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2019.02.03
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カテゴリ:Essay
<昨日のエントリーから続く>

パパの作りばなし [ 関周 ]


関周/パパの作りばなし 【CD】

マスターの彼は、ピアノやアコーディオンも弾くが、プロデューサー的な仕事もする。店には彼に伴奏してもらって歌を歌うのを目当てに来る人もいるが、彼がプロデュースしたライブを聴きに来る人も多い。

「クイーンエメラルダス」は、彼の店で定期的にライブしている。松本伊代のお姉さんが、実は歌唱力抜群だということを私が知ったのも彼の店だ。

だから、てっきり発売されたCDも、「歌手デビュー」といいつつも、彼自身のプロデュース色の強いものだろうと想像していた。

だが、まったく違った。3曲通すと、クラシックの室内楽を聴いているような心地よさに浸っている自分に気づく。演奏メンバーは明らかに正統派の手練れだ。電子的に「足した」音は一切しない。

1曲目は、ピアノに加えて、バイオリン、ビオラ、チェロ。弦の音の厚みが、ごくごく一般的な、けれどももしかしたら得難く幸せな、親と子の情景を語る歌詞にかぶってくる。

これ、作った人たち、タダ者じゃないでしょ。

マスター個人の技量だけで勝負してる、知る人「だけ」が知る街角の小さなライブハウスに入ったつもりが、迎えてくれたのは、さっきまで、それぞれ別々の専門のフィールドで演奏してたその道のプロたちだった――という驚きだ。

2曲目では、弦に加えて、スキルフルなソプラノサックスの音。3曲目では、一転してピアノとフルートのみ。フルートが人の吐息に聴こえる。それは昔、バッハのフルートソナタを聴いて感じた心地よさに通じる体験だった。

音合わせを何度も重ねてスキのないものをつくる…というのが、CD制作をする人たち、ましてや生演奏だけで音を入れる人たちが一様に目指す方向だという先入観が私にはあったのだが、見事に、心地よく、ひっくり返された。つまり、ある種の即興の良さ、のようなもの――が感じ取れるのだ。その「一期一会」感が、なんともイイ。

音にのってくる彼のちょっと素人っぽい歌声が、また不思議に新鮮だ。これが、声楽をみっちり学びました…なんていう声だったら、「へーー、うまいねー、ほーー、すごいねー」とひれ伏して、それで終わりかもしれない。

これなら自分にも、歌えるかもしれない、歌ってみようかな――そんな、付け入るスキのある歌唱。それでいて、彼が送ってきた人生だとか、音楽が作り出す世界に対する考え方だとか、そして、自分はこの歌を聴いてほしいのだという情熱も、さりげなく伝わってくる。

自己満足レベルからプロはだしのレベルまで、彼の店ではいろいろな人が歌を歌うが、そうした幾千の歌を聴くうちに培ってきた「何か」が彼の表現にはあるように思う。

作詞は伸我。初めて聞く名前だったが、まるで自分の心の中を覗かれたように、どきりとするフレーズを書く人だ。興味を持ったので、他の作品を探してみたら、「メタセコイアの枯れ葉」に、やはりどきりとさせられた。

♪あなたを失ったことより 現在(いま)を変える勇気が少しも残っていない それが悲しい

ここにも不思議な符号。私の実家のすぐそばには、壮麗なメタセコイアの並木を持つ公園があるのだ。

そして、また、あの3曲に戻る。繰り返し聴くうちに、彼の死をきっかけに、私の思考を暗く孤独な終焉へと引きずりこんでいたOld Balck Joeが、過去の歴史的名曲というあるべきポジションに帰っていってくれた。

そもそも、彼も、彼も、私も、Old Balck Joeではない。私たちは誰も綿花畑で苛酷な労働など強いられることはなかった。Old Balck Joe――あるいはBalckという言葉を好まずOld Old Joeと歌う人もいるが――の人生は、その哀しみと寂しさは、立場を超えて多くの人の共感を呼ぶとはいえ、それは私の人生ではない。

彼も、彼も、私も、音楽にまつわる楽しみを知っている。それはある程度、私たちの親たちが授けてくれたものだ。そして、それは幸運なことだ。

彼も、彼も、私も、同じ場所にいたのは高校卒業までだ。そのあとは、それぞれ違う場所で、違う生き方をしてきた。彼にも、彼にも、私にも、それぞれが知らない人と交わることで築き上げた世界がある。生きることでしか描けない円がある。彼と、彼と、私の描く円は、時に近づき、時に交わる。

彼が歌手として参加したこのCD。その制作に携わった人たち、彼の「円」の中にいる人たちを、その才能を、私は今回初めて知ることができた。

これからも、彼と、彼と、私と、それからまた別の彼や彼女たちの描いた円は、近づいたり、遠ざかったりするだろう。ひとりの彼は、すでにこの世から去ってしまったが、彼の描いた円は、やはり確かにこの世にある。

タイムリミットが迫る直前に、彼が彼に会いに行き、実際に会えた瞬間に、彼と彼の円が交わり、そこで他人にはうかがい知れない何かが受け渡されたかもしれない。

これが彼と、彼と、私の物語だ。ロンド(輪舞)と呼ぶほど劇的でも特別でもない。だが、この機に語らずにおけるほど、私にとって小さくもない。

これからも、あなたと、あなたと、あなたの円が近づき、思いがけず交わったとき、あなたは、あなたとは別の円の中にいる人たちの美しさ、素晴らしさを知るのかもしれない。

そのときに、円は縁になる。

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%91%E3%83%91%E3%81%AE%E4%BD%9C%E3%82%8A%E3%81%B0%E3%81%AA%E3%81%97-%E9%96%A2-%E5%91%A8/dp/B07N1CHJ1T/ref=zg_bs_2129354051_26?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=XWZQ7GN08G6F2218W737







最終更新日  2019.03.14 11:37:43
2019.02.02
カテゴリ:Essay
<昨日のエントリーから続く>

同級生の死というのは、実際にそれが来てしまうと、想像していた以上の寂寥感をもたらす。ご家族やさらに近しい人々の心情を想えば、「私も悲しんでいます」などとはおこがましくて言えないが、中学という若い時代、人生を四季にたとえるなら、春のただなか、あるいは夏へ向かう、みずみずしく元気な時代のイメージしか、ほぼない人の、それも病死となるとなおさらだ。

病魔は、いくら人間が気をつけていてもふいに襲ってくるものだ。それがたまたま「彼」であっただけの話で、「彼」は「私」だったかもしれない。「彼」に訪れた終焉は、思うより早く「私」のそばに来ているのだろう。得体の知れない影のようにひたひたと迫ってくる孤独感は、「もうあの人に会うことも、話すこともできないのだ」という信じがたく、受け入れがたい事実の悲しさ以上に、自らにも迫ってきた死への恐怖なのかもしれない。

このところ、私はしばしば山口の実家へ帰る。実家に転がっている古いモノたちは、ふいに忘れた過去の記憶をよみがえらせる。たとえば、古い楽譜。

中学の英語の授業の中で、ある歌を歌ったことをふいに思い出した。

Gone are the days when my heart was young and gay,
Gone are my friends from the cotton fields away,
Gone from the earth to a better land I know,
I hear their gentle voices calling Old Black Joe.

歌詞の書かれた楽譜を机の上に立てながら、皆で歌ったとき、私の隣りの席に座っていたのは、おそらく亡くなった彼だった。

I'm coming, I'm coming, for my head is bending low,
I hear their gentle voices calling Old Black Joe.


彼を含めて、先に逝ってしまった友人たちの顔を思い浮かべながら、この歌を口ずさむ、Joeのように年老いた自分の姿が、ひどく現実味を帯びて目に浮かんだ。この歌を習った頃には、まさか自分がOld Balck Joeになるなんて、思ってもいなかったのに。

実家では、亡父の遺した持ち物を、少しずつ整理している。もう父が亡くなって10年以上。いい加減に片付けなければ。「片付ける」とは、すなわち「捨てる」もしくは、「売る」ということだが。

父が買った初期のシンセサイザーがあった。中学の頃だ。またも、忘れていた思い出が蘇る。

シンセサイザーが家にあると級友に話したら、誰より強い反応を示したのが、亡くなった彼だったのだ。「シンセサイザー、くれよー」などと言ってきた。冗談にしては声が本気すぎた。そもそもシンセサイザーなるものの存在さえ知らない人がほとんどだった時代に、なぜそこまで彼が関心を持つのか、その時は理解できなかった。

彼が音楽好きで、自分でシンセサイザーを買って曲まで作っていたのを知ったのは、彼が闘病ブログを書き出してからだ。彼所有のエレキギターの数々にも驚かされた。機能まではブログの写真では分からないが、色やフォルムからして、「コレクション」と呼ぶにふさわしい、美しき現代の撥弦楽器。

そこでまた奇妙が符合が起こる。亡父は抱えて演奏するタイプの民族弦楽器を集めていた。インドのシタール、中国琵琶、沖縄の三線、ベトナムのダン・タム、ロシアのバラライカ… すべて現地で購入してきた。父の生前は、壁にかけて飾っていたこともあるこれらの美しい弦楽器は、半ば壊れてしまったものも含めて、今も実家にある。

亡くなった彼は、「ギターもね、なんであんなに集めちゃったんだろうと思う」と、私へのメールに書いてきたことがある。病気が悪くなってきた頃で、「かみさんは興味ないから、自分で処分しないと」と、気にしていた。

もしがんと共存できたら、古民家を買って改築して住みたいというのが彼の希望だったから、古民家にあの美しいエレキギターが飾られたらさぞやステキじゃないか、と実家に遺った民族弦楽器――撥弦楽器も擦弦楽器もあるが、私から見れば形からしてギターの仲間――のコレクションを思い浮かべながら思ったが、何も言えなかった。

私だって自分で買うほどの興味はないが、「遺された」弦楽器は捨てずにいる――そんな話の流れになってしまいそうだったから。

彼が亡くなったのは、2018年12月8日。彼がCDデビューしたのが、2019年1月23日。それから、四十九日。その3日後、1月29日は父の命日だ。山口の実家で朝メールを見ると、デビューした彼からメールが入っていた。

ダウンロード配信が始まったというお知らせだった。そして、アマゾンのデジタルミュージック、アルバム、キッズ・ファミリー部門で1位を獲得したという

さっそくサイトにアクセスし、聴いてみる。マスターの彼には、なにげに驚かされることが多いが、今回も、だった。

<続く>









最終更新日  2019.02.03 00:27:39
2019.02.01
カテゴリ:Essay
彼とは中学時代に山口県でクラスメートだった。彼のお母さんが私の父のお弟子さんだったという、ちょっとした縁もあった。高校も同じだったが、科が違ったのでクラスはずっと別だった。大学は私も彼も東京。私は上野に通い、彼は本郷だったから、地理的には近くで学んでいたはずだが、特段の交流はなかった。

卒業後、私が山口の実家でくすぶっていた頃、彼は一流企業に勤め、スイスで活躍していた。彼のお母さんが私の実家にクッキーを届けてくれたときに聞いた話だ。

その後のことはほとんど知らずにきた。私は再び東京に戻り、仕事が忙しくなった。新しい仕事上の交友関係も広がり、過去を振り返ることもなくなった…というより避けていた。

そんな時代がひと段落した頃から、中学・高校の仲間がときどき集う店ができた。大都会の片隅、グランドピアノが置いてあるこじんまりとした店。マスターの彼も、私と同じ中学、同じ高校の出身。だが、私はマスターの彼とは面識はなかった。

マスターの彼の店で開かれる同窓会では、クラスメートだった彼と会うこともあった。マスターの彼は、時折ピアノを弾く。最初に店に行ったときは、ベートーベンの月光の一節を少しだけ。「子どものころ、ちょっとやってたからね」――ちょっとやってただけで月光が弾けるとは到底思えない。背筋を伸ばした姿勢の良さ。そして打鍵の強さ。本格的な基礎訓練を受けた人のものだった。

驚いたのは十年ちょっとのち。店に行くと、またほんの少しだけマスターの彼がピアノを弾いてくれたのだが、音が格段に「まろやか」になっていた。熟成された音といってもいい。ピアノを替えたのかと思うぐらい。十年弾いてりゃうまくなるでしょ、などと言うのは簡単だが、それはある程度の年齢を超えてからでは、容易なことではない。音楽に関しては、その現実はさらにシビアだ。

楽器を弾くというのは、スポーツに似ていて、技術的なピークはかなり若い頃に来る。その時期をはるかに逸したあとになって、技術を向上させるなど、並大抵のことではない。そして、相変わらずの姿勢の良さ。どうやって腹筋・背筋を鍛えているのだろう――と思ったら、高校時代に打ち込んでいたバスケットの、シュート練習を今もほぼ週一回、公園で一人続けているらしい。

そして――

クラスメートだった彼が、病気になった。

胃がん。

手術、抗がん剤。それぞれの治療の先には、常に良いシナリオと悪いシナリオがあるが、彼の場合は、ことごとく悪いほうに流れていった。闘病が続く中、東京にいた彼は、九州に居を移した。その狭間の短い間、偶然、彼は私の家の近くに住んでいて、田舎の親類にもらった里芋が多すぎて、おすそ分けに持って行ったことがある。

里芋を玄関先で渡し、階段をおり、停めておいた自転車にまたがって帰り道をこぎ始めた私に、彼がふいに、「また、ゆっくり」と声をかけてくれた。私は振り返って、彼に軽く手をあげて応えた。彼がそんなに律儀に、こちらの帰路を見守ってくれてるとは思っていなかったから、驚いた。

「また」はあるだろうか? 正直に言ってしまうと、「ないかもしれない」と思った。

彼が九州に引っ越すことは決まっていた。戸口に立つ彼は元気そうだったが、がんというのは、いよいよの末期となるまで、案外元気でいられるものだ。彼はブログで自らの病状について詳しく綴っていて、「転移」「腹膜播種」の文字は、父をがんで失った経験のある私には……

彼が九州に行ったあとも、私はマスターの店に行った。東京在住の同窓生たちに会うために。頻繁にではない。だからこそ、行くたびに思うのは、駅からの道、あまりに多くの店がなくなり、新しい店ができていること。一瞬、道を間違えてしまったかと思うほど。それでもしばらく行けば、見慣れた彼の店がある。

「ここは何年? 長いよね」――ひとつの店、ひとつの仕事。それをやり続ける困難さを知る人だけが、彼のことを褒める。

九州に行った彼の病状がいよいよ差し迫ってきた頃、マスターの彼が、どうやらCDデビューをするらしいという話を知った。マスターの彼はピアノも弾くが、自分で作詞・作曲もする。てっきり、シンガーソングライターとしてデビューするのかと思っていたら、そうではなかった。

彼はとっくに、適材適所の才能を自分の周囲に見つけ、関係を築いていたのだ。

マスターの彼もブログを書いている。CDデビューに向けて、また日々の仕事でエネルギッシュに動き回っている。病気の彼もブログを書き続けている。東洋的な諦念と、そうしたものに抗うべきとする西洋的な意志の向こうに、どうにもならない終焉が迫ってくる。

冬のある日、マスターの彼は、多忙を縫って、そして迷った末、九州の彼を見舞ったという。

彼が亡くなったと知らせがきたのは、それから1か月もたたないうちだった。

<続く>

 







最終更新日  2019.02.02 20:59:40
2019.01.26
カテゴリ:Essay





Mizumizuは現在、ペッパーミルはプジョー製、ソルトミルはコール&メイソン製を使っている。ソルトミルのほうはもうずいぶん長く――おそらく15年以上は――同じものを使っている。毎日使うほどではないが、といってほったらかしということもなく、常に食卓の上にあり、切れることなくピンクソルトが入っていて、しばしば使うという感じ。

ペッパーミルのほうは、ソルトミルより少し早く、ウサギ形のものを買った(メーカー名は失念)が、数年で壊れてしまい、次におしゃれっぽい小物を売っている店で、1000円ちょっとの安いものを買ったが、それもすぐに胡椒の詰まりがひどくなり使えなくなってしまった。そこで、質に定評のあるプジョー製に替えたら、それ以来ずっとトラブルなく快適に使えている。

コール&メイソン製のソルトミルはオーストリアのバートイシュルの岩塩専門店でピンクの岩塩を買ったときに、それ用ということで買ったもの。話が逸れるが、ここで買ったピンク岩塩は、日本でよく売っているヒマラヤのピンク岩塩なんて及びもしないほど美味だった。塩の味の中に不思議な甘みがあり、まろやかな味。記憶の中で美化されている部分もあるとはいえ、その後、あの味を越える塩にはお目にかかれていない。

で、ミルに話を戻すと、壊れないのでずっと使い続けていたのだが、先日、ピンク岩塩が切れて、たまたま気まぐれでクリスマス島のクリスタル結晶の塩を買ってみた。何の気なしにソルトミルに入れると…あれ? 削れない。なんだか滑ってしまっているようだ。

調べてみると、ソルトミルは厳密には岩塩用と海塩でギア(刃)の作りが違うようだ。それはそうかもしれない。だが、Mizumizu所有のは刃はセラミック。セラミックなら海塩でも大丈夫な気がする。

ま、もし海塩が原因で削れないのなら、岩塩にすればいいだけだ。というわけで、いつものピンク岩塩を買って入れてみた。が、結果は同じだった。滑ってしまっているようで、削れない。

「ソルトミル 削れない」で検索してみたが、たいした妙案はなかった。

塩を全部出して、構造をじっくり見る。バラすことはできないが、中にバネが入っていて、頭部のツマミを閉めるとその圧力で、上下になっている下のほうのギアが移動し、噛み合わされて削るというシンプルなものだ。

下のギアの部分を見ると、だいぶ塩がついている。単純に、これで削れなくなっているように見える。だったら、水洗いして、しっかり乾かせばよいだけの話ではないか?

バラせないから乾燥させるのがちょい難しいかな、とは思ったが、もし水洗い→乾燥で直らなかったら、それは壊れたということだし、コール&メイソンはギアを交換してくれるという話もあるので、聞いてみてもいい。

というワケでお湯を勢いよく流し、そのあと少しお湯につけてセラミックのギア部についた塩を除去してみた。

これが洗浄後。こびりついていた塩はきれいに取れた。

そして、内部の乾燥には、コレ↓

ダイソンのヘアドライヤー! 

コイツがすんばらしい働きをしてくれた。このドライヤーは、元来のドライヤーとしても、心からおススメできる。あっという間に髪が乾いて、しかもふんわりとボリュームが出る。値段は飛び切りだが、実にGOODなドライヤー。

コイツをコール&メイソンのソルトミルの開口部に近づけて、中の水滴を次々と飛ばしていった。ドライヤーだけでほぼ乾いたといえるぐらいになったが、それでも念のため、数日放置して自然乾燥。

で、ピンク岩塩を再度入れたら…

おー! ちゃんと削れる。新品に戻ったようだ(って、新品時代のことは実はもうよく憶えてないのだが)。



これでまた使える。めでたし、めでたし。こんなことなら、もっと早く、というか、もっとマメに水洗いするべきだった。

コール&メイソンのセラミック・ギアは、実に秀逸なのだなあ…と改めて感心した。クリスマス島の海塩が削れるかどうかは、実はまだ試していない。

大丈夫な気がするが、万が一、せっかく直ったミルなのに、海塩が原因で削れなくなってもイヤなので、海塩用のソルトミルをもっとしっかり調べてから、ピンク岩塩が終わったあとにこのミルに海塩を入れて使うか、あるいは別に海塩用のミルを買って、同時に違う塩を楽しむのもいいかな、とも考えている。

もちろん、次に買うのも、定評あるミルメーカーのものにするつもり。






最終更新日  2019.01.26 23:31:05
2019.01.18
カテゴリ:Gourmet (Sweets)





新宿の伊勢丹デパートの地下食品売り場で、わりと目立ってるFika。ショーケースをのぞくと、いかにも北欧風のクッキーが並んでいる。


箱のデザインも北欧風でカワイイ。


てっきり北欧のお菓子屋が日本に進出したのかと思いきや、実は北欧をコンセプトにした伊勢丹オリジナルブランドだった。

そのせいかのか、デザインはいかにも日本人がイメージする北欧だが、味はきっちり日本人好みになっている。パッケージのデザインもこじゃれているので、お土産にも良さげ。

クッキーの種類ごとに写真手前のようなモダンでカラフルなデザインの箱がつく。詰め合わせも用意されていて(上の写真の向こう側の細長い箱)…


中身はこんな感じ。左側の馬形クッキーは、封をあけるとふわっとバターの香りが漂うしっとり系。

右のパウンドケーキは…


シナモンがこれでもかってぐらい効いている、案外に大人の味。


こちらの箱詰めクッキーは、ハッロングロットル
という名前らしい。へー、何語だ? 知らなかった。この名前自体は知らなかったが、この手のクッキーはよくある。生っぽい生地にジャムを詰めたモノ。こういうクッキーが好きな人には美味しい。逆に嫌いな人には、やっぱり受けないだろうなと思う(まったくもって意外性のない感想だ)。

ちなみに、Mizumizuは大好き。生地はバター感ほのかで、甘さも控えめ。口に運ぶとほろほろと崩れる。写真のジャムはアプリコット。このほかにストロベリーもあるが、個人的にはアプリコットジャムが好き。この手のクッキーはよくあるが、その中でも素材の良さが光る。リピート確定。



上の写真右は、ストロベリージャムのハッロングロットル。ジャムがあまりに甘くてフツー過ぎた(だから、こちらのリピートは、ないな、多分)。
左はシナモンとジンジャーを効かせたハード系のクッキー「ペッパルカーコル」で、ハッロングロットルのようなふにゃっとしたクッキーは苦手、でもスパイスを使った硬めのクッキーは好きという人には受けるだろう。ちなみに、Mizumizuはどっちも好き。ペッパルカーコルは、明らかに大人の味。

子供向けかと思いきや、案外に大人向けのクッキーだった。しかも、様々な嗜好に応えられるようにラインナップが幅広い。幅広いから、誰に贈っても、1つは好みのものがありそうだ。その意味でとても無難なお土産だと思う。

クッキーは日持ちもするし、見た目も味も高レベル、実家へのお土産にしようかな――と、思ったら、同じようなことを考える人が多いのか、新宿伊勢丹のFika売り場、2018年の年末は凄いことになっていた。


見よ! この「中間地点」のプラカード。行列が長すぎて、他の売り場の迷惑になるので、行列をいったん区切っているのだ。


「最後尾」はさらに遠い。これじゃ、いつになったら買えるか分からない。

もちろん、こんなことになっていたのは年末の帰省シーズンだけ。クリスマスの頃もそれなりに行列だったが、これほどではなかった。いやいや、人気店なのね、Fika。

だが、人気店はたいてい、凋落も早い。

それこそ毎週末「中間地点」のプラカードが掲げられてた、東京進出当時の堂島ロールも、いまや行列どころか、買い手すらまばらな状況。そのうち東京から撤退するかもしれない。つくづく、ブームというのは続かない。

帰省シーズンのFikaの人気も、いつまで続くだろう? とりあえずMizumizuは、混む時期を外して買う、ことに決めた。






最終更新日  2019.01.18 17:52:50
2019.01.09
カテゴリ:Gourmet (Sweets)





ホレンディッシェカカオシュトゥーベのお菓子は、クセになる味のものが多い。一口食べてインパクトがある派手なスイーツとは一線を画す、どこか懐かしい正統派の味。

こちら↓のマルガレーテクーヘンも、いろんな意味でドイツっぽさ満開。


マルガレーテ=マーガレット、クーヘン=ケーキという、工夫も何にもない、見たまんまのストレートなネーミング。満開のマーガレットの花一輪を、ケーキの上に咲かせたベタすぎるデザイン。かわいいと言えば、かわいいが、小学生の描く絵みたいだ。

切り分けてみると…




それなりにかわいい。そして型崩れしないのが素人にはありがたい。

味はといえば… しっとり・さっくりした、少しだけサバラン寄りのパウンドケーキといったところ。ラズベリーで爽やかさをプラスしたアンズジャムが、そこはかとなく効いている。この「効き目」、最初はそれほど意識されないが、何度も食べるうちに、クセになってきて、「また食べたいなー」という願望を時限爆弾のように、あとから呼び起こす。

不思議だ、ホレンディッシェ・カカオシュトゥーベ。

花の材料はマジパンだそうで、それだけで食べるより、生地と一緒に味わったほうがいい。花の部分だけだと、あまり美味しくはないのだが、生地の風味にしっとり感をプラスし、アーモンドの風味を加える。ここにあまり主張しすぎないフルーツの甘酸っぱさが忍び込み、なんとも言えない独特な味になる。ふんだんに使われているバニラビーンズの甘やかな香りもいい。

単純なようでいて、奥深い味。奇をてらうことのない正統派の、洗練されたドイツ菓子。いいなぁ、ドイツ。フランスやイタリアとは違う美意識とこだわりがお菓子にも息づいている。






最終更新日  2019.01.09 18:13:57
2019.01.08
カテゴリ:Gourmet (Sweets)





2017年7月の記事(​こちら​)で紹介したホレンディッシェ・カカオシュトゥーベ。あの当時は、値段設定も高めだし、もしや数年内に撤退してしまうかな…と危惧していたのだが、なんのなんの。店舗を増やし、快進撃を続けている。

一番のオススメは何といってもバウムシュピッツ。


その他にも様々なラインナップがあり、それぞれにファンがついているようだ。クリスマスの時期に新宿伊勢丹の店舗に行ったら、それなりに混んでいた。「ま~、そんなものかな。クリスマス過ぎればすくでしょう」と思い、年末に銀座三越の店舗を覗いてみたらびっくり!

なんとなんと長蛇の列ができているではないか。

こんな感じで、店のショーケースに近寄ることもできない混雑ぶり。「最後尾」のプラカードを持った人がお客の整理に当たっていた。

これじゃ、買うまでに小一時間はかかりそうだ。

こんなに混むことはめったにないので、もちろんこの日は何も買わず。想像するに、年末の帰省にあわせ、ちょっとオシャレなドイツ菓子をお土産に買いたい人が多かったのだろう。確かに、ありそうでなかなかない味だし、日持ちするものも多い。それにしても、こんな行列になるほど人気沸騰(?)してるとは思わなかった。

で、明けて1月5日、土曜日。同じく銀座三越店の同店舗を覗くと…



コレ↑、年末とほぼ同じ方向から撮ってるのだ。年末は人が多すぎて近づけなかっただけ。1月5日になると、あの行列は夢か幻かってぐらい、ショーケースが遠くからも丸見え。

この落差に二度びっくりした。

結論:「ホレンディッシェ・カカオシュトゥーベは年末は避けるべし」。

バウムシュピッツがイチオシであることは変わりないが、もちろんそれだけではない。



こちらは王道のバウムクーヘンのチョコレートがけ、その名も「クラシックバウム」。材料を比べると、バウムシュピッツに使われているアンズのジャムがこちらには入っていない。素材の違いはそれだけのよう。

バウムシュピッツにアンズが使われているとはいっても、真ん中に薄いジャムの層がサンドしてあるだけなのだが、Mizumizuはほのかなアンズの風味が漂うバウムシュピッツのほうが好み。逆に、ジャムの風味は邪魔だと思う人にはクラシックバウムのほうが好まれるかもしれない。

あとは、チョコレートの量の違い。バウムシュピッツは細かく切ったバウムクーヘンをそれぞれチョコレートでコーティングしているので、チョコ量が多い。このバランスの違いも好き嫌いの分かれ目だろう。もちろん、Mizumizuはチョコレート量が多いバウムシュピッツに軍配。

その他のオススメのアイテムについては、また次回のエントリーで。






最終更新日  2019.01.08 22:16:02
2018.12.28
カテゴリ:Figure Skating(2018-2019)





2019年全日本フィギュアの目玉は、なんといっても高橋大輔選手の復帰だろう。彼が現役復帰したことで、普段なら静かな地方大会までが、集結した大ちゃんファンの熱気に包まれていた。引退して何年も経っているというのに、この集客力には目を見張るものがある。

今回の高橋選手の全日本での演技、一言で言えば、「いや~、いいもの見せてもらいました」。

同時に現役の選手に欠けているもの、今のルールの偏りも改めて認識した気がする。

ショートの「シェルタリングスカイ」は、高橋選手の代表作の1つになるであろう傑出した出来。シンプルだが官能的な旋律が、高橋選手のパフォーマンスによって、より情感を持ってこちらに迫ってきた。

彼の動きを見ていると、いかに今の選手たちが上半身棒立ちで、腕だけグルグル動かしているだけかということがよく分かる。高橋選手は腰から上半身を大きく動かし、さらに首から上ではまったく違う方向のモーションを加えたりする。

それだけ言えばダンサーのテクニックなのかもしれないが、高橋大輔はやはり一義的にはフィギュアスケーター。それも一流中の一流のスケーターだ。深いエッジを使いながら、時に伸び伸びと時に細やかに滑りつつ、上半身の複雑で華麗な動作を有機的にまとめている。

音楽がその動きを引き立てるが、高橋選手の動きがまた音楽を引き立てる。その相乗効果が観客の心を奪う。

ショートの流麗なステップシーケンスに入る前の、両手を天に向かって大きく広げる一瞬の仕草が、フリーのコレオシーケンス冒頭のスタイリッシュな動きが、脳裏に焼き付いて離れない。こんな選手は、やはりどこにもいない。

現行のルールは、ジャンプとスピンに重点が置かれている。いかに難しい入り方をし、いかに回り切り、いかに素早く次のモーションに入るかでGOEが付けられるジャンプ。一定のポジションをキープしながら規定数をしっかり回り切ることを重視するスピン。これらは、客観的に採点をする、その判断基準としては優れていると思うが、回転に重きを置くということは、選手としてのピークが早くなることでもある。

「20歳すぎると、ジャンプやスピンの技術が落ちてしまう」とは、町田樹氏の言葉だが、まさにその通り。シングル選手のピークは明らかに以前より早くなった。女子などは、ジュニアからシニアに上がった、その1年目が技術的には一番安定しているといった様相になり、その「少女潮流」はとどまることをしらない。

ロシアの女子が、現状を最も端的に示している。ザギトワが完璧な演技で五輪女王に輝いてから、まだ1年も経っていない。それなのに、国内大会で表彰台に立てなかった。そのたった1年前、無敵の強さを誇っていたメドヴェージェワ選手は、ジャンプの失敗やスピンのレベルの取りこぼしを繰り返している。今年のロシアの国内選手権で台のりしたのは、幼い体形の少女たち。

より多く回転するジャンプ、より速く正確に回るスピン。こうしたフィギュアスケートのスポーツ面を重視すれば、女子の場合は特に、体も軽く、恐怖心もあまりないローティーンが強くなる。それはそれで客観的な採点を旨とするスポーツ競技としては、十分に「アリ」な話だろう。

だが、それでは、フィギュアスケートの将来は? この競技の持っていた芸術的な側面はどうなるのだろう? 15歳でピークを迎え、20歳でもう引退する競技に、ファンは身体表現が生み出す芸術性を見出しうるだろうか? フィギュアスケートを見る楽しみの1つは、選手の成長を見守るという点にある。去年より滑りに味が出てきた。去年より表現に深みが増した――ソチの女王だったソトニコワ選手も、団体金の貢献したリプニツカヤ選手も、そういった「成長」のもたらす感動を観客と分かち合う前に、心身の問題で第一線から消えていった。

今のままのルールが続けば、平昌の女王も、北京の女王もおそらく同じ運命だ。数年後には、人々は次々に出てくる優れた若い選手を見るうち、いつの間にか表舞台から姿を消した、前の五輪の女王の名前さえ思い出せなくなる。

高橋大輔のパフォーマンスは、こうした現在の潮流に警鐘を鳴らすものだった。

宇野昌磨選手は現役トップ選手の中では、最も表現力の優れた選手だ。それでも、高橋大輔選手の圧巻の情感表現の前ではかすんでしまった。高難度ジャンプと難しいポジションでのスピンは素晴らしかったが、芸術性では、やはり高橋選手の右に出る者はいない。

高橋選手のフリーのコレオシーケンス(レベルは一定)のGEOで「5」が並んだことで、本田武史氏は、「3回転ジャンプ1つ分」になった説明した。それだけ得難い評価を得たということなのだが、逆に言えば、コレオシーケンスでここまで評価されても、たったそれだけの点にしかならない。だったら、点を伸ばすためには、4回転ジャンプの練習をひたすらしたほうがいい。

これでは、より高く・遠くへ跳び、速く回れる選手は出ても、ステップやスケーティングをもって生み出す情感表現で人々の心をわしづかみにするトップ選手は育ってこない。

ダンス表現は体全体を使うから、体力も当然使う。今のルールは、「やらなくてはいけない条件」が細かく規定されているので、それをクリアするために選手たちは体力を使い果たしている。当然、プラスアルファの身体表現まで回らないから、「表現力」はカッコいい一瞬のポーズや表情に頼りがちになる。

高橋選手が今回見せてくれた、深いエッジを使った華麗なスケーティングと、体全体で表現するエモーション、その芸術性。

彼は過去の選手ではない。フィギュアスケートの可能性、「今の延長」とは違う未来を見せてくれる選手だ。






最終更新日  2018.12.29 10:33:13
2018.12.24
カテゴリ:Figure Skating(2018-2019)
今年のフィギュアスケートのフリーは見ごたえ十分だった。優勝候補の選手たちは皆素晴らしいパフォーマンスをやってのけ、最後まで誰が勝つのか分からなかった。

キチガイみたいに厳しい回転不足の判定もなく、点数の出方も分かりやすい。演技構成点は紀平選手のSS(スケートの技術)をもう少し出しておいたほうがよかったように思うが、
宮原75.09、坂本73.25、紀平72.06
という上位3人に対する採点は、宮原選手の細部まで行き届いた成熟した表現力を最も高く評価し、坂本選手の勢いとしなやかさの向上を認め、紀平選手はややジャンプにばかり意識がいっていたところを辛く見られたと解釈できる、個人的には点差も含めて妥当で良い採点だったと思う。

総合4位の三原選手69.77点、5位の樋口選手66.22点と、メダル圏内の3人と露骨に70点ラインで線引きがあるのはいただけないが、このごろの演技構成点は技術点の出方によって露骨に上がったり下がったりするので、三原選手や樋口選手が上位3人と明確に実力差ができたという話ではないと思う。また、来季の頑張りで評価は変わってくるだろう。

紀平選手はショートでトリプルアクセル失敗と、3+3が3+2になってしまったという2つのジャンプの大失敗が尾を引いてしまった。トリプルアクセル自体はコケたとはいえ、認定してもらっているので基礎点は入っている。問題は次のジャンプ。これを3+3にできなかったのが、なんといっても痛かった。

坂本選手は、すべてのジャンプを高次元の質でまとめてみせた。3+3の大きさやスピード、流れの素晴らしさは、テレビでも何度もリピートされているので繰り返さないが、あまり取り上げられていないが凄い、と思うジャンプが単独のループだ。

あの難しい入り方でジャンプに入り、しかも跳ぶ直前の構えが非常に短い。滑りながらの回転動作がそのまま空中での回転に移動するようなマジカルなジャンプで、ジャンプそのものに飛距離も高さもある。ループは、たいていの選手は、跳ぶ前に一瞬流れが止まるし、構えてしまって姿勢が前傾になる人が多い。坂本選手のループは、あまりにスムーズで美しい。

GOEで「5」もあるが、当然だと思う。この加点の付くジャンプを後半に入れて、ショートでは5.39点の基礎点に対し7.35点、フリーでは7.14点という点を叩き出している。単独ループとしては破格の得点と言っていいだろう。ショートに基礎点の高いルッツを入れずに高得点を出すのは、連続ジャンプの素晴らしさと同時に、ループの凄さもあるというのは強調しておきたい。

逆に世界女王を睨んだ時、不安になるのがルッツのエッジ。坂本選手はフリーに1回しかルッツを入れないが、エッジ違反判定はほぼお決まり状態。問題は「!」でとどまってくれるか、「E」になってしまうか。

今回の全日本フリーのルッツはアテンション「!」判定で、スロー再生がなかったが、録画を何度かリピートしてみると、どうもインに入ってしまっている――つまりE判定になってしまっても文句は言えない踏み切りだった。

過去の坂本選手のルッツに対する判定を見ると

平昌五輪 E判定 GOEは-2~0で、-1が多い。得点は基礎点4.62に対し4.02
スケートアメリカ !判定 GOEは-2~0で、0が多い。得点は基礎点5.9に対し5.65
ヘルシンキ E判定 GOEは-2~0で、-1が多い。得点は基礎点4.43に対し3.99
ファイナル 認定 GOEは1~4で3が多い。得点は基礎点5.9に対し7.59
全日本 !判定 GOEは-2~2で0が多い。得点は5.9に対し6.07

と一貫しないが、ファイナルで認定されたのは、まぁ、判定するカメラの位置のせい――もっと率直に言えば見逃しだろうと思う。認定されれば加点が多く付く質のジャンプだが、逆にE判定をくらうと、相当に減点がきつい。!判定なら全日本のように無理やり加点ジャンプにすることもできるが、それは好意的な採点で、通常は減点ジャンプになってしまうと考えるべきだろう。

Eか!かによって、得られる得点は、4点から6点ぐらいの幅がある。それでも、エッジを気にしてしまって失敗すると元も子もない――全日本フリーでの宮原選手のフリップ失敗は、「!」判定にならないよう気にしてしまったことが背景にあるように思う――から、これまでのように思い切って跳ぶしかない。E判定でも、失敗さえしなければ4点ぐらいは入る。!判定なら5.5点ぐらい(全日本の6.07はオマケしすぎ)。

ルッツのエッジが不安でも、坂本選手には凄い加点の付くループがある。今回の優勝は、多分に紀平選手のショートの2つの大きな失敗に助けられたという側面はあるが、試合では、何が起こるか分からないのだ。

ロシアの国内選手権でも、ショートで完璧な演技を見せたザギトワ選手がフリーで大崩れした。聞けば飛行機で移動する予定が、悪天候のため寝台車での移動を余儀なくされたという。

今回の優勝を自信に、坂本選手にはワールドでも素晴らしいパフォーマンスをしてほしいと願う。幸い次のワールドの舞台は日本。だいたいオリンピックの翌年は、世界大会でもジャッジは日本人選手に好意的だ(そこで期待をもたせ、衆目を集めたあと、あーら不思議、五輪前になるとなぜか点が出なくなる)。

だが、そんな「大人の事情」には関係なく、一度でもワールドで金メダルを取れば、その後の人生が変わる。紀平選手だけではなく坂本選手にとっても、そしてもちろん、宮原選手にもチャンスはある。頑張って欲しい。






最終更新日  2018.12.24 18:03:42
2018.12.17
カテゴリ:Figure Skating(2018-2019)





本田真凜選手のスター性については、Mizumizuは早くから注目していた。五輪前にはスポンサーもどっさりついて、お膳立てもバッチリ。あとは本人の「成長」を待つばかりだったのが、五輪シーズンに失速し、代表に選ばれなかったのは周知のとおり。

飛躍を期して渡米したが、今シーズンも今のところ鳴かず飛ばすの状態だ。ところが、ネット上に出てくる記事には、それなりの活躍をしている坂本選手や三原選手を無視して、「本田真凜 復活へ…見えた変化『嫌い』なスピンで最高評価」だとか「紀平梨花に本田真凜は追いつくことができるのか」などといった提灯持ちライターの的外れな持ち上げが目につく。

スピンに関しては、宮原選手だって、三原選手だって、坂本選手だって、スピンは最高評価のレベル4をずらりと並べている。取りこぼしはわずかだ。わざわざ記事にするほど突出したことではない。

対・紀平選手に関しては、上記の記事を執筆した折山淑美氏によれば、今の本田選手は新しい環境に慣れていないだけで、練習環境に慣れ、嫌いな練習に我慢して取り組めば、紀平選手と十分競うことができるという結論だが、成績がのびない理由の筆頭に挙げられるジャンプの回転不足は、特に体の成長と体形変化が絡んでくる時期の女子は、環境の慣れや練習だけでは克服できない場合が多いのだ。そもそも、これほど成績がぱっとしない本田選手を引き合いに出すのなら、宮原選手だって、三原選手だって、坂本選手だって、十分に紀平選手に追いつける可能性はあるし、今はそちらの可能性のが高いだろう。

今はライターの記事に一般人のコメントがつけられるものも多いから、それにも着目しているが、本田真凜選手に関しては、ライターの的外れぶりを指摘するきついコメントが多い。それだけならともかく、本田選手のすべてを頭から否定するような感情的な「悪口」も。明らかに、ライターの持ち上げが本田真凜の「アンチ」を増やしている。

今季の本田真凜選手の演技をいくつか見たが、やはりスター性は十分な逸材だと思う。お金をかけた華やかな衣装が実に似合う。演技の入るときの自信にあふれた顔つきは、「演じることが好き」「見てもらうことが好き」な彼女の性格をよく示しており、演技中の楽しそうな表情は、見るものを幸せな気分にさせる。スケーティングにも天性の音楽性が溢れている。

フィギュアスケートの観客は、テレビ中継で客席を見ると分かるが、年齢層の高い女性が主だ。チケット代が高いということもあるだろうが、もう少し若い人たちの観戦を増やしたい。本田真凜のアイドル性は、若い男性にファン層を広げてくれるのではないかと期待したい。

だが、成績が伴わなければ、いくら華があっても高いチケット代を出してまで見たいというファンは増えない。本田選手の今の問題は、なんといってもジャンプにある。女子選手の多くを苦しめる回転不足問題だ。

プロトコルを見ると、本田選手の回転不足の多さがいやでも目につく。特に、3回転+3回転に関しては絶望的だ。いや、それどころか3回転+2回転の連続ジャンプさえあやうい。今のところなんとか光明を見て取れるのは2A+3Tだけで、もっと言ってしまうと、単独の3回転にさえ不安がある。

アメリカ大会はアクシデントがあったようだが、それにしても…
ショート
3Lo+3T<
3F<

フリー
3Lz+3T<< 
3F< (!)
3S<
1A+3T<
3F<+2T+2T<(!)

フランス大会
ショート
3Lo<+3T<

フリー(3ルッツ/3フリップ+3回転は回避)
3Lo<
2F+2T<+2Lo<
このとき回転不足やエッジ違反などの減点がなかった連続ジャンプは
3F+2T
2A+3T

言葉を失ってしまうほど深刻な状態だ。

ジュニアのころには跳べたけれど、シニアになって体が成長したら跳べなくなる典型のパターンで、これをこれからまた体形が変化する時期に立て直していくのは本当に難しい。

特にバカげているのは、ショートで3ループに3回転をつけているところ。3ルッツ/3フリップからの3回転連続が跳べなくなっているからだろう、というのは容易に想像できるが、ループというのは、これまでのジャッジの傾向から見ても、回転不足が取られやすく非常に危険なジャンプだ。

今季のルール改正で、回転不足の範囲が少しだけだが広がり、さらに厳しく取られる条件がそろっている。事実、男子でも、羽生選手やチェン選手など、これまで回転不足をあまり取られなかった選手のジャンプでも、少し足りないまま軸が傾いたまま降りてしまったジャンプにはアンダーローテーション(<)がついている。ザギトワ選手のループの3+3も同様、ロシア大会で回転不足を取られている。

本田選手の3Lo+3Tは、ショートでは認定ゼロ。単独のループさえアンダーローテーション判定されている。フリップからの連続ジャンプも3連続になると認定ゼロ。
3F<+2T+2T<
2F+2T<+2Lo<
これでは、わざわざ3回跳んで、減点してくださいと言ってるようなものだ。最後の2回転ジャンプなどつけても大した点にはならない。世界トップを競い合う状態なら2回転ジャンプ1つの点でも重要になってくるが、「ファイナルに出られるかどうか」の線上にいる選手には、3連続を「跳んで見せる」ことより、まずは2連続ジャンプのセカンド2回転であっても確実に回り切ることが大事だろう。

今はショートから3回転+3回転を跳ばないと優勝争いには絡めない。だが、本田選手の今の状態は、とても3+3レベルではない。ならば、一見きれいに見えて、ほぼ確実に回転が足りていない3ループ+3トゥループなどやめて、ショートでは3フリップ+2トゥループにレベルを落とし、まずは確実に回り切るところをジャッジに見せなくてはダメだ。

このまま続けて、どこかの試合で甘い判定があったとしても、確率からしたら、「跳べていない」状態であることは明らか。

そして、フリーでは2A+3Tを「活用」する。3連続はあぶないので、とりあえずは確実に2連続のみに。全日本では、いったんそれで認定具合を見てはどうだろう。

Mizumizuがアルトゥニアンコーチを一貫して評価しないのは、彼の「回転不足判定軽視」の姿勢があまりにあからさまだから。

最も印象に残っているのは、リッポン選手がどこからどうみてもダウングレード判定の、4回転ルッツを「降りた」ときのアルトゥニアンコーチのはしゃぎぶりだ。

解説は当時、本田武史氏で、「完全に反対向きに降りてしまっている。ダウングレードでしょう」と残念そうに言っていたが、リッポンとアルトゥニアンはキス&クライで手に手を取り合って喜んでいた。

旧採点時代なら、コケずに高難度のジャンプを降りれば快挙だっただろうし、明らかにダウングレード判定されるほどの回転不足でもコケなかったのはある意味たいしたものだが、現行の回転不足を重く減点するルールになって、すでに長年たっていた。

それなのに、誰が見ても大幅な回転不足の4ルッツを「降りた」からといって、選手と一緒にはしゃいで見せるというのは一体どういうことなのか。

女子のワグナー選手に関しても、Mizumizuは、ルッツのエッジと3+3の回転不足判定のブレ――すなわち、アメリカの国内大会ではひどく甘く判定され、そのままワールドに来ると、突然判定が厳しくなること――への疑問を呈してきた。

ワグナー選手は素晴らしい選手だが、エッジと3+3には、どうにもスッキリしない部分があるのは、テレビで観戦していても感じていた。アルトゥニアンは、「ジャッジは時々(回転不足を)見る。時々見ない」といった発言をしていて、確かに現実はその通りなのだが、「時々見ない」ことを期待して高難度ジャンプを組み入れたら、どこかで破綻するのは明らかだ。

その点、ミーシンコーチは回転不足を非常に重く見て選手を指導している。トゥクタミシェワ選手が3ループ+3トゥループを跳べるにもかかわらず(しかも、決まればかなりの加点が期待できる)、ショートでは3トゥループ+3トゥループできているのはそういうことだ。ミーシン門下の選手は、ジャンプが非常にクリーンだ。

本田真凜選手に今必要なのは、いったんジャンプの難度を落とすことだろう。確実に跳べるジャンプ構成でクリーンに滑ってこそ、世界のトップに返り咲く道がひらける。






最終更新日  2018.12.17 21:40:52

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