また、看取りの現場に遭遇
今日、もと夫の病院へ行ってきました。またしても病室が変わっていて、4人部屋になってました。今日は夕方の5時30分過ぎに行ったので、しっかり目覚めていました。あまり今日は反応してくれなかったけど。でもレイキをやったり、爪を切るなど、色々させてもらいました。まあとても落ち着いていて、静かに過ごしていましたね。とりあえず本人満足げだったので、良しとして・・・。(しゃべれないからね、表情で読み取るしかない。)と、はす向かいのベッドの方のとこで、何やらナースが行ったり来たり・・・。「あ~、もしかしてあぶないのかな?」と思って見てたら、やはり、ナース同士の会話がそれ系だし、呼吸もあれでした。ええ、当然、レイキの第4シンボルで部屋全体を包みました。あちらへの移行も間もないであろう方へも、第4シンボルを送りました。(もちろん、安らかに光へ帰る事が出来るよう、祈りをこめて。レイキの第4シンボルはかなり助けになりますからね。)余計なお世話と見る向きもありますが、最近の私は、そうは思わないのですね。宇宙を信頼しておりますし、レイキは宇宙の高次のエネルギーですから、宇宙の調和に沿わない時には、全く動いてくれないですから・・・。ただその現場に遭遇する事には、意味があるわけです。それだけで、私にとっても縁のある方であり、いつも行かないあの時間にどうしても今日行きたいので行ったという事も、意味があったわけです。最近は、あちらの世界への移行をサポートするのも、お役目の一つだなあと思っております。思い出してみれば、クリスチャンとして1日1時間以上は「とりなしの祈り」に励んでいた頃にも、全く見ず知らずの方のために、知らずに祈らされておりました。後日そのことを知る事になりましたが・・・。そのときに私は、人は誰でも決して一人で捨て置かれる事は無いと言う事を確信したのでした。ヒーリングに、エゴは邪魔です。特にレイキ実践者なら、媒体である事に徹するのみです。私が安心してレイキを実践出来るようになったのは、クリスチャン時代の聖霊によるヒーリングと同じように媒体に徹する事が出来、ヒーラー自身のエゴがいらないからです。意識ではピンと来ないまでも、すべての存在がもともとは一つの源から来ていて、実はつながっているんだという事、他人に対しての行いは、自分に対するものでもある事を、いつも認識していたいと思います。