人間の持つ、過去、現在、未来におけるすべての悩みを指す言葉です。”ひゃくはちぼんのう”と読みます。人生で百八種類の悩みがある~と言う意味です。煩悩を払う、お寺さんで敲かれる(たたかれる)大晦日の梵鐘も百八でしたよね。
本日は暗い出だしですねぇ~思い煩う事は限りがないほど、多く存在します。幸せな暮らしを過ごしている人達にも煩悩はあります。が、悩みと欲望は違います。人間とは限りない欲を持った動物です。何も持たない人間にとって、お茶碗一つしか持たない人間を羨みます。全ての欲しい物を持った人間も、自分にはない物を持つ人間を羨みます。
私には妻と二人きりではありますが、ささやかな暖かい家庭があります。独居人から見ると羨ましいかもしれません。しかし、他人同士が暮らす中には多少なりと諍い(いさかい)は存在します。独居人に、それは存在しません。人間須らく(すべからく)物欲があると思っていますが、私は物欲より今では平穏な精神性を重んじるようになっています。これも生活基盤があるからでしょう。裕福だと言っているのではありません。なきゃ無くていい、ありゃ便利~程度のものです。被災者のように今現在も苦しんでいる方々が多く存在します。収入が固定化されていない人達の毎日は、とても大変だと思います。
ホームレスの方々にだって暮らしはあります。生きるためには働かなくてはなりません。でも、今の世の中、働きたくても働き場所がありません。その働く場所を選ぶにも、物欲があります。少しでも収入の多い所~楽な仕事~そんな物はなくていい。日々暮らせる、否、食べれるだけでいい~と思えば、それも平穏な精神性と呼べるのではないか~と思うのです。
生きてさえいれば~被災者の一人が発した言葉です。