300勝に賭けたサブマリン ☆山田久志☆
今の若い方々には理解しにくいかも知れないが、昔の球場はムシが凄かった。団扇で虫を叩きながら観戦したものである。 そんな古き良き時代にスタンドで虫と格闘しながら(?)観戦してた思いで深い選手の登場です。本名 山田久志 (やまだ ひさし)秋田県立能代高校から富士鉄釜石(現・新日鉄釜石)に入団。67年、西鉄ライオンズからドラフト11位(!)で指名を受けるも拒否。翌68年のドラフト会議で阪急ブレーブスから1位指名され入団。2年目の70年に10勝を挙げ、3年目の71年から2年連続20勝を挙げる。72年に膝を痛めるも、72年、76年、79年には最多勝を獲得。76年から3年連続シーズンMVP(史上初!)に輝き、75年からは12年連続開幕投手(日本記録・世界タイ記録!)を務め、2年目の70年から86年までは17年連続2ケタ勝利を記録。70年代から80年代にかけての阪急黄金時代に阪急投手陣のエースとして君臨し、流れるような美しいフォームから繰り出す140km超の速球とシンカーを武器に、その投球スタイルから「サブマリン(潜水艦)」の異名を得るも本人はサブマリンではなく「本格派」を主張。「300勝を挙げるまでは頑張る」が口癖だったが、88年、阪急ブレーブスの歴史と共に惜しまれながら現役引退。通算成績284勝166敗43S 防御率3.18 奪三振2058先発を翌日に控えた夜、「今日は大雨だから明日の試合は中止だろう」と飲み明かしたところ、翌朝の天気は快晴(!)。二日酔いで嘔吐を繰り返しながらのランニングでなんとか体調を整え、その夜の試合で完投勝利した。この時のランニングの様子を見ていた当時の西本幸雄監督は後日「山田は吐きながら練習していた。この姿勢が大事なんだ」と事情を知らずに全選手の前で訓示した・・・なんてエピソードもある。今はドーム球場が増え、屋外球場でも衛生面でしっかり管理されており虫が溢れるなんて事は少なくなったが、無機質なドーム球場を見るとたまにあの「やぶ蚊を払い除けながら山田を見続けてた時期」を思い出す。人気blogランキング♪へ