178010 ランダム
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★RYUの事・・・『2』

病院に着くとロビーには 学校の先生方数人と 警察官が数人着ていました。

RYUはICUで処置中で 会わせてもらえず私は医師に呼ばれるのを

家族室で待ちました。 


主人はその日の朝名古屋から高速で帰ってきていましたが命が危ないと

伝えれば飛ばして帰ってくるのが分かっていましたので

「RYUがちょっと事故に遭って入院になるからなるべく急いで帰ってね」と

平静を装って電話しました。


しばらくすると医師に呼ばれ説明を受けました。

『骨盤骨折、左股関節中心性脱臼骨折、左大腿骨転子骨折、
右上腕骨課上骨折』


「骨盤あたりが8~9箇所の骨折右手右足も骨折 何よりも出血がひどくショック状態です。

今から血管造影をして出血部の大きな血管を止血していきますが 出血が止まらなければ

覚悟して下さい」と言われ頭が真っ白になってしまいました。


私の母もちょうど来てくれたので母と相談し 主人にも本当の事を言わないともしもの時は・・

と思い、主人に再度電話して本当の事を言いました。

「とにかく気をつけて、飛ばさないで」と・・・


血管造影室に運ばれる時ちらっとだけRYUが見えました。顔は蒼白で意識もないようでした。

造影室の前で待つ間ものすごく長く感じられ怖くて仕方ありませんでした。

2時間経たない位でやっと造影室使用の電気が消え医師達が出てこられました。

顔を見るとそんなに厳しい表情ではなかったので「助かったんだ」と思いました。

再び医師に呼ばれ「血管の止血には成功しました。でもお腹の中にすでに10リットルほど

出血があり今手術をするのは無理です。こんな状態で生きているのは奇跡です。

症例もありません。」と言われまた涙が・・・

医師から「気をしっかり持って下さい。本人が生きようと頑張っているんだから私達も

出来る限りの事をします」と・・・


それからやっとICUに入る事を許され中へ・・・

RYUは体にありとあらゆる機械でつながれ呼吸を助ける為に口から挿官されていました。

「RYU・・・」と声を掛けると薄っすら目を開けて『苦しい』という素振をしました。

変わってやりたくてもどうしてやり様もありません。

「頑張ってね!頑張って生きてね!」としか言えなかったのです。

看護士さんに外へ出るように言われたので「部屋の外にいるからね。

パパもすぐに来るから頑張るんよ」と言うと小さくうなづきました。


外へ出ると母が「下の子達は心配しなくていいから」と娘たちを連れて帰ってくれました。

ロビーに見送りに出ると警察の方がこられて「落ち着かれたら話を伺いに来ます。」

と言われました。

学校の先生方も「しばらく命に別状なくなるまで交代で泊り込みます。」との事。

他にもいろいろ言われたのですが覚えていません。

会社の同僚もたくさん来てくれていました。
その頃私は主人と同じ会社で大型に乗っていたのでみんな共通の友達です。

事故を知った一人がみんなに連絡して来てくれたようでした。

そのお陰で主人は病院の近くの高速のパーキングでトラックを置き病院に来てくれていた同僚が

1人はトラックを会社へ乗って帰り1人が主人を連れて来てくれました。

看護士さんに主人がきた事を伝え会わせて貰えるようお願いしてなかへ・・・

主人はRYUを見た瞬間顔を背け泣いていました。

痛ましくて直視出来なかったと言っていました。

私達は病院に泊り込む事にし 同僚にもお礼を言って帰って頂きました。


ICUへは短い時間しか入れてもらえず外で主人と「何故こんな事に・・」と話していました。

誰からも事故の状況を聞いておらず警察も「改めて・・」と帰ったし・・・

ただ警察や先生方に混じって1人の生徒(RYUの友人)の両親が夜が開けても帰らず

ロビーに座っているのが不思議でした。

その時はRYUの事で頭がいっぱいで他の事を考える余裕がありませんでした。 

後日分かった事ですが その父兄の子供・・

つまりRYUの友人がRYUをこんな目に遭わせた張本人だったのです。




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