな、幾重にも重なり合う、の意、・・・、「洱海Erhai Lake」、大理市Daliの北西、「蒼山/苍山Cangshan」は、確かに、「洱海」の南西岸、「鶏足山」は、「鸡足山jizushan/Jizu Mountain」、「洱海」の北東20キロほど、雲南省「大理ペー族自治州/大理白族自治州Dali Bai Autonomous Prefecture」に位置している、「白族Bai/Pai」の言語「白語」は、シノ―チベタン語族Sino-Tibetanに属すること以外は、よくわからないようである、・・・、
コツ、ゴツ、たか(い)

サルウィン川流域図/メコン川流域図
・・・

7世紀の世界

9世紀の世界







白玉かなにぞと人の問ひし時、露とこたへて消えなましものを・・・長雨の後なんだから、草葉の上の水滴は、「露」ではないのだけれど。




ヒヨドリ(ヒヨドリ科)

メジロ(メジロ科)、顔に白い粉が吹いているように見えるのは、どうも、木の間にかかっていたクモの巣を口に咥え取ったかららしい、以前も目撃したことがあるが、あるいは、巣材の一つに利用するつもりなのかも、そういえば、もう、「繁殖期」なのだからね、



ヒヨドリ(ヒヨドリ科)

タイワントゲカメムシ(カメムシ科)

クロマダラソテツシジミ(シジミチョウ科)、オニタビラコ(キク科)



クロマダラソテツシジミ(シジミチョウ科)、タチアワユキセンダングサ(キク科)

オキナワビロウドセセリ(セセリチョウ科)、タチアワユキセンダングサ(キク科)





オオゴマダラ(マダラチョウ科)、タチアワユキセンダングサ(キク科)

リュウキュウヒメジャノメ(ジャノメチョウ科)

オオゴマダラ(マダラチョウ科)、タチアワユキセンダングサ(キク科)



オオハナアブ(ハナアブ科)、タチアワユキセンダングサ(キク科)

ツマグロヒョウモン(タテハチョウ科)・オス、タチアワユキセンダングサ(キク科)

オキナワビロウドセセリ(セセリチョウ科)、タチアワユキセンダングサ(キク科)

セイヨウミツバチ(ミツバチ科)、タチアワユキセンダングサ(キク科)



リュウキュウミスジ(タテハチョウ科)

ツマグロヒョウモン(タテハチョウ科)・メス

インドヨメナ(キク科)

ヒメジョオン(キク科)

ヒメジョオン(キク科)、ブチヒゲヘリカメムシ(ヒメヘリカメムシ科)

ヒメジョオン(キク科)
、長雨が上って、まだ、少しも天気は良くならないものの、そろそろ「買い出し」も必要なので、重い腰をあげ出掛け、たまたま川沿いにあるスーパーマーケットの近くに、昼なお暗い、ような、藪があることを知っていたから、行ってみると、まことに今日は、「蝶の宝庫」という感じ、あるいは、「彼ら」もまた、「長雨」に飽いて、わずかな陽光にも、「羽を伸ばして」当ってみたい、と「思った」と、思ってしまえるほどだった、オキナワビロウドセセリ(セセリチョウ科)、リュウキュウヒメジャノメ(ジャノメチョウ科)はその名の通り、ご当地南西諸島の固有種、そんなに希少なものではないものの、うちの近所などでは、そうしばしば見られるわけでもない、そうこうするうちに、かの、巨大なオオゴマダラ(マダラチョウ)も飛来、・・・、当地では、もっとも「ありふれた」蝶、それでも、その鮮やかな色合いが、いかにも「常夏」、「亜熱帯」のイメージを伝えてくれるから、見れば自然、心浮きたつ(笑)、ことにはなる、同じマダラチョウ科のカバマダラは、まだ、現れないようである、・・・、その、カバマダラへの「擬態」で有名な、ツマグロヒョウモン(タテハチョウ科)は、ご覧の通り、オス、メス、ともに、発見、・・・、何度も繰り返したことを「復習」しておくと(笑)、
これは、もうずいぶん昔、といっても沖縄に来てからだが、読み耽った日高敏隆氏のどれかの著書からの受け売りなのだが、しかし、「あらゆる『読み』は『誤読』である」と喝破した蓮実重彦氏にならえば、「あらゆる『知識』は、本質的に『受け売り』」なのであるから、ことさら「卑下」するには当たらないだろう、
1)一般的には、ツマグロヒョウモンが、カバマダラに擬態するのは、自らが、「毒蝶」であるかのごとく振る舞うことで、鳥など、天敵、からの食害を避ける「メリット」がある、と解釈されているが、この蝶の生態が明らかになってくるにつれ、たちまちいくつもの疑問が生じてきた、と言われる、
2)まず、上の写真に示されるように、カバマダラと似たデザインをまとっているのは、ツマグロヒョウモンのうち、「メス」のみなのであるが、これは、なぜか?・・・、次のような「回答」が用意されている、すなわち、数億個とはいえ、構造が極めて単純な「精子」を作り出す機構を備えればよいだけの「オス」に比べ、体内に「卵」という再生産システムの要となる仕組みを宿さねばならない「メス」の身体構造は、はるかに複雑であるから、その「生産コスト」に著しい偏りがある、他の蝶に擬態すべくデザインを変更するにも、「コスト」がかかるであろうから、なるべくそれを、最小限のものにとどめるべく、「メス」のみが選ばれた、手短に言えば、「オス」は、例えば鳥に食されても、やむなし、と「判断」されたのである、
3)だが、さらに頭をかかえさせられるような問題点があって、カバマダラは、ご存知、南西諸島固有種であるのに反して、ツマグロヒョウモンは、本州等、広く、分布している、らしい、確かに、子供の頃、見たことがあったかもしれない、他にもヒョウモンチョウの仲間が多々あったはずだから、区別がついたかどうかは怪しいものの、もちろん、カバマダラについては、そのいかにも「南国」を思わせるデザインを、図鑑で眺めるのみであった、・・・、すると、「擬態」の「対象」となっているものが存在しない場所で、果たして「擬態」の「目的」が達成されるものか?つまり、「本土」の鳥たちは、「毒蝶」カバマダラの存在を「知らない」以上、「食べるのをやめよう」という動機にならないではないか?・・・これには、確か、部分的な説明にしかならないだろうが、北米大陸での研究結果から、いや、鳥もまた「渡り」をするではないか?という見解もあるそうだ、
さらに、考えれば考えるほど、訳がわからなくなってくる、奥が深い、と思わされるのは、そもそも「毒」という観念そのものではなかろうかね、私たちは、こともなげに「毒にも薬にもならない」などと言い放つが、例えばある特定の化学物質の構造式を前にして、それが「毒」であるか「薬」であるか、それこそ「毒でも薬でもない」ものであるかを、断定することはできない、いや、できる人はもちろんいるのだが、それは、すでに「毒」であることがわかっているもの、「薬」であることがわかっているもの、と類似の「構造」を有しているか、といった判断をしているのだろう、困ったことに、ほとんどあらゆる「毒」は、同時に「薬」でもあり、また、vice versa、逆もまた真なり、なのである、たとえば私の「ビョーキ」(笑)、は、脳内神経伝達物質セロトニン、ノルアドレナリン、アドレナリン等、の欠乏によって生ずる、と言われている、

セロトニン、ノルアドレナリン、アドレナリン
たとえば、牛乳に含まれるメラトニンは、ご覧のように、セロトニンと、とても「似た」形をしているから、寝る前に牛乳を一杯飲めば安眠できる、つまり「薬」なのである、・・・、私が精神病院で処方されていた「SSRI(Selective Serotonine Re-intake Inhibitor 選択的セロトニン再受容阻止薬)」は、使用済みセロトニンがたちまち分解されてしまう酵素反応を阻害する「負触媒」なのだと言われている、・・・、

メラトニン
ところで、「覚せい剤取締法」の対象となっているのは、以下の2物質、メタンフェタミンとアンフェタミンなのであるが、これが「毒物」であるのは、もちろん、それらが、それぞれ、アドレナリン、ノルアドレナリン、と、あまりにも「酷似」しているがゆえに、つまり、その機能をいわば「横取り」してしまうからなのだ、と理解できるでしょう?

メタンフェタミン、アンフェタミン
参考文献(笑):セロトニン・ドライブウェイ
・・・
トウワタ(ガガイモ科)Asclepias curassavica、新しい分類では、キョウチクトウ科、になるらしい、は、「強心配糖体Cardiac glycoside」と呼ばれる、毒物、もちろん、それは場合によって「薬物」なのだが、を含んでいるらしい、その「強心配糖体Cardiac glycoside」の一般的構造は、以下のようなものであるらしく、左側に糖、そのいずれかのヒドロキシル基-OH、を介して、6員環が3つ、5員環が1つ、その先にアルキル基、・・・、おそらく、トウワタの学名の綴り字から、そうなんだろうと思われるが、この植物が含んでいるのは、「Asclepin」という物質であるらしく、久しぶりに、これはアメリカ合衆国の国立の研究機関のウェッブ・サイト、物質名を入力すればたちどころに2-Dや3-Dでその構造式を表示してくれる、「化学の先生」の頃(笑)よく使った、から、引用してくると、こんな感じ、

その、トウワタを食草とするカバマダラ(マダラチョウ科)、英名「African monarch」、北米大陸産の、同じ食草のオオカバマダラが「monarch butterfly」だから、そうなったのだろうが、「アフリカの王族」、「エキゾチズム」丸出しの命名、むしろ、気に入った(笑)かもしれない、の体内にも、したがって、おそらく同じ毒物が存在していることになる、一般的な説明としては、天敵、例えば、鳥、イソヒヨドリ(ツグミ科)、などはそれにあたるだろう、による食害を避けるた・め・、ということになっているが、もちろん、ここには、「進化論」的事実を記述する際の、「方便」が含まれている訳で、直ちにいくつもの疑問が湧く、
1)この蝶を食した天敵、例えば鳥、が、直ちに死んでしまうほどの強い毒であったなら、「あの虫を食べるのはやめておこう」という「抑止効果」すら発揮しないではないか?
2)鳥が、「あの虫を食べたがまずかった、二度と食べたくない」と、「思った」として、それを、同類に「伝達」出来ない限り、その「抑止効果」は、一個体限りのものにとどまるではないか?
さらに、もっと「毒」という観念についての本質的な疑問もありうる、カバマダラが、その毒物「Asclepin」に「耐性」を獲得したのは、長い長い、「進化」的過程の中で、たまたま、その毒性に対抗しうるなんらかの機構を構築するような「突然変異」が生じ、何世代かの後には、それを食べても大丈夫になった、ということであろう?
1)もともと、もっと広い「食草」の選択肢を持っていた、
2)ある日、うっかりトウワタを食べてしまうものがあった、もちろん、その個体は「毒」に当たって、死んだ、・・・、ということが数限りなく繰返された後、「耐性」が獲得された、
3)すると、他の蝶たちには決して食べることの出来ない、植物を、「独占」することができるので、次第に、カバマダラ―トウワタ間の「食べる/食べられる」関係が固定化していった、
ならば同様のことは、トウワタ自身についても言えるはずで、
1)もちろん、もともとは、「毒物」を産生する機構など、もっていなかった、
2)ある日、植物体内の、遺伝情報の転写、とか、酵素反応の、「エラー」によって、植物体そのものにとって、処理できない、あるいは、他の酵素反応を阻害してしまうような物質、「毒」というのは、そういうものだろう?を作り出してしまった、もちろん、その植物体は「毒」にあたって枯死しただろう、・・・、ということが数限りなく繰返された後、うっかり、そのような物質が産生されても、大丈夫であるような機構を、これまた、偶然に備える個体が現れ、こうして「耐性」が獲得された、
3)すると、これは、蝶の幼虫などに「食害されない」、という、目覚ましい「メリット」ということになり、この植物は、繁栄することができた、だが、同じく、その「毒物」に「耐性」を、偶然獲得できた、カバマダラの如き食害者が現れてしまう、それでも、食害者が、ただ一種だけの蝶に限られる、ということは、依然として「メリット」ではあり続ける、こうして、次第に、カバマダラ―トウワタ間の「食べる/食べられる」関係が固定化していった、・・・、つまり、それは、ほとんど、「負の」と形容語句を付さねばならないかもしれないが、「共生関係」、「双利共生関係」といってもよいものではなかろうか?





「ケララ、ケラケラ、ケケラケラ」、あ、これも「七五調」だ、とか、こいつは鳴くわけじゃないけどな・・・。
サトウハチロー作詞、中田喜直作曲、楠トシエのうたで、「わらいかわせみに話すなよ」が、「NHKみんなのうた」で放送されたのが、1962年12月から1963年1月、とのこと、私は、1958年1月の生まれだから、ほぼ、四歳くらい、ということになる、そんなの「小児期健忘」の最中じゃないか?とも思うんだが、今、YouTubeで聴き直すまでメロディーはすっかり忘れていたけれど、「わらいかわせみ」という言葉はくっきりと覚えていて、現に、こうして、カワセミ(カワセミ科)を見るたびに、ちなみに、その姿をはじめて見たのは、そもそも、鳥の姿などを「見よう」と思うようになったのは、何度も言うように、二十年前ばかり、「病気」になってからだが、そう、この奇天烈な鳥を見るたびに、その言葉が脳裏をよぎったりしたわけだ、もちろん、こいつは「ケララケラケアケケラケラ」などとは鳴かない、「ひゅいひゅい」みたいななかなか潤いのある声で、だから、「笑って」いるようでもなく、「うるさい」わけでもない、・・・、このNHKのウェッブサイトに記載されている日付は、あくまで「初回放送月」だから、そののちも繰り返し放送されたかもしれないから、実際に聞いたのはもっと後なのかもしれないのだが、「小児期健忘」の彼方から、呼びかけられたのだ、という方が、「ロマンチック」な感じもするので、そういうことにしておこう(笑)、ちなみに、ワライカワセミという鳥は、オーストラリア、であったか、に産するカワセミ科の鳥だそうで、写真で見る限り、また、その、とんでもない鳴き声を、聞く限り、ある意味、奇天烈さにおいては、甲乙つけがたいものの、この、カワセミ、そのものとは、あまり似ていないのである、・・・。
・・・
たぬきのね たぬきのね
ぼうやがね
おなかに しもやけ できたとさ
わらいかわせみに 話すなよ
ケララ ケラケラ
ケケラ ケラと
うるさいぞ
キリンのね キリンのね
おばさんがね
おのどに しっぷを してるとさ
わらいかわせみに 話すなよ
ケララ ケラケラ
ケケラ ケラと
うるさいぞ
ぞうさんのね ぞうさんのね
おじさんがね
はなかぜ用心(ようじん)に 筒(つつ)はめた
わらいかわせみに 話すなよ
ケララ ケラケラ
ケケラ ケラと
うるさいぞ
わらいかわせみに話すなよ
・・・
今、気が付いた、間違いだ、・・・、テレビ放送の歴史をひもといてみると、ここ↓、に引用した通り、1930年代に書かれた、オルダス・ハックスリー「すばらしい新世界」には、すでに「テレビ」という言葉が登場するので仰天したのだが、その頃、ヨーロッパ北米各国で、実験放送が始まり、例えば、ナチ政権下の、1936年、「ベルリン・オリンピック」、そう、レニ・リーフェンシュタールの「民族の祭典」、もちろん(!)観たことないけど、の、「ベルリン・オリンピック」だ、はテレビ中継された、とのこと、だが、おおむね、放送開始は、アメリカ、ヨーロッパでは、1940年代初頭、日本では、「戦後復興」後の、1950年代初頭、・・・、
参考:モリスの「ユートピア」、ハックスリーの「ディストピア」
で、何度も言ったが(笑)、「世間」では、1964年の「東京オリンピック」を機の「買い替え」を狙って、家電各社が、「カラー・テレビ」の開発にしのぎを削り、だから、それ以前が「白黒テレビ」の時代、1964年を境に「カラー・テレビ」の時代、というのが「常識」なんだが、うちでは、「貧しかった」とも言えるし、「禁欲的」だったのだ、とも言えよう、「白黒テレビ」を、初めて購入したのが、1964年だったのだ、だから、「笑いカワセミ」を、私が聞いたのも、それ以降ということになって、もう、小学一年生だから、「小児期健忘」ではないね、今、調べてみると、マラソン競技は、同年10月21日、夕闇迫る代々木の国立競技場、のトラックに、最初に現れたのが、裸足の、アベベ選手だった、という瞬間を、学校から帰って、カレンダーに問い合わせると、その日は水曜日、テレビ画面の上で、見た、「記憶」がちゃんとある、し、閉会式、は、10月24日、土曜日だったようだが、なんでも、会期中に独立を果たしたアフリカの国があって、開会式には、旧宗主国の選手団として参加した、おそらく数名の選手たちが、色とりどりの、もちろん「白黒テレビ」なんだから、それは「記憶の偽造」だ、民族衣装を着けて、新生国旗を誇らしく、高々と掲げて行進した、という、感動的なシーンが、後年、「民族解放社会主義革命」などというものを奉ずる「原点」となった訳でもあるが、その「アフリカの国」が、旧北ローデシア、イギリス植民地から、共和国へと、完全独立を果たしたのが、ちょうど「閉会式」と同じ日、1964年10月24日の、ザンビア共和国、であった、ことを改めて調べて知ることになったのは、ごく最近のことなのだけど、・・・、「アベベ選手」の名まえは、一世を風靡し、「エチオピア」という国名を知るようになったのも、それがきっかけだったに違いない、・・・、マーカス・ガーヴェイの「アフリカ帰還運動」にとっては、それは、ずっと以前から、「祖国」という意味を担って知られていただろうけれど、マルコムX、の父親は、ガーヴェイの下で活動していたことが、「自伝」に書かれているし、トニ・モリソン「ジャズ」にも、リチャード・ライト「アメリカン・ハンガー」にも、いずれも、1930年代ごろ、街頭でアジテーションするガーヴェイ派の姿が描きこまれている、ずっと後年になるのだろう、「ラスタファーライ」、レゲエ・ミュージックにとっても、・・・、というわけで、「笑いカワセミ」ではオチがつかなかったから、そんなことどもをつらつら思い浮かべてみることになった、・・・、













カワセミ(カワセミ科)


「野鳥雑記・翡翠の歎き」柳田國男(青空文庫)


「家族八景」、ですか?で、そも「八景」とは何ぞ、とか言って、いくらでも話を引き伸ばすことは、できる、「引き伸ばさ」なければならないのは、もちろん、何かを「隠蔽」しなければならないから(笑)。

やんごとなき事情から、家族がまた、少し、増えたので、自分が「いつまで生きられるかわからないのに・・・」という「良心/理性」の声とはうらはらに、まわりに、「意思疎通」のできる(笑)生き物が存在していることに、心華やぎ、では、「家族ヴィデオ」を、と思い立ち、この、ずいぶん昔に読んだ筒井康隆の小説のタイトルを思いだした、人の心のうちが読めてしまえる、超能力者、エスパー?、「extrasensory perception」、で「ESP」、それに「人」を表す語尾「-er」を付して、「esper」とのこと、である七瀬が、お手伝いさんとなって、さまざまな「家族」を垣間見る話だったな、アマゾンの「試し読み」で冒頭を読んだら、当然にも、ちょうどいいところで切れているので(笑)、やむなく、やんごとなく、注文することになってしまった、筒井康隆氏自身が、このタイトルを選んだ動機はわからないが、私の中では、おそらく同じ時期に読んだからなのだろう、太宰治の、「富岳百景」、「東京八景」、と混同してしまっている、西加奈子「サラバ」の登場人物が、富士の麓へ自殺行に出るほど惑溺していた、という話で、「富岳百景」は、最近読んだから、では、今読み直したら、どんな感想を持つことになるのか、やや不安でもあるが、「東京八景」も、読み直すことになるであろう、・・・、

「家族八景」筒井康隆(新潮文庫)
「東京八景/苦難の或人に贈る」太宰治(青空文庫)
「富岳百景」太宰治(青空文庫)
「やんごとなき」、形容詞「やむごとなし」、「止む/やむ」ことの出来ない、という意味だから、「やむを得ない」と同じく、「捨てておけない」、「なおざりに出来ない」、というのが原意だが、転じて、「なみなみでない」、「格別である」、となり、かの「いとやんごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふあり」(源氏物語/桐壷)の用例のようなものになった、とのこと、
いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
「源氏物語 (渋谷栄一校訂)」「桐壺」
どの天皇様の御代みよであったか、女御にょごとか更衣こういとかいわれる後宮こうきゅうがおおぜいいた中に、最上の貴族出身ではないが深い御愛寵あいちょうを得ている人があった。
「源氏物語 (与謝野晶子訳)」「桐壺」
では、そもそも、「八景」とは?一〇世紀北宋の、「瀟湘しょうしょう八景」を嚆矢として、山水画の伝統的画題となったもの、とのこと、「瀟湘」は、湖南省長沙市付近、「瀟水」と「湘江」が合するあたり、というのが名の由来のようである、その「八」は、伝統的には、次のように定まっているらしい、すなわち、「晴嵐」、「晩鐘」、「夜雨」、「夕照」、「帰帆」、「秋月」、「落雁」、「暮雪」、




なんで「哀しからずや」なんだよ?そんなの、大きなお世話じゃん?と、「詩心」のない素人は、息巻いてしまいますが(笑)、・・・。


オオハマボウ(アオイ科)



コアジサシ(カモメ科)、こうして、大口開けて、いるところを見れば、今も、「歌って」いるのだが、そばにいるときは、ああ、あれが、コアジサシの声だ、とすぐわかるのに、それは、いったいどんな声だったのか、一向に思いだせない、





シロチドリ(チドリ科)、この人たちは、「留鳥」だから、まもなく、当地で、繁殖活動に入るわけである、心なしか、「婚姻色」なのだろう、どれがオスでどれがメスかはちっともわからないながら、それぞれに、羽色は、鮮やかになってきているように、思われる、







コアジサシ(カモメ科)

シロチドリ(チドリ科)







コアジサシ(カモメ科)

アオサギ(サギ科)、背後に、波打ち際を飛翔するコアジサシ(カモメ科)が、写りこんでいる、撮っているときは、もちろん、気付いていなかったが、









コアジサシ(カモメ科)

クロサギ(サギ科)・白色型

コアジサシ(カモメ科)

オオハマボウ(アオイ科)、グレープフルーツ、みたいに、黄色い品種と、オレンジ色の品種があるんだ、と思っていたが、同じ花が、時間が経過すると、濃い色になる、ということかも知れない、し、いや、そうでないかも、知れない、もう、夕方なのだが、ほら、みな、オレンジ色なので、
・・・
白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ/若山牧水(1885-1928)

オオハクチョウ(カモ科)、分布図繁殖地留鳥越冬地
同志社女子大の国文科の先生のブログであるらしい、「若山牧水の『白鳥は』の歌について」によれば、明治40年、すなわち1907年の初版では、「はくてう」とルビが振られていたのが、翌年出版された歌集の中では、「しらとり」に変わっているのだという、そればかりでなく、「海」と「空」の順序も、入れ替えられてしまい、・・・、
白鳥はくてうは哀しからずやの青そらのあをにも染まずただよふ
白鳥しらとりは哀しからずやの青のあをにも染まずただよふ
若山牧水の略歴を、wikipediaで概観すると、宮崎県生まれ、早稲田の英文科在学中は東京、その後静岡県沼津に住んでいる、極度のアルコール依存症の(笑)、旅の人だったそうだから、あちこちに出かけて詠んだ可能性はあるものの、どうも、ここに歌われているのが、上の図からもわかるように、カモ科オオハクチョウである可能性は低く、あるいは、ルビが変更されたのも、それを作者自身が気にしたのでは、との憶測もあるようだ、・・・、この論者も指摘しているが、「青/あを」の使い分けなど、なかなか意味ありげに見えるけれど、それ、入れ替えてしまっているなら、まったくのこけおどしだったことになるじゃん、と素人は疑ってしまう、私事にわたるが(笑)、母親が国文科出身、卒論は有島武郎だったと聞かされた、で、国語の教師だったから、残念なことに(笑)、そういう「素養」は、私にもある程度身についてしまっているらしく、いまだに、沖縄の海で、晴れた日に、あくまで青い海を背景に、白い鳥、サギでも、あるいは、アジサシやカモメでも、が「たはむれて」いるのを目撃すると、思わず、この歌が思い浮かんでしまい、そして、思わず思い浮かんでしまったことに、立腹してしまう(笑)のは、もちろん、ある種の「検閲」、「抑圧」なのであろう、いま改めて、この歌を読み返しても、やはり、この歌人を少しも好きになれないけれども、もちろん、「不快感」の由来は、そこにあるのではなくて、私自身の、母親に対する「愛/憎」のアンビバレンツから、その歌を「覚えている」という事実を、「隠蔽」したいという欲望であるに違いない、・・・、「自然主義」を標榜するか否かにかかわらず、これら明治の文学のほとんどすべてが、何一つ、「自然」の事物に「関心」など払っていないようなのは、ほとんど明らかであろう、もちろん非難している訳ではない、「自然」を「見る」などと言う眼差しは、すぐれて「近代」的なものであるかも知れず、もし、そんな眼差しを持ちえた人がいたとしても、それは、稀有な例外、むしろ「異常値」というべきかもしれないのだろうからね、例えば、ソテツの実は、ヒヨドリの嘴には少しく大き過ぎる、などと、こともなげに語る柳田国男のようにね、「ホトトギス」の声をほとんど聞いたことがなくても、「ホトトギス」の声について、熱く語れることが、「枕草子」以来の、文学の「伝統」なのだろうからね、・・・、で、この記事によれば、牧水は、別の歌集にこの歌を採録するにあたって、ある「詞書」を付しているらしい、いわく、
女ありき、われと共に安房の渚に渡りぬ。われその傍らにありて夜も昼も断えず歌ふ
つまり、詠まれた場所は、安房、つまり千葉県房総半島の海、ますますオオハクチョウではない、それこそ、サギ類か、カモメがふさわしかろう、その上、彼は、この「詞書」を通じて、読者に、この歌を「恋の歌」として解釈せよ、と強要している、それは、もちろん、「作者」としての「越権」である、こんな「詞書」などないほうが良かった、という筆者に同感だったから、引用することにしたのだ(笑)、・・・、
最近立て続けに、山崎ナオコーラの作品を読んで、どれがどれだかわからなくなってしまったが、たしか、
空が青いのは、大気圏を通過する光が青ばかりだから、海が青いのは、空を反射しているから
というふうなことが書かれていて、「バッタもん」の物理の先生でも、それは結構正しいと判断できる、波長の短い青が、「散乱されにくい」、でいいのか?ことの説明に、たしか、「量子論」を援用する必要があったはずで、だから、予備校の授業の際には、頭のいい生徒に質問されたらどうしよう、とびくびくしていたものだ(笑)、・・・、
さて、コアジサシ(カモメ科)、「カモメ」といえば、・・・、
かもめの水兵さん(1937)
かもめの水兵さん
並んだ水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服
波にチャップチャップ 浮かんでる
かもめの水兵さん
駆け足水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服
波をチャップチャップ 越えていく
かもめの水兵さん
ずぶ濡れ水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服
波でチャップチャップ お洗濯
かもめの水兵さん
仲良し水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服
波にチャップチャップ 揺れている
1937年、というその時代にもかかわらず「水兵さん」などという言葉を用いているにもかかわらず、そんなに「国威発揚」臭がしないのが、好ましい、「白い○○」が並んでいたのだけ記憶があって、気になったので検索してみたまでだ、コアジサシの場合、「帽子」は黒、サングラスまでしているし(笑)、「服」だか「シャツ」だかもやや、灰色がかっているけどね、・・・、当地は、「軍人」さんを見かける頻度が高いのは言うまでもないが、海兵隊や空軍に比べると、海軍の比重は小さいから、「セーラー服」に出くわすことはあまりない、それに、気が付いたのだが、いきなり水深が深くなるのが「良港」の条件であろうから、港にいるカモメは、当然に、足がつかないから、水面に浮かんでいるのであろう、・・・、遠浅のサンゴ礁、「裾礁」によって形成された干潟でしか、「バードウォッチング」をしたことのない者には、想像できない光景だな、そういえば、ジョン・アーヴィング「ホテル・ニュー・ハンプシャー」、も・う・一・人・の・フロイト、が、ヨーロッパに旅立つとき、船のまわりに、イソシギが、やはりぷかぷか浮かんでいた、という一節があったと思う、それを読むまで、シギ類が、水面を「泳ぐ」ことができる、ことも知らなかった、多分、多少はできるのだろう、だとすれば、宮古八重山から沖縄本島までの、300kmに及ぶ「島影一つ見えない絶海」の途中でも、少しならば、休むことができるのかもしれない、と、他人事ながら「安心」したりもしていたのだが、どうなんだろうか?


一見、無愛想、攻撃的、と思われかねない外見にもかかわらず、ひとたび心を許せば、ここまで無防備に、柔和な表情を、見せてしまう、そんなところも、「身につまされる」ところがあったのでね(笑)。




「ボスにたのめば良いじゃん。中国地図の上に、“I love You”を入れて、oの中に国旗を挿して。そう、地図と国旗は赤で、字は空の青だよ」志強は硬い表情で言った。
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デモ行進する際、いつもなら浩遠は志強と並んで英露の後ろを歩くが、志強が“I love You”のシャツを着るようになって以来、志強の後ろを歩くようになった。拳を振りながら、みんなと声をそろえてスローガンを叫ぶ。数知れぬ背中に、“我愛中国”“我愛民主”の赤い文字が繚乱する中、海色の青に光る“I love You”の文字、そしてoに差した小さな赤い国旗が志強の背中の筋肉に乗って翻っている。それを見れば、興奮で尖った神経が鎮まって、穏やかさを覚える。
「時が滲む朝」楊逸ヤン・イー(文藝春秋2008年9月号に芥川賞受賞作として掲載)

「時が滲む朝」楊逸(文春文庫)
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一九八九年五月下旬の北京は、日中暑くても、深夜になると冷え込んだ。ある日、日中暑いさなかに半袖シャツ一枚で出かけた私は、深夜になって寒さを感じながら、自転車で広場から学校に戻る途中だった。冷たい風が正面から吹きつけ、体じゅうの各部位とオンボロ自転車の各部位が一緒に震え出した。街灯の消えた道を自転車で走る私のために、月光が行く手を照らしてくれる。前へ進むほどに、寒さは募った。ようやく呼家楼フーチアロウにさしかかったとき、急に熱波が暗闇の中から押し寄せてくるのを感じた。進むにつれて、熱波はより強烈になる。続いて、遠くから歌声が聞こえてきた。さらには、遠くに灯火がまたたいているのが見えた。その後、熱波の襲来と同時に、驚くべき光景が出現した。灯火のまばゆい立体交差橋の上と下に、一万人あまりの人々が集まって、守りを固めていたのだ。彼らは激情に駆られ、夜空の下で高らかに国歌を歌っていた。
「我らの血と肉で新しい長城を築こう!中華民族は危難のとき、追い詰められて最後の雄叫びを上げる!起て!起て!起ち上れ!我らは心を一つにして・・・・・・」
彼等は寸鉄も身に帯びていなかったが、自信に満ちていた。自分たちの血と肉で軍隊や戦車を阻止できると思っていた。集まって情熱を沸騰させ、まるで各人が燃え盛る松明に姿を変えたかのようだった。
それは私の人生の中で、重要なときだった。それまではずっと、光は人の声よりも遠くまで伝わる、人の声は体の熱より遠くまで伝わると思っていた。しかし、二十九歳のこの深夜、私は自分の誤りに気づいた。人民が団結したとき、彼らの声は光よりも遠くまで伝わる。体の熱は声よりも遠くまで伝わる。私はついに、「人民」という言葉を本当に理解した。
「ほんとうの中国の話をしよう/十個詞彙裡的中国」余華(河出文庫)


1989年6月4日(日曜日)の「月齢」は、「0.3」、「新月」であろう、遡った同年5月20日(土曜日)が、月齢「14.6」、ほぼ満月であろう
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「ええ・・・・・・一つだけ聞きたいのは、北京の人たちは・・・・・・どうですか・・・・・・天安門事件について」
ミスター楊の表情がすっかり変わった。首をふって、「その話は」とだけ言った。そしてふった首にナイフが横にささる仕草をした。
「忘れていない、かどうか、それだけを」
「忘れていない」
ミセス楊が恐れるように、周りを見た。鳥かごの老人は、広場の中を向いていて、こちらの会話に関心があるという様子はまったくなかった。
ミセス楊がぼくの顔をまっすぐに見て、
「どうして忘れることができるんですか」と小さいがびっくりするほど激しい声で言った。
为什么可以忘记嗎ウェイシャンマケイワングジマー!」
ぼくも小さい声になって、「ぼくはジャーナリストじゃないから、別にそんなことを追及しに来たわけじゃない。ただ、どうなっているのか、それだけ、どうしても聞きたくなった。すみませんでした」
もう話題を変えよう、と思ったとたん、ミスター楊は、
「ぼくらもいた」といった。
そしてミスター楊は、彼女と二人がライフルを向けられる仕草をした。
こんどはぼくが黙り込んだ。カリフォルニアにも世田谷にもいそうな、「ヤッピー」風のカップルと、あの事件からずっと連想していた「北京大学のインテリ」のイメージは、まったく結びつかなかった。
「じゃ、知識分子インテリだけが、ということではなくて」
知識分子インテリ?何が知識分子インテリですか!」とミセス楊がいかったささやき声で言った。「私たちはふつうの労働者ですよ。みんながいたんですよ。北京の普通の若い人はだいたいあそこにいたんですよ」
「天安門」リービ英雄(講談社)

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今から23年前の今日、六月四日の朝、二日前の夜に大阪南港を出発して、こののち、宮古島、石垣島を経由して、台湾の基隆へと向かう、確か、今は倒産したのだと思う、有村汽船のフェリー「飛龍21」で運ばれてきた私は、那覇市の安謝新港の埠頭に降り立った、その日が、ちょうど「天安門事件」の十周年にあたることは、知っていたけれど、その符合をとくに意味ありげに語るつもりもなかったけれど、ただ、以来、どうしても、毎年この日がめぐってくるたびに、その二つの事実を、同時に思いだしてしまう習慣にはなってしまったのだな、沖縄に来る直前、京都で、中●核派系の小さな地域合同労組に、ほとんど名前だけ加えてもらっていたけれど、その機関誌に、場違いに「インテリ」臭ただよう、だから決して誰も読まないような「映画批評」コラムを書かせてもらっていて、それが、まだ、残っている、・・・、
『天安門/THE GATE OF HEAVENLY PEACE』

「天安门The Gate of Heavenly Peace」(1995)/Richard Gordon and Carma Hinton
「天安门The Gate of Heavenly Peace」(1995)/Richard Gordon and Carma Hinton
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「不忘」という言葉を使おうとは思わない、「鎮魂」というのは、生者が死者のことを、きっと、かならず「忘れてしまう」ことに対して、死者に対して寛恕を乞う行為だと思う、生きていかねばならない者にとって、「忘れる」ことは、不可欠の、時には「治療行為」なのだから、それをあえて否定するのは、「勿忘草」、ムラサキ科ワスレナグサの英語名が「forget-me-not」、フランス語が、「ne-m'oubliez-pas」、であるみたいに、「忘れるなよ、忘れたら化けて出るよ」という、自らの罪悪感を、相手、「死者」に「投影」したものなんだろう、「死者のことを忘れるな」という叫びが、「報復」への激情を呼び覚まし、それがしばしば「革命」の火種として機能してきた歴史をないがしろにしようとは思わないけれど、依然として、それは、生者が死者に成り代わって語ってしまう、という「越権」を構成している事実もまた、否定することができないのだからね。
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「蝸牛」談義、は、こちら↓、へ移動、・・・、
「万人の幼なき日の友であり、気軽で物静かでまた沢山の歌を知っている」、「この小さな自然の存在のため、もう一度以前の注意と愛情とをも蘇らせ」、・・・、雨に降り込められた日々は、それくらいし・か・撮るものがなくて(笑)、などと言わないように、・・・、合わせて、柳田国男「蝸牛考」を読む/



コアジサシ(カモメ科)

シロチドリ(チドリ科)

セッカ(ウグイス科)

ヒヨドリ(ヒヨドリ科)

アダン(タコノキ科)






Last updated  2022.06.17 06:04:38



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