858265 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

ねこログ

ねこログ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X
2026.08.16
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類

オオハマボウ(アオイ科)・落花

ハイビスカス(アオイ科)

ナガマルコガネグモ(コガネグモ科)


「ねこログ」、総目次(笑)/新・「ねこログ」、総目次(笑)/新々・「ねこログ」、総目次/続・「スクラップ・ブック」、の、目次。
目次:ベクトルの「1次独立性/1次従属性」から、「ヒト」という生物種の「『進化』上の『誤り』」(笑)まで論じてしまう、与太話。/「大切な人が亡くなると、私も少し、死ぬのよ」、川上弘美の小説に、そんな風な一節があったな。こうして「看取って」いる間、私の「時間」もまた、止まっている。あるいは「手当」という言葉。/ね、私も「天使」を、やめたい(笑)、あるいは、汝の価値に目醒むべし!/「グッド・サイン」であるか否かは別として(笑)、「サムホェア・オーバー・ザ・レインボー」再論。/少なくとも、老い先短い私にとっては、「冥土の土産」として(笑)、とても素敵なものを受け取ることができた、と感謝しているくらい。/「しまくとぅば」をめぐる随想、そして、「ケアレスネス」についてのオチのない話(笑)。/月を見ること自体、もう、長らく忘れていた気がする(笑)、旧暦七月の月。/旧暦八月、つまり「仲秋」、の月。/




ベクトルの「1次独立性/1次従属性」から、「ヒト」という生物種の「『進化』上の『誤り』」(笑)まで論じてしまう、与太話。鶏小屋補修ついでに。ドラちゃんも呆れてるよ!

2次元平面に、三角形ABCを描く。ベクトル(AB→)と(AC→)との「1次結合」、すなわち、
p(AB→)+q(AC→)
の形で、この平面内のすべての点を表示することができる。ところが、(AB→)と(AC→)それ自体は、互いに一方の定数倍としては、決して表現できない。前者の関係、「表現できる」関係を、「1次従属」、後者の関係、「表現できない」関係を、「1次独立」であるという。
2次元平面内の任意の点は、互いに1次独立な2個のベクトルの1次結合として、指し示すことができる。
3次元空間に話を拡大する。四面体ABCDにおいて、3個のベクトル(AB→)、(AC→)、(AD→)は互いに1次独立であり、これらの1次結合によって、空間内の他のすべての点を、指示することができる。
雨風をしのぐための住まいを作りたい、と考えた「古代人」の気持ちになってみよう。森から、3本の木材を切り出してきて、地面の上に、同一直線上にない(これが、「1次独立」)3点を選んで立て、他の端を、植物の蔓を用いて縛ればよい。この四面体構造が、もっとも安定で、強度を備えていることを、彼らは知っていたに違いない。誰も、好き好んで、たわみ、ゆがみに対して極めて脆弱な直方体構造など、思いつきもしなかっただろう。カメラや測量機材を載せる三脚、護岸に用いられる「テトラポッド」なども、この四面体構造を採用している。安定である、強度をもつ、等々が「1次独立性」に、不安定である、壊れやすい、ことが「1次従属性」に、それぞれ対応している。
すべての生命体を構成する物質、すなわち「有機物」の、骨格をなしているのは炭素C、その最外殻電子の数は「4」、1点を起点として、空間内で、互いに最も離れるように4点を配置したなら、その4点は、四面体をなすであろう。「私たち」を含むすべての生命体の身体を構成する、わずか20種類の「アミノ酸」は、ことごとく、中心となる炭素Cから、4方向に広がる「共有結合」をもち、そのうち3つまでは共通、-H水素、-NH2アミノ基、-COOHカルボキシル基、他の一方向が、20種類でそれぞれに異なる「置換基」によっている。「無機物」に目を転じると、「土」と呼ばれるものの骨格をなしているのは、元素の「周期表」では、炭素Cの下段に位置している、やはり最外殻電子数4の、ケイ素Siなのである。
「ヒト」という生物種が、その進化の道筋を「誤った」であろうことを推認させる兆候は多々あるが、四面体に代わって、その構造的な脆弱さを補うために、多大な労力を動じなければならない、直方体を、その住居の基本構造として選んでしまったことも、そのひとつであろうかと思われる。安定性や強度よりも、空間の有効利用といった「経済合理性」を優先した結果であろう。
・・・
鶏小屋の補修をしながら、こんな埒もないことを考えた。ほら、犬のドラちゃんも、不思議そうなお顔で、見守ってくださっているぞ!・・・かつて、予備校講師だった頃、線形代数や有機化学の授業で、あの頃は酷い「アル中」で(笑)、毎日昼間から酔っ払って、「先生、酒臭い!」との顰蹙もものともせず、話題がこの辺にさしかかると、もう、「私」でない「誰か」が「憑依」して、喋らされているのでは?といぶかるほど、次から次へと、言葉が、淀みなく流れ出したものだった。何と言っても「超絶」不人気な(笑)講師だったから、面白がって聴いてくださる生徒さんなんか、ほとんどいらっしゃらなかったんだけどね・・・。



「ウェルカム・トゥ・アワー・ヘンズ、ルーム」・・・台風避難の、一時的な滞在の予定が、諸般の事情(笑)で長期化、ならば、ひとつ、「ニワトリ小屋」ならぬ「ニワトリ部・屋・」を用意しようか?と(笑)。

「ニワトリ『部屋』へ、ようこそ/Welcome to our "hens' room".」
・・・
でも、その後、この撮影を最後に、「三号」さんは、まったく、ごはん・・・米ぬかやオートミールなどは、もうずっと前から口にしなくなっていたけれど、柔らかい葉野菜、レタスなんかは、しばらくじっと見つめたのち、ぱくりっ、とついばんでくれたから、そう、ありがたいことに、台風後の野菜品薄、高騰で、キャベツは一玉400円、とかで、とても手が出なかったのだが、レタスは、県内産のものなのだろうか、¥198とか、わりとふつうの値段で買えたから、狭い冷蔵庫に、たくさん用意してある・・・そう、かろうじて「好物」と思われた野菜さえも、食べなくなってしまい、「檻」、これは二十五年ばかり以前に、厳冬の公園に、段ボール箱の中で、しっかり抱き合って震えている仔犬二匹を拾わざるを得なくなったとき、慌てて、ペット・ショップに走って買い求めた、思い出の品、その「犬小屋」というか、「犬用キャリー・ケース」の中で、もう、足を折りたたんで、お腹でべったり座り込んで、うずくまってしまうようになった。犬や猫たちの「いまわのきわ」には、何度も何度も立ち会ったことがあるから、「生きる」ということが、「同化/単純な構造物から複雑な構造物を組み立てる『エントロピー減少』過程」と、「異化/複雑な構造物を分解して単純な構造物と、そしてエネルギーを取り出す『エントロピー増大』過程」とが、拮抗して生み出す、「振動」なのだ、ということは、知っている。「死」の訪れとともに、システム外からのエネルギー供給を必須とする前者、「同化」の過程は速やかに休止、すると、拮抗していた一方の作用が失われることで、後者、「異化」の過程が、まことに、「ほしいまま」に進行することになる。その速さは、驚くべきもので、たった今まで、親しいものであった、「生き物」の表情さえ、急速に、まことに、「よそよそしい」ものに、変容していくのだ。おそらく、我々の祖先が、「死」への「恐怖」というものを、その心に刻みつけ、その「文化」なるものに、著しい影響を残してしまうことになったのは、このような、「変容」の過程を目撃したことによるのでは、などと想像してしまうくらいだ。もちろん、この議論には、「獲得形質の遺伝」なる、生物学上の難問が含まれているのだが・・・ともあれ、そうして、もはやその「死」の訪れを「見守る」ことしか出来なくなってしまうと、その先に「予定」されているところの、そんな「よそよそしさ」に対する「幻滅」、まことに、これこそが「『愛』の対象喪失」の本体、とも言うべきなのだが、をある種、「待ち受ける」、「待つ」ことが苦痛であるがゆえに、「早く終わって欲しい」などという不埒な考えさえ浮かんでくる、しかない時間に、耐えなければならなくなってくる、それもまた、すでにおなじみのものであるから、ある種の「懐かしさ」をもって迎えることができるのだけれど。人類が、これほどまでに「死」にまつわる「禁忌」の体系を精緻に作り上げなければならなかったのも、かかる「アンビバレンツ/両義性」、「『愛の対象』の『死』」を嘆き、恐れつつ、かつ、同時に、待・ち・望・ん・で・しまったことに対する、「罪悪感」の表明であったのだろうと思われる。そう、だから、「不埒」ついでに、その「待ち時間」の「手持ち無沙汰」を埋めるべく、こんな文章を書き始めた。私の「心」自体が、他ならぬ「死」の過程同様に、物凄い勢いで変容していくから、この、決して居心地よいわけではない、「アンビバレント/両義的」な時間を、書き留めておくことにも、意味がないわけでもなかろう、と思ったので・・・。


「大切な人が亡くなると、私も少し、死ぬのよ」、川上弘美の小説に、そんな風な一節があったな。こうして「看取って」いる間、私の「時間」もまた、止まっている。あるいは「手当」という言葉。

今、その「鶏部屋」を覗き込んでみると、おや、お水を飲みたくなったのだね、「檻」から外に出て、お水の入ったお皿の前に移動、やはりべったり座り込んでおられた。もちろん、大変弱っておられるには違いなかろうが、見る限り、表情も明るく、これまでとそんなに変わったところがないように思われるほど。・・・「死」を迎えようとしている「生き物」の写真を撮るなんて、なんて「趣味が悪い」とは、思って来たし、今も思っているけれど、一方で、そんな風に「趣味」の問題にしてしまうことさえ、私たちに刻み込まれた「死穢」の思想、強固な「禁忌」のシステムの存在の故とも言えるし、人をして新たな殺害へと向かわしめるものが、他ならぬ「死」への「恐怖」なのだとすれば、「死」との、幾分かの「和解」の身振りとして、「死」を、無理にでも、「親しい」対象として眺める訓練もまた、必要なのでは、などと考え・・・と言うより、依然として、あまりにも「可愛い」と感じてしまったからにほかならないが(笑)、撮影に及ぶことにした。汚れていた水を汲み直し、同じく汚れていた新聞紙も、見栄えがよいように(笑)取り替えて、多分、もう食べないだろうけれど、レタスも刻んで、側に置いてみた。もちろん、レタスは、健康この上ない(笑)「二号」さんが、全部平らげてくれることになったけど。・・・「手当」って言葉があるでしょう?「残業手当」みたいな無粋な用例しか思い浮かばないけれど(笑)、もともとは、「手」を「当てる」こと、その所作自体に、ある種の治癒効果があると、想像されたからこそ、生まれた言葉なんだと思う。・・・二十数年前、「鬱病」がもっとも重篤だった頃、私は酷い「アル中」で、毎晩のように、いや、昼間からでも、浴びるほどお酒を飲み、くどくどとくだらないことをしゃべり続けたり、当たり散らしていたに違いない、ほどなく、そんな私から、当然にも、正当にも「逃げ出す」ことになった、当時、同居していた「彼女」が、ある時、泣き叫ぶ私の背中に、そっと「手」を「当てて」くれたことがあった。同じ体温なのに、どうして、そう感じるのだろうね、手のひらが当てられた背中の部分から、まるで何か、生暖かい、「物質」のような、いや、あるいは「気」のようなものが、流れ込んで来るみたいに感じられ、本当に、ただちに、荒んだ「こころ」が、「治癒されていく」気持ちがしたことを、今でも、鮮やかに覚えている。・・・それから、幾度も幾度も、犬猫たちの「死」を「看取る」ことになったとき、いつも私は、それを思い出し、自ら「手当」をしてみるようになった。もちろん、錯覚かもしれないが、効果は絶大だった。閉じられていた目が、一瞬だけ輝いたり、おもむろに首を持ち上げて、紛うことなく、「嬉しそう」な表情をして見せてくれたり。ほら、この「三号」さんもまた、嘴を少し広げて、何かもの言いたげであったり、「瞬膜」が上がっただけかもしれないが、目を細めて、「喜んで」いるようにさえ、見えるでしょう(笑)?・・・はい、「看取り/ターミナル・ケア」の時間は、まだ続きそうだから、私は、買い物に出かけよう。元、重度の「アル中/アルコール依存症」患者も、今では、まったく飲めない、でも、まるで「ノンアル中毒」みたい、その0.00パーセントを銘打った度数で・・・四捨五入しているんだとしたら、0.004パーセントばかりのアルコールは含まれているはず、「ノンアル」一千本飲んでようやく通常の缶ビール一缶だ(笑)・・・十分、こんな駄文を書くことができるくらいには、「ハイ」になれるのだ。
・・・
それから、眠れぬ夜を、ほぼ一時間に一度ぐらい、起き出しては、様子を見に行く。「ま・だ・、生きている」ことを確認するためだけれど、どこかに「もう、亡くなってしまっている」ことを期待する気持ちが混入していることも否めない。猫たちを看取るときには、もう回復の望みがなくても、「皮下点滴」をほどこしたものだ。身体を水分が循環する、それだけのことで、いっとき瞳の輝きさえ取り戻されたかのように思える瞬間があったからね。・・・動物病院でずっと前に買い置きしてあった、猫たちに薬を飲ませるときなんかに用いる、もちろん「人間」用の製品、注射器シリンジに、お水を20mLくらい、くちばしをそっと広げて、ゆっくり、飲み込めたのを見届けつつ、流し込んでみる。そんなことが、何の役に立つのか?という声が聞こえてきもするが(笑)、いや「生き物」と言う「システム」は、「最期」の瞬間まで、ただ生き続ける、ようにできているのだからね。・・・そんなことを何度か繰り返したのち、先ほど、事切れているのを発見した。背中に手を当てると、まだ、体温のぬくもりがある。・・・「三号」さんの食欲が減退しているのに気づいたのは、振り返ってみると、もう、三週間ばかりも前。「よく頑張ったね!」みたいな、こんな場面で用いられかねない常套句は、やめておこう。「頑張った」か「頑張ってない」かを、私たちは「評価」することなんてできないし、そもそも「生きる」ことそのものが「頑張る」ことを要するものならば、それは「トートロジー/同義反復」、言う「意味」がない言明だからね。・・・明日は、荒れ放題の畑に、スコップで穴を掘って、お墓を作ろう。「君のこと、忘れないよ!」なんてことも、言わない。「忘れる」ことこそ、「生き物」が生き延びるための条件、私たちが「共有」している、最も貴重な資質かも知れないんだからね!


脚が生えそろって、尻尾が抜け落ちたのもいるぞ。そろそろ、「野に帰す」、「放生会」のときが来たようですね・・・リュウキュウカジカガエル(アオガエル科)・幼生。


リュウキュウカジカガエル(アオガエル科)・幼生

リュウキュウカジカガエル(アオガエル科)・幼生


「一人」になる、ってことは、そういうことだ。もはや、「他」と識別するための、記号、「名前」も必要ではない、ことに気付く。「一人になっちゃったけど、よろしくね!(笑)」

ただいま、「畑」の片隅、去年うちの猫の「のらお」君のお墓つくったところのそばに、「三号」さん、埋葬してきました。粘土質の土を小さな園芸用スコップで掘るのは、予想していたほど大変ではなく、むしろ、ものすごく茂った草を鎌で刈るのに難航しました。
それから、もう、ほとんど脚のはえそろった、リュウキュウカジカガエル(アオガエル科)の、オタマジャクシたち、二十匹くらいはいたかな?、「森」のせせらぎ、晴天続きで、水量は減っているけれど、何とかなるだろう、と判断して、「放流」しました。
ちょっと、寂しくなりますね(笑)。


カメラを構えてしゃがんでいる私の前を、行ったり来たり、何かもの問いたげな表情(笑)?いいよ、久しぶりの再会を、喜んでくださっているらしいことは伝わって来るから。


少し前に来たときは、森の木陰で涼んでおられた。ようやく日差しが弱まったその数時間後。さらにこのあと通りかかると、ようやく、ぶちさん登場。


月を見ることも、しばらく忘・れ・て・い・た・。ま、台風も来たし、いろいろ、あったからね(笑)。旧暦七月五日、中潮、上げ五分の海、そして、旧暦七月五日の月、月の入二時間前。


今日の「とさかのそろった二号」さん。もう、あなた一人だから「識別」する必要もなくなった。だから、キャプションもつけないことにするね(笑)。


冷蔵庫のしなびたニンジン二本、刻んで持ってきた。鮮やかなオレンジ色を掲げると、このお二方が見つけて駆け寄ってきた。後ろで遠慮がちな「白」親、には足下に投げて差し上げる・・・。


手を差し出すとおずおずと近寄ってくるが、近寄りすぎると、急いで後退、お水を少し飲んで心を鎮める(笑)、でまた、近づこうと試みる・・・いつもの「再会」のごあいさつ。


「お仕事」中だが、立ち寄ってみると、全員でこのように歓待。「欧米人」的観光客家族もご一緒に。また「地元のヒト」みたいな愛想を振りまいてしまった(笑)。


雲が多いから、カメラを取りに走る間に隠れてしまいそう(笑)。旧暦七月六日の月、月の入三時間前。「三日月」を中国語で「月牙yuèyá」と言うみたい・・・

「チャンネル登録者」の中国語話者の方が、「コメント」してくださったので知った。もちろん、「牙」の如くに見える月、なんだから、必ずしも「三日月」ではなくとも、そう、細い「凹面月/ルーン・コンカーヴLune Concave」すべてを指すのだろうけれど。


雲が多いから、カメラを取りに走る間に隠れてしまいそう(笑)。旧暦七月六日の月、月の入三時間前。「三日月」を中国語で「月牙yuèyá」と言うみたい・・・


部屋は閉め切れるのだが、「キュリアスな/興味津々の」猫の侵入を警戒して、「飼育係」が出掛ける時は、「檻」に入っていただくのだ。ごめんね!・・・本日の「二号」さん。


「遅延」を伴った「柏手/かしわで」効果(笑)、つまり、手を叩いてみても、ぜんぜん森の中から出て来てくれない、諦めて立ち去りかけた頃に、ほら、ようやく、ぞろぞろ。おや、ぶちさん、久しぶり!


こうして、「諸般の事情」から(笑)、毎日お会いすることは出来なくなってしまいましたが、ま、それも、すぐに、慣れてしまうことでしょう!


旧暦七月七日の月、月の入三時間前。そうか、今夜は「七夕」だったんだ。激しい雨が降ったりするこの空模様では、もちろん「天の川」など見えそうもないけれど。


同じ時期に拾われた「廃鶏」、この子だって寿命は近いはず。こうしてまた「心配」に彩られた日々が始まることになる。しても仕方がないことが分かっていてもやめられないものだからね、「心配」って奴は(笑)。


こんな美しい朝焼けを死ぬまでに(笑)あと何回見れるだろう?みたいな「感傷」に浸ろうと思ったがうまくいかない(笑)。もう見れなくても別にいいんじゃない?それほど殺伐としている訳でもない「諦観」?


朝7時半、黒ブタさんお休み中、子ヤギお嬢さん、はじめはめんどくさそう(笑)、でも出て来てくださって、頭撫でようとすると、おや?伸び上がって、ああ、私の指を使ってほっぺを掻きたいのね(笑)!

旧暦七月八日、小潮、上げ二分・・・台風18号「SAUDEL」は、緯度にして15度、経度にして23度、「三平方の定理」で27.5、距離にして約2750キロも離れているのに、この金武湾の、海の荒れ方はどうだ?


人差し指の腹が痒くなったのか、親指の先で掻いてみる。握りしめ、また伸ばす・・・ヴィム・ヴェンダース「ベルリン天使の詩」の堕天使たちならば、彼の「内話」を聞くことが出来ただろうに(笑)。

正確にいうと(笑)、本当に地上に落ちてしまった「堕天使」は、人の「内話」をもはや聞けない。まだ翼をもっていて、天空と地上を往来することができる頃、カシエルとダミエル、だったかな?は、地下鉄の車内、州立図書館の閲覧室、等々で、通り過ぎる人々の心によぎった言葉たちに、耳を傾ける。実は、それがなかなか苦痛に満ちたことであったからこそ、そのうちの一人、カシエルだったかダミエルだったか(笑)、地上に降りて、「ヒト」として生きることを決断するのだ。今になって少しその気持(笑)、わかる気がするのは、私、ごく最近気がついたのだが、いわゆる「聴覚過敏」、電車の車内、ああ、当地にはモノレールしかないけどな、とか、ファーストフードの隣の、あるいはそのまた隣のテーブル、とかから、人々の会話、例えば、恋人同士の「別れ話」、奥様達の、夫自慢、子供の通っている学校自慢、そしてもちろん、吏員たちの、職場の上司や同僚の悪口、そんなものが全部聞きとれてしまうのだ。脳の「一時記憶/テンポラリー・メモリ」には当然、限りがあるに違いなく、だから、そんな愚にもつかない「情報」がだらだら流れ込んできたら、たちまち飽和してしまうじゃないか?・・・しかも、こうして改めて気づくのだが、「人々」の、何・気・な・い・日常会話の大半は、実に、「他者」に対する「悪意」に満ちていて、そんなものを聞き続けていると、こちらにも、その「悪意」が、感染してしまうかのよう、だから、きっと、私は、毎日、へとへとに疲れていた(笑)・・・私が、「ひきこもり」になったとしたら、それも、一つの、止むを得ざるに出でた、「防衛機制」だったかもしれないのだ。ね、私も「天使」を、やめたい(笑)。
・・・
あまり「真面目」な「活動家」ではない私は、「シュプレヒコール」、などと言うものを、臆面もなく(笑)「正しい」言葉たちを、聞き続けるのが、ちょっと辛くて仕方がない、太宰治なら、「恥ずかしくて、目頭が熱くなってくる」みたいな韜晦的な表現をとるだろう、この作家は、もちろん、少なくとも一時は、きわめて勤勉な、日本共産党の地下活動家だったのである、・・・、だから、私は、聞こえないふりをして、それにカメラを回しているあいだは、自分の声を録りたくないから(笑)、唱和することもしない。何かに注意を集中していないと、こんな退屈な時間を過ごすことができないから、この、私の面前に立たれている、沖縄県警機動隊の若い隊員さんの、分厚い手袋をはめた右手を、観察することにしたのだ、その動きに、何か「セリフ」がつけられるんじゃないかな?、とか考えて、ヴェンダースの映画を思い出した、というわけ。
・・・
参考文献(笑):では改めて、「ベルリン天使の詩」、によるベルリン


タイワンクズ(マメ科)


10時半、旧暦七月八日、小潮、上げ四分の金武湾。黒ブタさん、お目覚めだが、暑さにへたり込んでしまった?子ヤギお嬢さん、その草をすりつぶす頑丈な歯で小指を噛まれ(笑)、思わず、声を上げてしまった(笑)。

おりしも(笑)、その前の晩、うちの猫たちの喧嘩の仲裁に入って(笑)、右手首を爪でひっかかれ、なかなかひどく出血、そして今度は、こうしてヤギさんに嚙まれて、同じく右手の小指もまた負傷(笑)。・・・もう、十数年も前になるか、「さんこぷー」という猫、これは、「ぷー」というメス猫が三匹の子を産んで、その三番目、という意味だ(笑)、を、動物病院に連れて行くために爪を切ろうとして、彼、オス猫ね、の機嫌を損ね、激しく嚙まれ、半端ではない出血だったから、手を高く掲げたまま、うちから歩いていける距離に、救急施設もある大きな公立病院があるのだ、まで、歩いて行ったことがあったのを思い出す。だから、その、肉食動物特有の鋭利な「牙」の感覚は、知っている。ヤギさんの臼歯はまた、全然異なるから、ついうっかり無警戒だったのだな。ところで、その、「飼い猫に手を噛まれた」(笑)、手が右だったか?左だったか、その頃私は、「アル中」の不人気予備校講師だったが(笑)、長らく、包帯をぐるぐる巻きに仕立てで、チョークを持つのに難儀したような、「アル中」だけに、どんよりとした記憶もあるような気がするから(笑)、きっと、やはり、右手だったのだろう、いや、それだけの話だ。


2026年第18号SAUDEL/8月21日


窓の外の光が、まだ、早朝、明けたばかりであることを示しているね。そう、午前五時半、今から出かけます(笑)。こいつ、「二号」さんを「檻」に閉じ込めてからね!


「駐車場」に到着したのが8時半、送迎に来て頂いて、「ゲート前」に降りた時には、すでに左折レーンに最初のミキサー車の列が出来ていた。でも、よかった(笑)。5時半から車を駆って来たのが徒労に終わらずに!

出発した頃は、時々激しい雨も落ちてくる曇天だったが、北に向かうにつれ、次第に青空が広がってくる。那覇からここまで数十キロ、高速道路の料金千円ばかりを節約しようとすれば(笑)、二時間半みればよいはずだが、もちろん道路事情というものは、日々変化する。「ヤンバルクイナ・イン・ティアーズ」の給水塔のペンキ絵の下に住む子ヤギお嬢さんとのご挨拶も省略して先を急いだが、金武のインターチェンジ出入口のあたりで、しばしばあることだが、駐留米軍軍人・軍属の「Yナンバー」車で、少し渋滞気味・・・一回目の「搬入」を見届けて(笑)、帰路、黒ブタさん、子ヤギお嬢さんの写真を撮って、午前十一時頃、那覇新都心の総合庁舎には、ちょうど役所の昼休みが終わった頃には着けるだろう。今日はこれから、「那覇労働局」に赴くのです。中庭に面したらせん階段には見覚えがある、嗚呼(笑)、もう十二年になるのか?職場の予備校が倒産、経理担当者が「雲隠れ」、今から思えばもちろん経営者と「グル」だった可能性もある、ともかく、3ヶ月分の給与未払いのまま、いわゆる「路頭に迷う」ことになった。同じ目に遭った従業員たちが「集団申請」すれば、未払い分の6割が国庫負担で返ってくる、とのことで、倒産以来久しぶりに顔を合わすことになった「同僚」たちと再会したのが、この建物の、どこかの会議室だった。ほとんどの「同僚」は、アルバイト学生の「講師」たち、「バイトしてた予備校が倒産したことがあってね!」と、面白おかしく「昔語り」すべき未来の時間を持った人たちだ。そんな「若造たち」には、「違う、そこじゃない!二重線で消して、書き直す!」などと、けんもほろろに指図していた職業安定所職員の方も、ひとたび順番が、このくたびれた老人の番になるや、態度を急変、極めて温厚な、もはや「未来」を持たないかも知れない(笑)高齢者に対する、ほとんど「慈愛」と呼んでもいいような敬意を持って、丁寧な物腰で応対してくださったのに、すっかり涙もろい「アル中」の私は、・・・、恐らく道すがら、ビールの一、二本くらい、すでに聞こし召していたはず(笑)、・・・、決して自らは「倒産」などということを経験することがないだろう「国家公務員」たる彼の、「同情・共感/empathy」の表出に、感動を禁じ得なかったのを、ありありと思い出す。「それでは皆さん、ご機嫌よう!」、もうおそらく二度と会うことはないだろう「同僚たち」に、会議室の入口で、別れのあいさつをしたのだった。「ご機嫌よろしゅう」という、「贈与」の言葉は、美しい、と思った。・・・そうして、もはや年齢的に「求人」などあり得ないから(笑)、世の「定年退職」よりは少し早いが、「隠居/引きこもり」に退行することにした。二年後、リナさんの事件があり、「やんばる」の「ジャングル戦闘訓練センター」でヘリパッド建設工事が始まり、私は、長らく逃・亡・していた「現場」に、いわば「どさくさに紛れて」、こっそり「復帰」することもできて、今日に至る。・・・あのときは、その十二年後、この同じ建物を、似たような用向きで訪問することがあろうなどとは、想像だにしていなかった(笑)。ベンチに腰掛けて待っていると、今しも、「外国人」と思しき若い男女二人連れ、先ほど私に応対してくださった、まだずいぶん若い女性の労働基準監督官と、お話をされているのが漏れ聞こえてくる。居酒屋で働いているが、客が少ない夜には、早く帰れと追い返されてしまう、といった扱いへの不服申立てのようだ。・・・もはや「アル中」ではないが(笑)、依然として「躁うつ病」、とりわけ「人間」と言葉を交わしたあとは、躁的に高揚して、やはり涙もろくなってしまい、「キケ、バンコクノロウドウシャ、トドロキワタルめーでーノ・・・」などと、口ずさみかねない勢いだった(笑)。
汝の部署を放棄せよ!汝の価値に目醒むべし!いまや二十四時間の、階級戦は来たりけり!


出発に手間取って一回目の「搬入」に遅刻しそうだから、早朝立ち寄るのは諦め、午前10時半・・・黒ブタさん熟睡、子ヤギお嬢さん、その「布団」の藁にご執心で、相手してくださらず(笑)。

旧暦七月九日、ほぼ「上弦」だから、小潮、上げ五分あたりと思われるが、ずいぶん荒れているように見える。台風は、まだ二千キロほど先だから、いくらなんでも、その影響ではなかろう。


襖(ふすま)を開けると、まるで私の足音を聞きつけて「待っていた」とばかりに、たたずんでいてくださる(笑)。猫と遊ぶ、のは二十年来の「日常」だったが、ニワトリと遊ぶ、とはね!ファミリー・ポートレート。


2026年第18号SAUDEL/8月22日


このイソヒヨドリ、「性淘汰」でオスは鮮やかな赤と青の衣装。今鳴き交わしているのはどちらも、地味な色合いのメスにも見えるが、光が眩しくてよくわからない(笑)。


野菜高騰のおり、少し萎れているが、ほうれん草の「見切り・ご奉仕品」が見つかったのは、ありがたい。うちの冷蔵庫は、こうして野菜だらけになる(笑)。


ドアを開けると、ベランダの野良猫用餌皿を狙っていたのだろう、こいつが慌てて飛び上がった。屋上まで追跡。この鳥はメスもまた「囀る(さえずる)」と言われている。


なんと鮮やかな空と海の青!南側の区画に戻ってきて、しばらくの間にこんなに草が繁っているから、皆さん、それを食べるのに余念がない。ぶちさん、欠席か?


五日ばかりのご無沙汰でした、ちゃんと私のこと、忘れずに(笑)歓迎してくださる、嬉しいですね!さあ、では、ご褒美(笑)を差し上げましょう!


今日は、いたるところの電線で、このような光景。留鳥リュウキュウツバメ(ツバメ科)ではなく、到着したばかりの渡り鳥ツバメ(ツバメ科)なのかも?


旧暦七月十二日の月。明日「十三夜」が「ウンケー(お迎え)」、翌「十四夜・待宵」が「ナカヌヒ(中の日)」、そして「十五夜」の「ウークイ(お送り)」と、「旧盆」三日間、「死者たち」の往還する日々。


2026年第18号SAUDEL/8月25日


「台風」という低気圧が近づいてくると、「飼育係」の「鬱」症状は、重篤になる(笑)。「旧盆」と重なって「お仕事」がないのをよいことに、丸一日をただ呆然と過ごすしかない。


「二号」さん、「ご奉仕品」トウモロコシと、格闘(笑)する。その後、「飼育係」と、「くちばし・捕まえられ・ごっこ」をして、遊ぶ(笑)。


ベランダにいつも出してある「キャットフードを頂きに来たのだが、折悪しく「住人」というのと鉢合わせ一旦退散。ところがその「住人」、「スマホ」とやらを構えて追いかけてくるではないか?やむなく屋上へ(笑)。


ヒメジョオン、「姫女菀」と書く。栽培植物の逸出品と言われ、確かに、「野草」らしからぬ端正さ(笑)。久しぶりに見た気がするのは、観察者に、「花を愛でる」ココロの余裕が久しくなかったことを意味する(笑)。


旧暦七月十五日の月、月の出二時間後。つまり「旧盆」、「ウークイ(お送り)」の、「ニライカナイ」に還る「死者たち」の足元を照らすべき満月。台風一過の曇天の雲間に。


旧暦七月十六日、大潮の満潮とはいえ、金武湾は台風の時みたいに荒れている。子ヤギお嬢さんおはよう、先を急ぐから、ちょっとだけね(笑)。


せっかく早めに到着したのに、駐車場には鍵がかかり、テントも無人。海が荒れているからなのか?ゲートも閉まっているから、工事は中止のよう。それは結構なことだが、早朝から駆けつけた私は、脱力(笑)。

では、せっかくだから、ご案内しておこう(笑)。車は現在、国道329号線を北へ、辺野古から名護市内へと、向かっている。画面右側が、米海兵隊キャンプ・シュワブ、左側も、米軍が接収した土地だが、これまであまり使用されていなかったのが、近年、盛んに手を加えられるようになってきた。最初の方に右手に見えるのが、キャンプ・シュワブ「第2ゲート」、ついでに皆様のご後学のためにご説明させていただくと(笑)、辺野古のバス停のすぐ北側にあるのが「メインゲート」、その北側に隣接してかつては「工事用ゲート」があった。9年前に私がつまらない「跳ね方」をして(笑)「公務執行妨害」容疑で、名護署留置施設に一晩お世話になったのは、そこだ。さらに北に進み、右手に、可動式のフェンスで閉じられた「ゲート」様のものが二つくらい見えるだろう?普段なら警備員さんたちが整列されているのですぐわかるのだが、今日は誰もいない、その二つ目の方が、現在の「工事用ゲート」、「第4ゲート」とも呼ばれている、である。搬入用トラックのための、長い、赤くペイントされたアスファルトの、左折レーンが続いているので、それとわかる。「友達のいない」(笑)私には「選挙運動」が、出来ない。「お知り合い十人にあなたが『声掛け』をして、その十人がまた、十人に・・・そうしたら・・・」などというお話は、私にはとてつもないものに思える。数少ない「知り合い」とは、相手がたとえ私が「それ系」(笑)のヒトであることを知っていたとしても、ひとたび、「選挙」の話、政治的な行動の選択を誘いかける如きの話題を振り向けるや、関係が、不可逆的に壊れてしまうだろうと、思い込んでしまっているのは、そんな話を持ちかけてしまったことで、関係を壊してしまったのはもちろん自分の方だ、とかいった「罪悪感」のなせるわざなんだろう、・・・、だから、炎天下の道路脇で、のぼりを立て、通り過ぎる車に手を振る、などという、きっとストレスフルに違いない作業に従事されている運動員の人たちに、窓から手を振って応える、ぐらいのことしか、私にはできない。そもそも、「選挙」をめぐる話題に、興味がない、と言うより、「怖くて聞きたくない」というのが正直なところだな、膨大な数の人間という「個体」群の振る舞いなのだから、それは、ほぼ純然たる、「確率論的過程」、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」、「時の運」、以上のものとは、とても思えないから、「敵/味方」どちらの「陣営」にせよ、「予測」めいたことを言われても、私には、噴飯物にしか聞こえない。アーヴィン・シュレディンガーが面白いことを言っている(笑)。・・・「分子は、どうしてこんなにも小さいのか?、いや、逆に言うと、生き物の個体は、どうしてこんなにも大きいのか?、それは、『確率論的安定性』を得るた・め・だ。『アボガドロ数』、6×10^23(6かける10の23乗)、といった規模の集団にして初めて、『ミクロ世界』のランダム性がすべて平均化され、『マクロ世界』の、法則性が立ち現れてくるのだ」と。たとえ「億」の桁数であれ、それは、予測可能な「法則性」のためには、規模が小さすぎる、だから私たちは、「ヒト」の「世界」のことどもには、絶えず、一喜一憂していなければならない、それが「世界」のあり様なんだと、諦観するしかないのだと思っている。・・・選挙運動に、ただでさえ少ない人手が割かれ、「ゲート前」などの「現場」は、更に手薄になっているだろう。ただ、座っている(笑)、「移動してください」と言われたら、移動する、それだけのことなら、私にもできる(笑)、それこそ「枯れ木も山の賑わい」、私如きでも、「数」になれる、そう決意して(笑)、はるばるやってきたのだが、またしても「徒労」に終わってしまったが、ま、文句は言うまい。このまま、北に走り続けて、ならば一つ、今日は、「やんばる・センチメンタル・ジャーニー」と、しゃれのめそう!、で、次に続く・・・。


仕方がないので「やんばる・センチメンタル・ジャーニー」。十年前の「ヘリパッド建設工事」の頃、いや、もっと前の「引きこもり」時代にも、よく来たものだ・・・河口のマングローブ地帯。

代表的なマングローブ植生、ヒルギ科の植物、当地には次の三種、オヒルギ、メヒルギ、ヤエヤマヒルギが生育しているらしい。前二者はそれぞれ「雄」、「雌」、花や「胎生種子」の大きさから名付けられた。満潮時には海水が流れ込む「汽水域」、潮目によって水深が著しく変化する環境への適応と思われるが、種子のまわりに、将来植物体となるべき構造が、すでにできあがっていて、細長いさや状のものが、泥に突き刺さるとただちにその場で発芽、成長できる、親の体内で、成体に近い形まで成長する動物の「胎生」になぞらえて、「胎生種子」と呼ばれている。オヒルギの花は赤く、メヒルギは白、ヤエヤマヒルギはやはり白でより小さい。今日、「胎生種子」を見ることができたのは、ヤエヤマヒルギだけ、花だった部分に丸い楕円球的なのが出来、その先に茶色がかった緑の細長いさや状のものが伸びる、オヒルギの「胎生種子」はもっと太く、メヒルギのそれは、更に細かった記憶がある。遊歩道がしつらえられていて、ここかしこに案内板がある、それを見て思い出した。すると、不思議なことに、はじめは不分明な、緑の「塊」に過ぎなかったものが、ここまでは「オヒルギ」、ここから先が「メヒルギ」、ところどころに、「ヤエヤマヒルギ」も混じっている、という風に、まさに「言語」によって、「名前」によって、「風景」が、たちまち「分節化」されて、立ち現れてくるのである、・・・、「ヒト」は、「名を唱える」ことなしに、「見る」ことが、すでに、出来ないのである。・・・ずっと昔(笑)、「鬱病」真っ盛りの頃、なるべく「ヒト」を目に入れないように(笑)、うつむき加減に、植物図鑑の図版を覗き込み、路傍の花だけを注視するようにして、文字通り「恐る恐る」(笑)散歩を始めた、その時の、驚くべき発見として、それはすでに経験済みだった。だから、ここは全長500メートルもあろうか、その回遊式の遊歩道、歩きはじめと、戻ってきたときとでは、まるで印象が異なる、わずか半時間ほどで、私は即席の「ヒルギ科」の「権威」になってしまえたかの如くなのだ(笑)。
今日は、「旧盆」最終日「ウークイ(お送り)」が明けた翌日の、旧暦七月十六日、おそらく大潮で、まだ午前九時頃だから、ほぼ満潮、それらヒルギ類の根元には、ひたひたと海水が流れ込んできている。はさみを大きく振り上げて見せるその仕草から、「潮招き(シオマネキ)」と呼ばれるスナガニ科の蟹には、いくつもの種類があるが、今日目撃できたのは、ハクセンシオマネキ、ヤエヤマシオマネキ、ベニシオマネキの三種と思われる。ヒトが近づく気配を、敏感に感じ取って、ただちに穴のなかに隠れてしまうから、観察者もまた、しゃがみこんで、じっと息を殺し、数分間、彼らが警戒を解いて再びうごめき出すのを待たなければならない。・・・ずっと以前、自然界の「キラリティ」、「対称性」という意味なのかな?について、数学的な解析を試みた難解な書物を読み、もちろん、ほとんど理解できなかったが、そこにも、このシオマネキ類のハサミのことが取り上げられていた。
(1)ハサミには、トカゲの尻尾同様の「自切性」がある。
(2)ハサミには、大きなものと小さなものの二種があるが、「自切性」によって、一度取れて再び生えてきたものは、必ず、小さい。
(3)「性淘汰」によって、大きなハサミはオス、小さなハサミはメス、に割り当てられる。
すると、どうやら、オスは、初め、左右両方とも大きなハサミだったのが、争闘などの過程で、どちらかが取れ、取れたあとには小さいのが生えてくる・・・なるほど、非対称のハサミを持った個体の、左右どちらが大きいかは、まちまちなのは、そういう事情だったわけだ。そして、左右ともに小さなハサミを持っている個体は、メスであるかもしれないが、あるいは、両方とも取れて生え直したオスかもしれない、ことになる、いや、左右非対称のハサミを持っているからこそ、「あ、シオマネキだ!」と気付くわけだから、これらは他のスナガニ科のものと、紛れてしまっいたかもしれない。・・・そして、シオマネキ類の動きとは明らかに異なる、画面を縦横に横切る、飛び跳ねる者たち、その名も「飛び鯊(はぜ)」、胸ビレを前足に、尻尾を後ろ足に、そう、まるで魚類になるべき者たちが、陸に上がって、両生類、爬虫類、鳥類、となるべき者たちへと「進化」を遂げたその道筋を示してくれるかのように、こんな「汽水域」の泥の上を、飛び回る姿を見せてくれる。当地には、3種のハゼ科トビハゼ類が知られており、一つは、灰色の体色に、著しく長くとがった背びれ、動くたびに、それがヨットの帆のごとく広がることですぐそれとわかる、トカゲハゼ、これは、沖縄本島の中城湾でしか見られない。あとの二種は、相互に極めて酷似している、トビハゼとミナミトビハゼ、前者は、たしか九州などにも分布しているらしいと聞いたが、後者は南西諸島固有種。このマングローブ遊歩道の、案内板には、後者、ミナミトビハゼであると書かれているから、きっとそうなのだろうけれど、本当は(笑)、これら二種の識別は、極めて難しい。背びれの先端が、とがっているか、丸みを帯びているか、といったことがわからなければならない。ヴィデオで近接撮影して、まさに飛び上がる瞬間、背びれが広がったところでストップモーション、といった作業が必要なのだが、もう、一眼レフカメラは壊れてしまって、買い換えるお金もない(笑)、だから、スマホのカメラの遠景ではとても鮮明とは言いかねるが、それでも、「ヒト」ならざる生命体に、こうして「出会えた」(笑)だけで、「鬱病」の「観察者」のココロも、若干、晴れつつあることに、気づくのであった。


ヒルギ科3種の識別法


ヒルギ科3種の「胎生種子」


スナガニ科、シオマネキ類3種


オヒルギ(ヒルギ科)・花

メヒルギ(ヒルギ科)・花

ヤエヤマヒルギ(ヒルギ科)・胎生種子


「やんばる・センチメンタル・ジャーニー」、マングローブ遊歩道散策(笑)を終えて戻ってきたのが昼過ぎ、旧暦七月十六日大潮の金武湾は、干潮だが、やはり波高し。黒ブタさん熟睡、子ヤギお嬢さんとご挨拶(笑)。


あまり、代わり映えしませんが(笑)、代わり映えしないことが「幸せ」であるような、日曜・・・いや違った、まだ土曜なんだね、一日得した(笑)・・・の昼下がりの、「二号」さん。


十中八九予想されたことだが、すやすや眠っている姿を撮りたかったのに、カメラを向けるとたちまち起き上がって、愛想を振りまこうとするから、構図が台無しだ(笑)。何もすることのない土曜の夕のひとコマ。


「とさかのそろった二号」さん、今日も、「くちばし・捕まえられ・ごっこ」をされて、困惑。


「鳥影」が視界をよぎると、「訪問客」がある、という「俚言」があったと思う。「音信不通」だった人からLINEが来たとかも、それにあたるのかな(笑)?ともかく撮影者、上機嫌。


曇り空だけれど、たまには外の空気をね!初めての「屋上お散歩」、念のため、脚ひもつけて(笑)。それから久しぶり、「自撮り/Selfy」ポートレート。


諸般の事情で「飼育係」失職(笑)、ここを毎日通りかかるわけではなくなったし、「旧盆」と台風でご無沙汰だったし、でもちゃんと覚えてくださってたみたいね!もう一人「白たてがみ」さんの姿が見えないけど。


「『こども』はどうして『可愛い』か?、という生物学上の議論。脳のような重要な器官は早く出来上がるから他の身体部分と不釣り合いに大きく見える、それを「可愛い」と認識するようになったのは、では、何故か?

いや、もちろん、それを「可愛い」と認識するようになった生物種のみが、生き延びたのだ、という答えが用意されている(笑)。だから、ある意味(笑)、「可愛い」は、「こども」に備わった「属性」ではない、例えば「あなた」が、「こども」なんかちっとも「可愛くない」と感じたとしても、それは「あなた」が、滅びゆくべき種族であることを示しているかもしれないが(笑)、だからといって、別に、例えば「倫理的」に、指弾されるいわれはないのだから、安心したまえ!・・・草むらから飛び出した、この大きさでは、もちろん断定できないが、タイワンツチイナゴ(バッタ科)の「こども」ではないか?、と思われる。


公園の駐車場、ぐっすりお休み中の野良猫さん。ごめんね!そろそろ「お仕事」の時間だから、そのあんたの尻尾の先にある車、動かさなきゃならないんだ・・・。一度お目目開いたけど、またうつらうつら(笑)。


新暦九月に入って、日々、日差しも柔らかくなってくる。だから、お昼すぎのこの時間でも、こうして、ぞろぞろ出てきて、差し入れられたばかりの干し草を食んで(はんで)おられる。遅れて出てきたのがひとり(笑)。


「森」に囲まれた木造建築の床、その名もモリバッタ(バッタ科)。南西諸島は数多くの島でできているが、それら島ごとに、異なる進化の経緯だったのだろう、デザインが少しずつ異なる、と言われている・・・。

沖縄本島に「四半世紀」住んでいながら、その間、一度も「離島」を訪れたことがない。船にも飛行機にも乗ったことがないから仕方がない、だから、その、異なるデザインのモリバッタを、まだ見たことがなく、あるいは、見ることなく終わる(笑)のかも知れない、と思うと、ちくりと胸が痛むけれど、ま、それもいいか?、と、簡単にあきらめてしまえる(笑)。


旧暦七月二十二日、「下弦」の「小潮」、午前七時の今は、ほぼ干潮、台風「KROVANH」の影響もあるのだろう、少し荒れている。「ハロー」と、なかなか馴れ馴れしい声がして、ああ、黄色いスクールバスが・・・

東海岸沿に、点々と連なる米軍基地、キャンプ・シュワブ(名護市)、キャンプ・ハンセン(金武町)、キャンプ・コートニー(うるま市)、などを経て、キャンプ・フォスター(中城村)あたりまで行くのだろう、と漠然と想像しているが、基地の外に住宅を借りて住んでいる軍人・軍属のお子さまたちを拾う必要があるからだろう、国道の路線バスの停留所にも停まる、それを待っているお子さま二人・・・「児童福祉施設」職員の「職業病」であろうか(笑)?、「基地反対派」らしからぬ(笑)、卑屈なほどの満面の笑みで、「ハロー」などと返事している自分に苦微笑を禁じ得ない(笑)。でも、この子ヤギお嬢さんは、あっぱれである、人間の「子ども」が、多くの動物にとって「天敵」であるのをちゃんと知・っ・て・いるかのように(笑)、警戒して、出てこようとしない。バスが出発したのを見計らって、もう一度覗き込んでみると、ほら、駆け寄ってきてくれた。ちょっと「勝った」気さえして(笑)、何に?、誇らしい気がしたものさ!さあ、先を急がねば、え、?「先」って、つまり「ゲート前、座り込み」のことね!、またあとから来るからね。その頃は、黒ブタさんも起きているだろう!


台風「KROVANH」の影響だろう悪天候だから、大事をとって早めに出たのに、また先週と同じく、駐車場には鍵がかかっている。やむなく、北へと車を進めてみると、「工事用ゲート」にはすでに・・・

「工事用ゲート」にはすでに、警備員さんたちが整列されているではないか?「工事」は進捗していて、だから「搬入」もあるに違いない。どういうわけだ?・・・南向けにとって返し、おそらく「テント」から「ゲート」に、プラカードや折りたたみ椅子をかかえて、徒歩で向かわれているらしい人々が、三々五々、通勤時間の交通量の多い道路脇に車を止めては、片っ端から、尋ねてみた。どうやら、「選挙運動」に全力動員すべく、「現場」は、送迎車の運行も止めて、現地に常駐されている、いわば「基幹部隊」のみでまかなおう、という方針が採用されたらしい。幸いなことに、9年前の高江、「北部訓練場・ジャングル戦闘訓練センター」、ヘリパッド建設の「座り込み」以来の、知り合い、もちろん、お名前も存じ上げないが(笑)、が通りかかってくださり、テント付近に、なんとか一時的に車を停められそうな場所、おっと、これはもちろん(笑)秘密、を教えていただいて、なんとか、事なきを得、二週間連続の「無駄足」は(笑)、避けることができたわけだ。そうだよ、こんな悪天候では、せっかく「やんばる」まで来たとはいえ、「センチメンタル・ジャーニー」どころではないからね。それにしても、こうして初めて、歩いてみて、「テント」、「メインゲート」から、この「工事用ゲート」、「第4ゲート」までの距離の長さが、実感できたね。雨で足元は悪いし、行き過ぎる車たちは、先をいそいでスピードを落とそうともしない、横断するのにもずいぶん待たされる、丁寧に誘導してくださった警備員さんには、もちろん、「極左暴力集団」(笑)らしからぬ?、「満面の笑み」で謝意を表したけどね。最初のコンクリート・ミキサー車が到着する午前9時にも、ちゃんと間に合って、いったん「座り込み」が始まってしまえば、それは「ビジネス・アズ・ユージュアル」、いつもと同じで、特筆すべきことは、そんなに、ない(笑)。でも、こうして、「選挙」向け「根こそぎ動因」だからこそ、普段は裏方仕事に専念されていたベテランの皆さん、その中には、9年前以来、「顔見知り」になった方も何人かいらして、懐かしく、ごあいさつすることもできたし・・・。予定通り、午前10時過ぎには、「搬入」は終了、雨も小やみになって、また徒歩で「テント」方面へ向かう。最後の「第二ゲート」の写真は、そのとき撮影したもの、・・・、その、9年前に逮捕されたとき(笑)、「メインゲート」の内側の芝生のあたりから、手錠をかけられて、両脇を機動隊の人に挟まれて、覆面パトカーの後部座席から、この広大な「基地」の内部、そう、住宅らしきものもあり、「PX」だろうか、ショッピング・センター的なものもあり、一つの「街」を形成している、の様子を垣間見ることができた、・・・、「第2ゲート」のあたりまで連れてこられ、結局は、「軍警」と折り合いがつかず、また「メインゲート」にとって返したのだが、そんな「思い出」(笑)があるから、これもまた、一つの「センチメンタル・ジャーニー」(笑)。・・・歩いている最中、「友達のいない」者には珍しく電話が鳴って、おお、「沖縄労働局・労働基準監督署」の係官の方だった。いよいよ、「調査」を開始していただける運びになったらしく、付加的な質問に、いくつかお答えすることになった。しかし、電話の相手が、「キャンプ・シュワブ」のフェンスにもたれかかりつつ、質問に答えているとは、彼、もちろん、「国家公務員労組」の組合員である可能性も、ある、も、想像されていないだろうな、と思うと、苦微笑を禁じえない、というやつだな(笑)。






キャンプ・シュワブ、第2ゲート


おや?国道沿のベンチのところに、見慣れた「白」と「茶」のまだら模様、犬用リードを着けて休んでおられる。「お散歩」タイムだっのだね。黒ブタさん久し振り、今日は「爆睡」(笑)じゃないよ?!

雨の中を、「工事用ゲート」から歩いて戻ってきたから、少し遅くなった。昼過ぎだから小潮とはいえ、ほぼ満潮、やはり台風の影響だろう、やや荒れている。子ヤギお嬢さんが、お散歩役の女の人と一緒に、戻ってこられたので、このくたびれた老人も、満面の笑みをもってごあいさつ(笑)。子ヤギお嬢さんは、少しお疲れなのか、早々に奥に引っ込まれてしまったが。


体長一メートル以上はあろう、この巨大なメガネモチノウオ、私の前でふと立ち止まり、「目が合った」(笑)気がしたのだが?ショッピング・モールのエントランスの「水族館」。

今年は、一年間のブランクを経て、「シュノーケリング」を再開したのだが、「諸般の事情」(笑)って奴もあり、台風だって立て続けに来たりする。「やんばる」からの帰り道、なかなか激しい雨降り、台風24号「KROVANH」、大東島から奄美諸島へ向かっているから、ここ沖縄本島からは200キロばかりの距離があろう、の影響だろうな、そんな訳で、屋内で、しかもお金のかからない「見物」と言えば?、と思い立ったのだ。「引っ越し」準備で、魚類図鑑どこかに片付けてしまったから、キャプションはうろ覚えだ、あとから調べなおして訂正しよう。・・・この、南洋の最大種と言われるメガネモチノウオ(ベラ科)、私は、海の中でお会いしたことがある。もちろん、「同一人物」であるはずもなかろうが(笑)、何かその温厚な眼差しで、「懐かしそう」な表情をしてくださった気がしたので・・・。このショッピング・モール、その名も「ライカム」と言う。すぐ前の交差点、国土交通省・沖縄総合事務局設置の道路標識にも「ライカムRYCOM」とある、さて問題です(笑)、名付けの由来は?・・・現在はもう少し南の瑞慶覧(ずけらん)、キャンプ・フォスターに、駐留米軍総司令部があるが、沖縄戦に引き続く、占領当初は、ここがそれだった、つまり、「Ryukyu Command」の略称なのである。私が当地に暮らし始めた頃はすでに、「司令部」は移転していて、軍人専用のゴルフ場だった。米軍基地にはよくあることだが、広い敷地の真ん中だけが使用されて、周りはほとんど手つかずの藪になっていて、夕刻の「トワイライト・ソング」の時刻ともなれば、ヒヨドリ、シロガシラ、以上ヒヨドリ科、メジロ(メジロ科)、シジュウカラ(シジュウカラ科)などなど、おびただしい数の鳥の声が聞こえたものだった。「基地反対派」としては、「返還」を喜ぶべきなのだが、ま、ちょっと複雑な気持ちではあったな。


「飼育係」(笑)が朝5時半に出かけると同時に「檻」に押し込められ、帰ってきたのが午後3時、そりゃお腹すいたよね、ごめんごめん。あちこちのスーパーで「見切り品」小松菜、大量入荷(笑)。


セスジツユムシなのか?ササキリなのか?キリギリス科のものと思うが、帰ってから昆虫図鑑で調べよう。「出発」前の朝まだき、駐車場、隣の車のドアで、お休み中。


「イッツ・ア・グッド・サイン/それは、良い徴だよ!」、雨が上がって、嘘のような(笑)青空、そして前方に、虹。で、また、「昔ばなし」が、始まる。

今を去る四半世紀前(笑)、「沖縄サミット」の日程が終了し、会場は名護市西海岸の部瀬名(ブセナ)だったから、「やんばる」一帯のリゾート・ホテルのことごとくが、全国動員された警察機動隊員の宿舎どなっていたのだが、彼らもまた撤収し始め、長らく続いた高速道路の通行規制、一般道、数キロごとに設置された検問所も解除、きっと、「占領軍」が撤退するというのはこんな感じだろうか?と思わせるような、「解放感」漂う一日、私たち、運転手の私と、助手席には、諸々の抗議行動、要請行動に参加すべく、長期滞在されていた、ハワイ大学の大学院生、ハーフ・オキナワンのP君、は、名護市東海岸へ向かっていた。今日と同じような、激しい驟雨に何度も見舞われ、でも、着いたときには、大浦湾を囲むように、大きな虹がかかっていたのだ。P君が、「これは、グッド・サインだよ」と言ったのを、今でも思い出す。
それからの25年間の諸々の出来事に徴し、果たして、その「予想」は当たったのか?、本当に「グッド・サイン」だったのか?、などという、言わば無粋な(笑)判断は、読者の皆さんにお任せする(笑)。
「虹」と言えば、「サムホェア・オーバー・ザ・レインボー」、同じ年の少しあと、名護での国際平和会議に参加された、米海軍射爆場に対する「非暴力直接行動」の「教科書」とも言うべき抵抗運動が世界の耳目を集めていた、カリブ海、米連邦プエルトリコの離れ小島、ビエケス島からのお客人の、運転手を務めた。彼女の本職は「ジャス・シンガー」、きまじめな「活動家」風とはぜんぜん異なって、「オー、ラリー、ラリー!(『集会』、『集会』ばっかりでうんざりよ!)」、なんて、「ラテン系」らしい大げさな身振りで、肩をすくめて見せてくれるような人だった。首里、龍潭池の近くの食堂、店内の有線放送で、たまたま、「サムホェア・オーバー・ザ・レインボー」が流れて来ると、「いなむどぅち」・・・「猪・もどき」であって、豚肉、こんにゃく等の味噌汁・・・を上手につまんでいた箸をとめて、彼女は、少し遠い目をして、「これ、私が初めて歌った『ボサノバ』だったのよ!」と語ってくれ、少し低い、パンチの効いた声で、口ずさんでくれたのだ。今でも、YouTubeなんかで、この曲の「ボサノバ」風アレンジのものを探してみるのだが、あまり、気持ちにフィットしそうなものがみつからない(笑)。・・・「オズの魔法使い」を廉価版DVDで観たのはずっとあと、この作品で子役としてデヴューした、ジュディ・ガーランドは、「躁うつ病」を病み、薬物過剰摂取で亡くなる。彼女はまた、ベトナム反戦運動、公民権運動の、勤勉な活動家でもあったという・・・。
・・・

Train passengers sing Over the Rainbow
イギリスのどこかの郊外だろうか?、通勤電車に、数人でいきなり乗り込んで、ウクレレを伴奏に、歌い始めてしまう、・・・アレンジはもちろん、イズラエル・カマカヴィヴォオレIsrael Kamakawiwoʻole/IZ、早逝したハワイの歌手/ウクレレ奏者のものに違いない・・・また、「昔ばなし」だが(笑)、やはり四半世紀前、サミットの年の春だ、P君の招待で、ハワイに行ったとき、お土産にいただいたのが、この「IZ」のCDだった。
・・・

Somewhere Over the Rainbow/Israel Kamakawiwoʻole
・・・
サムホェア・オーバー・ザ・レインボー、と言う歌がございましたな。・・・アナタガ、アエテ夢見ヨウトシタトコロノ夢ノ数々/dreams that you dare to dream・・・にまつわる、諸々の追憶。


また、黄色いスクールバス待ちのお子さまたち、でもちょっと「シャイ」なようで(笑)「ハロー」なんて言わずに、子ヤギお嬢さんが私の手を舐めているのを、じっと見つめてる。だから、ヤギさんも安心してる(笑)。


本日も昨日同様、「送迎」サービス(笑)はないから、「自力」で「現場」へ。代わり映えしないが、打って変わったいい天気だし、「メインゲート」、「工事用ゲート」間を、往復してみただけ(笑)。

そして、徒歩で「ゲート」へ向かう間の、いくつかのスナップ写真、昨日とほとんど同じにしか見えないが(笑)、先頭のコンクリート・ミキサー車が到着したところ、更に、これまたいつもと「寸分違わぬ」ルーチン・ワーク、「規制」によって排除された後、機動隊員の皆さんの足元の隙間から、「仰角撮影」した(笑)、「搬入」風景・・・。
・・・
ジークムント・フロイト「夢判断」の冒頭近くだったんじゃなかったかな?、夢の中では、しばしば「一人称」と「二人称」の混同が生じる、夢の中で他ならぬ「自分」が非難し攻撃している相手が、実は「自分」であったり、逆に、攻撃されていると感じている当の「自分」が、実は相手のことであったり・・・自分から殴っておいて、誰それに「殴られた」と訴える子供の例も引かれていたと思うが、これは、「児童福祉施設」職員(笑)にとっては、ごくありふれた光景だ。自分の落ち度であるかもしれない事情から、よからぬ結果が生じたときに、「こんな事になってしまったのは、ぜんぶ、あいつのせいだ!」と、言わば罪をなすりつける性向を「他罪性」と呼ぶらしいが、これも、諸個人の性格の欠陥であるよりは、私たちの、つまり「ヒト」と言う種が、「言語」を獲得する過程での、「進化論」上の、一つのエラー、「バグ」、だったのでは?、それこそ、「一人称」と「二人称」が、極めて混・同・さ・れ・や・す・い・ままに構築されてしまった「言語」というソフトウェアそのものにあらかじめ組み込まれてしまっていた欠陥だったのでは?、などと考えてみる。「考えてみ」なければな・ら・な・い・と強迫されているのはもちろん(笑)、そうでもなければ、このような「他罪」の事例に、「世界」があまりにも満ち溢れている事態を説明できず、またしてもそれを誰か「他者」の「性格」に帰してしまうという、「他罪」に落ち込んでしまう、という堂々巡り、無限ループを回避したい、という「願望」に過ぎないのかもしれないけれど。
「モラハラ/モラル・ハラスメント」という言葉の意味が、よくわからなかった、いや、今でもよくわからない・・・慌ててwikipediaを引いてみると、「harcèlement moral」、フランスの学者が提唱したから、フランス語なんだ、・・・、私は語感から、「道徳的」な観点からなされた、「道徳」を言わば「傘に着た」、それこそ「パターナリスティック」な「上から目線」の嫌がらせ、みたいなものか、と理解していたが、どうもそうではないらしい、「モラル」なるフランス語なり英語は、「道徳的な」と言うより「道徳上の」と解するべきかもしれない、挙げられている事例から判断すれば、多くはひどく「道徳性」を欠いた、言わば「不道徳」な言葉か多用されるようだから。
他ならぬ私が受けている攻撃が、「それ、『モラハラ』ですよ!」と、「職場」の同僚が指摘してくださって、彼女もまた、かつて、別の人から同様の加害を受けた経験があるらしいことはうかがっていたから、初めてこんなことを考えてみることになり、それこそ、こっそり(笑)wikipediaに問い合わせてみることにもなった。
ある人が、「私」を嫌い、憎悪しており、事あるごとに、執拗に攻撃を仕掛けてくる、それが、かつて「私」が彼/彼女になした「罪」、「不義理」に対する、「報復」だというのなら、まだ分かる。いや、思い出せないだけかもしれないが、過去にそんな害をなした記憶が、まったく思いつかないにも関わらず、・・・いやむしろ、過去に害を受けたのは、こっち、「私」の方ではないのか?、と思い至って、上述のフロイトの議論を思い出した。・・・「個人心理学」を「集団心理学」へと敷衍する、「種」の「系統発生」を、「個体」発生のアナロジーで捉える、のは、もちろん危うい議論ではあるが、わがフロイト先生が(笑)しばしば採用される「手口」なので、私も安んじて真似してみるが、・・・「迫害者」の集団が、「被迫害者」の集団を、迫害する、「差別者」の集団が、「被差別者」の集団を差別する、どうして、そんなことをするのか?、と問われても、いや、かつて「迫害」したから、かつて「差別」したから、・・・決して「迫害」さ・れ・た・、「差別」さ・れ・た・、ではない、・・・という答えしか、返ってこない、という事態は、人類史を瞥見してみれば、枚挙にいとまがない。
どうして〇〇するのか?
いや、〇〇し・た・からだ(〇〇さ・れ・た・、からではない)。
これは「トートロジー/同義反復」であって、まさに、言っても構わないが、言う「意味」がない言説であろう。・・・自らの「加害」の事実を、「被害」にすり替える心的メカニズムは、「加害」の記憶によって喚起された「罪悪感」の「昇華」、「躁的防衛」として、容易に理解できる。自らに「罪悪感」を喚起してしまいかねないがゆえに、「被害者」の存在そのものを「憎悪」するに至る機制も。
wikipedia記事には、「モラハラ」を行いやすい「性格類型」、「モラハラ」を受けやすい「性格類型」とやらが、失礼だが得・意・そ・う・に・列挙されていて、前者の記述が、「自己愛性人格障害」の記述と、ほとんど重なっていたとしても、後者のそれが、「他罪性」とは逆の、あるいは「愛着障害」に根ざす「自己処罰性」の強すぎる類型、として描かれていて、まさにそ・の・通・り・だったとしても、私には、そのような議論を受け入れることができない。受け入れることができないのは、そのような議論が、なんらの「理解」ももたらさないからだ。「世の中」には「悪い奴」と「よい奴」がいるのよ!、と言われても、ちっとも嬉しくないのは(笑)、私が「博愛主義者」だからでも、「寛容」だからでもなく、そうやって、また一つ、自分から「他罪」を積み重ねてしまうのが、居心地が悪い、という、言わば(笑)「快楽原則」、に過ぎない。


水の豊かな河口デルタ、当地の米は「二期作」が一般のようで、ならばこれらの水田は、二期目の田植えがすんだところか?・・・スマホ・カメラでは鮮明ではないが、冬の渡り鳥二種。

カメラが長らく壊れてしまっているし、「お仕事」(笑)をめぐる諸々の「心労」(笑)などもあって、「バード・ウォッチャー」の知識も、薄れつつあるが、それでも、こんな小さな鳥影を、遠目に見ただけで、すぐにいくつかの名前が思い浮かぶと、それだけでココロ弾む(笑)。セイタカシギ(セイタカシギ科)と、アオアシシギシギ科)と思う。どちらも、秋と春、「渡り」の始まりと終わりの時期によく見かけるから、当地で越冬するのではなく、もっと南へ向かう、あるいは帰ってくるときに、一時的に、休息をとっている「旅鳥」かも知れない。九州の南端からここまで、それこそ「飛び石」のように続く島々が、ここ沖縄本島で途切れ、次の、宮古・八重山まで、300キロに及ぶ、島影一つ見えない「絶海」だから、渡り鳥たちにとっても最大の「難所」、ゆっくり休息をとる必要があるのだろう。
「やんばる」の南端に当たる億首川、緩やかに流れる広い河口はすでに、この島の北部を特徴づける「高島地形」、豊かなマングローブ植生を擁するこの川の河口域は、かつては米軍「ギンバル演習場」、「銀原」と書いて、「ギンバル」と読む、返還後は、「田芋(たーんむ)」と呼ばれる、サトイモ科サトイモの一品種の水耕栽培、の一大産地となったようで、そんな風に、川があり、水を湛えた田が広がっていれば、当然にも、数多の水鳥を引き寄せることになる。少し南には、しかし、米軍「ブルービーチ」が残っているから、しばしば軍用ヘリコプターが飛来して、のどかな静寂を破ってしまいもする。


もう九月の声を聞いたし、台風通過後は気温も下がる。過ごしやすくなったからだろうか、今日の黒ブタさんはなかなか活発である。子ヤギお嬢さんは「甘噛(あまがみ)」と言う作法を習得してくださったようだ(笑)。


まあ、こんなところでお会いできるなんて!ちょっとくたびれてるみたいだけど、なんとか元気そうでよかった。ああ、私のこと覚えてくれてたのね!嬉しい。またこ・っ・そ・り・会いに来るからね!


この島で、一番ありふれた花と、一番ありふれた蝶(笑)。夏の初めに登場するのに、気づかないなんてことは、今までなかった、あんたも、よほど「心労」を抱えていたのね(笑)・・・。

花の方、タチアワユキセンダングサは、いわゆる「外来種」、米軍占領時代、植物検疫なども緩かったのであろう、多くのものが持ち込まれ、この島の景観を大きく変えてしまうことになった。例えば、柳田國男「海南小記」などを読んでも、植物に詳しい著者が、なんら触れていないことが、この植物の移入が、そう古くないことの反証になる。今では、圧倒的な優占種で、同じく白い舌状花のキク科植物、ヒメジョオンやインドヨメナなんかを見つけると、ほっとするくらいだ(笑)。春菊にも似た少し苦味があるらしく、食用にもできるらしい、やってみたことないけど・・・そう、うちのニワトリさんたちも、よく食べてくれたものだ。
蝶の話に移ると、カバマダラ(マダラチョウ科)は、南西諸島固有種、子供の頃から、昆虫図鑑が愛読書という、今の世ならば、様々な「病名」を授けられてしまっただろう暗い子供だったから、写真でしか見ることのできない、その、鮮やかな、いかにも「南国」を表象するようなデザインに、多分、憧れていたはず。もちろん、後年、そんな島に自分が住むことになろうなんて、想像すらしていなかったけどね。トウワタ(ガガイモ科)という、これまた南国的な派手な色彩の有毒植物を食草とし、体内に「毒」を蓄える耐性が獲得されている。そのことが、鳥類などによる捕食を、忌避させる、というメリットがあることから、いくつかの蝶が、これに「擬態」して、自らは「毒」を蓄えるリスクを負わずに、かつ、食害を避けるというベネフィットのみを利用することとなった。スミレを食草とするツマグロヒョウモン(タテハチョウ科)もそのひとつ、・・・、毎年、カバマダラより、少し早くツマグロヒョウモンが飛び始める、ということは覚えていたし、「職場」の庭のリュウキュウシロスミレが咲いていたところで、見かけたこともある。でも、カバマダラがいつ頃登場したかは、今年は、とんと記憶にない(笑)、撮影できたのも、今日が初めて。「カバマダラ/ツマグロヒョウモン」擬態問題には、謎が多々あって、話せば長いのだが、今日は、やめておく(笑)。
・・・
参考文献(笑):「夏の風物詩」セッカにまつわる思い出話、シオマネキのハサミの「非対称性」に関するうんちく、毎度おなじみの、「トウワタ、カバマダラ、ツマグロヒョウモン」問題、そもそも、「毒」とは何か?という根源的な(笑)問い、とか


水豊かな「やんばる」南縁の河口デルタ、「二期作」の水田、「田芋(たーんむ)」、サトイモ水耕栽培地帯。さらに「南」へと旅を続ける途中と思われる、「冬鳥」のご一行様。


うちの猫たちと同じで(笑)、毎日一緒にいるのが当たり前になってくると、特に「撮影」しなければならない、と急き立てられることもなくなってきたな(笑)。


「白たてがみ」さんの姿が、ずっと見えないのだけれど(泣)、・・・、「サヨナラだけが、人生だ」と、言うからね、「服喪」の身振りとしての「抑鬱」、そして「忘却」を待つより他はないのだからね。


さる事情で(笑)、毎日、遊水池の遊歩道を、端から端まで歩くことになった。だから、特に珍しいものでもないが、沿道の花たちを撮ってみることにしたまで。

「南蛮皁莢(皂莢)」と書いて、「ナンバンサイカチ」と読む。英名「ゴールデン・シャワー」、やがて巨大な鞘豆を実らせる。クロッカス、その雄しべを乾燥させたものが、香辛料「サフラン」。ランタナ、栽培植物の逸出品、と言われる。アキノノゲシ、当地では、ノゲシ(ハルノノゲシ)も、このアキノノゲシも、ほぼ年中咲く、でも、そうか、今はもう「秋」なんだから、別に咲いてもおかしくはないんだ(笑)。フェンスに絡みついた、タイワンクズ(マメ科)が、まもなく、花をつけるだろう、楽しみに待とう。


ナンバンサイカチ(マメ科)


昨日は、下ばかり向いていたから気づかなかったのかな(笑)?、フェンスにうっそうと絡みついたタイワンクズ(マメ科)、ほら、咲き始めている。辺り一面に漂うその香りは、お伝え出来ないが(笑)。




タイワンクズ(マメ科)


日差しも少しは和らいできたからかな?、前回より元気そうじゃないか?、よかった、よかった。ごはんとおやつ、持ってきたから、たっぷり、食べてくれたまえ!


「お仕事」前に、ちょっと時間が余ってしまったので、前に、「送迎」中、お子さまの一人が見つけてくれた「山羊小屋」を、表敬訪問(笑)。


ヒルザキツキミソウ、と、タイワンハネナガイナゴ・・・前者は、「お弁当」買いに来たお店の前の歩道。後者は、すでに夕刻の海岸。


ヒルザキツキミソウ(アカバナ科)


鮮やかなオレンジ色の羽根の表側は、飛んでいるときしか見えない。で、もちろん、止まっているときしか、写真は、撮れない(笑)。


「お仕事」の最中に、ちょいと言い訳などつけて(笑)、会いに来ました。みなさん、それぞれ、ご覧のように、歓迎してくださいました。ありがたや。


「昆虫図鑑」が愛読書だった少年(笑)の記憶からしても、ここ、南西諸島には多くのセセリチョウ科が生息しているようで、でも、こいつは、一番ポピュラーな、イチモンジセセリ、のように思える。


今日は、ずっと天気がよいから、青空に、この紫色、藤色のタイワンクズの花が、ずっと映えるだろう?・・・朝、「捕物(とりもの)」みたいな一日になるとは、もちろんこのときは、わかっていない(笑)。


近所の遊水池の越流堰、カメラがまだ健在だった頃は、ここで飽かず鳥影を追ったものだ。あ、コサギだ!スマホのカメラしかなくても、思わず追ってしまう(笑)。


もちろん、それが、あんたなりの「親愛の情」の表現であることは、よく知っているよ!もう、長い付き合いなんだからね(笑)!


「やんばる」南縁の丘陵地帯、あまり「センチメンタル」でもない、むしろ「探偵物」みたいな(笑)、センチメンタル・ジャーニー。「秋」を彩る二種類のセミの声。

「ケン、ケン、ケン、ケン」みたいに聞こえるのが、オオシマゼミ、「じゅわっ、じゅわっ、じゅわっ」が、クロイワツクツク、同じくセミ科ツクツクボウシ属の近縁二種、前者が、「山地性」、後者が、「平地性」、と、「棲み分け」されている、と言われるが、ここは、その境界線上にあるみたいで、場所によっては、どちらも聞こえたりする、ことは、そう、もう一年になるのだ、以前、初めてここに来たときから、知っていた。だから、やはり「センチメンタル・ジャーニー」(笑)。
・・・

沖縄本島、セミの出現時期
・・・
臨時ニュースを申し上げます(笑)。〇〇〇〇さんの「生存確認」が出来ました。・・・■■市の〇〇さんの畑、隣にいらっしゃる地主さん、以前草刈りをしに行ったとき以来、お顔は存じ上げています、に、「最近、〇〇〇〇さん、こちらに来ておりますでしょうか?」とお尋ねしたところ、
「ああ、昨日も夕方五時くらいに、見えてましたよ!」
はい、大ヒットです(笑)。上司の安否が心配でならない誠実な部下を演じて(笑)、
「今度、来られたら、従業員の□□というものが、大変困っているので、是非、電話をください、とお伝え願えるでしょうか?」
とお願いし、快く諒諾いただきました!・・・まさか、あっさり電話してきたりはしないだろうけれど、「包囲網が狭まった」ことは、理解していただけるでしょう。
これから、〇〇さんのお兄さまのお家に向かい、もし、誰か知った人に出会えれば、まあ、そんなにトントン拍子には行かないだろうが(笑)、同じようなお願いをし、その後、■■警察署に行って、出すかどうかは別として(笑)、「捜索願い」提出にどんな手続きが必要なのかを聞いてみることにします。
臨時ニュース・続編(笑)
お兄さまのお家の扉は開いたままで、流しで洗い物をしてらっしゃる女の人一人、
「すみません、〇〇〇〇さんはいらっしゃいますでしょうか?」
「あ、はいはい、〇〇さ〜ん!」
奥から、のっそりと、何食わぬ顔で(笑)、「お、久し振り!」
とか言って、悪びれることもなく、出て来るではないですか?・・・こちらも、うっかり「懐かしい」などという感傷を抱きかねないくらい(笑)。
こうしてともかく、「生存確認」どころか「身柄確保」まで、たった一日で、出来てしまいました。「ガラケーに買い換えて、やっと昨日つながった」などという言い訳は、もちろん疑わしい、・・・・・・疑念も払拭できませんが、ともかく、
(1)■■労働局/労働基準監督署、■■さん
(2)■■労働局/■■室、■■さん
(3)■■市/■■■■課、■■さん
の電話番号をその場で登録していただき、次にかかってきたら、必ず取るように、と念を押してきました。一見、非常に低姿勢、殊勝に振る舞っているようにも見えますが、「本心」はどうなのか?などという点は、私には読み取れませんけれども・・・。
高速■■インター近く、「■■の丘」が見える風光明媚な土地、山を降りてから、さっそく、上記(1)(2)(3)の担当者の方々へ、報告の電話、しました。(1)以外は、不在で、伝言にとどまりましたが。
ともあれ、一歩前進(笑)、■■警察署に出向く必要がなくなって、実はほっとしています。・・・。以上、ご報告まで。


「セプテンバー・イレブンス」の今日は、旧暦八月一日、「新月/朔」の大潮、午前七時すぎの今は、ほぼ満潮。おや?黒ブタさん、お目覚めで、しかも、すでに外に出てらっしゃる。子ヤギお嬢さん、芝にご執心(笑)。


「シュプレヒコール」というのは、ある種「中毒性」があって(笑)、その単調なフレーズを、何度も繰り返していると、だんだん「ハイ」になってしまう。通常、それは、いわゆる「闘い」の現場としては、・・・、

集団的な、気分の盛りあがり、いわゆる「気勢を上げる」なんてことで、結構なことに違いないのだが(笑)、残念なことに、「うつ病患者」というのは、まさに、そのように「ハイ」になってしまうことに、耐えられないほど身体が衰弱しているからこそ、脳内情報伝達物質である、セロトニンやノルアドレナリンの産生を制限し、うかつに興奮したりせず、どんよりと陰鬱な気持ちでいることの方が、「安全」であると、ほかならぬ身体自身が判断してくれている訳なので(笑)、・・・、ああ、困った(笑)、こんな風に、その「単調なフレーズ」の繰り返しが醸し出してしまう興奮のおかげで、おそらく、今、私の脳内では、その、セロトニンやら、ノルアドレナリンやらが、不必要に(笑)、ぷしゅぷしゅ吹き出し始めているに違いなく、ああ、それは、とても、「危険」なこと。・・・話は変わるが(笑)、「職場」の「ゲーム中毒」みたいな中学生が教えてくれたんだが、「どぱがき」という言葉があるそうで、つまり、頭の中で、がんがん、ドーパミンが噴出しているみたいなやつのことを指すのだそうだ。もちろん、私たちが中学生だった頃は、セロトニンも、ノルアドレナリンも、それから「快楽物質」と呼ばれるドーパミンも、おそらくその反応機序も今よりずっと分かっておらず、まして、こんな風に人口に膾炙している用語ではなかったはずだけどね・・・。
・・・
「投票日」直前の金曜日だから、当然、また、数えるほどしか人がいなくて、送迎サービスもないんだろう、と覚悟して早めに出かけたんだが、あちらこちらから「動員」をかけてくださった団体とかがあったようで、むしろいつもよりも多人数の座り込み、となり、それはそれは結構なことであった。そんなこともまた、私の脳内のセロトニン産生メカニズムに、きっと影響を及ぼしているのだろう、・・・、人間の身体なんて、そう、単なる化学反応の器に過ぎない、それだけのことで、何を考えるか、なんて高尚に見える事柄も、みんな決まってしまうのだ、という、すがすがしい諦観?・・・一回目の搬入がすんだら、いつものように、さっさと帰途につく、途中、「ヤンバルクイナ・イン・ティアーズ」のペンキ絵のところで、黒ブタさんと子ヤギお嬢さんにあいさつして、そして、今度は、もう少し南の方に引っ越ししてきた、わんちゃんのお相手をして、・・・、そして、いくら「議会制民主主義など尊重しない!」とかうそぶいてても、小心者は、気が気でないから(笑)、やはり「枯れ木も山の賑わい」、「枯れ木」にでもで・き・る・「選挙運動」のお手伝いに、向かおうか?、などと考え中(笑)。


旧暦八月1日、「朔」の大潮、金武湾は、まもなく干潮。黒ブタさんも、子ヤギお嬢さんも、お食事に忙しく、通りすがりの老人など、眼中にないかの如し(笑)。途中、激しいにわか雨だったが、今はご覧の通りの青空。


ここの「畑」は、山間部にあるので、そう、例えば、山地性のオオシマゼミ(セミ科ツクツクボウシ属)の声も聞こえるし、ご覧のように、さまざまの蝶も飛び交っている。犬の散歩中だから(笑)、その声も。


「やんばる」からの帰り道だから、今日も、やって来たよ。お隣さんの畑にも、こっそり入らせてもらって(笑)、お散歩。これはジャガイモの葉だろうか、畝からはみ出して一面を覆っている。


近所のカフェから、「IZ」の、「サムホェア・オーバー・ザ・レインボー」が、聞こえてきたから、これは幸先がいい、きっと私は、ノリノリで(笑)、不必要なほどの「満面の笑顔」を振りまいていたに違いない。

ただ今、「ひとりスタンディング」(笑)、ビラまき中。・・・近所のカフェから、「IZ/Israel Kamakawiwoʻole」の、「サムホェア・オーバー・ザ・レインボー」が、聞こえてきたから、これは幸先がいい、きっと私は、ノリノリで(笑)、不必要なほどの「満面の笑顔」を振りまいていたに違いない。
・・・
朝5時半に出発して、「ゲート前・座り込み」、一回目の「搬入」だけ見届けて、戻ってきたのが、昼過ぎ。「議会制民主主義なんて、さして尊重しない」なんて、70年代「左翼」の悪癖の典型みたいなことを嘯く人間だが、どうにも落ち着かない(笑)。「ボランティア・センター」なるところに恐る恐る顔を出して、あてがっていただいたのが、このお仕事、なるほど、これなら、「枯れ木も山のにぎわい」の「枯れ木」にも出来そう!と、二つ返事で引き受けることにした訳です。「ビラまき」なら、それこそ「昔取った杵柄」(笑)、多少の心得は、あるからね!
・・・
「夢判断」の冒頭近くで、わがフロイト先生(笑)が言っていたと思うが、夢の中では、「一人称」と「二人称」が、容易に混同される。自分が他者を攻撃した記憶が、他者から攻撃を受・け・た・記憶として、回復される。「被害者/加害者」の立場は、容易に反転するから、そのような用語で議論すること自体が、危ういものに感じられるほどだ。他者にかつて「害」を加えた記憶を持った者は、まさに、それを記憶しているがゆえに、執拗に、「被害者」を攻撃し続けなければならない、と強迫されることになる。「被害者」の存在自体が、自らに「罪悪感」を喚起してしまうから、疎ましくて仕方がなく、憎悪の対象となってしまう。「昇華」と言うのは、そうやって言わば「話をすり替えて」、心理的な安寧を得ようとすることにほかならない(笑)。「『愛の対象』喪失」に際して、「服喪」の身振りとしての「抑鬱症状」に陥るか・わ・り・に、人はしばしば「躁的防衛」を採用する。「ソンナノヘッチャラサ!」、だが、そのためには是非とも、失われた対象の、価値を切り縮め、罵倒しなければならなくなる。こうして「被害者」が、「被害者」であること自体を根拠として、憎まれ続ける。・・・もちろん私は、一つの「寓話」を語っている(笑)。そうでなければ、、他者に「罪」を被せる、という、やはり同じ轍に落ち込んでしまうことになるからね!
・・・
通り過ぎる車の中から、まことに「ちぎれんばかりに」という、誇張表現のごとくに、手を振ってくださる人がいる。ビラを渡すと、「ありがとう、頑張って下さい」と、逆に激励されたりする。・・・「既視感」があるとすれば、それは、「震災」後の神戸。あるいは、この島もまた、「PTSD/トラウマ後ストレス疾患」のただ中にあるのかも。・・・ココロを病んだこの老人は(笑)、もうそれだけで、うるうると、涙を堪えられなくなってしまっている。ね、だから、あんたには「選挙運動」なんて、無理なんだよ(笑)!


土曜の朝、「ご奉仕品」、一本¥89のトウモロコシ(笑)のかけらと「格闘」される、「とさかのそろった二号」さん。そして、ベンヤミンと魯迅の「飛び切り上等な『詭弁』」を論ず(笑)。

もう八年前になるのか?耐えがたい不安の何時間か後、恐る恐る「開票速報」を開いて見たのち、私は、「ツィッター」に、
「生きていて、よかった!」
と投稿、当時はまだ何人かいた「仲間」の皆さんの、温かい失笑を買った。もちろん、「笑いをとる」つもりだったから、満足だった。・・・文芸批評家の三浦雅士は、「メランコリー者」、つまり「鬱病患者」について、こんな風ことを言っていたと思う。
「彼らは、あらかじめ、失敗に帰するに決まっている『未来』から時間を遡及して、『現在』をもまた、不幸で塗り込めてしまう。」
どうしてそんなことまで、知っているのだ(笑)?、もちろん、三浦雅士その人もまた、「メランコリー者」だったのだろう。・・・だから、ここでも私は、「失敗に帰するに決まっている『未来』」の準備をしておかなければならない。「生きていて、よかった!」と、書くことがで・き・な・か・っ・た・場合に、投稿すべき文面は、もう、決まっている(笑)、・・・、
何かを失う、ということは、その失った何かが置かれていた場所が、空けられる、ということにほかならないから、むしろ希望と呼んで差しつかえない。
これは、亡命先のフランスがドイツの占領下に置かれたのち、スペインに向けて脱出を試みたが、ヴィッシー派の警察とゲシュタポに包囲され、ピレネー山中で自殺を遂げた、ユダヤ人マルクス主義者、ヴァルター・ベンヤミンの言葉だ。もう半世紀も前に見つけ、長らく記憶にとどまっていて、あれから何度も出典を探そうと試みたが、どうしても見つからない、だから、引用は不正確かもしれないが・・・。同様の言葉を、魯迅も残している、
絶望之為虚妄、正與希望相同/絶望の虚妄なること、希望に相同じい。
言うまでもないことだが、これらは「詭弁」である。もちろん、飛び切り上等の「詭弁」であるには違いないが(笑)。・・・「言葉」は、「他者」に向けられた「贈与行為」、傷を負った者を慰謝し、ひと時の安寧を与え、生き延びる「希望」を示唆し、まさに、傷口にそっと「手を当てる」、「手当」をするような行為でなければならない、と、私は、「鬱病患者」らしからぬことおびただしいが(笑)、これらの言葉を引用することで、高らかに宣言したい気持ちに駆られている。たとえ、実際の「世界」が、「他者」を貶め、傷つけ、愚弄し、争闘を挑発し、冷笑する、そんな言葉ばかりに満ち溢れていたとしても、いや、満ち溢れているがゆえに(笑)?、「言葉」の、本・来・の・使用法を、断乎として(笑)、防衛したいと思っているのだ。どうして、それが「本来の使用法」だ、なんて、わかる?・・・もちろん、そうでなかったとすれば、「ブリコラージュ/器用仕事」という偶然で、うっかり「言語」などと言うものを発明してしまった、バグだらけの「OS/オペレーティング・システム」しか備えていない、誤った「進化」の経路をたどってきてしまったこの生物種が、今日まで、生き延びてこられたはずがない、という反証が用意されている(笑)じゃないか?
・・・
さて、「投票日」前日、猫たちにも、ここにご紹介した、一羽になってしまったニワトリさんにも、ごはんを出したし、・・・、本人は、緊張のあまり(笑)食欲もないが、バカの一つ覚えの「ペペロンチーノ」でも作って、食べ、それから、もう、こうして、「辞世の句」まで詠んでしまったから(笑)、平静な心持で、出掛けよう。「選対事務所」に隣接した「ボランティア・センター」ってところで、「何かお手伝いできることありませんか?」と、昨日と同じように、お願いしてみるつもり・・・。
・・・
参考文献(笑):「言語交換」は続く(笑)!・・・絶望之為虚妄、正與希望相同。


大雨の時に、住んでいた池、例えば、この川の上流には、「松山御殿(まちやまうどぅん)」という王朝時代の建物があり、イタリアン・レストランになっていたそこの庭にも、アヒルの泳ぐ池があった・・・

そんな池が、あふれてしまって、こうして、流れ着いたのかもしれない。・・・ずっと以前、そう、二十年ぐらい前か?、あんたの話は、みな二十年前だ(笑)、やはり台風の後だった、うちの庭、正確に言えば、うちは、もちろん賃貸住宅で、もともと二階建て民家の二階部分だけ、借りている、その一階部分の庭に、やはりアヒルさんが一羽、迷い込んできて、今だったら、ニワトリさんの「飼育係」でもあるから、多少は、鳥類にも造詣がある(笑)が、その当時は、犬猫のことしかわからない、だから、大変動転して、何とかしなきゃ、とばかりに、「捕り物」を演じたことがあったな、家の一階部分のまわりをぐるりと回って、追いかけっこをしたが、走るのが速いこと速いこと、決してつかまえることができなかった。その後、いつしか姿を見なくなったが、無事にどこかへ帰れたのだろう、と思うことにしたものだった。そんなことを思い出した。このアヒルさんも、なんとか、生き延びてほしいものだ、と願う。
そのイタリアン・レストランの昼食は、「バイキング形式/All You Can Eat」で、なんと、ワインも飲み放題だったから、「アル中」時代には、¥1500くらいもしたから、そうしょっちゅうでもないが、通ったものだった。「松山御殿」のもともとの主は、最後の琉球王、尚順氏、米軍が迫っても、南部に逃げ延びることを拒み、爆撃によって亡くなった、と伝えられている。趣味人として知られていて、海岸の別荘、というから、「波之上」ではないかと思うが、そこで収集したタカラガイの貝殻のコレクションを見学した際のことを、柳田国男が書いている、尚順氏の最期を伝える悲痛な一節とともに。


今日も遊水池を通り抜けていくことにしたから、旺盛な繁殖力でフェンスに絡みついたタイワンクズ(マメ科)を観察。遠くからでも、なかなか強烈な香りが感じられるようにはなったが、まだ「盛り」ではなさそう。


「ファイト・フォー・ラヴ/愛のために、闘え!」・・・私は「愛」な何たるかを知らない人間だが(笑)、でもあなたが「愛」のためにす・ら・闘わねばならないというのなら、よし、闘ってやろうじゃないか?

演壇の右後ろ側に、真っ赤な旗、「Fight for Love」と書かれているのが見えるでしょう?近くには、レインボー・フラッグも・・・きっと、「LGBTQ」の人たちなんだと思う。
We are Queer. we are here. we will be here. every year.
ニューヨーク、「セント・パトリックス・ディ・パレード」、主催者によって、「ゲイ・リプ」を訴えた横断幕が禁じられたことに抗議して、座り込みが行われた時の「コール」だったと聞いている。鮮やかな「脚韻」か踏まれていて、とても印象深かったから、覚えている。・・・断っておくが、「多様性」なんて言葉で、称揚してるわけじゃないよ。・・・集合の要素の一つ一つは、集合の性質について、語ることができない。そんなことをすれば、「階層侵犯」を構成し、「自己言及パラドックス」を帰結する、平たく言えば(笑)、「おお、この集合は『多様』であることよ!」なんて感想を述べるのは、あくまで集合の外部からの、「上から目線」になってしまうからね。私たち、個々の集合の要素は、自分と、自分の隣人が、異なっていることの利益を、いかなる形でも、証明できない。だが、ここでも(笑)、生物学的隠喩を用いて、「反証」を挙げてみよう。オオバコの花は、「雌蕊先熟」といって、雌しべと雄しべの、熟する時期が変えてある。「自花受粉」を避ける工夫だと言われている。雌雄同株異花のゴーヤーも同様。スミレはほとんどが「自花受粉」で繁殖するが、それでも媒介昆虫を誘引する花をつける。「次善の策」として、「他花受粉」を想定しているからだと言われる、等々。ほどよく異なる遺伝情報が混和されることが、生存のために、好ましい影響を及ぼすらしいのだが、もちろん、そのた・め・に、選択が行われた、などという「因果論」は成り立たない。我々に出来るのは、「自然」は、どうやら「ゼノフォビア/自分と異なるものを憎悪する志向/外国人嫌悪」より、「ゼノフィリア/自分と異なるものを愛する志向/外国人愛好」を、優先しているらしい、優先するもののみが、生き延びることができたのだ、と解釈することだけ(笑)。
・・・
また、関係ない話をダラダラして、お茶を濁してしまったけどね、もちろん、読者は(笑)、「語られなかった事柄」からこそ、「語られるべきであった何事か」を、読み取っていただかなくてはいけない(笑)。


すっかり「静けさ」を取り戻した(笑)、サンデー・モーニング。「とさかのそろった二号」さんのお食事ど、羽繕い。このあと、猫たちにごはん出して、自分も食べて(笑)、そして、「投票所」行きます。



私は多分、「諦め」のいい人間で、というか、「メランコリー者/鬱病患者」らしく(笑)、来たるべき「未来」を、あらかじめ、「不幸」に塗り込めておくことで、ようやく安心して息ができる、みたいなところがあるようで、・・・、この何週間か、耐え難く醜悪な、不快極まりない「言葉」たちを聞かされることもあったが、一方で、忘れ得ぬほど美しい、珠玉のような、いや、「珠玉」って見たことないけど(笑)、瞬間にも、何度も立ち会うこともできたのだから、・・・、「醜悪さ」と「美しさ」が、プラスとマイナスの加算のように、相互に打ち消し合えるものとも思えないが、それでも、収支決算としては(笑)、後者「美しさ」の方が、やや凌駕している、・・・、きっと、あまりにも「醜悪」なものに対しては、「トラウマ」として「無意識」のなかに刻み込まれることはあっても、そうでない限り、意外に早く忘却されてしまう、という、「安全装置」が作動してくれているのだろうね、そんなだから、ほら、私はもうすでに、遠い目をして(笑)「懐古調」でお話ししているでしょう?、それもまた、あらかじめ「絶望」を予期して、その際に受けることになるダメージをできるだけ軽減するための、「防衛機制」なんだと御寛恕下さい(笑)。・・・、「絶対に諦めない」、などというのは、私のようにココロの弱いものには、絶対に(笑)無理な注文であって、ちょうど、
「私を忘れないで!」
が、そうであるように、実は、忘れてしまうに決まっている、諦めてしまうに決まっているからこそ、わざわざそんな言葉遣いをする、とも言う。でも、「忘れる」とか「諦める」とかいうのは、是非、善悪の問題ではなくて、むしろ、ヒトは、忘れたり、諦めたりすることで、ようやく生き延びてこれたのかも知れないじゃないですか?
はい、投票、行ってきましたよ。で、これだけの言い訳して、なにか「辞世の句」でも詠んだ気になって、そうじゃなければ、何時間か後の「開票速報」なんて、怖くて正視できないのですね。・・・何も手につかない時間を潰すために、今はちょっと遠くに住むことになってしまったわんちゃんに会ってくることにします。では、もし、ラッキーなら、また、後ほど・・・。


あなたの新たな住み処は、道路からは近いのに、意外に山深いようで、オオシマゼミの声が盛んに聞こえる。柄にもない「選挙運動」とかで、ご無沙汰してごめんね。全身で「歓迎」の意を表現してくれて、嬉しい(笑)!


オオシマゼミの声、クワズイモの葉で休む蝶は、リュウキュウミスジ、そこに、オオシオカラトンボが飛来、少し離れた牛小屋の上の電線に、リュウキュウツバメ。スマホぶら下げて歩くだけで、これだけの収穫(笑)。


空に向かってスマホ構えている人たちがいてやっと気付く(笑)。地面が濡れているから強いにわか雨が降ったみたい。米軍施設の有刺鉄線が映り込んでいるが、特に「意味ありげ」に演出したわけじゃないから(笑)。

フェンス際を歩いていくと、コサギ(サギ科)の集団が、海から陸へと通過するのが見えた。もう十年前、「北部訓練場」の「座り込み」に行くのに、お客様をお乗せしたことがあって、「やんばる」の、ちょっとした稲作地帯、あれはダイサギ(サギ科)だったかな、水田から水田へ、道路を渡って飛び去るのが見えた。助手席に座ったそのお客様、「鷺が横切ったら、いいことあるって、言いますよね!」、と言ってくださった。私としては(笑)、彼女が助手席に座ってくださっていることが、すでにして「いいこと」だったので、なるほどと納得したのを覚えている。・・・今日は、「唯物論」の徒も、思わず「縁起」を担ぎたくなる事情のある日だから、そう、虹もかかったし、鷺も通り過ぎた!・・・それだけのことで、しばし、心が軽くなった気さえしたものだ(笑)。


今日は旧暦八月三日、中潮、もう日が暮れそうな頃だから、満潮も近いのだ。さっきから、渡り鳥の「幽玄」な声が聞こえていたが、突堤の先端近くまで来て、ようやく見つけた。ダイゼン(チドリ科)のようである。

チドリ科のムナグロとダイゼンの識別は、とても難しそうなので、海辺にいたら後者、水田や川、淡水にいたら前者、と勝手に決めることにしている(笑)。おそらく鳴き声も似ていると思われ、柳田国男によれば、「河童」の鳴き声に擬せられたのは、ムナグロだというから、きっと、今聞こえている、こんな風な声だったんだろう。


旧暦八月三日、中潮、もう日没近いから、ほぼ満潮。その「幽玄」な声に誘われて、突堤の先端まで歩いてきて、ようやく、こうして岩の上で休んでおられるところを発見。チドリ科のダイゼン、と思う。

ダイゼン、は「大膳」と書き、江戸時代だったか、幕府の料理番の役職名、どうも、この鳥も、その様な「支配階級」の間では(笑)、食用に供されていたらしい。オスの夏羽のデザインが、前面が漆黒、というなかなか派手なもので、非常によく似た近縁種、ムナグロ、の命名の由来もこれ。これら二種の識別は、素人には困難、図鑑には「~の方が、やや大きい」などと、こともなげに書かれているが、そんなもの、「棲み分け」を行っているはずの近縁二種が、並んで立っている、みたいな稀有な偶然がない限り、無理だろう(笑)?・・・だから、素人としては、やむなく、どうも、ムナグロの方が「淡水」を好み、ダイゼンは海辺にいることが多いみたいだから、水田や池で見つけたならムナグロ、今日のこれみたいに海岸にいたならダイゼン、と形式的に(笑)、決めることにしている。両種の鳴き声も、似たものであるらしいが、柳田國男の記述によれば、古来、民話の中で「河童」の鳴き声、とされてきたのは、川辺にやって来たムナグロのものだったらしい。なるほど、その様な想像を膨らませてしまうぐらい、「幽玄」なものだったのだ。


「生きてて、よかった!」の、ちょっと笑いの取れそうな、画像ファイルも、ちゃんと今朝から用意してあったんだけどな(笑)、残念だったね。では、お約束通り、ベンヤミンと魯迅に登場してもらおう。

「生きてて、よかった!」の、ちょっと笑いの取れそうな、画像ファイルも、ちゃんと今朝から用意してあったんだけどな(笑)、残念だったね。では、お約束通り、ベンヤミンと魯迅に登場してもらおう。
さっき、米軍泡瀬通信施設のところで、見事な虹を見たんだ。それから、フェンスを越えて、コサギ(サギ科)も数羽、飛び去って行った。「鷺が横切ると、いいことあるって、言いますよね!」という話をしてくれた人もあったんだけどな。だから、これはいい徴だ、とばかりに、「唯物論者」にもあらず(笑)、ちょっと、はしゃいでた。
八年前のときは、「よかった!これで『沖縄』に絶望しないですんだ」みたいな感想を持った記憶があるけど、今から思えば、それも傲慢に過ぎる。数十万という「ヒト」の個体の挙動を問題にする「投票」などというものは、「因果律」を論ずるには、母集団が小・さ・過・ぎ・る・、「確率論的過程」。「当たるも八卦、当たらぬも八卦」、とか、「時の運」としか言いようのないものだと、思っています。「勝った」からどうだ?、とも言えないかわりに、「負けた」からといって、誰かに「落ち度」があったわけじゃない。ね、今、私、自分の胸に手を当ててみて、じゃあ、あんたは「沖縄」に「絶望」したのか?、と問うてみて、いや、全然そんなことないのに、自分でも、驚いています。ここ数日、いや、数週間、耐えがたく醜悪な事どもを、見せつけられながらも、キラリと光る、限りなく美しい、と思える瞬間が、いくつもあったからね!・・・少なくとも、老い先短い私にとっては、「冥土の土産」として(笑)、とても素敵なものを受け取ることができた、と感謝しているくらい。いっぺー・にふぇー・でーびる、ってやつだ。
昨日、演説の最後に、デニーさんは、「立ち上がりましょう!」と言ったよ!、それは、「勝ち/負け」にかかわらず、依然として有効だ。はい、わたくしもまた、老骨に鞭打って(笑)、「立ち上がら」せていただくことにいたしますよ!








まもなく聞こえなくなるだろう、リュウキュウアブラゼミ、クマゼミに代わって、この「じゅわ、じゅわ」みたいな声のセミ、クロイワツクツクと、その近縁種オオシマゼミは、十一月頃まで鳴き続ける。


沖縄本島、セミの出現時期、鳴き声


例の如く、「送迎」途上の、ショッピング・モール駐車場。手元にはスマホのカメラしかないからね(笑)。旧暦八月四日の月、月の入二時間前。


「お仕事」中に何度か通りかかって、お見かけしたのだけれど、ほら、もうこんな暗くなってからしか来れませんでした。スマホのライトが眩しいね。「茶」母、と「白」親子、のお三方。


「ゴールデン・シャワー」などという呼び名は、趣がない、などと難癖をつけていたが(笑)、朝の陽光に輝くところをこうして目にすると、それもアンフェアなことに思えてきた(笑)。

「南蛮」は言うまでもなく「中華思想」に由来する「南」に対する「蔑称」だが、同時に「アンビバレント」な「憧憬」が含まれているだろうことも、見やすい道理(笑)。「皁莢」と書いて「サイカチ」と読む。アカシアなど北の寒い地方に生育するものもあるから、一般化できないかも知れないが、南には、「高木」になるマメ科植物が多いように思う。デイゴも、ホウオウボクも。英語名は「ゴールデン・シャワー」、「植民地主義者」らしい安易な命名だと、難癖をつけたい気持ちだったこともあるが(笑)、こうして、朝の陽光に輝くさまを見ていると、それもアンフェアな気がしてきた(笑)。フロイト先生も、柳田國男翁もおっしゃっているように、「黄金」は、洋の東西を問わず、「糞便」の隠喩。沖縄の言葉では「黄金」は「くがに」と読み、植物の名に冠されることも多い。当地からの「移民」の人たちが南米から持ち帰ったと言われる「イペー/パウダルコ」の黄花品種も、そう呼ばれていたと思う。今、この遊水池遊歩道、左手にはタイワンクズ、やはりマメ科、の紫色、藤色、そして、右側には、このナンバンサイカチの「黄金」色に彩られている。あと二月もすれば、トックリキワタ(アオイ科)が、ピンク、あるいは真っ白な花をつけ始めるだろう。まさに、「常夏」と言ってよい(笑)。


遊水池のアヒルさん、おや?姿が見えないと、「心配」したが、ほら、堰のところで「甲羅干し」されているのであった(笑)。


「トワイライト・ソング」というには若干遅いが、こうして、まだ午前中の遊歩道を歩いていると、いたるところ、頭上から、鳥たちの声が、降ってくる。

「白頭鵠仔」の台湾語の読みから、同地の植民者であった日本人は、この、「内地」にはいない愛らしい鳥を、「ペタコ」と呼んだらしい。1980年代に、大挙して当地に渡ってきたらしく、今では、メジロ、ヒヨドリをしのいで、圧倒的な「優占種」となっているように見える。シロガシラ(ヒヨドリ科)。


ここの畑に面した長い長い農道は、片側に高木が茂って日陰を作ってくれているから、絶好の「お散歩」道。山地性のオオシマゼミ、平地性のクロイワツクツク、どちらも聞こえてきたぞ!


九月も中旬ともなれば、日差しも多少は和らぐ・・・昨夜と同じお三方に、「お仕事」前に(笑)、お会いすることができました。


むしろ明るすぎると滲んでしまってうまく撮れないらしい、スマホのカメラでは。雲に隠れかかって光が弱まったところ。旧暦八月五日の月、月の入二時間前、海辺の農道。


今日の、遊水池、アヒルさんは、おや?こんな近くで、日光浴(笑)。さすが「家禽」だけあって、ヒトに臆するところが少ない、でも、気をつけてね!


沖縄都市モノレールでは、駅に近づくたびにその地ゆかりのメロディーが流れる。「芭蕉布」が聞こえてくると、だから、たちまち居ながらにして、「センチメンタル・ジャーニー」になってしまう(笑)。

「芭蕉布」歌詞:
海の青さに空の青 
南の風に緑葉の 
芭蕉は情けに手を招く 
常夏の国 我した島沖縄
首里の古城の石だたみ 
昔を偲ぶかたほとり 
実れる芭蕉熟れていた 
緑葉の下 我した島沖縄
今は昔の首里天加那志
唐ヲゥー(唐苧)つむぎ機を織り 
上納捧げた芭蕉布 
浅地紺地の 我した島沖縄
・・・

「芭蕉布」夏川りみ
・・・
セイディ・スミス、というジャマイカ系の出自をもつ英国人作家、・・・いわゆる「ウインドラッシュ世代」、これはジャマイカから英国本土に向かった最後の移民船に由来する名称だが、1973年時点で、英国旧植民地の住民であったものは、すべて英国国籍が取得できる、という措置がとられ、就業機会を求めて、大量の旧植民地住民が、渡来した。「パンク・ロック」の登場は、1976年、セッ●クス・ピストルズ「アナーキー・イン・ザ・UK」を嚆矢とするが、その底流には、「レゲエ」のリズムが息づいているのであり、まさに、「ウィンドラッシュ」世代がもたらした「移民文化」だっのである。・・・時は流れ、セイディ・スミスはその「ウィンドラッシュ世代」の二世、子供たちにあたる世代の作家。「ホワイトティース」という作品には、どうして、こんな若い人が、そんな1980年代あたりのロンドンの風物はもとより、政治的、文化的状況を活写できるのか、舌を巻いたものだ。・・・「モッズ」系の若者が、「エホバの証人/JW」の熱烈な伝道者になる、過激な「動物愛護団体」が「状況主義(シチュアショニスト)・インターナショナル」の綱領を掲げていたり、インド帝国陸軍軍人として、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線に従軍した経験をもつムスリムの男が、カレー店のウェイター、その妻が、内職で縫製の仕事を請け負っているのが、どうやら、「キングスロード」のヴィヴィアン・ウェストウッドの「パンク・ファッション」のブティックを彷彿とさせるものであったり、・・・で、登場人物の一人が、口ずさむのが、
Ah, but I was so much older then,
I'm younger than that now
「あの頃僕は今よりずっと『老成』していたんだ
今の方が、もっと『若い』と言ってもいいくらい」
ボブ・ディラン「マイ・バック・ペイジズ」、・・・「公民権運動」期の「プロテスト・フォーク」歌手として登場した彼が、言わばその「プリーチャー/伝道者」としての立場からの「転向」を表明したものだ、と言われる。たとえばこんな一節、
Fearing not that I'd become my enemy in the instant that I preach
「私が、説教じみたことを言い出すや否や、自分が、他ならぬ自分の『敵』になってしまうんじゃ、という気がして」
Good and bad, I define these terms quite clear, no doubt, somehow
「『善』と『悪』という用語を、私はきわめて明確に、定義出来るんだ、と思っていた」
同じく、1970年代の「極左派」からの、「転向者」を自認している筆者は(笑)いたく感激し、さっそく「アマゾン」でCDを注文した。一年半にわたって、那覇から、この島の南端に位置する「職場」へ連日、・・・連日なのはもちろん「お仕事」のためではなく(笑)、海岸に捨・て・ら・れ・ていた「廃鶏」たちの「飼育係」としてだが、山を超えて(笑)運んでくれた、価格¥16万の中古、軽自動車が車検にあたって過分の費用がかかることから、廃車のやむなきに至った、珍しくモノレールを利用しているのは、その修理工場から、愛車に別れを告げた帰路なのである。「マイ・バック・ペイジズ」のCD、そればかり聴いていたのが、ある時、カーステレオの隙間に誤って落としてしまい、長らく諦めていたのだが、今日、廃車にあたって、修理工の方にお願いして、取り出してもらったのだ!・・・この曲を気に入っているミュージシャンは多いようで、例えば、ピアニストの板橋文夫、この人は、トラックの荷台にアップライト・ピアノをくくりつけて、辺●野●古のゲート前までやって来て、ライブを敢行してしまうような人、・・・そのライブ自体は、私のちょうど「引きこもり」時代(笑)に当たるから、残念ながら、見ていないのだが、この人と、「沖縄」との「縁」を最初に作ることになったのが、多分、またも(笑)「四半世紀前」のあるイベント、・・・そう、ここからが、ようやく「センチメンタル・ジャーニー」たる所以なのである。
名護市に住むことになってから程なく、当時は「海上ヘリポート建設」と喧伝されていた基地建設計画への、「思い」、当地の言葉では「うむい」と言う、当時はまだ知らなかったけど、・・・「断固反対」、だとか「許せない」、とか「連帯します」とかの、威勢の良い「紋切型/ジャーゴン」ではなく、「悲しい」とか「嫌だ」といった、もう少し情感の宿った言葉たちを、普・通・の・人たちに、書いてほしいと考えて、なるべく「穏便な」文体の、「私たちにはがきを書いてください」というチラシを作り、職場の輪転機を無断使用して大量に印刷、島内の、それ系の(笑)ライブハウス、居酒屋等々に、置かせてもらった、瀬嵩の「第一回『満月まつり』」でも配ったし、喜納昌吉の事務所にもお願いに行った。・・・そのチラシに最初に反応して連絡を取ってくれたのが、彼らは当時「携帯電話」を持たない「主義」だったから、はがきだったんだと思う、今帰仁て「はるさー/農人」をしている男の子と、喜如嘉で「芭蕉布」織の修行をしている女の子だった、私よりふた回りも若い人たちだったから、そんな表現を許してもらいたい。職場の予備校の応接室の扉を開けて、二人が入ってこられた日の光景を、今でも、明瞭に思い出せる。
喜如嘉の「機織り」の人たちのなかにジャズに詳しい人がいたらしく、板橋文夫を名護の、一軒だけ残っていた映画館を改装した場所、に招請した。ライブの最後に、皆がピアノのまわりに集まって、演奏に合わせて、「芭蕉布」を歌った。
「わした島、うちなー(私たちの島、沖縄)」
のリフレイン、歌っているほとんどが、「島ないちゃー」、「本土」からの移住者だったことは、少し笑えるけど、言いっこなし(笑)。
私は、その「女の子」のことが、多分、好きだった。もちろん、後に「鬱」を発症し、それをきっかけに「フロイト主義者」に「転向」した私としては、それが、単なる「転移症状」ないしは「同一化」の機制に過ぎないことを、知っているけれど(笑)。
・・・
参考文献(笑):ランベスから、クリックルウッドへ・・・セイディー・スミス「ホワイト・ティース」によるロンドン探訪、そして「だから、まるでぼくには何か守るべきものがあるかのような幻想を抱かせる」、ボブ・ディラン「マイ・バック・ページズ」の思い出


おそらく川の中を歩いていたのだが、人の足音を聞きつけて、慌てて堤のところまで飛ぶ。そこで頭をふりふり、歩き回る(笑)。冬場の滞在中には、毎日繰り返される光景。イソシギ(シギ科)の話。


一年半にわたり、この島の南の端にある「職場」まで、毎日、いや「毎日」なのはニワトリさんたちのお世話があったからだね、山を越え、運んでくれたこの小さな車と、お別れすることになった、記念撮影(涙)。


リュウキュウコクタン(カキノキ科)・果実・・・一向に進捗しないが、ここは、わたくしの「引っ越し」先、と目されている(笑)邸宅の庭。


「送迎」のお仕事に出る少し前に来てみる。さっきまで気配もなかったのに、こうしてみな出てきてくれたのは、私を「歓迎」するため?、だとしたら、嬉しいねえ(笑)!


グァバ、蕃石榴、バンジロウ/ばんしるー・・・馬場に隣接した邸宅の庭に、ほら、こんなにたくさん、実っていた。


旧暦八月六日の月、月の入三時間前。久しぶりに、海岸に出てみた。浪の音が聞こえるでしょう?


ガラス戸に張り付いている、ホオグロヤモリ(ヤモリ科)。もちろん、人の気配に慌てて隠れるのだが、閑人は(笑)、息を殺して、また、彼らがしびれを切らして動き出すのを、じっと待つ。


中天は薄雲に覆われていて、だからハレーションを起こさずにスマホで撮れたかも。月が隠れた間は、夕焼けをお楽しみください(笑)。旧暦八月七日の月、南中三時間後。


私が立ち去りかける素振りを見せると、動転をあらわにして、吠えること吠えること(笑)。「愛薄く」生きてきた(笑)老人は、それだけでもう、感涙を禁じ得ない(笑)。


一年半、行動を共にしてきた軽自動車に、別れを告げることになって、カーステレオの隙間に落ち込んでしまってたCD二枚、整備士さんに取ってもらった・・・

それが、J.S.バッハ/グレン・グールド「ゴールドベルク変奏曲」と、このポプ・ディラン「マイ・バック・ページズ」という、支離滅裂な取り合わせだったわけ(笑)。
参考文献(笑):ランベスから、クリックルウッドへ・・・セイディー・スミス「ホワイト・ティース」によるロンドン探訪、そして「だから、まるでぼくには何か守るべきものがあるかのような幻想を抱かせる」、ボブ・ディラン「マイ・バック・ページズ」の思い出
・・・
Crimson flames tied through my ears, rollin' high and mighty traps
Pounced with fire on flaming roads using ideas as my maps
"We'll meet on edges, soon, " said I, proud 'neath heated brow
Ah, but I was so much older then, I'm younger than that now(1)
Half-wracked prejudice leaped forth, "rip down all hate, " I screamed
Lies that life is black and white spoke from my skull, I dreamed
Romantic facts of musketeers foundationed deep, somehow
Ah, but I was so much older then, I'm younger than that now(2)
Girls' faces formed the forward path from phony jealousy
To memorizing politics of ancient history
Flung down by corpse evangelists, unthought of, though somehow
Ah, but I was so much older then. I'm younger than that now(3)
A self-ordained professor's tongue too serious to fool
Spouted out that liberty is just equality in school
"Equality, " I spoke the word as if a wedding vow
Ah, but I was so much older then, I'm younger than that now(4)
In a soldier's stance, I aimed my hand at the mongrel dogs who teach
Fearing not that I'd become my enemy in the instant that I preach
My existence led by confusion boats, mutiny from stern to bow
Ah, but I was so much older then, I'm younger than that now(5)
Yes, my guard stood hard when abstract threats too noble to neglect
Deceived me into thinking I had something to protect
Good and bad, I define these terms quite clear, no doubt, somehow
Ah, but I was so much older then I'm younger than that now(6)
My Back Pages(1964)/Bob Dylan
・・・
あまりよくわからないところもあるけれど、わからないところはわからないままに、拙訳を試みると(笑)、
・・・
紫色の炎が、ぼくの両耳を貫いて、上り立ち、そんな焼け付く道路の上に、強力な「罠」が炎といっしょに跳ね返る、ぼく自身の思考を、手掛かりにしているみたいに
「そのうち、そのがけっぷちで出会うことになるだろうよ」と、その熱気の中で、ぼくは誇らしげに、語ったものだった
ああ、だけど、あの頃ぼくはもっと年寄りじみていた、それに比べたら今のぼくは、もっと若いんだ、と言ってもいいくらい(1)
浜に半分打ち上げられた「偏見」が、飛びあがる、「あらゆる憎悪を打倒せよ」と、ぼくは叫んだよ
人生は「黒」と「白」にはっきりと塗り分けられるんだという嘘を、ぼくは心の底から信じ込んでいたし
マスケット銃を携えた歩兵たちに関するロマンチックな諸事実は、実は、深い根拠をもっているんだと夢想していた
ああ、だけど、あの頃ぼくはもっと年寄りじみていた、それに比べたら今のぼくは、もっと若いんだ、と言ってもいいくらい(2)
女の子たちの顔は、虚偽の嫉妬心から出発して、古代の歴史を彩る政治学を暗記すべく、造られていく
思いもかけなかったことだが、エヴァンジェリスト/福音主義者たちの死骸になぎ倒されたりしながら
ああ、だけど、あの頃ぼくはもっと年寄りじみていた、それに比べたら今のぼくは、もっと若いんだ、と言ってもいいくらい(3)
自ら持って任ずる教授たちの言葉は、あまりにも深刻そうだから、笑い飛ばすこともできない
自由などというものは、学校教育における平等しか意味しないんだ、と、その言葉たちはほとばしり出る
「平等」、その言葉をぼくは、まるで結婚式の誓いの言葉みたいに発する
ああ、だけど、あの頃ぼくはもっと年寄りじみていた、それに比べたら今のぼくは、もっと若いんだ、と言ってもいいくらい(4)
兵士のような構えをして、ぼくは、雑種犬の一群を前にして、そいつらを躾けようとしているのだが
ぼくが、御託を述べた途端、実は自分自身の敵に成り下がってしまうんじゃないかと、恐れているのだ
ぼくの存在自体、混乱に満ちた船に引きずられている、船尾(とも)から舳先に至るまで、ことごとく反乱者で出来ているような船
ああ、だけど、あの頃ぼくはもっと年寄りじみていた、それに比べたら今のぼくは、もっと若いんだ、と言ってもいいくらい(5)
そう、ぼくの護衛は、警戒を怠らない、どんな抽象的な脅威だって、あまりにも深刻そうで無視できないからなんだ
だから、まるでぼくには何か守るべきものがあるかのような幻想を抱かせるに至る
「善」と「悪」、ぼくはこの言葉たちを、きわめて、疑いもなく、明確に定義したつもりだった
ああ、だけど、あの頃ぼくはもっと年寄りじみていた、それに比べたら今のぼくは、もっと若いんだ、と言ってもいいくらい(6)


どこかお痒いところはございませんか(笑)?、子ヤギお嬢さん、「大人」になったってことなのかな?私の指をしゃぶっても、噛まなくなってきたよ!黒ブタさん、すでに起床。金武湾は旧暦八月八日、小潮、上げ三分。


何かを「失う」のは、つらいことかもしれないが、でも、一方で、もうこれからは、「失ってしまう」のではないか?などと、心配しなくてよくなった、という意味で、心安らぐことでもあるのだ(笑)。

最盛期、猫26、犬2、亀1、・・・現在はずっと少なく(笑)、猫3、ニワトリ1、と暮らす、という愚かな経験をしてきたから、何度も彼らの「いまわのきわ」に立ち会うことになったから、「他者」の「死」に対する「アンビバレント/両義的」な心の動きというものは、「自己診断」としても、おなじみのものである。もう立ち上がることもかなわず、私の膝の上で、荒い息を吐きつつ横になっている彼らの被毛を撫でながら、あるいは、もう回復の見込みがなくても、水分が多少なりとも身体を循環すると、ほんの一瞬ではあるが、目の輝きさえ取り戻せられたような錯覚に囚われることもあるから、「リンゲル液」の「皮下点滴」を施すのだが、そんなとき、ただ、「死」を待つばかりの長い時間、想念は千々に乱れる。・・・「生き延びてほしい」と切に願っていたはずのものが、いざそれが、確定的に叶わぬものであることがわかってしまうと、このような親密な時間が、いつまでも続いて欲しい、と念ずる一方で、「宙づり」の時間がもたらす緊張に耐えられなくなって、いっそ、早く終わってしまって欲しい、という心の動きも検出されて、我ながら当惑してしまう。やがて、今、この被毛にくるまれた生暖かい生き物が、呼吸や拍動を止めれば、たちまちのうちに冷たく、よそよそしい物体に変貌してしまうのを知っているからでもあろう、・・・むかし、テレビ・ドラマのシーンによくあった、脈をとっていた医師が、瞳孔にライトを当て、壁の時計に目をやって「臨終」を告げる、ベッドに駆け寄る家族が叫ぶ、
バカ、バカ、バカ!、どうして死んじゃったのよ!
「死者」を、他ならぬ「死んでしまった」ことを「罪状」として、弾劾しているのである。・・・ナイジェリアの若い、と言っても、もう40代くらいかな?、の作家、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの「半分昇った黄色い太陽」は、1960年代末のビアフラ戦争に取材した作品だが、経済制裁による飢饉で、栄養失調に陥ったたくさんの子どもたちを収容する病院で、ボランティアで働く主人公の一人が、こうつぶやく、
「ときどき彼らが憎くなる。すぐに、死んじゃうから・・・」
だから、そのような葛藤に終止符が打たれる時が来ると、正直、ほっとし、ようやく息ができるように感じられ、そうして、止まっていた時間が、また動き出すように思えたりするのだ。
「死んでしまうのかも知れない」という、長い長い時間にわたる「不安」から、「解放」されたことを、正直に「祝福」しているとも言える。だって、すでに「失われてしまった」ものに対しては、もう二度と、「失われるかも知れない」と心配する必要がないのだからね。その「解放感」に浮かれて、てきぱきと片付けなどの作業さえ、出来るようになる。もちろん、「浮かれて」いることに対する、「罪悪感」には、しばしば襲われるけれど・・・。
それからしばらく経つと、ゆっくりと、「服喪」の時間、「愛の対象」喪失に対する、「抑鬱症状」がやってくる。突然、まことに「ぐらり」と音を立てるような風情で、深い「悲しみ」に襲われるのは、決まって、その生き物が、生前使っていた食器とか、爪を研いでぼろぼろになった壁とか、「失われた対象」を想起させる、「モノ」を目にしたときだ。
あらゆる「喪失」体験は、「死」の隠喩によって語られる。だから、「投票日」後初めての「ゲート前」に、早朝、向かう道すがら、例えば、支援者の方が、取外して片付けるのをためらわれたのだろう、まだ沿道に立てかけられたままで、翻っているオレンジ色の「のぼり」とか、あるいは「後援会」の建物なんだろうか、ずいぶん古い、従って、ずいぶん若い(笑)、国会議員時代の、ポスターのデニーさんの写真とか、そういったものが目に入ってくるたびに、それこそ「ぐらり」と心が揺れ、「ちくり」と痛みを感じていたのだ。
「服喪」の「抑鬱」に耐えきれなくなると、人は容易に、「躁的防衛」を採用し始める。「ソンナノヘッチャラサ」みたいに、「喪失」の打撃を軽減しようとする機制だけれど、困ったことに、ほぼ必然的に、「愛の対象」であったものの価値を切り縮め、冷笑的に罵倒することを含んでしまう。
「彼の人望にも翳りが見えてたんだな」、「政策にも問題がなかったわけじゃない」、「読みが甘かったんだよ」、等々、・・・私はと言えば、そんな「手のひらを返した」ような態度の変容が、「不義理だ」と感じるよりも、もともと「選挙」なるものが、「当たるも八卦当たらぬも八卦」の「確率論的過程」と思っているから、「因果論」に拘泥する必要を感じないからだろう、そういう、「死者を、『死んでしまったこと』そのものを咎として断罪する」ことから、免れているようで、そんな言葉たちを耳にすると、ただただため息が出る。
翁長さんの遺志を継いで、「新基地建設」を拒否し続けているから、デニーさんを支持しているのはもちろんだけど、本心を言えば(笑)、私はこのひとのことが、好きでたまらない(笑)!、・・・私は多分(笑)「トランス・ジェンダー・レズビアン(TGL)」、度し難い「男嫌い/マン・ヘイティング」の傾向があるにも関わらず、この人の物腰には、何一つ、威迫的、攻撃的なところが感じられなかった。結婚式の司会の仕事を長らくされていただけあって、演説のリズムは、本当に惚れ惚れするほどだ。
デニーさんは、私とほとんど同年代、復帰前の沖縄と高度成長期の阪神間では、同列に論じられるわけがないが、時代全体が「貧しかった」記憶は共通しているはず。貧乏人には「歯列矯正」なんて縁がなかったからだろう、彼は、私と同じくらい(笑)歯並びが悪い、「ストラトキャスター」を抱えた写真を目にするけど、私も若い頃は「ロック・ギタリスト」になりたかった。デニーさんとは違って、おそろしく下手だったけど(笑)!
「選挙演説」で、「自分は何のために生きているのか?、わからなくなってしまいました」などと回想を語る候補なんて、他にいるかい?
はい、今日は、そんな訳で(笑)、底なしの「ベタ褒め」、「オマージュ」、「スタンディング・オベーション」をやってみたくなった(笑)。


「ゲート前」の、やはりフェンスに絡みついた、タイワンクズ(マメ科)、しかし、ここでは、まだ花時ではないようだね。


「軍人」さんかどうかわからないけど、「ヒスパニック」系と思しきお嬢さん、私がヤギさんに指をなめさせていると、「No bite?/噛まない?」って尋ねられた。ええ、もっと小さい頃は、・・・

よく噛まれたものでしたが、最近は、・・・とか答えたかったんだけど、そんな英語、出てくるわけないじゃない(笑)?、えっと、否定疑問文なんだけど、答えは、「噛まれない」なら「No」で、とか思い悩んでるうちに、時間が経ってしまいそうだから、ただ、にやにや頷くにとどまった(笑)。
・・・
少し涼しくなったからなのか、黒ブタさんの動きが、やや、活発になったように思われます(笑)。金武湾は、旧暦八月八日、「上弦」、小潮のほぼ満潮。グンバイヒルガオ(ヒルガオ科)が、朝咲いて夕方閉じるのだが、まだ咲いている。


蝉の声を録音しようとしたら、嘉手納空軍基地所属F15、三機編隊の爆音が数十秒、カメラマンが、「基・地・反・対・派」だからって、出来すぎの偶然?そしてクロツグ(まーにー)の樹。


お散歩に連れ出したときは、「不承不承」(笑)みたいな感じだったのに、帰ろうとすると、まだ歩きたそうに、リードを引っ張る。ま、そんなこともある(笑)。


何度も何度も、「一天にわかにかき曇り」、激しいにわか雨、そんな一日だった。旧暦八月八日の月、南中一時間後。


旧暦では、七月、八月、九月が「秋」、その真ん中だから、八月が「仲秋」、つまり、あと五日ばかりで「明月」になる。旧暦八月十日の月、南中一時間前、ディスカウント・スーパーの駐車場。


いつもながら、これは、あまり本文とは関係ない、まもなくさることになるだろう、うちの屋上からの眺め。グレゴリオ暦2026年9月21日、日没が、あまりに美しかったので(笑)。


玉城デニー知事、9月18日、「しまくとぅばの日」、にあたってのごあいさつ。「9/く」、「10/とぅ」、「8/ば」という語呂合わせで、2006年に制定された、とのこと。
沖縄のことば(しまくとぅば)/沖縄県ホームページ
・・・
「植民地主義」本国から、「植民地」へと移住してきた者には、よくあることだが、自らが勝手に抱いていたに過ぎない「幻想」が破れたからと言って、それを「対象」の罪として断罪し、「逆恨み」してしまう。タヒチに移住して、発狂したまま死を迎えたフランス人画家、ポール・ゴーギャン、とか、あまりよく知らない人だから、悪くは言いたくないが、きっと、「現地人」に悪態をつきたい気持ちになったことがあったに違いない。ラフカディオ・ハーンは、「英国植民地主義」にとって、すでにして「マイノリティー」たるアイルランド系であり、ギリシャの孤島に駐留中の英国軍人と、「現地人」の間に生まれた、という出自だから、この定義には当てはまらないが、日本に来る前に長らく住んだカリブ海、マルチニック島を描いた作品には、はやり、その土地を、愛していいのか憎んでいいのかよくわからない、みたいな「葛藤」を読み取ることができると思う。イギリス人、ジョージ・オーウェルは、英領インド帝国の版図に含まれていたビルマ、現・ミャンマーに生まれて、その地で警察官という、権力的な仕事に従事していた。彼が「現地人」に注ぐ眼差しは、同じく、「アンビバレント/両義的」なもので、愛惜とともに、嫌悪感と、そして、そんな嫌悪感を抱いてしまったことに対する自責の念とが、ないまぜになったものに違いない、と思う。
私事を語れば、私もまた、「沖縄」に住むようになってから、ほどなく、「鬱病」を発症して、「ひきこもり」に退行したのだけれど、それもまた、かつて「愛の対象」であった、「愛の対象」であると思っていた、この土地への「幻滅」、がかかわっていたはずだ。・・・「亜熱帯の『常夏』の楽園」、「時間がゆっくり流れる島」なんていう、旅行代理店のコマーシャルみたいな触れ込みを、信じていた、とでも言うのだろうか?「青い鳥」の童話ではないが、「ここ」にはな・い・ものが、「そこ」にはあ・る・に違いない、というのが、「幻想」にほかならない、そんな訳があるはずがないのに、人は易々と、そんなトリックにひっかかってしまうものらしい。
そんなだから、私もまた、「しまくとぅば(島言葉)/うちなーぐち(沖縄口)」を、憎んでいたに違いない、「ないちゃー(内地人)移住者」であるにもかかわらず、ことさらに「あきさみよー」などと言って見せる人たちを、みずからがいかにその土地に「同化」できているかを、自慢して見せる、浅ましい振る舞いだと、軽蔑すらしていた。
でも、「ひきこもり」が十年に及んできたころには(笑)、さすがにそうも言っておれず、おそらく「憎み続ける」ことにすら、疲れてしまったのだろうか、・・・純然たる「うちなーぐち」とは全然異なるが、若い人たちが用いる、「うちなー・やまとぅぐち(沖縄・大和口)」、例えば、「とても、大変」を意味する副詞、「でーじ、○○」、「しに、○○」、「○○の振りをする」にあたる「○○じらー」とか、・・・職場の予備校の生徒たちは、「ないちゃー」であることが分かっている私のようなものに対しては、「標準語」的な言葉で話しかけてくれるが、自分たちの間では、もっぱらこの言葉だから、いくつかの語彙は、自然と覚えてしまったし、そんな言葉を話す子供たちを、「可愛い」とすら感じるようにさえ、なってきた(笑)。今でも、辺●野●古のゲート前で、私たちを「規制」してくださる、沖縄県警機動隊の若い警察官たちの会話を小耳にはさんでも、あるいは、私たちを罵倒しに来る「右翼」の街宣車の若者さえも、私語はそんな感じだから、我にもあらず、懐かしく、微笑ましい気持ちになってしまう。そう、十年、二十年という歳月が、私をして、「うちなーぐち」のみならず、「沖縄」的なるものの多くと、「和解」させてくれたのである(笑)。
高良勉氏の入門書で、いくつかの語彙を覚えたのも、伊波普猷や比嘉春潮の書物で、沖縄方言の、音韻規則などを学ぶようになったのも、その頃だ。もちろん、わが(笑)柳田国男翁も、沖縄方言に対する誤解に反駁すべく、多くの文章を書いている。でも、実際に喋ることは、ぜんぜんできないな(笑)。「だからよー」という、あいまいな同意を示す受け答えも、絶妙なタイミングで「うちなーんちゅ」が用いる場面に遭遇すれば、ほとんど感動するし(笑)、真似てみたいものだとは思うが、どうしても、口をついて出てくる、ということにはならないのだな。
私は、「関西」に生まれ、その地で、人生の三分の二ほどを過ごしてきたから、もちろん、「関西弁」を、喋ることができるが、それは決して「母語(マザー・タン)/Mother Tongue」ではない。両親はともに、北陸地方からの移住者で、そんな人たちにありがちなことだが、自分たちの「方言」を恥じていて、隠そうとする。重ねて彼らは二人とも「教師」だったから、ますます、「標準語」というものに、憧憬を抱いていもしたのだろう、そんな言葉、もちろん、彼らが「標準語」だと思・っ・て・い・る・言葉、で話し、だから私の「母語」は、あるいはどこにも存在しない、架空の、「無国籍」的な言語だったかもしれない。子供の頃は、それを恥じていたかもしれないが、今となっては、それもよかったんじゃない?、くらいに達観できるようにはなった。人は、というか生き物は、「無理由的」に、ある場所に生まれてくるのであって、それを「選び替える」ことは、出来ないのだからね。
私が、当地にやって来たばかりの「四半世紀前」(笑)は、近所の公園のまわりに、家財道具一式を詰め込んだ軽バンを路上駐車して、そこに住み着いているご老人方が、たくさんいらっしゃった。いつも手にしている「さんぴん茶」のペットボトルには、泡盛のさんぴん茶割りが詰めてあるらしく(笑)、つねに酔眼で、犬の散歩にやって来た私に、上機嫌で声をかけてくださったものだ。その言葉が、ことごとく「うちなー口」だったから、私には全然理解できなかったから、失礼のないように、あいまいにうなずいているしかなかった。・・・そんな私だから、「評価する」なんて僭越の極みだけれど、デニーさんの「うちなー口」は、美しい。身振り、手振りとあいまって、流れが、実に「自然」だから、決して「付け焼刃」ではないことがうかがわれる。もう、遅きに失しているが(笑)、学びなおしてみたい、というこれまで何度も決断しては、ちっとも達成できなかった「思い」が、また頭をもたげてきたりする。


旧暦八月十一日の月、南中。・・・ほとんど「予定通り」に、「鬱」の「リバウンド」がやって来て、「生きた心地がしない」と呟きつつ、朦朧と生きています。だから、この月も、何処で撮ったのか覚えてない(笑)?


「鳥」と言うのは一般にそうなんだろう?首が上下に大きく動くから、近接撮影は困難(笑)。それでも、一年ばかりの付き合いで、カメラマンも上達した?


お久しぶり!ニンジン、持ってきましたよ。「お仕事」、また(笑)クビになるみたいだけど、あんたたちには、会いに来るからね!・・・空には旧暦八月十二日の月。


旧暦八月、つまり「仲秋」、その十二日の月が、久しぶりのほぼ快晴の空に昇る。ということは、あと三日で、「名月」、おや?この人、三日後も「生きてる」つもりだよ(笑)?


では、今度は「コクサイドオリ」センチメンタル・ジャーニーね!文字通り、「走馬灯」のように流れていく、この一年半の記憶、おそらく最・後・の(笑)「社会復帰」の試みだったんだろうな!

西加奈子という作家を、私は大変愛好しておりまして、「I(アイ)」という作品があります。「アラブの春」敗北後のシリア内戦で孤児となった少女が、日本人夫婦の「里親」に引き取られる、その少女の語りで物語は進行する。来たるべき「引っ越し」と「終活」(笑)のために、ほとんどの蔵書を処分してしまったから、手元になく、うろ覚えで書きますから、不正確なところはご容赦されたい。語り手の少女が、「テヘランでロリータを読む」という書物に、非常な感銘を受けることが記されますが、その言及は、いかにも唐突で、作品全体のバランスを崩してしまっている、という「評価」も可能なんでしょうが、私としては、そのような「破綻」、「亀裂」からこそ、読者は、語られなかったかも知れない何事かを読み取ることができるのだとしたら、なんら弱点ではない、と考えています。この作家がしばしば「中東地域」をめぐる諸事件を題材に取り入れるのは、伊達や酔狂ではないでしょう。彼女は、「イスラム革命」前夜のテヘランの病院で生まれている。米国の介入で成立したパーレビ王朝末期、彼女の父親を含む「西側」企業の駐在員などは、特権階級を構成していたはずだ。親切だった病院の先生たちが、おそらく、その後のホメイニ政権から、「親米派」として迫害されることになったであろうことが、痛恨の思いで、しかし淡々とした筆致で書かれたエッセイを読んだことがあります。幼少期、カイロにも住んでいたようで、後にやはり「アラブの春」、「ムスリム同胞団」を主力とする革命派が、ムバラクを打倒、短命な民主政権を実現しますが、その混乱の中で、イスラム派がコプト系キリスト教徒の住民を襲撃する、という事件が起こった。「サラバ!」という作品には、ケジラ島という、やはり海外企業駐在員たちが暮らす高級住宅地、豪邸の用務員だった人の息子が、たった一人の「現地人」の友となるのだが、彼の一家が、コプト教徒だったことを思い出し、居ても立ってもいられない気持ちで、現地に向かう主人公が描かれています。
「テヘランでロリータを読む」の著者は、アザール・ナフィシという女性、日本で言えば「全共闘世代」にあたる年齢で、パーレビ王朝末期の、リベラル派がもっとも台頭した時期、テヘラン市長を務めた人物を父親にもつ。「ベトナム反戦運動」最盛期の米国に留学、オクラホマ大学では、「極左派」の潮流に加わっていたようです。「イスラム革命」のただ中に帰国、テヘラン大学をはじめとするいくつかの大学で英米文学の教鞭をとる。親ソ派共産党の「ツーデ党」、「新左翼」と言うべき極左派の「フェダイーン・ハルク」、イスラム主義的マルクス主義派の「ムジャヒデン・ハルク」などの左翼諸党派、そして、さまざまな色合いのイスラム派、それらの連合体が、互いに競合しつつ、「イラン革命」を牽引したのだが、次第に、イスラム派の中でも決して主流派ではなかったはずのホメイニ派が、他党派に激しい弾圧を加えつつ、台頭してきた時期だった。この作品のクライマックスは、「ギャツビー裁判」と題された章、ナフィシ教授の教室には、上に述べたような、左翼からイスラム派の全党派、そして、「王党派」とひとくくりにされかねない「ノンポリ」まで、あらゆる傾向の学生たちがそろっていた、そんな稀有な時期だったようです。教授が教材に、フィッツジェラルド「グレート・ギャツビー」を選ぶや、ホメイニ派と思しき学生の一人から、こんな「米帝国主義」の腐敗をあらわにした退廃文学を学ぶ必要はない、とのクレームがつけられる。テレビでは連日、政権を掌握しつつあるホメイニ派が、他党派のメンバーを吊し上げ、転向、ホメイニへの忠誠を強要する「裁判」の模様が延々と放映されていた。教授は、ちょっとしたいたずらを思いつき、こうして、講義室を舞台に「グレート・ギャツビー.VS.イラン・イスラム共和国」裁判が、開廷する運びとなった。
私は、この歳になってようやく、このアメリカ文学の金字塔とも言われる作品を初めて読むことになったのだが、僭越にも要約を試みると、・・・ロングアイランドの海岸沿いにそびえ立つ豪邸、連夜、数多の賓客を招いた豪勢なパーティーが開催されている、屋敷の主がギャツビー、謎の多い人物で、「ユダヤ人」の商人と組んで、禁酒法時代の密売で財を成したらしい。それと向かい合わせにそびえ立ついずれ劣らぬ豪邸の主は、トムとディジーの夫婦、まだナチス台頭には早い時代だが、トムは、「北方系アーリア民族優越主義」の思想を抱懐していることが示唆される。ディジーは、南部出身、ギャツビーが第一次大戦のヨーロッパ戦線へ向かう前に駐屯していた基地が近くにあり、おそらくそこで、二人は「恋愛関係」にあったらしい。ニューヨークでの乱痴気騒ぎののち、酔って、ギャツビーの車を運転したディジーは、夫のトムの「不倫」相手の女性、マーテルを轢き殺してしまう。トムの入れ知恵で、その罪をギャツビーに負わせて口を拭い、マーテルの夫がギャツビーに復讐して殺害しても、沈黙を守り続ける・・・。
「裁判」では、そのホメイニ派と思しき学生が、「検察官」となり、この作品は、「不倫」、つまり婚姻外の恋愛関係を奨励している、登場人物のことごとくが「金の亡者」である、と弾劾する。この青年に対してははもちろん、社会の現実と「フィクション」との区別がついていないじゃないか?との論難が可能であろうが、「革命的状況」のもとでは、往々にして、そのような性急な議論が幅を利かせかねないことは、誰もが知っている。そして、このような論難に対しては、「文学」の特権性を擁護する「西欧的」、「ブルジョワ思想」じゃないか?との、反論が返ってくるだろうし、現に、イラン革命時の「世俗派」左翼もまた、そのような論調で、ホメイニ派を後押しするような形をとってしまったようなのであるから、ここでは、その点には深入りしない。
秀逸なのは、この「裁判」で「弁護人」を名乗り出た、「左翼」でもなければ「イスラム派」でもない、文学好きの「ノンポリ」としか言いようのない女子学生の、堂々たる弁論なのである。
彼女はまず、この小説の数々の登場人物を、評価する基準として、「正直honest/不正直dishonest」という対概念を提示する。物語には、たくさんの、ときには常習的な「虚言癖」とも言うべき「不正直」な人々が登場する。もちろんその最たるものは、トムとディジーの二人にほかならない。かつての「恋人」ですらあったギャツビーに自らの罪を負わせ、彼が殺害されても、弔衣の花束ひとつ贈らない。語り手のニックの言葉を借りて、この「弁護人」は、「不正直dishonest」を「不用意careless」と、変奏していく。さらに「被告」として召喚されたナフィシ教授は、これを「他者に対する『共感empathy』の欠如」と、表現する。誰がもっとも「不用意careless」であるか?・・・「金持ちたちthe rich」ではないか?、この段階で、「検察官」たるホメイニ派の学生が提出した、「この作品は、金銭への執着を称揚している」との論難を、見事に覆してしまえている。そして、フィッツジェラルドその人はと言えば、そのような「金持ちたちthe rich」のサークルにとどまり続けることに汲々とした実生活を送ったけれど、フィクションを書くにあたっては、そうではなかった、その矛盾、自己批評こそが、フィクションを読むことの意義ではないか?、と結ぶ。
良かれ悪しかれ、精緻極まりない、難解な用語を羅列した「ポストモダン」的文芸批評に、理解しないままでも、慣れ親しんでしまった耳には、いささか平板に響かなくもないこれらの議論に、でも、なんだか「天啓」を受けたかのような気持ちがして、あるいは、西加奈子氏が、小説の中に、さして文脈と整合しているとも思えない、唐突な形で、この作品に言及しなければならない、と急き立てられたのも、同種の驚きだったのでは?などと想像しています。
「世の中」は「いい奴」と「悪い奴」で出来ているんだ、という結論を、どうしても受け入れられないのは、ある種の「病気」かも知れません(笑)。「共産主義者」のことを「『平等』にとりつかれた人々」などと言うではありませんか?経済的不平等は、社会主義革命によって克服される、最後に残るのは、「精神労働」と「肉体労働」の差別、これは、「朝に漁り(すなどり)、夕に読者する」ユートピアが、成熟した共産主義の後に出現することでしか解決されない、って言うあの話は、どうなったんですか(笑)?
でも、多くの人々が感じたであろう、それでも、「美しい」ものと、「美しくない」もの、「良い」ものと、「悪しき」ものとの差別は?・・・園芸家であり、壁紙なんかのデザイナー、マルクスの同時代人で、「第一インターナショナル」では、断乎たるマルクス派であったウィリアム・モリス、「ユートピアだよりNews from Nowhere」、その美しい書物を、しかし途中で投げ出してしまったのは、「革命」の後には、すべての人が、美しくな・る・のだ、という、どう見ても苦し紛れとしか読めない一節にいき当たってしまったからでした。
近頃の「トレンド」は、もっぱら「多様性」のようで、そこら辺の(笑)中学生さえ、そんな用語で自己弁護したりするのだから、それは掛け値なしに、いい時代になった、とは思う。でも、「他者」と「私」が、同等の存在である、という了解がない限り、そもそも「対話」が不可能なんじゃ?という疑問も残る。
「不用意さcarelessness」という判断基準に、飛びつきたくなったのは、そんな動機かも知れない。これならイケる(笑)、「世界」は「ケアレスでない」人々と、「ケアレスな人々」で出来ている。そして、「ケアレス」であることの咎(とが)は、人ならざるもの、例えば「制度」とか、そう、「資本主義」でもなお結構、に負わせてしまえば?
でも、この一年半あまりの間に、私の身の回りに生じた諸々の出来事は、そんな楽観を吹き飛ばしてしまうに足りるものだった。ここでは、「ケアレス」であることが「他者に対する『共感/エンパシー』の欠如」と言い換えられていましたが、では、「エンパシー」の欠如、少なくとも、自分が想定する「エンパシー」と同等のものを持ち合わせている、とは思えない相手と、会話を続ける、ということが可能なのか?という難題に逢着してしまったのですから。「世の中」には、そんな奴、いるんだよ、という結論を肯んぜないならば、対話が不可能であることを、自分の落ち度として引き受ける、「抑鬱症状」に退行するしか、方法がないのですけれど。
1960年代、「反精神医学」の担い手の一人、R.D.レイン、「引き裂かれた自己」を最近読み直しました。一人の「統合失調」の少女が、映画館に通い詰め、フェリーニの「道」を一週間観続け、これをきっかけにして「自分を殺すことを、やめた」、という一節をもう一度見たかったからです。
「SNS」などというものを、ちっとも見たくないのに、うっかり目にしてしまうと、もう、そこでは、「右」であろうが「左」であろうが、政治的なものであろうが、そうでないものであろうが、ともかく、「相手」に論駁するには、「正/邪」であれ「善/悪」であれ「是/非」であれ、明確に境界線を引き得る対概念に、それぞれ「自分」と「相手」を割り当てていらっしゃる、それこそ、ボブ・ディランではないが、
good and bad, I defined these terms quite clear no doubt...
善と悪、それらの用語を私は、疑いもなく明確に定義できると思っていた、
ようにしか思えなくて、いえ、悪口を言っているのではなく、単に私にはそれができない、で、どうやら、それが出来るのが「多数派」のようにも見受けられるので、やはり、自分は異常なんだろう、という結論になるから、だんだん、気持ちが沈んでまいります(笑)。そのうち、経過をお話ししますが(笑)、まもなく、この一年半ばかりに渡る、「社会復帰」の試みも、ほぼ、予定通り(笑)失敗に帰したようですから、再び、誰とも言葉を交わさない、「引きこもり」生活の最晩年に戻・る・ことになりそうですから、さしあたり、問題は、解決、というか、回避されることにはなるのですけれども、はい、長い長い、オチのない話でしたが、このくらいにしておきます(笑)。
参考文献(笑):沖縄県那覇市で、「テヘランでロリータを読む」の「ギャツビー裁判」と、「ザ・グレート・ギャツビー」を読む・・・「夜はやさし」研究がはさまってさらに先送りとなるものの、「読書百遍・・・」というが、既にこの作家を「愛し」始めているようなのに気づいて、我ながら驚く(笑)・・・「バイユー・カントリー」、パリのアフリカ系アメリカ人、など。
・・・
京都の古い「友達」が、この記事に「コメント」をくださって、アフガニスタンのシーア派の少数民族、ハザラの話題になったので、「参考文献」、を掲げておく。
「テイスト・オブ・マルベリー」・・・アッバス・キアロスタミ「コケル三部作」、恒例、オールナイト四本立てシリーズ(笑)
それはまるで、都市の上空に浮かんだもう一つの都市・・・「カイト・ランナー」カレド・ホセイニ、「日陰の街、女一人、カブールを歩く」タラン・カーン、を読み始める


選挙用の「のぼり」が消えて、「せんそう✕」、「へいわ◯」だけが、戻ってきたから、なんか、ほっとした。選挙には期日があるが、戦争はいつでも起こる、なんて言ってるんじゃないけど。


旧暦八月「仲秋」、今夜は名月前夜の「待宵」、だから午前七時の今はほぼ満潮。今日はやや早いので黒ブタさんお休み中、子ヤギお嬢さんと歓談(笑)。


そんな仕草自体もまた、ほかならぬ「躁的防衛」であることに気づき、苦微笑を禁じ得ない。

「選挙」後、二週目の木曜日、「現場」にも人が戻りつつあって、結構な「にぎわい」になった。当然のことではあろうが、マイクを握って「アピール」しようとされる方々の言葉の多くが、「いや、私たちは、決して負けてはいない!」的な、「躁的防衛」で構成されているから、そして、「躁的防衛」が常にそうであるように、発せられた言葉が、図らずも反対の意味を指し示さずにはいないことを、残念ながら知っているから(笑)、例の如く、私は、あらぬ方向を向いて、ああ、ここのフェンスに絡みついた、タイワンクズ(マメ科)の花時が、うちの近くの遊水池のものに比べて、ずいぶん遅いのは、いったいどういうわけだろう?、などと(笑)、聞こえない振りをしている。そんな仕草自体もまた、ほかならぬ「躁的防衛」であることに気づき、苦微笑を禁じ得ない。
「反対運動」に、数多の人が結集したことを、「あなた」はほめあげる。いや、本当は、「反対」しなければならない事態が、起こらなかったらよかったのに?
「反対運動」を妨害するな!、と「あなた」は言う。いや、別に、「反対運動」をしたいわけではなくて、そんな「運動」、しなくても済んだほうがよかったのにね。
別に誰がを咎めているわけではないよ、「ヒト」は、このような「本末転倒」を、「倒錯」を、長らくにわたって、生きてきたのだね、なんてことを呆然と考えてしまうのは、いや、九月末だと言うのに、ちっとも翳りを見せない、この日差しのせい?、ということにしておこう。


「ゲート前」のフェンスのタイワンクズ(マメ科)、まだ咲きそうにないよ?もう九月も末というのに、うちの近所の遊水池のは、もう花時が終わりそうなのに?


戻ってきたのは、お昼少し前。黒ブタさん、しっぽふりふりお食事。子ヤギお嬢さんには、周りに生えているコウライシバを差し上げる。金武湾は干潮。電線シジュウカラ。


「山地性」と「平地性」で棲み分けているはずの二種の蝉の声がどちらも聞こえる。そこかしこからメジロとヒヨドリの絶叫(笑)。約10分に一度旋回してくるF15三機編隊も。


「仲秋の名月」ではなく(笑)、その前夜・・・旧暦八月十四日の月「待宵」、月の入一時間前。スマホの画像では見えないが、うさぎさんは、倒立しているはず。


お行儀のよいお客さま。私がこれ以上一歩でも前に出れば、そそくさと立ち去ってしまうに違いない、その絶妙な「距離感」をお互いが了解していそうなところが、嬉しい(笑)。


「サンライズ・イン・サブトロピカル・パラダイス/亜熱帯の『楽園』の日の出」・・・「基●地●反●対●派」にもかかわらず(笑)「美しい」という感想?、いや、「風景」に罪はないから(笑)。


突然視界が広がって、「海」が目に飛び込んでくる、その瞬間を捉えたかったのだが、期待して待ち受けていると、それほどでもなかったりする(笑)。


朝露にほどよく湿ったコウライシバの葉をちぎって、差し上げると、私の手のひらからもぐもぐ頬張って下さる。金髪の子供たちの頭が並んで黄色いスクールバスに吸い込まれて行く。


「彼の地」の戦争が始まった頃以来、毎朝、こののぼりを立てて座っておられる。山側から機関銃の発射音が聞こえ、「火」と記された弾薬輸送車が行き来する、「当事者」性を有した土地柄であることを付記しておく。


また、「四半世紀」来の(笑)、知り合いの方に、駐車場でお会いすることが出来て、それだけで、ココロがやや華やぎ、「シュプレヒコール」にもチカラが入る?、「ヒト」は「ヒト」と関係を持つことで、・・・

ようやく、「社会的」に、存在しているのだ、そんなことを、今更、認めなければならないのは、不本意なんだけど(笑)。
「私たち」は、どんな話をしたのかな?、そうだ、秋に鳴く、蝉の話をした。クロイワツクツクの声がさかんに聞こえたからだ。彼は、「やんばる」の離島の生まれなんだが、その蝉の鳴き声の擬音語は、土地によって違うそうで、彼のところでは、「じーわ、じーわ」なんだそうである。私には、仮名で書くと、「じゅわ、じゅわ」と聞こえる。・・・調子に乗って、ゲート前では、別の方とも、言葉を交わした、日差しがきつすぎたので頭がくらくらして、だから「座り込み」を中断して、フェンスのタイワンクズの写真を撮っていたら、声をかけられた、「タイワンクズですね?、いい香りがしますね」、「ええ、いい香りがします」(笑)、単に、そんな「会話」だけど。


また台風が近づいているというのに、今日のところは、こんな快晴で、日差しも強い。頭がくらくらしてきたので(笑)、タイワンクズの様子を見に来た、ことにして、「隊列」を離れる訳だ。名称不明カメムシ類も。


戻ってくると、ちょうど金武湾は、旧暦八月十五日、大潮の、干潮時。黒ブタさんも、ご機嫌麗しく、子ヤギお嬢さんは、あくまで「芝」にご執心(笑)。


少しお疲れ気味の、どら嬢。根っこから「ルートビア」の香りのする「やんばる」の花、コバナヒメハギ、そして、ハラボソトンボ。


「ご奉仕品」で安く手に入ったニンジン四本分、短冊切りにしてお持ちしました。食べ終わると、さすがに皆さん、ご機嫌のようで(笑)、たっぷり閑人の相手をして下さいました。


今朝は、凄・い・日の出を見たけど、ほら、今度は、凄・い・夕焼け。


接近する台風のせいなのか、朝はあんなに晴れていた空、夕方からは雲に覆われ始める。せっかくの「仲秋の名月」このくらいが限界かと諦めていたら、一瞬だが、綺麗に姿を現して下さった。


2026年第26号SURIGAE/9月26日


あいかわらす弱っているけれど、缶詰のウェットフードは残さず食べてくれたし、お散歩も、こちらがゆっくり歩けば、自発的についてきてくれる。少し、安心。


台風接近中だから期待していなかったけど、ショッピングモール駐車場にぽっかり浮かんだ、旧暦八月十六日「十六夜(いざよい)」の月。


2026年第26号SURIGAE/9月27日


台風26号「SURIGAE」最接近と言っても、とても静かなのだが、心配なので会いに来ました。ご飯もおやつもたくさん食べたし、足下は危ういが、目の表情がすっきりしているから、いい感じと思う!


台風26号「SURIGAE」は現在最接近のはずなのだが静かなもの。道路の前方に、凄い虹がかかった。車を停めて撮影、「グッド・サインだ」なんてはしゃいでしまう。いいことなんてあるわけないのに(笑)。


「台風一過」の明け方、と言っても「台風」らしい荒天は、ほとんどなかったのだけれど。旧暦八月十七日の月「立待」、月の入二時間前。まもなく「有明」も見えるでしょう。


ベランダのプランターの土はみな撤去したのに、「シードバンク」として残っていたんだね。ゴーヤー(ウリ科)、雄花が先に咲くのは「自家受粉」回避システム。実るまで、この家に暮らせるかな(笑)?

おや?、昨日あたりから、あちらこちらで「ちちちっ、ちちちっ」の声、キセキレイ(セキレイ科)が、到着したのであろうか?姿はまだ見ていない。でも、例年、ハクセキレイより、キセキレイが先に到着するのだ!・・・「台風一過」の朝。


「台風一過」の、嘘みたいな(笑)青空。そこに、幸せの「青い鳥」?・・・あれ?「青い鳥」の物語って、何処が「幸せ」なんだっけ?

「サムホェア・オーバー・ザ・レインボー」に登場する「ブルーバード/青い鳥」は、このイソヒヨドリと、属は異なるから、そんなに近縁とも言えないが、同じくツグミ科で、顔つきなんかも(笑)似ていなくもない。


いい歳をして蝶の写真撮って喜ぶ、なんて、「子供」の「ココロ」が残っているってことかも知れないが、いや、振り返っても、「子供」時代、いい思い出なんか、ひとつもないんだけど(笑)。


雲の流れが速いのは、「台風」の余波かも。「龍」が「玉」を呑む、みたいな形になってるよ!・・・旧暦八月十八日の月「居待」、月の出二時間後。


「有明」オブセッション、朝空にぽっかり浮かぶ白い月、そんなものが見れたからって、陰鬱な気分に光が差し込む、そんなあんたって、「薄幸」なの(笑)?旧暦八月十八日の月「居待」、月の入二時間前。


今日は、お一人様、でも、お会いできてよかったです。昨日は通りすがりに皆さんの姿が見えたけど、「お仕事」中だったからね。あと、蝶と蝉の声と、鳩。


海辺の近くの水溜りに、水を飲みに来る、これはよくある光景。「お仕事」中なんだけど(笑)、止まってくれるまで、辛抱強く、待つ。アオスジアゲハ(アゲハチョウ科)。


もはやおなじみの、夕方6時に公共スピーカーから聞こえてくる「夕焼け小焼け」。お子さまたちの声も入っているが、それを聞くのも、もうしばらく、と思えば感慨がないわけではないからね(笑)。


グレゴリオ暦2026年9月29日の日没、時刻18:19、方位267.6・・・奥武島のその向こう、摩文仁の丘だろうか?、に沈む夕陽。「お子様たち」が、珍しく、「散歩に行こう!」などと言い出したから。




月を見るのは、もう、二週間近く前、旧暦六月の「下弦」のころ以来。夜空に月を探す「習慣」さえ忘れていたかも。前半は海辺、冬鳥チュウシャクシギ(シギ科)の声、後半は、ショッピングモールの駐車場。


今夜も雲が多い。手振れではみ出してしまうのを恐れて、小さめに撮る、いや、小さ過ぎるんじゃと、また大きくする、優柔不断なことで(笑)。旧暦七月六日の月、月の入三時間前から一時間前。


台風「SAUDEL」接近で「旧盆」の月はほとんど見れず、低気圧に弱い(笑)鬱病患者は、寝込んでいたし。だから遅くなったが、旧暦七月九日の月、南中。


諸々の事情で、「月を愛でる」ココロの余裕もなかったのであろう(笑)、いつ撮ったのかもあまり覚えていない、旧暦七月十一日の月、南中。


明日からの「旧盆」三日間、「十三夜/ウンケー(お迎え)」、「待宵/ナカヌヒ(中の日)」、「望/ウークイ(お送り)」の月は、台風「SAUDEL」接近で、見れないだろうね。旧暦七月十二日の月。


「旧盆」最終日「ウークイ(お送り)」、夜半、大潮干潮の干瀬を、サトウキビの茎の杖をついて、海の向こうの「ニライカナイ」へと、数多の「死者たち」が帰って行く、その足元を照らし出してくれるのが、この月。


「旧盆」三日間が明けた翌日、旧暦七月十六日の月、「十六夜(いざよい)」、南中二時間後。この後、寝過ごしてしまったのだが(笑)、全天雲に覆われ始めたようで、いずれにせよ「有明」を見ることは出来なかった。


台風「Saudel」の余波だったのか、荒れ模様の天気もようやく去って、今夜は一晩中、ほぼ晴れ。旧暦七月十四日の月「立待」、気が付いたら夜半過ぎ、すでにうさぎさんは倒立(笑)。


昇る頃は、きっと晴れていたはずだが、寝過ごした(笑)、夜半から明け方「有明」までの、旧暦七月十八日の月「居待」。


夜半は雨模様、だが、明け方には、「有明」、すでにうさぎさんのお耳は隠れはじめた、旧暦七月十九日の月「臥待」。


旧暦八月、五日から十一日まで、「月牙/クロワッサン」から「上弦」過ぎ、「太りつつある凸面月」まで、まとめて。いろいろの出来ごとに呆然としていて、これらの写真にもあまり「記憶がない」くらい(笑)。


壊れたカメラから壊れたコンピュータに画像ファイルを引きあげて(笑)編集したのが「名月」翌朝、ほとんど朦朧と生きていたから、どこで撮ったのか?背景の音は?わからない(笑)、旧暦八月十二夜と十三夜。


「仲秋の名月」前夜、旧暦八月十四日「待宵」、空はそんなに曇っていなかった記憶があるから、うさぎさんが倒立した月の入前の写真ばかりなのは、きっと、寝過ごしたんだろう(笑)。


台風が近づいているから激しいにわか雨も振るが、雲の流れも速く、また雲間にお顔を出してくださる、旧暦八月十五夜「仲秋の名月」、西の空に沈む部分が長いのは、来年生きているだろうか?の「名残惜しさ」(笑)?


「台風」接近中、激しいにわか雨の合間にお顔を出して下さった、旧暦八月十六日の月「十六夜(いざよい)」、月の出三時間後。


「台風一過」の明け方の晴れ空、旧暦八月十七日の月「立待」、月の入三時間前。でも、このあと驟雨が訪れ、「有明」を見ることは出来なかった。


「台風一過」の一日は、実際、「嘘みたいな」(笑)快晴。「仲秋の名月」三日後、旧暦八月十八日の月「居待」、月の出三時間後、から、月の入二時間前「有明」まで。


海から昇ったばかりの「真っ赤」な月から、朝空に浮ぶ「真っ白」な「有明」まで。旧暦八月十九日「臥待」。地表近くでは、「青」が散乱されるから、「赤」くなり、中天では、散乱されな・い・から、空は青い?


旧暦八月二十日の月「更待」から、だんだん、「凸面月/コンヴェックス」から「凹面月/コンカーヴ」へと、やせ細っていく、いろいろあって(笑)、ちょうど「下弦」の半月は、見逃してしまったけど。



オオハマボウ(アオイ科)・落花

ハイビスカス(アオイ科)

ナガマルコガネグモ(コガネグモ科)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2026.10.08 04:36:06



© Rakuten Group, Inc.
X