8年前の今日、関西及び神戸の方々と同様に、私は強い地震で目が覚めたという記憶がある。その時に私は関東に住んでいた。関東といえば小さい地震ならば日常茶飯事の土地柄である。それ故に多少の揺れぐらいでは気が付かない傾向があるのだが、そんな中でさえ1995年1月17日早朝の強い揺れは安眠の時間を打ち破った。それから数時間、強い揺れ程度の認識しかなく、且つ忘れていた状態の中でテレビを見た時、神戸やその周辺が多大なる被害を受けている光景が飛び込んできた。確かにそれまでに阪神大震災クラスの地震があった光景をニュース媒体で見てきた。然し乍ら災害の現実を目の当たりにしたのは阪神大震災が初めてだったと思う。過去の地震災害の映像はフィルムが主だった。つまりそれだけ近年になってから大災害を齎す地震がなかったという事にもなる。またフィルム映像は歴史を映し出すが現実は映し出せない(出し切れない)。逆にビデオテープは歴史は映し出せないが、現実を映し出す事ができる。この大地震を昨日の事の様に思えるのは、8年という月日しか経っていないというのもあるが、その時の画像の鮮明さもまた強い記憶に残る理由の一つだと思う。
神戸及び周辺の復興のスピードは相当のものである。8年という歳月の中で、本格的に復興に費やした時間は8年の内の半分くらいだろう。災害箇所での救護活動や鎮火活動、その後の後片付け云々などを済ませた上で、更に跡地の利用方法を周辺の状況を考慮しながら考えたのだから。サラ地から建築するのであれば高層マンションも早急に完成する。勿論、その建築スピードでさえも大したものである。ジャーナリストの大谷昭宏さんは『これだけ短期間に建築物を完成させられる能力があるのは世界広しといえどアメリカと日本くらいだろう』と語っていたが、確かにその通りだと思うし、まさに先進国ならではの芸当だと思う。然し大谷さんは続けて『ハードの部分のスピードが速い事が果たして正しい事なのか?』とも語っていた。今回の復興は基本的に「生活面」での復興である。その生活に携わるべき人間(ソフト)としての復興は完全には復興していない。折しも世間は不況の中。誰しもが苦しい状況の中で日々を暮らしている。持ち家で商売をしていた人は、震災が奮わない商売の現実に止めを刺した。サラリーマンでさえも周辺の事業が冴えない中での震災で経営難に陥ってしまった。震災前に(サラリーマンとして)勤めていた人の6割が現在無職だという。また一方で震災を何とか乗り越え新しい生活環境へ移る事ができた人でさえ、高齢者が去年一年間だけで70人近くも孤独死で世を去ったという。飢えと寒さから逃れる事ができたが、心の栄養を補給する事ができなかったのである。心の栄養は急激な変化に対応できない。特に災害が背後にあれば尚更である。況して高齢者の場合は身体の動きが衰えてくるだけに心の栄養がなくなれば生命の存続に直結してくる。
政治や行政の部分で国を預かるのは総理大臣である。勿論それぞれの自治体が実質的には管轄しているのだが、現在の在り方では大きな事柄の決定権は中央にある。中央が首を縦に振らなければ物事は前進しないのである。そしてその行いが現在の日本を狂わせてもいるのである。国民は議員たちを国民の代表として中央に送り出してきている。その代表選出の為の投票に国民の関心が少ないと言われている。はっきり言えば私もそうである。恐らく大きな力が働かない限りは現在の方針が変化しないだろう。だが自分たちの身を守る法律を自分たちで制定している人間を動かすのは容易ではない。況してマスコミ媒体でさえ彼らの提灯持ちに成り下がっている。民衆の声を大きくさせるべき拡声器のスイッチを相手に握られてしまっては声も届かない。媒体は誰の為にあるのか。金権政治が横行する様になってから媒体は政治家と闘わなくなった。政治家もまた闘う方向を本来のものとは別のものにしてしまった。お互いがまるっきり違う次元で歩きだしてしまったら、その指示に従う人間もまた方向感覚を失う。
現在の国土交通省大臣は扇千景である。去年、その扇大臣の夫が破廉恥行為をスッパ抜かれた。そして今日、その夫婦の息子が破廉恥行為をスッパ抜かれた。場所も同じならばホテルも同じだという。以前に扇大臣の夫の問題で触れたと思うのだが、自分の夫の舵取ができない人間に国の舵取はできない。梨園の世界は一般人には理解できないと片付けてしまえばそれまでかもしれない。だが大臣の職にある以上は一般人と密接な付き合いをしなければならない。夫は夫、息子は息子、梨園は梨園という言葉で片付ける事もできない。それを認めてしまう事は国民を愚弄しているのと同じである。特に扇大臣は関西の空港問題に口を挟んでいる。まるで関西全体を弄んでいるかの如くである。マスコミ媒体もこの現実に対して大きく叩かない。どうして辞めさせないのか? 政治家にとって身内の醜聞は命取りではないのか? 同時に野党が追及しないのもおかしい。扇大臣を選んだ小泉政権に対して真っ向から対立すべきである。然し乍ら野党側の足取りも覚束無いのが現実。結局は国民が彼らの一挙手一投足に躍らされるだけ。それでも悦んでいる国民もいるから余計に始末が悪い……。
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