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カテゴリ:ふじまるさま
ふじまるが亡くなる前日、便秘気味だからと病院に連れて行きました。
その時は特に異常はありませんでした。 車で帰る時にキャリーから出してあげると、私の膝の上にやってきて、一緒に景色を眺めながら家に帰りました。 とても幸せだなあと思いました。 その夜も一緒に寝て、ふじまるのあたたかな体温を感じながら、幸せだなあと思いました。 亡くなる日の朝も、ふじまるのあたたかさが気持ちよくて、お布団からなかなか離れられませんでした。 その日の夜、家に帰るとふじまるの息遣いがおかしいのに気が付きました。 よくわからないので、病院に連れて行きました。 大したことはないと思っていました。 レントゲンを撮ると、肺がまっしろでした。 ふと見ると、ふじまるが苦しそうに息をしていました。 怖かったようで、私にしがみついてきました。 手の施しようがないといわれました。 明日までもたないだろうといわれました。 何が起こっているのかわかりませんでした。 何を感じていいのかわかりませんでした。 ふじまるは、ずっと我慢をしていたのです。 ふじまるが出していた小さなサインを私は見逃し続け、手遅れになるまで苦しい思いをさせていたのです。 そのあとはあっという間でした。 病院の診察台の上で、ふじまるはみるみるうちに瞳孔がひらいていきました。 病院からの帰りの車の中、ふじまるは私の腕の中で息を引き取りました。 ふじまるが最後に見たのは、泣き叫ぶ私の姿でした。 ふじまるお気に入りの座布団は火葬する時に一緒に燃やしました。 ふじまるのトイレやつめとぎ、ごはんゾーンはまだ、そのままです。 ふじまるお気に入りの南側の出窓。 ふじまるといて幸せだと感じたベッドで寝る夜と、そのベッドで迎える朝は残酷です。 振り返ればふじまるがいるんじゃないかと思うこともあれば、すでにふじまるがいない家に慣れ始めている瞬間もあったりします。 日が経つということは、とても残酷です。 パソコンをしていて、もう、邪魔されることはありません。 夜、布団に入れてと起こされることもありません。 いつか、思い出しては涙を流すこともなくなるのでしょう。 そんな日がくるのが嫌で、夜が来て朝が来るのが恐ろしくてたまりません。 ふじまるを愛してくれた皆さんに、少しでも、その小さな存在を覚えておいてほしくて、まとまりもない文章をつらつらと書いてしまいました。 皆様からの書き込みや、メッセージをいただき、ふじまるが愛されていたということが、うれしくて、何度も何度も読み返しています。 ありがとうございました。 ふじまるがだいすきです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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