2008/08/07(木)20:45
まごうことなき傑作『恐るべき子供たち』
ヌーベルバーグの先駆けとして現在では高い評価を得ているジャン・ピエール・メルヴィルの『恐るべき子供たち』。新進の映画監督だったメルヴィルの『海の沈黙』を見て感銘を受けたコクトーが、長い間同意しなかった自身の小説の映画化を彼に委ねた。条件はエドゥアール・デルミットを主役にすえること。もう1つの条件として、美術はクリスチャン・ベラールに担当させるはずだったのだが、ベラールが急死してしまったことで、設定年代の変更を余儀なくされた。
コクトーは1947年に、パレロワイヤルの画廊で画家志望だったエドゥアール・デルミット(当時22歳)に出会った。レーモン・ラディゲの面影を宿すデルミットを一目で気に入ったコクトーはその場で、ミリィ・ラ・フォレにジャン・マレーと共同購入した別荘の庭師の助手として採用。まもなく「息子」として厚く遇するようになった。同年のコクトー監督の映画『双頭の鷲』でもデルミットをエキストラとして出演させる一方、監督の助手も務めさせる。
その後、マレーはコクトーとの同棲を解消し、デルミットがコクトーと一緒に暮らし始める。デルミットは、1949年8月に撮影が始まった『オルフェ』でのセジェスト役を経て、12月からこの『恐るべき子供たち』の撮影に入った。デルミットは1951年に正式にコクトーの養子となり、唯一の遺産相続人に指定されている。
ジャン・コクトーとしては、『恐るべき子供たち』の主役に抜擢することで、マレーに与えたような飛翔のチャンスをデルミットにも与えようとしたのだろう。だが、病弱で線の細いポール役にデルミットは明らかにふさわしくなかった。おまけに演劇経験がほとんどない未熟さはいかんともしがたかった。
『恐るべき子供たち』は、公開当時は批評家からは不評だった。だが、その後作品自体は見直され、評価が高まっていく。時代がコクトーに追いついてきたのだ。だが、主役がミスキャストだったという事実は変わりようもなく、監督自身も認めざるをえなかった。
たとえばこれ。
親友のジェラールにポールが寄り添うシーン。少年の面差しを残すジェラールにはそれなりの雰囲気があるのに、ポールが妙にゴツいせいで、バランスがとても悪い。
こちらも、ショットとしては素晴らしい。ゆったりと曲がって下る石畳の道。両脇の石造りの商店街。そこを脱兎のごとく駆けていく少年と少女。絵画的な美しさと詩情にあふれたシーンなのに、デルミット(右)のやけに発達した下半身と半スボンがすべてをぶち壊している。
阿片の幻想の色濃い場面でも、ポール役のデルミットが台詞をしゃべらずにナレーターのコクトーが全部フォロー。夢幻の世界にふさわしい不思議な効果…といいたいところだが、デルミットが「しゃべれない役者だからナレーションでごまかしてる」という印象に。
デルミットはみょ~に肉体を露出させる。この変にセクシーな黒い(黒じゃないかもしれないけど)パンツは何!? いっておくが、ポールは石入りの雪球を投げつけられて吐血し、そのまま学校に行けなくなってしまうような病的な少年なのだ。一度なら許すとしても…
Mizumizuの選ぶ『恐るべき子供たち』、ワーストシーン。姉ちゃんと弟が無邪気(?)に、どちらが先にお風呂に入るかでケンカし、どちらも意地になって譲らず、結局2人で入ってしまうという展開なのだが、2度までもこのムチムチに発達した下半身を見せられて心底ゲンナリ。
このときデルミットは24歳。ジャン・マレーも同じ年ごろの頃コクトーと出会い、コクトーの原作・演出の舞台『オイディプス王』でほとんど裸で舞台に立っいる。
これがコクトーとマレーのコラボレーション第一作。
どっちかというと、この「頭のてっぺんからつま先までミケランジェロのダビデ」とパリの観客を瞠目させた美青年の動画映像を残してほしかった。マレーは初期の時代こそ、コクトーの演出に素直にしたがって脱いでいたが、すぐにそうした肉体美を売り物にすることを嫌がるようになる。マレーが25歳だった戦争直前の1939年には、『恐るべき親たち』を映画化しようとしたのだが、ヒロイン役をめぐって出資サイドとコクトー&マレーが対立し、結局映画は流れてしまった。今となってはジャン・マレーが文字通り(?)「見かけだけ俳優」だった20代半ばの映像は、舞台のスチール写真しか残っていないのだ。『悲恋(永劫回帰)』のマレーは、すでに29歳だった。
『恐るべき子供たち』に(気を取り直して)話を戻そう。肝心の主役でスベったにしても、やはりこの作品は名作だ。なんといっても俯瞰を多用した斬新なカメラワークがいい。
撮影はアンリ・ドカエ。後に『死刑台のエレベーター』『大人は判ってくれない』『太陽がいっぱい』『サムライ』などの名作に携わっている。
そして、鮮烈なラストシーンも、俯瞰。
実はコクトー自身は、このラストシーンは「スクリーンには死者が残り、生きている者が退場し、徐々に視点が上へ遠ざかる」というイメージをもっていた。だが、それは『悲恋(永劫回帰)』のラストで使ってしまった(占領下日記)。『恐るべき子供たち』の最後は、コクトーのもともとのイメージよりずっとリアルで残酷なものになっているかもしれない。だが、それが他のコクトー映像にはない新鮮な驚きを与えることに成功している。
エリザベート役のニコル・ステファーヌの熱演も賞賛に値する。ポール役のデルミットの未熟さを彼女の烈しさがうまくカバーした。小説執筆時、コクトーのミューズはグレタ・ガルボだったという。コクトーは10代後半のガルボの写真を脇におき、ガルボが眼前にいるように想像しながら小説を書いた。映画は「若きガルボ」とは違ったイメージになったかもしれないが、ダルジュロスの幻影と格闘するエリザベートの嫉妬と苦悩がよく伝わってきた。
ダルジュロス役はアガート役のルネ・コジマの2役。ポールの線が太すぎるせいで、ダルジュロスの印象が薄くなった恨みはあるものの、1つ1つのシーンは絵画的で美しい。
アガートとエリザベートの衣装はクリスチャン・ディオール。毛皮のコートを首元でおさえるルネ・コジマの指の表情がエレガント。
「聖処女エリザベート」に思いを寄せるジェラール。このシーンは『オルフェ』を彷彿とさせるようなモーション。コクトーとメルヴィルの感性が入り混じっていることを印象づける。
Mizumizuの選ぶベストシーンは、やはりコクトー作品にふさわしく、「死」の場面。深い霧の中で、エリザベートの婚約者が事故死を遂げる。幻想的な場面にかぶさる詩的なナレーション。首にまきついたマフラーが車輪に絡まって命を落とすというのは実際にあった話だという。このあと回り続ける車の車輪が映る。静けさと恐怖と美しさに満ちた場面。
ちょっと残念なのは、物語上も重要な意味をもつ雪合戦のシーン。小麦粉か何かを使ったのか、雪がうまく雪球になっていない。雪がもっとリアルだったらさらに美しくなっただろうに、予算不足だったのだろうか。
しかし、この映画のDVDの解説はヒドイ。
まずはジャン・コクトーについて。「舞台と映画に主演した美形ジャン・マレーとの同性愛に結ばれ、マレーに看取られながら死の世界に向かった」。
『恐るべき子供たち』とは何も関係のないマレーの名前を出したあげく、主演のエドゥアール・デルミットと混同している。コクトーを看取ったと言えるのは、死の当日まで一緒だった養子のデルミットなのだ。
動かぬ証拠↓
「1963年10月11日 ドゥードゥー(=デルミットの愛称)が電話をかけてきた。ジャンは肺腫瘍に負けてしまったのだ」「ジャンが息切れの発作に襲われるや、ドゥードゥーはフォンテンブローの病院に電話をかけた。酸素吸入の道具が間に合わなかったのだ。私の生は停止した。どうやってミリィまで車を運転したのか、思い出せない」(ジャン・マレー自伝より)
さらに映画の音楽について、「ときにはかき立てるように高鳴り、ときにはひそかに胸をかきむしるように、4台のハープシコードが交錯する4人の心情を代弁する」。
解説ではバッハの「4台のハープシコード(ピアノの前身)協奏曲イ短調BWV1065」となっているが、映画の冒頭にちゃんと書いてあるとおり、「4台のピアノのための合奏協奏曲イ短調BWV1065」なのだ。concerto grosso (合奏協奏曲)だから、ピアノだけでなく弦楽器も参加している。だが、ハープシコードは使われていない。あくまでピアノだ。音聴きゃわかるだろうに。
だが、このバッハの音楽が素晴らしい効果を与えていることに異論はない。オーダーメイドの音楽ではないのに、この作品のために作られたように聞えるから不思議だ。
もう1つ、間違いとも言い切れないが、大いに誤解を生じさせる記述も。
「(コクトーは)シュールレアリズム派の芸術家とも親交が深い」
コクトーの生涯にわたる最大の天敵はシュールレアリズムの父アンドレ・ブルトンだった。コクトーが親交を結んだのは、ブルトンからいわば一方的に「破門」されたシュールレアリスト。たとえば、エリュアールがブルトン陣営にいるころ、コクトーとエリュアールは対立していたが、のちにエリュアールがブルトンを離れて和解している。だが、ブルトンは生涯コクトーを徹底的に敵視し続け、コクトーがフランスの詩王に選ばれる際にも、頑強に反対している。ジャン・マレーも『私のジャン・コクトー』の中で、コクトーを死ぬまで攻撃したブルトンの偏狭さに疑問と苦言を呈している。