Mizumizuのライフスタイル・ブログ

2009/06/27(土)21:24

凄すぎる! ディアナ・ヴィシニョーワのジゼル

Travel(ハワイ・NY)(36)

メトロポリタン歌劇場でバレエ『ジゼル』を見た。 NYのこのオペラハウスはとにかく、劇場自体も大味で、オケも大味という印象が強いのだが、今回はダンサーの超絶技巧ぶり+信じられないほど卓越した感情表現に度肝を抜かれた。 主役のジゼルを踊ったのは、ロシア出身のディアナ・ヴィシニョーワ(Diana Vishneva)。数々のスターダンサーを輩出してきた「世界最高のバレエ学校」ワガノワ・バレエ・アカデミーに学び、アカデミーの長い歴史の中でも最高峰の才能と賞賛された天才バレリーナで、現在はキーロフ・バレエとアメリカン・バレエ・シアターの両方でプリマを務める。 相手役のアルブレヒトにはアンヘル・コレーラ(Angel Corella)。こちらの動画からもわかるように、非常にたくましく、男性的で、しかも技術のしっかりしたダンサー。しばしばヴィシニョーワのパートナーを務めているそうで、息もぴったり。最後に百合の花を抱いて、ジゼルの墓を詣でるところは、ただ歩いているだけで、雰囲気があり、美しかった。 しかし、今回の公演は、何と言ってもディアナ・ヴィシニョーワのもの。日本では、たとえばシルヴィ・ギエムほどのネームバリューはないと思うが、いやはや、すごいバレリーナですよ。ギエムの「脚上げ」のようにバーンと目立つ技巧はないが、伝統的・統合的な意味でバレリーナに要求されるすべてをもった人。 第一幕の最後、村娘のジゼルが髪を振り乱して狂乱し、息絶える場面は、このバレエの最大の見せ場の1つ(ちなみに、この音楽はフィギュアスケートの楽曲としてもよく使われる有名なもの)だが、この場面のヴィシニョーワの表現力はもはや、人間業とは思えない。目が釘付けになって、まばたきさえ惜しく感じられた。身体の動きの流麗さや、しなやかな手足の動作、バランスの取れたポーズといった身体全体の表現に加え、腕を伸ばして、ちょっと手首を折るだけの小さな表現に至るまで、隅から隅までがすべて輝いている。 そのテクニックの上に花開く、奇跡としか思えない感情表現。狂気というのが死に至る病であるということをまざまざと見せつける。ヴィシニョーワって人は、本当は狂ってる人なんじゃないの? でなくて、なんであんなにまで真に迫った狂気を演じられるの? と全身総毛立ち、たたただ見つめるしか術がなかった。 そして、第二幕。村娘のジゼルは精霊ジゼルになって再登場する。氷のように冷たい美しさは、まさにこの世のものとは思えない。第一幕の村娘と同じ人間が演じているということを、にわかには信じがたいほど。微動だにしないポーズのまま、ふわりとリフトされたときは体重さえないように見えた。そして、その怜悧な肉体のどこかに残っている人間的な恋情。第二幕の解釈はいくつかあるが、ヴィシニョーワ版ジゼルは間違いなく、アルブレヒトを守っていた。 身体を使って表現する芸術の最高峰というのがどういうものか、改めて確認した。 このところバレエ鑑賞から遠ざかっていて、フィギュアスケートばかり見ていた。パリに行ったときは、オペラ・ガルニエで、ベジャールとプティのバレエが上演されていたのだが、疲労に負けて直アタックしなかった(チケットがなくても、当日開演前に現場に行けば、案外なんとかなってしまうものなのだ)。今から考えれば、やはり見るべきだった。 フィギュアスケートの世界は、振付の劣化がはなはだしい。最近はすっかりチャンチャン拍手の「大衆芸能化」し、ちょっと上半身や腕を小器用に動かしたり、切なげに目を閉じたりニヤニヤ笑いを浮かべたりすると、「表現力バツグン」だとか「バレエ的で芸術性が高い」などと囃し立てられる。全然違いますよ、超一流のバレリーナの表現は。 そして意味不明の点数を出すジャッジ。あまりのデタラメぶりにとうとう荒川静香も苦言を呈した(こちらの記事参照)。ここでの批判は主にGOE(エレメンツの実行に対する加点・減点)だが、Mizumizuに言わせれば、演技構成点(PCS)もハチャメチャ。さらに付け加えると、ヨーロッパのコーチからは技術審判(テクニカル・パネル)の判定するレベル認定にも疑いの目が向けられている(今季ルール改正で、演技審判の裁量権が拡大されたのも、こうした背景がある)。 フィギュアスケートの演技構成点の「振付」「音楽の解釈」と言ったジャッジに、バレエ関係者など、フィギュア以外の専門家を入れるべきだという声もあるが、どのみち、お金がなくて困ってるISUにそんなことができるワケがない。それよりまず、ジャッジがこうした身体全体で表現する、「表現芸術の真骨頂」を理解すべきじゃないだろうか。 あ、フィギュアのジャッジはあまりにビンボーで、チケット代の高い超一流のバレエなんか見に行けないって? そうかもしれませんね。有名コーチや振付師との収入の格差は、どれほどなんでしょうね? 唯一、バレエ芸術に共通する格調高い世界を氷上で作り上げてくれるのが、やはりロシアのタラソワだが、彼女の濃密な振付にジャッジは点を出さない。完全に間違ってますね。北米とロシアの対立はフィギュアの世界では根深いが、こうやって多分に政治的思惑で、フィギュアの芸術としての可能性を抹殺してしまうつもりなのだろうか。プルシェンコはさかんにラブコールしているが、ランビエール――おそらく今、最も格調高く芸術性の高い世界を表現できるフィギュアスケーター――はやはり、オリンピックの舞台には戻ってこない気がする。 ロシア出身のフィギュアスケーターはアメリカに移住することが多いが、ロシア出身の一流のバレリーナの多くも、依然として、活動拠点にアメリカを選んでいる。アメリカはバレリーナの育成に関しては、ロシアの足元にも及ばない。ロシアで育った世界最高の果実を、世界最高の財力でもぎ取っていくというのが実情。 アメリカン・バレエ・シアターも、コールドバレエに関しては、全盛期のキーロフの足元にも及ばないと、ソ連時代にバレエ鑑賞旅行で「鉄のカーテン」の向こうに行ってた、筋金入りバレエファンのMizumizu母はややおかんむり。 『ジゼル』は主役のダンサーが日によって違うのだが、それによってチケット代が変わるというのも、いかにも実力主義のアメリカらしい。 ヴィシニョーワ&コレーラ組以上のチケット代を取るダンサーもいて、比べてみたら、また面白かったと思うのだが、短い日程で、そんなにジゼルづくしというのも… というので、今回はヴィシニョーワの世界の余韻を大切にすることにした。 席はParterreと呼ばれる2階席にしたのだが、ここは3列(3人+3人+2人)の桟敷席になっている。Mizumizuたちは最後の2人の席。一番前の列の客は早くから座っていたのだが、開演時間が近づいても、中央の席が空いたままだった。だが、チケットが売れているのはわかっているので、誰も来ないということはない。 またオペラ座の怪人のときのように、日本では想像もできないようなデカい人が来たら嫌だなあ~と思っていたのだが、「グッイ~ブニン~」と、上品に挨拶して入ってきた老紳士が、また…! 日本では両国国技館の土俵の上でしか見ないような体形のお方… ど、どうしよう、この方が目の前に座ったら…? と思った瞬間、連れの人が入ってきた。 老紳士の連れはアジア系(多分フィリピンだと勝手に思ってる)の青年。それほど背が高くない。 ホッ。 結局2列目の3席には、この2人しか座らなかったので、視覚がさえぎられることなく助かった。 しかし、このアジア系の青年、明らかにダンサー体型。逆三角形のたくましい上半身にピタッと吸い付くようなスケスケのシャツを着ている。胸の筋肉も盛り上がって、なんと乳首までくっきり見える。 そ、そんなにカラダのディテールをひけらかしたいのデスカ…? 下半身もジェレミー・アボットと張れるくらいの見事なライン(←この意味がスンナリ理解できたアナタは、相当のフィギュアオタ)。 きれいに筋肉をつけた褐色の腕なんか、まったく毛がなくて、オイルでも塗ったようにつやつやで(いや、マジで塗っていたのかも)、思わず、「ちょっとさわらせていただけませんか?」と言いたくなった(←ヘンタイ)。 これでイケメンだったら、バレエなどそっちのけで彼を鑑賞したかも(←ヘンタイ)。有り難いことに、というべきか、残念ながら、というべきか、天は二物を与えなかったようで… 「なんで男同士でバレエなんて見に来るのぉ? しかもジゼルなんか…」 と素直すぎるMizumizu母の疑問。 確かに。これが、スパルタカスならわかる気もするけど。 ま、カラスの勝手だわな。

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