父
9月9日の早朝父が亡くなりました忘備録として朝の4時30分に同級生からLINEが来た宮崎出張に伴ってオススメの観光スポットを聞いてきた(笑)返信しないでうっつらうっつら起きてたしばらくして母から病院から電話があり、今から向かうとのLINEいよいよかも…予め覚悟はしていたので。母が病院に着いた時には、もうモニターはゼロでピーと鳴り響いてたそう。そこから先生が来て死亡時刻の確認。5:54でした。私は7:20に病院に到着。兄がすでに来ていた7日木曜日に兄と母でホスピスを見学しその足で病院にいる父に空きがあれば移転すること報告。翌日8日の金曜日の昼間、ホスピスの3人部屋が空いたので、火曜日に🚗を出して欲しいと私に連絡が来ました。その日の夜に病院から父の容態が悪くなったので個室に移動するとの連絡。そのまま翌朝亡くなりました。兄と母がホスピス行きを告げもう家に帰れないと悟る。病気の深刻に気がついていなく治ると信じてたので、生きる気力ってすごい。驚くのは、来週退院するからと知り合いに二日前に電話していました。退院はあり得なかった。遺体の為に病室は冷房を効かせていたのでとても寒かった。話しには聞いていたけどなるべく早く病院を出なけれならない。父は色々、手広くやっていたので一緒に仕事をしていた葬儀屋さんに来てもらい9時には病院を出ました。これは事前に相談していたで、慌てずに済みました。この葬儀社の社長さんにも来週退院すると連絡していた。遺体共に葬儀社に行く。どこの斎場も遺体安置も空きが埋まっていて、葬儀社の安置所に置いておく事に。家に連れて帰る選択もありますがドライアイスの交換や暑さで適切な保管が出来ない事もあり、一日一万円弱で保管してもらう。そこから斎場、火葬場の予約。この二つの予約が取れたのが1番早くて16日でした。檀家であるお寺に電話してお坊さんの予定を確認。不在で13時に葬儀社また連絡することにし、ようやく帰宅しました。お寺は実家から徒歩3分と近いのでお昼ご飯を食べてから直接伺いました。お坊さんの予定が16日は悪く最短で18日となりました。そこからまた斎場と火葬場の都合が合わないと、、、と思っていたら少人数で良ければ敷地内に新しくできた、小さなホールなら18日は空いてる、檀家さん専用なので使用料は5,000円と破格の値段。家からも近いのでお願いし、やっと全て終了しました。その後、父の事務所を少し片付け自宅に戻ったのは18時。12時間、動いていたので疲れて寝ました。早朝から来た友人からのLINE、あれって虫の知らせだったのかなと思った長い一日でした。ランキングに参加しております更新の励みにポチっと応援お願いします♪↓