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昨日の山陽新幹線での運転手の『居眠り』が大問題になっている。新幹線が開業して半世紀近くになろうという中での『初』の出来事だという。運転手は前日が休みで10時間も睡眠をとったというのだが、熟睡状態に陥っていたという事から考えると、単純に眠くなっただけとは思えない。何かしらの因果関係があって当然だろうと思いたい。例えば運転手が花粉症や軽度の風邪気味だとしたら、薬を服用したかもしれない。折しもインフルエンザが大流行しているし花粉症に至っては毎年恒例である。誰もが発症するという環境なのだから、この運転手がそうでなかったとは言い切れない。もしそうだったとして、この運転手が自身の状態を考えて運転を辞退すればよかったかもしれないが、運転手自身にしてみれば、そうする事は(譬え短期間の休養でも)いくらJRとはいえ自分の職を失う可能性がある。何にも況してリストラばかりを考えている現在の日本企業である。だが、結果的には無理を押した事が裏目に出てしまっただけに不運でもある。
だが乗客にしてみれば、高い金額を支払って乗車している乗り物の運転手が居眠りをしていたというのは憤慨の極みだろう。運転手の運転が全てを左右するのである。勿論中央制御室の判断があるとはいえ、実際の運転は運転手自身が行うのだし、制御室からは運行のデジタル表示は見えても、現実のアナログ表示は見えないのだ。第一、中央制御室があっても、それはあくまでも補佐の役割しか果たしていない。完全に果たす必要もない。最終的な判断は全て人間が行わなければならない。以前の日記の中でロボットのアシモの事について触れたが、現代の最先端の技術力をもってしても、ロボットの性能は『あれが限度』なのである。況してロボット以上に精巧さが求められるスペースシャトルでさえ2度も墜落している。人類の最先端の努力はまだまだ遅れているのである。まだまだ人間に頼らなければならないのだ。然しコンピュータが普及すると人材が不要になるという現実も避けられないのは確か。運悪く日本の場合は『不況』という大義名分に託つけて人員削減ばかりしているが、それが逆の効果を生むという計算をしているとは思えない。今回の出来事の背景にも、もしかしたらそうした現実が隠れていたかもしれない。結果的にそれが一般市民の犠牲を払う事に繋がるとすれば、いったい何の為の運賃(投資)なのか判らなくなってしまう。ますます卑劣な行いをする国家、それに付随する連中の不謹慎な行い、警察でさえも今では市民の味方をしてくれない有様である。何が大事で何が必要でないのか、誰を信じれば良いのか、何が明日への希望へと導くのか……まさに五里霧中である。 大阪では病院で拳銃乱射事件が起きた。看護師が殺害され、医師も被害に遭った。一方では看護師が患者を殴殺してしまうという事件も起きた。拳銃所持や患者の殴殺など、今までは殆どニュースになる事はなかったと思う。拳銃に関しては裏社会で出回るものであり、病院は神聖なものだという意識があった。だがこれだけ世間が荒んでくると、拳銃が堂々と表社会に出回り、患者を平気で殺害するという意識が生まれてきた。況して病院関係者が保険金目当てで殺害を企てたり、毒物に詳しい人間が殺害の道具に使う様になってきた。絶対に崩してはならない『知識と倫理と良心の防波堤』が簡単に壊れてしまう様になってしまった。個人の責任で済ませてしまうのは或る意味正論だが、それだけで片付けてしまうのは暴論であろう。 JR全体において、近年自殺者(人身事故)が急増しているという。近畿圏では最近だけで20件の自殺絡みの人身事故が起きているという。人身事故全体の件数が34件というから半分以上が自殺によるものなのである。全国的にみても(電車関連に限らず)自殺者が交通事故死の3倍以上も出ているという。これは先進国でも異例な数字だという。これだけ文明が発展しているというのに、自殺者が後を絶たないのは尋常ではない。だが現在の日本の姿は「外側だけが豪華」な国である。先進国という肩書にしても、本当の所は世界中の誰もがそう思っていないだろう。明日が見えないのだから発展途上にもならない。結局『虚像』と『流行』だけで支えられてきただけである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2003.02.27 23:03:35
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