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テーマ:プロ野球全般。(13212)
カテゴリ:歴史に埋葬されし出来事
前回の『エキサイティングリーグ・パ』の記事の中で、81年頃から効果音による音響演出について少し触れたが、それが現在のトランペットによる応援の拡大化の引き金だと言われている。
75年に広島で発祥したトランペット演奏の応援スタイルが、少し遅れて70年代後半にパ・リーグにも入ってきたのだ。当初は場内音響効果を補足する役割を担っていたのだが、徐々に主導権を握っていったのである。理由として、当時の効果音はボロ負けの試合のホームランでも、効果的なホームランでも同じ効果音を使っていたわけで、ファンから飽きられるのも早かった。そこにトランペット応援の入り込む隙ができたのである。トランペット演奏による応援に否定的なファンも当時は少なくはなかったが、選手には概ね好意的に受け止められていたようだ。 その事を南海ホークスのアイドル、当時入団2年目の湯上谷宏選手がこう証言している。 コンバットマーチっていうのは、選手にとって動きを機敏にする役割もあると思うのです。(86年4月8日の阪急戦で)代打で出たでしょ。あの時、皆さんの声援を、後ろからものすごく感じたのです。そしたらやっぱり、僕は何としても盗塁せなあかんという気力が沸いてきましたね。(南海人より引用) ただ徐々に定着しつつあった80年代半ばでも、前記の通り、応援団の中にも野次合戦を望み、トランペット演奏を拒むファンも少なくはなかった。しかし、次第に客席から「早くトランペットを吹け」と催促される事の方が多くなっていったと当時の応援団の一員は回顧する。又、選手に受け入れられた要因の一つに、パ・リーグ独特の差別的で誹謗中傷の類が多く含まれた野次があったのではないかと思われる。その事は野村克也氏が自身の著書の中で何度も書かれているので割愛するが。 ただ、近年では千葉マリーンズの肉声を中心にした応援や、宮城での鳴り物を使わない(使えない)応援スタイルも見受けられる様になってきた。そう言えば、藤井寺も鳴り物応援禁止だったが。 人気blogランキング♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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