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本日でちょうど開設から1周年。その記念日記として5回続けてきたのだが、締めくくりに『恐ろしき四月馬鹿』というタイトルで書いてみたいと思う。この『恐ろしき四月馬鹿』というのは探偵推理小説作家でお馴染みの横溝正史さんの初期の作品のタイトルから拝借した形になるのだが(横溝正史さんの作品のタイトルは「エイプリルフール」とルビがふられている)、昨今の政治家連中の動向を見ていて思いついたのである。季節は春。新しいものが続々とスタートしていくのだが、肝腎要の部分が停滞しているのだから、決して手放しでは喜べないのである。それに纏わる有象無象は正しく『四月馬鹿』。未だに自分の置かれている立場も判らない、恐ろしき『四月馬鹿』連中である。
イラク戦争が泥沼化し、それが世界の経済に大きな打撃を与えている。余りにも傍若無人なアメリカ・イギリスのやり方に対しての反発が為した事だと言えるのだが、それ以前から経済の立て直しを疎かにし、尚且つアメリカ支持をいち早く表明した日本の存在が拍車をかけている。国会で満足な決議もせず、国民に対しての説明すらなく、それでいて四月一日の記者との取材の中で「エイプリルフールだよ。そんな事があるものか」と口走った小泉総理。この人はもう日本の代表ではなく単なる『お飾り』になっている。だがこの人の為に毎分毎秒血税が注がれ続けている。日本以外の国の代表だったらとっくの昔に殺されていただろう。国民が訳の判らない連中に次々と無防備に殺害されているというのに、一国の首相という立場になれば常に護衛が付き、その甘ったれた環境の中で好き勝手に物事を進めてしまうのである。今の日本でいちばん幸せ者であり、いちばんの四月馬鹿である。 この人以外にも馬鹿は大勢いる。竹中・塩爺の両大臣も同様。説が正しい正しくない云々で論争する暇があるのであれば、その時間を国民の為に使え! と云いたい。今の日本に大切なのは協力して物事を解決する姿勢なのである。陰でコソコソと他人の悪口を言い合っている暇は一寸足りともないのだ。確かにボンボンと大阪商人では考え方に大きな相違が生まれてしまうだろう。だがそれを踏まえてもお互いが物事を協力して考えていかなければ、お互いの存在意味がなくなってしまう。何の為に国民が大臣の座にいる事を認めたのか、何の為に血税が毎秒毎秒使われているのか、理解するべきである。とはいえ、それを考える脳みそがあれば、とっくの昔に経済は立ち直っていた筈(況して彼らは大学を出ている。それぞれが最高峰の脳みそを持っている筈なのに、それが全く使われていない)。議員生活も永く続ければ単に金と地位の為に動くだけの傀儡へと変貌してしまう。情けない限り。死んでも治らないだろう。 その議員の存在自体を考えても、下手に大きく動かなければ犯罪を犯しても議員を続けられるという事からして問題である。昨年の鈴木宗男議員や辻元清美・元議員、今年になって逮捕された坂井議員などの場合は国会で変に動き回った(でしゃばった)り、法律改正の煽りを食ったケースが殆どである。過去に様々な犯罪を犯した議員は山ほどいるというのに、未だに彼らは議員として君臨している。連座制で軒並み逮捕される場合もあるが、それは最近になってからであり、大事件となった筈のリクルート事件に関わった連中は捜査の網を巧にかい潜り、生き延びてしまったのである。江副被告の判決だけで済ませては事件としての意味がない。政治家連中の逮捕・起訴があってこそリクルート事件の本質が見えてくるのだから。どうしてもっと深く踏み込めなかったのか。結局法律は国会に刃向かう事ができないのか? 一般社会であれば犯罪を犯せば本人は疎か家族や親戚にまで影響が及んでしまう。昔の一家断絶に等しい事になるのだ。その一般社会から提供される税金によって存在している立場の人間が、一般社会よりも恵まれているというのは明かにおかしい。間違っている。国の根幹に携わる人間が犯罪を犯した場合、家族は勿論の事、親戚縁者一同にも政治家になるチャンスを与えない様にしなければ意味がない。またそうした連中が未だにいるからこそ、いつまで経っても物事が進展しないのである。小泉総理の野望が打ち砕かれたのも、そうした傀儡や廃人連中が陰でコソコソ動き回るからである。独裁政権は問題があるとしても、陰でコソコソする連中がいなければ政治はもっとクリーンになっていただろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2003.04.05 00:39:56
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