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ねこログ

2022.06.15
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シロチドリ(チドリ科)

ベニアジサシ、エリグロアジサシ(カモメ科)、アオサギ(サギ科)

セッカ(ウグイス科)

オオハマボウ(アオイ科)

イソヒヨドリ(ツグミ科)・幼鳥

旧暦五月十五日の月、月の出二時間後

リュウキュウツバメ(ツバメ科)


「ねこログ」、総目次(笑)/「スクラップ・ブック」、の、目次。
目次:「万人の幼なき日の友であり、気軽で物静かでまた沢山の歌を知っている」、「この小さな自然の存在のため、もう一度以前の注意と愛情とをも蘇らせ」、・・・、雨に降り込められた日々は、それくらいし・か・撮るものがなくて(笑)、などと言わないように、・・・、合わせて、柳田国男「蝸牛考」を読む/




「万人の幼なき日の友であり、気軽で物静かでまた沢山の歌を知っている」、「この小さな自然の存在のため、もう一度以前の注意と愛情とをも蘇らせ」、・・・、だってよ?




オキナワウスカワマイマイ(オナジマイマイ科)、ハマイヌビワ(クワ科)







オキナワウスカワマイマイ(オナジマイマイ科)

我々俗業の学問に対する手前勝手な要求は、第一にはこれに由って怡楽を得、また安息を得んとすることである。それには万人の幼なき日の友であり、気軽で物静かでまた沢山の歌を知っているデデムシなどが、ちょうど似合わしい題目ではないかと思う。
私たちは田舎の生活に遠ざかっているために、既に久しい間この虫が角を立てて、遊んであるく様子を見たことがない。その進歩のあとの幽かなる銀色をしたものが、眼に付くことも段々に稀である。都府の庭園が日照り耀かがやいて、余りに潤いの足らぬということも、蝸牛かぎゅうの静かなる逍遥を妨げているか知らぬが、一つには我々の心があわただしく、常に物陰の動きを省みようとしなかった故に、是も多くの過ぎ行くものと同じく、知らぬ間に無くてもよいものになってしまったのである。我々はこの小さな自然の存在のため、もう一度以前の注意と愛情とをも蘇らせ、これに由って新たなる繁栄の喜びを現実にしてみたいと思う。・・・
・・・勿論その中にも選択の順位はあって、東京の蝸牛は現在はマイマイツブロ、京都ではデンデンムシが標準語のごとく見られているが、双方の児童は大抵はこの二つを共に知るのみならず、その上にさらにカタツムリという今一つの語が有ることをさえ承知しているのである。・・・自分は播磨国の中央部、瀬戸内海の岸から五里ほど入った在所に、十二、三の頃まで育った者であるが、やはりいつ覚えたのか、確かにこの三つの語を三つとも知っていた。五十年前の教科書の中にも、やはり蝸牛の一節はあったが、これは教員がクヮギュウと読ませていた。カタツムリが古語であって確かに『倭名類聚鈔わみょうるいじゅしょう』に出ていようとも、そんなことは子供たちが知ろうはずがない。・・・
・・・この判別の目安に供すべき尺度は、他にもまだ幾つかあるだろうが、さし当り自分の標準としたものは二つある。その一つは方言領域の集結と分散、他の一つは方言生成の理由が、今なお現存しまたは比較的に明瞭であるか否かである。この第二の目安はもっと科学的な言い方をすれば、あるいは方言自体の構造素質などと言い得るかも知れないが、そういう表現の巧拙よりも、私はむしろ事実をつまびらかにして置く方に力を費やそうとした。そうしてこれに拠って、ほぼデンデンムシマイマイよりも後に生まれたことを確かめ、且つカタツムリが更にその二つよりも前であって、しかもまだその更に以前に、他の幾つかの「上代の新語」を、兄として戴いていたらしきことを知ったのである。
・・・
京都のデデムシの人に知られていたのは、延宝四年の序文のある『日次ひなみ日記』より後ではなかった。同書四月の末の条に、
此月至五月、有霖雨則蝸牛多出、或登床又黏壁・・・・・・其在貝也則蝟縮、児童相聚、出出虫虫、不出則打破釜云爾。此虫貝、俗称釜。
とあるのは、デデムシの名のこの童詞から出たことを知っていたのである。・・・
・・・あんまり小さいことで人は注意しておらぬかも知らぬが、童児が蝸牛に向っていう文句には、実は早くから二通りの別があった。出るという一点は同じであっても、一つはその身を殻から出せというもの、他の一つは即ち槍を出せ角を出せというもので、あの珍しい二つの棒を振りまわす点に興じたものであった。・・・
・・・
マイマイという語の元の起りは、以前一、二の学者もすでに推量しているごとく、本来は蝸牛の貝の形、即ちあの巻き方に基づいて附けた名なることは、おおよそ確かである。蝸牛以外の物の名に、同じマイマイの語を用いているものは、あるいは是も小児の観察かも知れぬが、第一には淵の水の渦巻がある。・・・ところがまた一方にはツムジ風と称して、渦を巻く風をツムジという例も普通であり、そのツムジ風を我々はまたマイマイ風とも呼んでいた。そうするとマイマイが少なくとも「巻く」という語に因みあることだけは明らかで、ツムジもギリギリと同じように、いかなる理由があったかは後の問題として、とにかくかつてその一つの物の名であった。それを知らずしてマイマイツブロを複合させてみようとする者も出来たが、その最初の意味においては、二語は全然同じであったかと思われる。なんにしても蝸牛はその形がつむに似ているからツムリだという語源説は怪しいものであって、錘が日本の繊維工芸に採用せられたろう頃には、既にかの空と水面とのツムジが有り、人の頭髪にはギリギリが存在し、また蝸牛は既にかのツブラなる貝を背負ってあるいていたのである。・・・
・・・
・・・私などにおいては『倭名鈔』のいわゆる加太豆不利が、果たして山城の京をへだてること何十里、源順みなもとのしたごう君の世に先だつこと何十年間の、事実であったろうかを危ぶむ者であるが、謹厳なる『和訓栞わくんのしおり』の著者のごときは、これを神代以降の正語なりと信ずるが故に、すなわち偏角振(かたつのふり)の義なるべしなどと説いているのである。もし片角振りならば片角振りと謂いそうなものである。何人がどこでそのようなわからぬ省略を申し合わせたとするか。実に思い遣りのない独りぎめであったが、そういうこともまた近頃までの流行であって、一人谷川氏のみを難ずることは出来ない。・・・
・・・それで問題になるのはカタカサと、いずれがまず生じて後に他方の「転訛」を誘ったか。・・・自分らの最初に心づくのは、カサは近世の編み笠が起る以前、一筋の縫糸を螺旋させて縫うたものと思われるから、是ならば最も適切に蝸牛の貝の構成を形容し得たろうということである。現にマイマイでも次に言おうとするツブロでも、共にその特徴に拠って出来ているから、笠に似た貝、笠を着た虫という意味の、名前が生ずることに不思議はない。・・・
・・・紡績具の錘を北国の田舎などでツンボリと謂うのは、あるいは円いという形容詞からこしらえた語とも考えられようが、全体から言って円さという通念が、個々の円い物よりも早くから名を持っていたはずはない。そうしてツブラまたはこれに近い語をもって、言い現わされている「円い物」は、今でもいくつかの実例があって、いずれも一定の約束をもっているのである。最も有りふれているのは人間の頭をオツムリということ、元はあんまり上品な語とも認められなかったかも知れぬが、それでもそうそう新しい変化ではなかったと見えて、沖縄の群島でも北は大島に始まり、南は八重山の端の島に至るまで、ほとんど一様に頭をツブリチブルまたはツブルと呼んでいる。欧羅巴の諸国にも例のあることだというが、日本でも是はひさごの名から出た一種の隠語もしくは異名のごときものであったらしい。・・・
・・・
蓋し轆轤ろくろというものの使用をまだ知らなかった時代の人が、土器をツブラにする術は渦巻より他にはなかった。即ちツブラというのは単に蝸牛の貝のごとく円い物というだけではなく、同時にまた粘土の太い緒をぐるぐると巻き上げること、あたかもかの虫の貝の構造のごとくにしなければならなかったのである。ツボという語がもとツブラという語と一つであったことは、現に地中から出て来る一片の壺のかけを、検査してみただけでもわかることであるが、この上代の製作技術の、今日までそのままに保存せられているのがツグラであった。・・・東京では単にオハチイレなどと称して、今はただ冬の日の飯を冷やさぬために使用するのみであるが、甲信野越の国々を始めとして、ほとんど日本の田舎の半分以上においては、米の飯よりもなお何層倍か大切なもの、即ち人間の幼児をこの中に入れて置いたのである。・・・それを作るの法は至って簡単で、いずれも轆轤以前の陶作すえつくりと同様に、藁の太い縄を螺旋状に巻き上げて、中をうつろなる円筒形を作るのが即ちツグラであった。・・・例えば東京などでは、藁のツグラをもう忘れてしまった人々が、「蛇がトグロを巻く」という言葉だけは常に使っている。蛇のわだかまって丸くなっていることを、肥前の平戸辺りではツグラ、佐渡の島でもツグラカクと謂っていた。ワダカマルという動詞もウヅクマルという動詞も、中間にツクネルツクナルなどという俗言を置いて考えて見ると、やはりこのツグラに関係があったのである。・・・
「蝸牛考」柳田国男(岩波文庫)

「蝸牛考」柳田国男(岩波文庫)
イ、よろこ(ぶ)、やわ(らぐ)
コウ/(1)あたかも、(2)鳥の鳴く声の様
こんな単純な字なのに、目を凝らさないと区別がつかなかった(笑)、
ショウ、ソウ、うつ(す)、うつ(し)かす(める)、さつ
ショウ、ソウ、うつ(す)、す(く)、すく(う)、かすめ(る)
「手へん」の方の説明は、「少」は「勺」、「汲む」の意、したがって、「手」で「汲む」ことを表す、「金へん」の方には説明がなかったが、類推すれば、何か金属製の容器で「汲む」ことになるのだろうか、
「倭名類聚鈔」、wikipediaのエントリーでは、「和名類聚」、平安時代中期、承平年間(931-938)、源順みなもとののしたごうが編纂した辞書、
「延宝」、1673年から1681年まで、したがって、「延宝四年」は、1676年、参考、「西暦、元号、干支対応表」
リン、ながあめ
ネン、デン、ねば(る)/「粘」の古い形、「へん」となっているのが、「米」ではなく「黍」、いずれも、デンプンを多く含む種子を持つ、イネ科植物なのであった、
イ、はりねずみ、むらが(る)
シュウ、ジュ、あつ(まる)、あつ(める)
江戸時代中期の国学者谷川士清たにかわことすが(1709-1776)が著わした国語辞典
バン、ハン、わだかま(る)、めぐ(る)
ソン、シュン、うずくま(る)、つくば(う)、つくば(い)
ネツ、デツ、こ(ねる)、つく(ねる)

「角出せ槍出せ」、の「角」、「槍」は、その先端に「目」がついている訳である、他の貝類の「目」を、思い浮かべることができないが、こんな風に、細長い「角」上の先端に、同じく「目」があるのなら、カニ、ヤドカリが思い浮かぶ、ヤドカリ科ヤドカリ、あるいはオカヤドカリ科オカヤドカリ、などでは、カニもそうだったかもしれない、これを「眼筒」と呼んでいたと思う、夏になると使う、海の生物図鑑の構成は、海綿動物(カイメン)、刺胞動物(クラゲ、イソギンチャク、イシサンゴ)、扁形動物、環形動物、節足動物(エビ、ヤドカリ、カニ)、軟体動物(二枚貝、巻貝、ウミウシ、イカ、タコ)、触手動物、棘皮動物(ヒトデ、ウニ、ナマコ)、原索動物、そして、魚類、の順に並んでいる、すると、カタツムリの「角」のような「目」と、例えばヤドカリの「眼筒」、そんなにかけ離れたものではないかもしれない、と思い、「系統樹」を探してみた、・・・、が、結局、節足動物と、軟体動物、「近い」のか「遠い」のか、よくわからないまま、に終わった、・・・、分類上遠く離れた種間に、機能的に似た構造が出現するの、「適応放散」って言うんだっけ?それにあたるのかどうかも、よくわからないが、・・・、
・・・
初めて、この、沖縄という島に降り立ったのは、結局永・住・、骨を埋め(笑)?ることにな・る・二十三年前の船旅の、その二年前、いわゆる「平和ツアー」という二泊三日くらいの団体旅行で、であった、たぶん「社会党・総評」系の労働組合主催、実はブ●ント系なり構●改派系なりの傾向が混じっていたのかもしれない、・・・、翌年には、今度は、中●核派系の同様のものに参加してやってくるわけだから、私とこの島の「馴れ初め」は、ある種「因果」なものであった、そうして、「三度目の正直」、とでも言いたげに、さらにその翌年、ようやく「一人旅」で長期滞在して、そのまま、「居ついてしまった」(笑)、訳なんだからね、その、初めての沖縄、いささかの嫌味でも非難でもない、ツアーを引率して下さる、「本土」の、こっちの言い方なら「内地」の、「活動家」の方々は、後に、えっと、結局「友達」いないままで終わったから(笑)、偉そうなこと言えないけど、そこら辺の、「普通」の、「沖縄人/うちなーんちゅ」よりはるかに、「沖縄問題」、「基地問題」、「沖縄の・産業構造」、「沖縄の・環境問題」、等々等々、に猛烈に詳しくて、バスの中で懇切にそれらを解説して下さる、もちろん、「沖縄人」に「出会う」こともあるわけだけど、その人たちも、また、みんな高名な「活動家」諸氏なわけで、そうして、三日間ばかり、団体行動を終えて、伊丹空港に降り立って、振り返れば、「呻吟するオキナワ」、「闘うオキナワ」しか目に浮かばないことになるのは、ことがらの性格上、当たり前で、「そんなの嘘だ!綺麗事に過ぎない!」、などという、いわば「ナイーブ」なことを言いたいわけじゃなくて、「嘘」でも「綺麗事」でも全然差し支えなかった訳だが、それでも、へとへとに疲れてしまうのは、これら「本土/内地」の「活動家」諸氏が、どうして、そんなにも、「他者」の境遇に、文字通り、「他人事」に、持続的な深い関心をもちうるのか?が、本当に、心の底から、理解できない、というか、想像できなかったのね、別に政治活動のことばかりじゃないよ、例えば、○○国の「文学」、を専攻しています、という人々に対してなんかも、同じように、感じていた、「当事者性」を欠いた「他人事」に「首を突っ込んでいる」という、ある種の「恥ずかしさ」に、無論、それらの人々も含めて誰もが苛まれていたはずで、それをそれぞれの形で、馴致するなり、棚上げするなり、昇華するなりの「処理」に、気を配っておられたに違いないのだから、それこそ、非難がましいことを述べることこそ「他人事」と言わねばならない、ただ、どうしても「わからなかった」から、ならば、その「非・当事者性」に由来する難問を回避するには、「当事者」になるしかなかろう、というそれこそ「ナイーブ」な解決策を採用して、きっと、本気でそう思ったわけでもないだろうが、「沖縄人」にな・ろ・う・として、引っ越しまでして(笑)、いや、本当は、もう、京都でも、仕事をころころ変えているのも限界で、「行き詰って」いたから「逃げ出して」きただけのことだったんだが、ともあれ、そんな「安易」な手段を採用した「ばちが当たった」とばかりに、ほら、筋書き通りみたいに、ほとんど一年も経たずして、昔の人なら「神経衰弱」と呼んだだろう、「心」が、壊れてしまって、そのまま今日に至る(笑)訳であった、・・・、初めての沖縄は、三日のうち二日が曇天か雨で、一日だけ快晴だったかな、快晴だと、文字通り、紫外線が肌に「焼き付いて」来るのが実感できたし、そして、やっと本題に戻ることになるが(笑)、あれは、名護市西海岸の南端辺りの、こじんまりしたリゾート・ホテル、朝の集合時間に少し早かったから散歩をして、その日は小雨だったからだろう、ホテルの入り口の、観葉植物の鉢植えに、びっくりするほどの数の、そう、カタツムリ、今だからわかるが、オナジマイマイ科オキナワウスカワマイマイ、であろう、そして、今なら、もはや、そんな光景は当たり前で、少しも驚かないだろうが、が群れていたのをくっきり覚えているな、傍らでは、参加者の皆さん方が、「沖縄の・赤土流出問題」について論じ合われていた、「当事者」でない者同士が、「当事者」の抱・え・る・問・題・について「論じ合っている」構図が、「恥ずかしい」とでも思ったのだろう、聞こえないふりをして、嘘なのに、「自然」に興味があります、みたいな顔をしたかったんだろうな、・・・、二十年後、2016年秋の高江の工事のとき、「N1裏テント」で、その人たちに再会した、もちろん、こちらのことなど覚えておられるわけはないから、声をかけることもしなかったけれど、ほとんど「意識朦朧」(笑)とでも言うべき時間を、私が、かろうじて日々の糧を得る「仕事」には従事していたものの、ほぼ、「猫」たちと、蟄居することでやり過ごしてきた日々、この人たちは、依然として、「沖縄問題」に「心を寄せ」続け、毎年のように、決して安いとは言えない航空運賃を負担して、この島に通い続けておられたのだろうか、繰り返すが、いささかの嫌味でもない、ただ、自分には、絶対に出来ないこと、だから、「理解できないことがら」として、どこかに、「とげ」のような形で、ひっかかり続けている、ひっかかり続けている、というだけの「関係」で、その人たちと、「つながっている」訳でもあるのだ、などということを、おや、カタツムリ談義で、思い出してしまったではないか?
雨に降り込められて、どこにも出かけない日々、どういうわけか、ベランダに放置されたプランターに、勢いよく繁茂してくれて、まるで、手入れの行き届いた「観葉植物」のような顔をしている(笑)、クワズイモ(サトイモ科)、が、いくつもの、これは「花」なんだろうな、をぐいぐいと伸ばして、やがて開きかかるのを、観察するか、それとも、これまた、どこから「湧いて」出て来るのか知れない、たくさんの、それもごく小さな、カタツムリたちが、そう、これも、オキナワウスカワマイマイ(オナジマイマイ科)、にちがいない、ということにしているが、老眼では、「角」を出しているのやらいないのやらわからないほどの大きさ、そんなものしか「被写体」になるものがない、・・・、はじめの方の写真で、カタツムリが乗っかっている葉っぱ、ガジュマルの近縁種、クワ科イチジク属の、ハマイヌビワではないかと思われる、これまた、放置されていたプランターに着床(笑)、どこからやって来たものか、あるいは、鳥が、果実を食べてここにやってきて、糞をして、そうやって種子を散布、「実生」で生えた、としか思えないのだが、・・・、そういうわけで、今や「我が家」のベランダ(笑)、は、これまたどこからやって来たのかわからない、ゲットウ(ショウガ科)、クワズイモ(サトイモ科)と合わせて、ちゃんと、「南国」らしい、「植物園」を形成しているのである、・・・、で、そういえば、しばらく前に、地元の昔ながらの古書店で、埃をかぶって積み上げられていた黄ばんだ文庫本の山の中から探り出した、タダ同然の、「蝸牛考」、読まずに放置されていたのを思いだし、読み始めたら、とまらなくなった(笑)、「万人の幼なき日の友であり、気軽で物静かでまた沢山の歌を知っている」、「この小さな自然の存在のため、もう一度以前の注意と愛情とをも蘇らせ」、などと書いてしまうことの出来る「眼差し」をもったこの民俗学者を、たとえ、「南」に対する「オリエンタリズム」に、「毒・さ・れ・」ていようとも(!)、「好きにならずにはいられない」(笑)、ことを、改めて確認させられることとなった、というお話、・・・、
・・・
もちろん、「ツグラ」というものを実見したことはないのだが、「藁の太い縄を螺旋状に巻き上げて、中をうつろなる円筒形を作る」、から想像するに、「巻き上げ」る際の重なり合いの多寡によって、平べったいものから、尖った円錐まで、さまざまな形が得られることになろう、カタツムリは、カワニナなどの巻貝に比べれば、どちらかといえば「平べったい」部類に入るのだろうな、いずれも、「巻き上げ」る回転軸の上方から眺めた場合、それは、「渦巻曲線」を表すことになる、・・・、元「数学の先生」としては、ここで何か一言「蘊蓄」を披露しないと気が済まないわけで(笑)、自然界の構成に、繰り返し現れる、と言われている「フィボナッチ数列」、前2項の和によって第3項を生成させる、という、きわめて単純なルールであることから、多細胞生物の生命体が、生長する際に採用しやすかったのだろう、例えばカタツムリのような貝類ならば、身体から粘液を分泌し、それが固まって、「殻」となるのであろうが、内側から、順々に巻いて行けば、それこそ「ツグラ」のように、軸にトイレットペーパーを巻いて行くように、巻かれるごとにそれ自身のサイズが大きくなっていくから、必要な材料も多くなってくる、それが、まさに「成長」、一つの細胞から、繰り返し分裂が生じて、同じ大きさの細胞が、数を増やすことによって、まさに「幾何級数的」に増加していく、その様が、「フィボナッチ数列」でアナライズされるわけだろう、・・・、ちなみに「幾何級数的」、おそらく同じ趣旨を英語で言うなら、「exponential」なんだと思うんだが、これは、「指数関数」、この関数は、当然にも「フィボナッチ数列」と深いかかわりをもっているわけだが、・・・、おや?はやくも、飽きてきているようなので、急いで話を済ませる、・・・、

カタツムリは、自分でも、写真を撮ってみて初めて気付いたのだが、その渦は、上から見て、「時計回りClockwise」であるから、まずここに、「時計回り」に90度ずつ回転させる「1次変換」を用意する、そして、最初は原点(0,0)にいて、次に、(1,1)に向かった、ということだけは、「初期条件Initial Condition」として、「無理由的」に定める、この移動を表すベクトルも、(1,1)なわけだが、これを、上で用意した「時計回り90度回転」行列によって、順次変換していくと、
(1,1)→(1,-1)→(-1,-1)→(-1,1)→(1,1)
と、当然にも、4回で元に戻る繰り返しになる、これを繰り返すだけなら、延々同じ円周上をぐるぐる回って、少しも、文字通り「成長」のないことになってしまうから、回転と同時に、拡大の要素を加える、それが、「フィボナッチ数列」で表されるわけで、ここでも、最初が1、次も1、というのだけは、「初期条件」として、無理由的に定められたとしよう、そんな風にして得られた点列を、中心角90度、つまり四分の一の円弧でつないでいけば、なるほど、カタツムリの殻のごとき図相が、得られる、・・・、「プログラム」風に、「命令文」の羅列として書けば、
001 まず、原点(0,0)に立て、そして、現在値を「1」とせよ
002 (1,1)に行け、この動きも「1」として、現在値に累積せよ
003 右に直角に曲がれ、ただし進む距離は、累積された現在値倍にすること、その値もまた現在値に加えていく
004 「003」に戻れ
という「無限ループ」となるのであろう、

「フィボナッチ数列」は、「漸化式/差分方程式」、即ち、帰納的定義、で書けば、きわめて単純なのに、その「一般項」、「差分方程式」の解、いわば演繹的定義、の式には、「黄金比Golden Ratio」と呼ばれる無理数が現れたりして、何か「神秘性」の感じられるものなのだが、そして、その「黄金比」たるや、一ページも読んだことのないジャック・ラカンの「対象a」だったっけ?、と関係があるとかで、・・・、今、それを長々と得意そうに説明しようと決意した途端、例の(笑)「トカトントン」症状が現れて、急にどうでもよくなり(笑)、だから、まだ、「現職」だったころに書いた、こんな記事を引用して済ませることにする、・・・、
フィボナッチ数列/あるいは/「私を知っている私」

ものの本には、つねづねそう書かれているから、そう思い込んでいるが、本当に、本当のカタツムリの殻が、そんな風に出来ているんだろうか?ベランダに転がっていた、殻、これは、亡くなってしまったあとに残された「遺品」ということになろうが、を拾ってきて、実際は直径1.5センチくらいのものなのだが、適当なメモリを付けた「定規」を重ねてみて、渦の中心を原点として、x軸、y軸、それぞれ正方向のみについて、渦と渦の境目の目盛りを読みとってみた、その上で、適当な(!)初期値で、「フィボナッチ数列」を生成してみて、「近似」してみたわけである、「よい」近似になっているのかどうかわからないけれど、ともかく、辻褄としては、そこそこ合っているのではないかな?、これで、大手を振って(笑)、「カタツムリの殻は『フィボナッチ数列』で出来ているのです」と、もはや、誰にも「触れて回る」ことはないのだけれど(笑)、触れて回ってもよい、ということは、わかった、・・・、





アフリカ大湖沼地域の、主要な民族構成は、おおよその人口順に、フツ族Hutuツチ族Tutsi、そして、大湖沼地域トワ族/トワ・ピグミーGreat Lakes Twa/Twa pygmies、となる、これらの民族/社会集団の使用言語は、前二者が、キンヤルワンダ語Kinyarwandaを、後者がキルンディ語/ルンディ語Kirundi/Rundiであるが、いずれも、ニジェール―コンゴ語族Niger–Congo大湖沼地域バントゥー諸語Great Lakes Bantu、に属し、それほど大きな隔たりはないようである、これらの民族/社会集団の起源に関しては、論争があるようだが、いずれもこれらの集団間の際は、歴史的、ないし、人為的に形成されてきたものだとしているようである、一つの説は、遊牧民族であったツチ族が、定住者であった他の二者に対して支配権を及ぼした、というもの、また、ベルギーなどの植民地主義者が、家畜所有者をツチ族、そうでないものをフツ族と認定した経緯から、両族の対立は、植民地主義の遺産だとする見解もあるようである、1994年のジェノサイドを経験し、その和解に向けた過程にあるルワンダでは、政府を始め、もはや、フツ/ツチ、という区分を、議論の際に用いないようになっている、と言われる


同じ筆者、アルンドゥハティ・ロイ、による論述、これは、北東インド「トライバル・エリア/部族地域」で、イデオロギー上、政治路線上のあらゆる難点にもかかわらず、政府や企業の収奪に対するただひとつの信頼できる抵抗勢力として機能している、「マオイスト/毛沢東主義派」武装組織、「インド共産党マルクス・レーニン主義派(CPI-ML)」各派、に、実際に従軍して書かれた記録・・・、彼らが、かすかでも、尊厳に似たものを取り返す旅路があり得るとしたら、それは、過去何十年にもわたって、彼らの傍らで、彼らの立場に立ち、活動し、闘ってきた「マオイスト」の戦士たちに、よるところが大なのである/「同志たちとともに歩くこと」アルンドゥハティ・ロイ

ホルヘ・エリセール・ガイタンJorge Eliecer Gaitan(1903-1948)、ボゴタ国立大学在学中から、労働者階級への教育機会、女性の権利拡大等を主張、1928年、マグダレナにおけるバナナ労働者のスト決起を組織した功によって、名を馳せた、雇用者「ユナイテッド・フルーツ会社」の利権を防衛すべく、海兵隊の派兵をちらつかせた合衆国政府からは、「共産主義的」である、とのレッテルを受け取ることになった、同社労働者が虐殺された「サンタ・マルタ虐殺事件Santa Marta Massacre」の責任追及に、弁護士としても活躍、1930年、「自由党Liberal Party」から大統領選に出馬して当選、1933年、「自由党」から脱退して、「全国左翼革命同盟Unión Nacional Izquierdista Revolucionaria/National Leftist Revolutionary Union/UNIR」創立、アルゼンチンの、フアン・ペロンJuan Perón(1895-1974)にも比せられるほどの雄弁家であったといわれ、とりわけ、「保守党」、「自由党」ともどもを、「人民」に敵対する「オリガルキーoligarchy(少数者支配)」に利益代表者と決めつけ、社会の二極化を煽ったところから、ポピュリスト・デマゴーグとの批判もある、「保守党Colombian Conservative Party」は言うに及ばず、「自由党」からも、さらに、「共産党Colombian Communist Party」からさえも、労働者階級の人気を二分する、潜在的な競争者として憎まれたといわれる、1935年「自由党」へ復党、翌1936年、ボゴタ市長就任、「自由党」政権下で文教大臣、全国的な識字運動を推進、1945年、「自由党」全国会議で、「人民の代表」として選出、「自由党」は、その内部分裂により、1946年選挙では「保守党」に敗れたが、翌年ガイタンが党指導者に就任することで、1950年選挙では、単独候補で闘い得る運びであった、ガイタンは、暴力に反対し、投票によって左翼政権を樹立する構想の護持者であったが、1948年の彼の暗殺に引き続く、「ボゴタ暴動Bogotazo」、さらに1958年にまで至る「暴力時代La Violencia」を通じて、20万人に及ぶ人々が殺害され、今日に至る紛争の種となった、と言われる




不確定であること、不確定である「宙づり」に耐え続けること、それは「哲学的」には、とても謙虚で潔い態度なのだが(笑)、・・・。










セッカ(ウグイス科)





オオハマボウ(アオイ科)

イソヒヨドリ(ツグミ科)・幼鳥





ツルシギ(シギ科)



セイタカシギ(セイタカシギ科)、ツルシギ(シギ科)

イソヒヨドリ(ツグミ科)・幼鳥

イソヒヨドリ(ツグミ科)・オス





シロチドリ(チドリ科)

ヒバリシギ(シギ科)

コアジサシ(カモメ科)

アオサギ(サギ科)



シロチドリ(チドリ科)



ナキオカヤドカリ(オカヤドカリ科)

ベニアジサシ、エリグロアジサシ(カモメ科)、アオサギ(サギ科)



ベニアジサシ、エリグロアジサシ(カモメ科)

ダイゼン(チドリ科)





キアシシギ(シギ科)

ダイゼン(チドリ科)

コサギ(サギ科)











リュウキュウツバメ(ツバメ科)











セッカ(ウグイス科)
・・・
ツルシギとアカアシシギ、それらの区別は悩ましい問題だ、足の色、英名は、どちらも「red-shank」、「赤い・すね」なのだが、どちらか一方がより赤く、他方は、オレンジ色っぽい、とか、嘴の長さがやや異なる、とか、嘴の付け根が黒いのだが、一方は、下の嘴だけがより黒いのに対して、他方は、両方の嘴が黒っぽい、とか、返す返すも、そういった微細な差異、しかも、どれも「相対的」な表記なのだから、それこそ、たまたま二種が並んで写真に納まってくれる、などと言う稀有な、・・・、だいたい、「近縁種」というものは、「棲み分け」の結果分化したのであろうから、同じ場所にいることがそもそも期待できない、・・・、例外的な場面でもない限り、そのような情報は、あまり役に立たないのだね、だから、チドリ科の、同じく悩ましい「ムナグロ/ダイゼン」問題でもそうしたように、どこかで「決断」する(笑)、「そう、君は、ツルシギだ!」、不確定であること、不確定である「宙づり」に耐え続けること、それは「哲学的」には、とても謙虚で潔い態度なのだが(笑)、当然にも、困難が伴う、「いや、これはアカアシシギかもしれない」との疑念が生ずれば、では、以前に見た、アカアシシギだ、と思っていたあれは、どうなるのだ?、とかいう風に、既に構築されてきていた「知」の「秩序」(笑)が、がらがら音を立てて崩れ落ちてしまいかねないからだ、・・・、本当に久しぶりの、結局は半日くらいしか続かなかったが、快晴の日、おりしも「十五夜」であった、があって、・・・、これも遠くウクライナの戦争が影を落としているのだろうか、「小麦」関連とはとても思えない食品も、ペットフードから野菜にいたるまで、値段が上がっていたり、品薄だったり、そんなことに心痛めつつ、「買い出し」を兼ねて、やはり、海辺に出かけたわけだ、当地で繁殖する夏鳥のカモメ科アジサシ類か、「留鳥」のシロチドリが目当てだったのだが、いきなり、「冬鳥」のはずの、もう、すっかり姿を消した、と思われていた、セイタカシギ(セイタカシギ科)とともに、こいつ、その、ツルシギ(シギ科)、らしきもの、が、眼に入って驚いたのだ、・・・、こうして調べてみると、この二種の、「渡り」の行程は、かなり異なっているのだね、ツルシギは、北の極地地方、シベリアまではるかに、繁殖に向かうのに対して、アカアシシギの方は、それほど北へは行かない、この近傍ならば、中国北部、「満洲」地方、あたりが繁殖地で、日本の本州や朝鮮半島では「留鳥」化さえしているらしい、すると、どう判断したらいいんだろう、「あんたたち、遅刻するんじゃないの?」と、いらぬおせっかいな心配を思わずしてしまうくらいに、こんな遅くに「渡り」をするのは、あまり北まで行かずにすむ、アカアシシギの方が、ゆっくりしていられる、ということかも知れないな、そういえば、地元発行の図鑑にも、これは、当地での観察結果から、種ごとに、目撃できる季節が示されているのだが、確か、ツルシギは四月まで、アカアシシギは六月まで、になっていたから、ますます、そうかもしれない、・・・、しかし、せっかく「決断」したのだから、そのままにしておこう、・・・、たまたま、今日、ここ、沖縄本島最南端に近い浜、に、こんなに遅れてやって来たのは、この長雨で、南の方からの旅を、「見合わせて」いたからなのでは、などと想像してもいたのだが、そうでもないかもしれない、たまたま隣り合わせの、このセイタカシギ(セイタカシギ科)の、「渡り」のパターンは、アカアシシギの方と、とても似ていることも、わかった、・・・、「渉禽類」というのは、その名も、流れを「渉る」、「さんずい」に「歩」、水辺を「歩く」という習性に着目した分類で、シギ科、チドリ科、サギ科、など、分類上はかけ離れたものも含む概念のようだが、どう見ても、シギの仲間、に見えてしまうだろうセイタカシギ科の、シギ科との「距離」は、こうしてみると、シギ科とカモメ科よりも遠い、そして、セイタカシギ科は、シギ科よりも、はるかに、チドリ科に近い、などなど、ということも、この際、学ぶことになった、いまさら学んでどうするのだ、などと言う嘆きばかりしていると、「老人臭い」と嫌われるよ、もう、嫌われているだろうけれど(笑)、・・・、
・・・
ツルシギSpotted redshank(シギ科Scolopacidaeクサシギ属Tringa)

breeding繁殖地、non-breeding非繁殖地(越冬地)、vagrant迷鳥
アカアシシギCommon redshank(シギ科Scolopacidaeクサシギ属Tringa)

breeding繁殖地、resident留鳥、passage旅鳥、non-breeding非繁殖地(越冬地)
セイタカシギBlack-winged stilt(セイタカシギ科Recurvirostridae)

breeding繁殖地、resident留鳥、passage旅鳥、non-breeding非繁殖地(越冬地)


イソヒヨドリ(ツグミ科)、が、元来、「磯」を好む者であることは知っていた、でも、「都市居住者」でもあって、深夜のショッピングモールの立体駐車場で、・・・、チャンバワンバの「This Girl」という歌に、「立体駐車場に、遺書を書き残して」、という一節、「... throwing Good-bye notes ...on the multi-story car park ...」があったので、そうか、「立体駐車場」は「multi-story car park」で、「遺書」は「Good-bye note」なのか?と感激した、・・・、さかんに鳴いていたりもするのは、しかし、彼らに、同じ炭酸カルシウムを主成分とする、石灰岩とコンクリート、「自然」と「人口」の区別を要求するのは、酷である以前に、愚か、というものであろうから、そこもまた、「磯」だ、と判断しているのであろう、・・・、そんな風な、隆起サンゴ礁由来の石灰岩の岩肌に、何羽もとまっていて、なんだか、奇声をあげつつ、「遊んでいる」ように見える、あとから写真を見て、やっと気づいた、ほら、「嘴の黄色い奴」だ!、そう、多分、この近くで生まれたばかりの、「子供」なのだった、そういえば、飛び方も、何か、「ぎごちない」、ところで、「ぎごちない」、って何だ?、・・・、「ぎこつ」、「ぎごつ」、漢字表記は、見当たらないのだが、がすでに「無骨」、不愛想、荒っぽい、の意だから、本来「なし」という否定語尾を付す必要はなかったのだが、よくあるように、そう変容して、意味が反転した、という事情なのだろう、二葉亭四迷の「其面影」の中に、「佶屈ギゴチナ串戯じゃうだんを言って笑ふと」、とある、と用例にあがっているが、おそらく「宛て字」なんだろう、・・・、で、となると、このイソヒヨドリ、オスは、鮮やかな青とオレンジなのに、メスは、くすんだ茶色、・・・、川上未映子のどれかの小説に、「よく見かけるけど名前知らん、何か、やきおにぎりみたいな鳥」とあるのは、きっと、この鳥の、とりわけメスでは目立つ、腹側の模様を言い当てているのだろう、と勝手に想像しているのだが、・・・、で、この一群が、メスばかりなのも不思議、と思っていたが、なるほど、「婚姻色」化する以前の、「子供たち」だったのだ、と思えば納得がいく、すると、そばで「心配そう」に見守っていた、このオスは、「お父さん」、・・・、進化の過程で、脳の保有すべき情報量が増大、頭蓋が大きくなり過ぎると、産道を通過する際に母体を傷つけてしまう可能性があるから、幼形のままで子宮から排出せざるを得なくなった、これに対する適応として、哺乳類と鳥類は、別々の「戦略」を採用、前者では、もっぱら「母」が、哺乳のために、「子供」の保護者として長期にわたってとどまらざるを得ないのに対して、「子供」もろとも、当面の栄養分を、かたい殻の中にパッケージ化しておくという方法を採用した鳥類では、殻を破って出てきた以降の「子供」の保護者となるのは、実は、誰でもよい、ということになるのだ、哺乳類においては「父」は、精子の提供者以上のものである必要がない、他方、鳥類においては、「托卵」のような事態も生ずるものの、「父」が育児に「参画する」モデルを、人間に提供することにもなったのである、・・・、
・・・
この娘/チャンバワンバ
This Girl/Chumbawamba
この娘は、
来るはずだと期待されたときには、絶対現れない
This girl
She didn't turn out
Quite the way she was supposed to do
Ooh
この娘は、
あらゆることに飽き飽きしていて、そんな風に育てるつもりはなかったんだろうが、この娘には、そもそもそんな気がなかったんだから
This girl
She got bored of all the things
They brought her up to say
She never meant the many way
この娘は、
高層駐車場のてっぺんで、レンガの間に遺書を挟み込んでいるところを捕まった
この娘は、車の中に押し込められたとき、神様がそうしろと言ったのよ、と言ったけど、
世界中の説教師たちを集めてきても、この娘を救うことはできなかった
This girl
She got caught out
On the multi-story car park
Throwing goodbye notes
Wrapped up in bricks
When they put her in the car
She said jesus made me do it
But all the priests in all the world
Couldn't save this girl
・・・
カタツムリの「角出せ、槍出せ」、の「角」、「槍」は、「目」なのでしょう?そんな風に飛び出た形の「目」、でカニやヤドカリのそれ、「眼筒」というやつだ、を思い出し、さっそく、浜辺にはたくさん、オカヤドカリ科のものたちがいるから、写真を撮ってみた、・・・、思ったほど似てないかも、海に棲むヤドカリ科の方が、もっと柄、というのかな、が長かっただったかも知れない、ところで、そういえば、今夜は「十五夜」、「大潮」ではないか?オカヤドカリ科の生き物は、その名の通り「陸生」ではあるけれど、「幼生」時代を海で過ごす、交尾後、メスは、自分の殻の中に卵を産み、それを孵化するまで、いわば「抱卵」しているのだそうである、そして、決まって「大潮」の夕方、一斉に海に向かい、水中に、孵化した「幼生」たちを放つのだ、彼らは、一定期間海で過ごしたのち、それぞれ殻をまとって、ふたたび陸に上がる、・・・、二十年以上前、ま・だ・、「観光客」だった頃だ、いや、今でも、ある意味、「定・住・観光客」なのかもしれないけれど、この島の、ほぼ、「秘境」ともいうべき海岸で、浴びるほど泡盛を飲みつつ、一晩中ばか騒ぎをして過ごした、文字通り「ばか騒ぎ」なので、全面的に「いい思い出」とは、決して言えないのだけれど、ちょうど、その夜は「大潮」だったらしい、そう、夜半、いたるところから、一つ一つは「かそけき」音かもしれないが、いったいどれだけの数なんだろう、膨大な数のオカヤドカリたちが、海岸の砂の上にその殻を引きずって歩く、もう、どんな音だったか、思い出せないのだけれど、それはそれは、ちょっと、なんというか「神秘」というか、凄い体験だった、・・・、だとすれば、今日の、このオカヤドカリさんも、そんな重要な任務を帯びて、浜に急いでいたかも知れないのに、カメラを向けたりして、とんだ邪魔をしてしまったことになるのかも、・・・、






珍しいものが「出た」、からじゃない、「出る」に決まっているものが、本・当・に・、「出た」からこそ、心が、躍ったのだね。










旧暦五月十五日の月、月の出二時間後
前回の「満月」の少し後、旧暦四月二十一日の月、以来、だな、あるいは「雨季」というのは、こういうものなんだろうか、と改めて実感させられたような気になったほど、ずっと降り込められていて、「上弦」の頃、二回ほど、薄い雲の向うに「朧(おぼろ)」に見えたことがあったものの、カメラを提げて屋上に登ってみたものの、光が足りなかったのだろう、撮れず仕舞いだったことがあったぐらいで、もう、ほとんど、月というものの「存在」を忘れてしまいそうになるほどだった、・・・、明け方きつい雨脚のが襲来したが、日が昇ってからは、何日ぶりかの快晴で、さっそく、買い出しにも(笑)、鳥を見に海にも出かけた、それでもまた夕刻から、もくもく雲がのぼりはじめたから、危ぶまれたけれど、何度も空を見上げ、そうして、非常にまれな瞬間、風も強かったから、天空の三割くらいの割合で、雲が吹き流されたようで、ほとんどひと月ぶりの月をとらえることができた、・・・、
さあ、田草とるなら十六夜月夜
なんで、夜に田の草取りするんだ、ああ、昼間は、租税として納めねばならない機織りに忙殺されていたからなのね、「安里屋ユンタ」の歌詞の意味を、やっと理解した、のもごく最近であった、・・・、陰暦で暮らしていた人たちは、もちろん、月の登る時刻、沈む時刻、を大まかにはわきまえていたはずで、潮の満ち干が大いに関係のある漁業民、熱の引いた夜間に旅をしなければならない砂漠地帯の通商民、は言わずもがな、・・・、何も「珍しい」ものが「出た」、と言ってるわけじゃないんだね、「出る」に決まっているものが、本当に「出て」くれたことに、感動して、例えば、「月が出た出た、月が出た」みたいな、「叫び」が思わず出た、なるほど、ようやく、その心持が、想像できるような気がしてきたぞ、・・・、




旧暦五月十八日の月「居待」、月の出二時間後、少し前まで、雨もちらついていた、空全体に薄雲がかかって、細かい水滴が光を乱反射させるから、こんな風に、「朧月(おぼろづき)」で、まわりにはみ出した形で「光輪」ができる、・・・、「理工系」であっても(笑)、機械には一向に詳しくないが、長年の「付き合い」で、「コンピュータ」というものが、そんなに「機械的」(笑)、「画一的」な答を出してくれるものでないらしいことも知っている、「オートフォーカス」は、最初何回か、「こんなぼけた対象は撮れません」と答えていたが、こちらとしては「同じこと」を繰り返してみたつもりなのに、そのうち(笑)、「言うことをきいて」くれるようにも、なることがある、・・・、



旧暦五月十八日の月「居待」、月の出四時間後、中天に差しかかる頃には、雲もすっかり吹き飛ばされたようで、ご覧の通り、くっきり、南東の方角に向かって撮っているから、うさぎさんは、もう、ほぼ、横になりかかっている、


「古人(いにしえびと)」のもっただろう、「月の出」に対する、わくわくするような、「待ち焦がれる」ような、期待感が、実に巧みに言い現わされている、その呼び名の数々。














旧暦五月十九日の月「臥待」、南中「有明」

旧暦五月十九日の月「臥待」、南中二時間後「有明」

旧暦五月十九日の月「臥待」、南中三時間後「有明」

こんな表を作ったのは、まだ、「潮目」を読むために、「旧暦」、「月齢」には注意を払うようにはなっていたものの、月の呼び名など、知らなかった頃、のことなんだろう、月の出、と月の入の時刻が記入してあるが、これは、たまたまその頃の手元の「潮汐表」から写し取ったものなんだろうな、偶然にも、「十五夜」の月の出が、ちょうど18:00になっているね、・・・、平均朔望月約29.5日、を周期として、「満ち欠け」が生じるのだから、その一周期の間に、「月の出」の時刻も、少しずつ遅れ、そうして、その遅れが蓄積して、ちょうど24時間になって元に戻るんだ、と当然にも素人は考え、
24×60÷29.5≒48.8
ははあ、日々、およそ50分ずつ遅れていくんだな、ならば、例えば、ここでも偶然そうなっているように、「満月/望」の月の出がちょうど18:00だったとして、
十六夜、18:49
立待、19:38
居待、20:27
臥待、21:16
更待、22:05
となるであろう、実際はこう単純ではないのだが、それは後に触れるとして、「十六夜」と書いて「いざよい」と読むのは、月が「いざる」、膝を付けたまま移動する、膝行しっこうする、如く、のろのろ出てくる気がして待ち焦がれるからだ、とのことで、それ以降、四夜連続の「待」の月は、まだ起きている、「立って」仕事をしている、そろそろ「座って」休みましょうかね、あらあらうっかり「眠って」しまいましたよ、さらに「夜更かし」までして、・・・、という具合に、時間の経過と、「月の出」への、古人いにしえびとのわくわくするような「期待」が、実にうまく表現できているな、と感心させられたものでありました、・・・、そう、今日のこの「臥待」も、ちょうど、また雨も降りはじめたし、諦めて寝ようと、そして、目を覚ますと、もう、そろそろ夜明けで、意外にも、薄青く晴れ間が出来ている、そんな具合に、「有明」、これは、「十六夜」以降、季節にもよるけれど、朝、空が明るくなってもまだ西の空に「残っている」月を、そう呼びます、をとらえることが出来たのだった、・・・、下の表に見るように、これも、その頃、数年前の、「潮汐表」からとってプロットしたのだと思うが、「十五夜」の「月の出」も、こんな風に、前後一時間半ずつくらいの、幅で変動する、これは、よくわからないのだが、「月の出」から「月の入」までの時間の長さ、「月の出ている時間」と呼ぼう、が、やはり周期的に変動するのだが、これが、「朔望月」とは微妙に異なる、それよりやや短い、27.5日くらいであったかと思う、周期で、やはり循環する、あるいはこの数字は、月の地球に対する公転周期、これにその間の地球の太陽に対する公転分を加味したものが「朔望月」になるのだと思う、に近い数字とも思われるが、だとしても、なぜそうなるのかは、素人にはわからない、ともかく、その「月の出ている時間」が変化するのは、これは、空を見上げた実感からも明らかだが、月の出る方角、が、この周期で南北に遷移するためであるらしい、数字は忘れたけれど、太陽の23.4度よりははるかに小さいが、同じ方向に、月の公転軌道の軸もまた、地球の自転軸とややずれていて、だから、太陽と同様に、北寄りから昇った方が、南中時の仰角が大きく、また「出ている時間」も長い、ということになる、・・・、今日の、「臥待」、「有明」は、ずいぶん南に偏った低い場所だった気がする、・・・、なるほど、調べてみると、「月の出ている時間」、およそ10時間半、ほぼ最小値に近い、・・・、



旧暦五月二十日の月「更待」、月の出二時間後



旧暦五月二十一日の月、月の出一時間後、・・・、「立待」、「居待」、「臥待」、「更待」ときて、この日から名前がないのは、もう遅すぎて待てないよ、ということだろうかな、閑人は、夕方から一度眠って夜中に起き出すのだからいいけど(笑)、うさぎさんのお耳がすでに隠れていて、やがてお顔が見れなくなると、対象を「擬人化」することが困難になるのか、急速に「月待」への熱意が失われてしまう、あるいは、そういう事情かも知れぬ、

旧暦五月二十一日の月、月の出四時間後



旧暦五月二十一日の月、南中一時間前「有明」

旧暦五月二十一日の月、南中一時間後「有明」

旧暦五月二十二日の月、月の出二時間後
平均朔望月29.5日、とすれば、
29.5×(3/4)≒22.125
だから、旧暦二十二日月、ないしは、二十三日月が「下弦」ということになろう、同様にして、
29.5×(1/4)≒7.375
であるから、「上弦」は、旧暦七日ないし八日の月、となる、・・・、何・故・これが「下弦」なのか?中学校理科や高校地学の教科書にどんな説明があるのか、ないのか知らないけれど、議論があるのは当然で、東の空から昇る時と、西の空に沈む時は、当然に向きが逆になる訳で、ならば、そのいずれかを「指定」しない限り、命名の仕方としては、不用意と言わざるを得ないからである(笑)、・・・、円周上の2点を結んだ線分を「弦」と呼び、それによって円周は2つの部分、「弧」、に分割され、通常は、大小二つの部分になるから、大きい方を「優弧」、小さいほうを「劣弧」と呼ぶ、「上弦」または「下弦」の月は、理想的には「半月」なのだから、その二つの「弧」の大きさは等しい、・・・、今この写真に見るように、これは、東の空に昇ったばかりのものであるが、「弦」が「弧」の斜め右手とは言え、「上方」にある、から、例えばこれを「上弦」と呼んでも、おかしくはないことになる、もちろん、明日の朝、西の空に沈む時には、その向きがおおむね逆転している訳だから、それを言うなら「下弦」でもよいことになろう、・・・、「弦」も、「弧」も、「弓」へん、の漢字であることから想像されるように、これは、「弓」という武器の部分を指す名称に由来するわけで、竹のような、たわみに対する弾性を有した部材に、糸をかけ、糸の側に「矢」の後端、あれ?「鏃(やじり)」という言葉は、「矢」の「尻」なのに、「矢」の先端につける固い部材を指すのでは?、それはともかく、その「矢」の後端をあてがい、糸をたわませたうえで、手を離すと、「弧」を構成する部材の弾性によって、「矢」は「弦」から弾き飛ばされて、前に進む、つまり、「弦」から「弧」の方に向かって「矢」は飛ぶのである、東の空に昇ったばかりのこの、二十二日月の場合なら、「矢」は、左下の方、地面、東の地平線、の方に向かって飛ぶ訳で、だから「下弦」だ、とも言いうる、「下つ弓張月(しもつゆみはりづき)」という古語の成り立ちから想像すると、それが由来であるような気がする、・・・、「上弦」は、同様に「上つ弓張月(かみつゆみはりづき)」と呼ぶ訳である、・・・、

「上弦」の月の出と月の入、旧暦二月十日の月、月の出二時間半後/旧暦三月八日の月、南中四時間後

「下弦」の月の出と月の入、旧暦五月二十二日の月、月の出二時間後/旧暦三月二十三日の月、月の入二時間前「有明」


立待、居待、臥待、更待の次に名前がないのは遅すぎて待てないから?うさぎさんのお耳がすでに隠れて、やがてお顔が見れなくなると、対象の「擬人化」が困難で、急速に「月待」への熱意が失われるのかも知れぬ。














旧暦五月二十二日の月、南中一時間前「有明」
月の出が夜半過ぎで、その頃目を覚まし、猫家族に、遅くなった食事を出し、一段落ついたら、おや、もう空が明るくなってきたので、非常に眠かったけれど、我慢して、「有明」を待つことにする、これらの「色合い」は、カメラ内部の「コンピュータ」がさまざまに「判断」した結果なのだろう、決して、眼に見えているようなものを反映しているのではないのだが、ときどき、「この世のものとも思えないような」(笑)映し方をしてくれるので、飽かずに、何回も何回も、シャッターを切ってしまうのだな、・・・、古語辞典で調べると、格助詞「つ」、所属や位置を表す、とのこと、竹の部材をしならせて、そこに「弦(つる)」を架ける「弓張」は、なかなか大変な仕事だったようで、だから、空を仰いで、ああ、下向きに「弓張」をしている、とか、上向きに「弓張」をしている、とか、言ってみたのだろう、・・・、依然として、その「上/下」は、「月の出/月の入」で入れかわってしまうのだから、やはり、少なくとも「近代主義的」(笑)な意味では、不正確な命名であることには変わりない、という、やはりオチのない話、・・・、

旧暦五月二十三日の月、月の出二時間後



旧暦五月二十三日の月、月の出四時間後「有明」

旧暦五月二十三日の月、南中「有明」、この月の、「月の出」は、午前二時ごろ、だから、「旧暦五月二十三日の月」、と言えども、「旧暦五月二十三日」、に「出た」訳ではない、・・・、「旧暦五月二十三日」に、「月の出」はなかったのである、ならば、どう呼べば「合理的」(笑)、といえることになるのだろうか?「十二時間制」にせよ「二十四時間制」にせよ、「夜半」に日付が変わる、ことが「常識」化したのは、いつ、どこ、でのことだったんだろう?「昼行性」の動物としては、一日の始まりは「朝」、日が昇る時、一日の終わりは、「夕」、日が沈む時、ならば、その、「夕」から「朝」へのどこかの瞬間に、「日」の「変わり目」が、なくちゃならないことには、なるわな、・・・、

おやおや、時刻に「十二支」を対応させる、この方法、いつの時代からのものなんだろう、ちゃんと「二十四時間制」との整合が取れているようですね、やはり、日付の変わり目は、夜半だったのだ、と、またしてもオチのない話で、・・・、
ここで、wikipedia「時刻」をひもとき、室町時代後半から行われた、とされる、「時鍾」の数による、時刻表示について、メモして置こう、・・・、「陰陽」上、「九」は最も縁起の良い数、そこで、「昼」、ほぼ「正午」と「夜半」に、9回鐘を鳴らし、以降、「一刻」、すなわち2時間ごとに、その2倍、3倍、4倍、5倍、6倍と、鳴らすべし、と考えられたようだが、もし、この原則通りであれば、
「昼九つ」:「午の刻」、正午、9回→9回
「昼八つ」:「未の刻」、午後2時、9×2=18回→8回
「昼七つ/夕七つ」:「申の刻」、午後4時、9×3=27回→7回
「暮六つ」:「酉の刻」、午後6時、9×4=36回→6回
「夜五つ/宵五つ」:「戌の刻」、午後8時、9×5=45回→5回
「夜四つ」:「亥の刻」、午後10時、9×6=54回→4回
と、なり、54回鐘を鳴らすなどと言うのは、あまりに現実的でないことから、その「1の位」のみを採用することにした、という、実に、10進法における9という自然数の魔術的な効果、というべきか、こうして、9から4まで、一つずつ数を減らしつつ、時刻を表すことが出来たのである、以降、「夜半」から明け方にかけては、
「夜九つ/暁九つ」:「子の刻」、午前0時→9回
「夜八つ/暁八つ」:「丑の刻」、午前2時→8回
「暁七つ」:「寅の刻」、午前4時→7回
「明六つ」:「卯の刻」、午前6時→6回
「朝五つ」:「辰の刻」、午前8時→5回
「朝四つ/昼四つ」:「巳の刻」、午前10時→4回

1桁の整数xを、n=1,2,3,・・・,10倍した数の、1の位だけを取り出す、すると、それら10個の1桁の数字が、0から9までのあらゆる数字で構成されることになるのは、x=1,3,7,9、のみ、これらの数は、いずれも「10」との間に、「1」以外の公約数を持たない、つまり「互いに素」なものなのである、・・・、9個の異なる数字で構成されていなければ、重複が生じて、そもそも識別できないし、だが、規則的な配列で識別できたとしても、「わかりやすさ」の点では、ちょうど「逆順」に並ぶ、x=9の場合が、群を抜いて優れていることが、わかる、いや、初めてわかった、訳である、


決して「巻き戻す」ことの出来ない「時間」(笑)、にせきたてられるように、・・・。


旧暦五月二十四日の月、月の出三時間後

旧暦五月二十四日の月、南中一時間前「有明」

旧暦五月二十四日の月、南中三時間後「有明」

旧暦五月二十五日の月、月の出二時間後

旧暦五月二十五日の月、月の出四時間後「有明」

旧暦五月二十五日の月、南中「有明」

旧暦五月二十六日の月、月の出一時間後



旧暦五月二十六日の月、月の出二時間後「有明」





旧暦五月二十六日の月、月の出三時間後「有明」
明け方の空は、みるみる色が変わっていきます、この月、旧五月二十六日月の、とは言っても実際昇るのは、翌日二十七日、すなわちグレゴリオ暦6月25日、なのですが、の、午前2:39、うちは、低いながらも、首里城のそびえる丘に連なる山塊の西側斜面に位置していますから、山の端から月が顔を出してくれるのは、通常、その二時間近く後になる、すると、「夏至」にほど近い、一番、日の出が早い季節だから、ながめているうちにも、どんどん空は明るくなっていく、決して「巻き戻す」ことの出来ない「時間」(笑)、にせきたてられるように、屋上にすわりこんだままシャッターを切り続けることにもなる、手元の「潮汐表」には、少し前、「夏至」の前日ではないだろうか、6月20日の日の出/日の入時刻が記載されていて、5:37、と、19:24、その差、13:47、なるほど、昼の長さの最大値に近いのだろう、当地は、127.667E/26.217N、東経127度40分北緯26度13分、日本の標準時を定める兵庫県明石市の、135.000E、からは、およそ、7度20分、ばかり、隔たっている、地球の自転角速度は、
360÷24=15[°/時]
であるから、この差はおおよそ、30分弱、に該当する、「国立天文台・こよみ」サイト、によれば、この日の、少し東にずれるが神戸市、135.183E/34.683N、東経135度11分北緯34度41分、の日の出日の入は、4:46/19:15、昼の長さが、14:29、と、那覇よりも長いのは、ああ、今度は、緯度の関係なんだな、これは、以前、「夏至の日照時間研究」で、検討した(笑)、・・・、だから、正確にものを言おうとすると、ますます話がこんがらがってきそうだが、当初、言いたかったのは(笑)、「標準時」から、西に大きく隔たった「辺境」である当地では、日の出は、ずいぶん遅くなる、例えば、もし、ここ、那覇市基準の時刻を定めたとすれば、この日の日の出は、その緯度による誤差を加味すると、午前5:10、頃になった筈ではなかろうか、なるほど、だから、およそ30分遅れ、でよかったわけだ、・・・、で、オチのなかった話を元に戻せば(笑)、そのようにして段々空全体が明るくなっては来るものの、まだ、太陽そのものは顔を出していない、という最後の状態に当たるのが、この、一番下の三枚の写真で、この後も、何度も外に出てみたものの、もう、太陽がまぶしすぎて、こんなか細いものは、とても、見つけられそうになくなってしまうのだ、・・・、太陽と月の軌道は、ずれているから、実際は、それより少しは大きくなるのかもしれないが、月の出の、午前2:39、と、日の出、午前5:37、おおざっぱに、月も太陽も、地球に対する公転角速度を、同じく15[°/時]とすれば、およそ45度の、「視覚差」、このかそけき月の後ろを、ぎらぎらとした(笑)太陽が、45度の角度で、「追いかけている」という形なのだな、だから、もう、この頃の「有明」は、ごく早い時間しか、観測することができないのだ、いや、言いたかったのは、それだけだ(笑)、・・・、で、昼間、ずいぶん、眠くて仕方ないのだが、そりゃそうだ、こんなとんでもない時間の、「月待講」に、夜な夜な参加しているようなものなんだからな、・・・、





旧暦五月二十七日の月、月の出二時間後「有明」








Somewhere Over the Rainbow


ガラス越し、「公園デヴュー」ね?

この長雨は、あんたたちには、厳しかったろうね?ともあれ、生き延びれたのは、結構なことだ、せいぜいおなか一杯になるまで食べておくれ!・・・、もちろん、ドアを開けて出ようとなどすれば、ノブに手をかけただけで、びっくりして、それこそ「脱兎のごとく」逃げだしてしまうだろうから、汚れたガラス越しに、こっそり撮影することとなった、・・・、もう、今は亡くなって何年にもなる、うちの二代目、いや、三代目の、「犬家族」の、はなちゃんは、近くの公園に、電柱にリードをくくりつけられて、ちぎったノートに、「ひろってください」、との「書置き」とともに、捨てられていた、その頃は、まあ、そんな時代だった、というべきなのかな?軽バンに「家財道具一式」積んで、公園に寝泊まりされている老人が、何人もいらした、やれ犬が捨てられている、子猫がけがをしている、そのたびにおろおろしている、愚かな「ないちゃー/内地人」を、三分の一くらいは、「好感」をもって(笑)、ながめてくださっていたのだろう、先代の犬、ペペちゃん、こいつも同じ公園の「捨て犬」、を連れて散歩に毎日通りがかっていたから、「うちなーぐち」はほとんど聞き取れなかったけれど、あいさつぐらいは交わしたりする仲にはなっていた、・・・、で、その、電柱にくくりつけられた、黒い仔犬、を前に、呆然としていると、みな、集まってきてくださって、口々に、「拾え」、「お前、連れて帰れ」、と、なかば「命令」されるわけね、こちらにも事情があるし、葛藤のさなかにあるわけだし、ちょっと、そんな口調も頭にきたから、一応、憤然と(笑)立ち去ることにして、でも、家に帰っても全然落ち着かない、夜なかにこっそりやってきて、連れて帰った、・・・、二日後くらいかな、ようやく、慣れたようだし、散歩に出ることにした、で、一番仲のよかったおじさん、その人だけは、「うちなー口/やまと口」バイリンガル(笑)だったからだが、さっそくにこにこしながら、声をかけてくださった、「え?、公園デヴューね?公園デヴューね?」、人間の子供を育てたことがないので、そんな言葉の意味も、よく知らなかったけれど、ともかく、喜ばれているのだ、私のなした「行為」が、「良きもの」として、受け入れられているのだ、ということだけは、はっきりと伝わったから、記憶にとどまっているのだね、・・・、もう、そのおじさんたちの姿が見えなくなってからさえ、十数年以上になるのだけれど、・・・。


もう、梅雨は明けたのですか?こんなに降り続いていては、どこにも出かける気がしない、という「言い訳」が、もうできなくなっているのに、当惑する(笑)。


モンシロチョウ(シロチョウ科)、タチアワユキセンダングサ(キク科)

キアシナガバチ(スズメバチ科)、ヤブガラシ(ブドウ科)

ナミアゲハ(アゲハチョウ科)

インドヨメナ(キク科)

ヒメジョオン(キク科)

ツマグロヒョウモン(タテハチョウ科)・オス、アメリカハマグルマ(キク科)

モンシロチョウ(シロチョウ科)、アメリカハマグルマ(キク科)

カバマダラ(マダラチョウ科)







カバマダラ(マダラチョウ科)、タチアワユキセンダングサ(キク科)

ヒヨドリ(ヒヨドリ科)

リュウキュウツバメ(ツバメ科)

オオハマボウ(アオイ科)





コアジサシ(カモメ科)

リュウキュウツバメ(ツバメ科)

オオゴマダラ(マダラチョウ科)、タイワンウオクサギ(クマツヅラ科)

ツマムラサキマダラ(マダラチョウ科)・メス、タイワンウオクサギ(クマツヅラ科)

ツマグロヒョウモン(タテハチョウ科)・オス、タイワンウオクサギ(クマツヅラ科)

イシガケチョウ(タテハチョウ科)、タイワンウオクサギ(クマツヅラ科)



リュウキュウアサギマダラ(マダラチョウ科)、タイワンウオクサギ(クマツヅラ科)

あまり外に出ないようにしていた、「世の中」との接触によって、精神的に破綻が生じてしまう(笑)のを避ける、為でもあり、いや、ありていに言えば、外に出なければ、手元にある材料で細々と、貧しい料理をして食いつないでいければ、それだけ「お金」を使わずに済む、という「緊縮政策」が、ほとんど、強迫的な(笑)、「趣味」となっていて、ああ、今日も出掛けずに済・ん・だ・、と、胸をなでおろしていたり、そんなだから、極めて疑わしいステートメントではあるものの、今季、初めて、この島でもっとも「平凡」な(笑)、蝶、カバマダラ(マダラチョウ科)、を目撃した、梅雨が明けたのかどうなのか、知らないのだが、ともかく、カラカラに晴れているし、そうなってくると、今度は、こんなに日光が照っているのに、出かけないでいるのは「もったいない」という、別の強迫(笑)に促されて、数日前から、そこら辺をひらひらとんでいるらしいのには気づいていたから、では、今日は一つ、ちゃんと、「カバマダラを見る」という、「目標」を立てて出かけ、そして、目標通りに、見ることができたために、やや、ご機嫌なようで、ついでに、遠出することにもなった、・・・、カバマダラ(マダラチョウ科)は、英語名、アフリカン・モナーク、という、「アフリカの女王」?「エキゾチズム」、「オリエンタリズム」丸出しではないか?と激高しないように、どうやら、主に北米大陸の、オオカバマダラ(マダラチョウ科)を、モナーク・バタフライと呼ぶようで、それの地域変種、カバマダラが、アフリカに産するのか否かは、まだ調べていない(笑)、という意味にすぎないようだから、・・・、いつもの海岸で、前回、アジサシ類三種が目の前にいたのに、気付かずにいたことを悔いて、もう一度行こうとも思ったが、今日は、「下弦」だろ?潮目があまり良くないので、それよりも、同じく南部の高原地帯に、タイワンウオクサギ(クマツヅラ科)、という、どんな蜜を分泌するのか、多くの種類の蝶に、異様なほどに「好まれる」樹木が、ぽつねんと生えている場所があって、いや、それほど珍しくない海岸植物だから、そんな場所は多々あるのだが、カメラを構える足場がいい、とかその他の理由もあって、昨年から、何度か訪れている、・・・、もっとも色鮮やかで、「フォトジェニック」ともいえる、ツマベニチョウ(シロチョウ科)も、たえず行き来するけれど、これは、シロチョウ科に共通する性格かもしれないが、とにかく、「落ち着きがない」ので(笑)、諦め、オオゴマダラ、ツマムラサキマダラ、そして、何より、リュウキュウアサギマダラ、という、ご当地ならではの、マダラチョウ一族がそろったところで、お開きにすることに、・・・、

Danaus chrysippus/African monarch、カバマダラ(マダラチョウ科)分布域








あ、あなた、今、欠伸したでしょ?、あるいは(笑)、「冥土」には、いずれにしても、持って行けないものだからね。




リュウキュウツバメ(ツバメ科)

オオハマボウ(アオイ科)

シロオビアゲハ(アゲハチョウ科)、ランタナ(クマツヅラ科)



コアジサシ(カモメ科)

ダイサギ、クロサギ・黒色型(サギ科)

セイタカシギ(セイタカシギ科)、アオサギ(サギ科)

ハラボソトンボ(トンボ科)

セッカ(ウグイス科)

スズメ(ハタオリドリ科)






ヒヨドリ(ヒヨドリ科)




Reggae Sunsplash 81 - A Tribute To Bob Marley (Part1)

Reggae Sunsplash 81- A Tribute To Bob Marley (Part2)

RAGGAE Sunsplash '81 A Tribute To Bob Marley

Zimbabwe Frontline

Zimbabwe Frontline Vol. 2

Sarafina!

Amazing Grace : Okinawa version

Amazing Grace-Natsukawa Rimi, Koja Misako

Amazing grace! How sweet the sound
That saved a wretch like me.
I once was lost, but now am found,
Was blind but now I see.
Shout, shout for glory,
Shout, shout aloud for glory;
Brother, sister, mourner,
All shout glory hallelujah.

世願ぇ〜うない神ぬ祈り〜 Amazing grace by coi-na

上間綾乃:アメイジング・グレイス



シロチドリ(チドリ科)

ベニアジサシ、エリグロアジサシ(カモメ科)、アオサギ(サギ科)

セッカ(ウグイス科)

オオハマボウ(アオイ科)

イソヒヨドリ(ツグミ科)・幼鳥

旧暦五月十五日の月、月の出二時間後

リュウキュウツバメ(ツバメ科)






Last updated  2022.06.29 12:33:18



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